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村上春樹を読む(その8) 「走ることについて語るときに僕の語ること」など [本]

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村上春樹がボストンマラソンなどを走るマラソンランナーであることはよく知られている。
玉子が美味しければ鳥など見なくても良いというのはどこに書いてあったか、メモしそこなったので分からないのだが、村上春樹の言ではなかったかと思う。また、同じ作家が贔屓のヤクルトの選手の活躍を知れば彼の生い立ちや周辺の事を知りたくなるのは自然だともどこかで読んだような気もする。これは全く正反対である。
小説とプロ野球を同列にするわけにいかないが、長編小説の事を知るのに書いた作家の人柄や周辺のことを知ろうとするのは間違っているのかどうか自分には分かりかねるが、うまい卵を産む鶏がどんな種類か、どんな餌を食べ、どんなファームで暮らしているかがすぐ気になる方である。よって随筆や短編集インタビューなどをせっせと読むことになる。

「走ることについて語るときに僕の語ること」(2007 文藝春秋)
著者はエッセイでなく自分史に近い「メモワール」だという。メモワールはフランス語で「記憶」「思い出」を意味する。英語でも主に「回想録」「自伝」を指す言葉として使われる。ここでは「英・仏」合わせたものか。
村上春樹の場合、小説の作法が長距離ランニングと同じようなものと言うのは、よく理解できる。武道家の評論家がいるようにジョガーの小説書きがいるのは、数は少ないがありうることだ。三島由紀夫みたいな例も(やや中途半端にも見えるが)ある。
しかし、スイム、バイク、ランのトライアスロンをやり、大学で教えながら海外生活をする作家は少ないことは確かで、それが小説に反映しないとはとても思えない。
しかし、そう聞いて(年寄りはとくに)だれでも思うだろう。身体能力の低い老いた作家は、遅かれ早かれ小説が書けなくなるに違いないと。もっとも、武術やランニングをしない作家でも歳をとれば書けなくなるのは同じでもある。物語を作り出すと言うのは力技だというのは、容易に想像出来る。
ピカソ、北斎などをみれば画家は幾分違うかも知れない。油彩は力技にも見えるのだが、80歳を過ぎても傑作を残した巨匠は少なくない。
表題は相変わらず巧みなアイキャッチだが、著者の敬愛する作家レイモンド・カーヴァーの短編集のタイトルが原型という。そのタイトルとは、
"What We Talk About When We Talk About Love" うん、なるほど。

「神の子どもたちはみな踊る」(2000 新潮社)
表題のほか5篇の短編小説が収録されている。初出し、連作「地震のあとで」その1~その6。
1995年の阪神大震災がテーマになっているが、地震そのものを取り上げている物語はない。地震は物語の背景だったりストーリー展開のきっかけとしてあつかわれている。
大災害でも当事者以外は外から被災を見ているわけで、神戸であれば北海道の人、東北の災害であれば大分の人はそれぞれ同情はすれど、また自分の日常に戻るのだからこういう扱いもありだろう。地震をめぐる全く別の物語をいくつか書くというのは俳句、短歌の連作あるいは連句、連詩のようで一種の趣がある。
表題が代表作なのだろうが、(そして大方の人と異なるかも知れないが)自分は「蜂蜜パイ」が一番好きだ。村上春樹の小説の原型みたいで読んでいて楽しい。ハッピーエンドなのも老人には有難い。
ところでこの短編集を読みながら、村上春樹は東日本大震災、福島原発事故についてどんな発言をしていたかが気になり出した。何処かにあったのだろうが、あらためて探して見ねばなるまい。

「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011」(2012文藝春秋)
村上春樹の小説作法、執筆姿勢がよく分かる。例は適切では無いがギリギリ自らを憑依状態に追い込んで物語を作り出すという感じを受けた。プロットなし、シュール、闇、夢、井戸、壁、異界など作品の特異性から見て、そういう状況に耐えられる精神力と体力が必要だと解釈したが、的を射ているか否か自信は勿論無い。少なくともマラソンやトライアスロンで体を鍛え規則正しい日常を、作家が心がけるのはこのためかと思う。

「海辺のカフカ」、「スプートニクの恋人」など個々の作品への応答もあるので素人読者(自分のことだ)には大いに助かる。
特に海外メディアのインタビューにおける作家の説明が、率直にして分かり易くて良い。

村上春樹 はこの時60歳だが、小説家の老いについてこう触れている。
「あれほど才能を持った人(カポーティ、チャンドラー、サリンジャーら)たちが、老境を迎える前に思うように現実に書けなくなってしまうというのは、本当に惜しいことだし、切ないことだと思うんです。反面教師といったらそれまでだっけれど、僕はどこまでやれるか挑戦して見たいです。」「るつぼのような小説を書きたい 1Q84前夜」(2009)。
身体を鍛えているからか自信がありそう。ふと、「韃靼疾風録」(1987)を最後に63歳で長編をやめ、晩年は「街道をゆく(1971-1996)」などを書いた司馬遼太郎(1923-1996 、73歳没)を想起した。

ところで、作家は神戸の震災やサリン事件に強い関心を寄せてはいるが、2011年の福島原発事故についてはどうだったかと前から気になっていた。
2011年6月のカタルーニャ国際賞受賞インタビューにおけるインタビュワーの紹介の中で村上春樹の東日本大震災、福島原発事故についての言及を見つけた。(インタビューの応答ではなく作家の言だとして紹介されている)
「我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。それが広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。」

「レキシントンの幽霊」(1996 文藝春秋)表題を含む7編の短編集。いずれも怖い話だがそれぞれに怖い中味は違う。読む人によって怖さは異なるだろう。自分はいじめの「沈黙」より、妻が洋服を買い漁りはてに交通事故で死んでしまう「トニー滝谷」の孤独が異様に怖かった。

「スプートニクの恋人」(1997 講談社)
「僕」が恋した女性すみれは、年上の女性ミュウと恋に落ちたが、うまくいかず忽然とこの世界から消えてしまう。僕はミュウに頼まれギリシャまで探しに行くが見つからない。
レズビアン、性をめぐって展開する中編小説。単線型小説に属するのだろうと思う。
ミュウの髪を一瞬に白髪にした不思議な経験も性にまつわる。オープンエンドであり、女をなくした男など村上春樹特有の展開。「ノルウェイの森」もこれに似た雰囲気の小説だが、こちらは表題の「スプートニクの恋人」がもう一つ分かりにくいというか、テーマとの付きが離れている感じ。スプートニクはロシア語でみちづれ、人工衛星の軌道はすれ違っても会うことはない。恋愛とはこれに似ているというのだろうが。「象徴と記号」の違いは「片思いと相思相愛」の違いだという方が分かりやすいが表題には向かないだろう。Symbol やSign(Codeなど)をどう使ってもたぶん「The Sputnik Sweetheart 」には敵わない。


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