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廃車 わがカーライフの終わり [車]

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 入社して1年の本店研修期間を終えて、静岡市に転勤した。
 支店で更に1年間研修を受けて配属されたのが、割引債券のセールスだったので、すぐに自動車免許取得命令が下りた。
 強い弱視に加えて運動神経、反射神経、空間認識、流動視力、など運転に必要な能力が乏しいらしく、何度も県営の自動車試験場の実地試験に落ちた。半年かけてやっと昭和40年(1965)8月取得。25歳。その年の秋結婚した。
 しかし、当時の静岡支店では先輩の乗る車しかなく、暫く自転車で飛び込みセールスをした後、はじめに乗ったのが日野のコンテッサ。
 コンテッサはかなりのオンボロで運転中に橋の上で後のタイヤが車軸から外れた。ひとつ間違えば大事故になっただろうが、停車した後おもむろに外れたのが不幸中の幸いだったけれど、冷や汗ものである。今でも思い出す。
 その後が当時初の量産大衆車で人気車種のトヨタのパブリカだったが、乗った期間はごく短く新潟市への2回目の地方転勤になる。
 28歳。一人息子と3人の暖国から雪国への1月の異動、移住である。

 後で振り返ると、この時の自転車と自動車によるセールス経験は、自分にとっていろんな意味で大きな財産になったように思う。

 新潟では内務の仕事に変わり、東京に戻ってからも車に縁がなく運転することもなかった。
 42歳。大分に転勤になって勧められて中古の日産ローレル2000ccを買った。これを東京に戻っても大分ナンバーで乗っていたが、再び福岡に転勤になって1年1ヶ月乗った。49歳、平成元年東京に戻る時に福岡で廃車した。このローレルを通算7年余持っていたことになる。
 以来車を運転することがなかったが、第二の職場に移ってから、どうしても必要になりトヨタのファンカーゴ1500ccを買い求めた。61歳。

 今回、深刻な病いになってもう車には乗らないと決め廃車した。
 79歳。次の免許更新まであと2年ある(2021)が、時節柄自主返納することになるだろう。廃車の方がそれに先行することになった。
 ファンカーゴは通算18年。3万キロちょっとだから、いくらも乗っていない。遠出も軽井沢や伊豆など数回しかせず、都内で走っている分には走行距離は伸びない。
 これが我がカーライフである。ある取引先のカーキチが、自分の余生と後乗りたい車種とを重ねて思うと短いと嘆いているのを聞き、こういう好きものもいるのかと感心したことがあるが、それに比べたら凡そつまらぬマイカーライフではある。

 しかしながら、ぶつけて傷をつけたり、ヒヤリハットもあったが、ブレーキの踏み間違いなどもなく、さしたる大きな事故にも遭遇せず優良免許証のまま終わりそうなのは有り難いことだ。 
前記の如く、もとより運転の才能は乏しいという自覚は持っているとはいえ、事故に対する認識も甘いのに良くもまぁ、乗ってきたという思いもある。
 それを知っていたのは、いつも脇に乗ってくれた家人でこの10年ばかりは夕まずめ、夜間、風雨雪どき、高速道路は極力回避することを求められた。有り難かったことだ。

 カーライフから話は、少し逸れるが、通勤、営業などで運転して貰って車に乗った期間は、大分2年、福岡1年、大阪2年、東京5年で、通算10年に及ぶので運転手さんがいかに優秀か、自分より上手いかをいやでも見ることになった。
 運転技術のみならず、時間に遅れず、早すぎず間に合わせるという確固たる目的意識、想定外のことへの対応、冷静な周囲の車への目配り、同乗者への気配りなど、何時も感心させられた。運転してくれる人は、変わるが共通する何かがある。自分はどれだけ彼らから学べたかと思うと心許ない気がする。

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