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令和二年庚子歳旦三つ物 [詩歌]

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庚子歳旦三つ物
 発句 左義長の炎汝が胸照らしけり
 脇  しみじみとしろこの初昔
 第三 誕生日五輪開会重なりて

 昨年2019年は、5月が代変わりである。したがって平成31年(4ヶ月間)でもあり、令和元年でもある。後の世では平成31年が、人の意識から消えて無くなるのだろうか。
 昭和、平成の代変わりは1989年1月で昭和64年は1ヶ月のみだから昭和64年は存在しなかったごとく、昭和の御世は63年だとなっても不自然ではない。

 昨年7月10日つまり令和改元2か月ほどで病を得た。むろん罹患は改元と無関係である。病気は何時老人を襲っても不思議はない。が、今回は老人には怖い肺炎(pneumonia)である。
 24日間の入院を経て漸く退院して、医者は順調な回復と言ってくれるものの、年が明けてもなお身体が変だ。
しかし、医師の適切な処置で命を救って貰い、いくら感謝しても足りぬとしみじみと思う去年(こぞ)であった。79歳の誕生日7月24日は病室で迎えた。
 何より異常な暑さの中、家人にかけた負担は入院中はもちろん退院後も尋常では無かった。

 このことも影響したらしく、めでたい時に作る新年の三つ物、令和ニ年庚子歳旦がなかなか上手くいかず難儀した。
 いつものように暮れに作ったが、最終的に次のとおりになった。

令和二年庚子歳旦三つ物
 左義長の炎汝が胸照らしけり
 しみじみとしろこの初昔
 誕生日五輪開会重なりて

あまり賢明ではない、と承知で自解を試みる。

発句 左義長の炎汝が胸照らしけり
 左義長は小正月(1月14日)に旧年の注連飾りや願掛け達磨などを燃やす「どんど焼き」の別称。全国各地で行われる。
 燃える炎があなたの貌(かお)でなく、胸を照らすとしたのは、これでも肺炎を想起する人は、よもやいまいと考えた。
 一方、「我が」胸とせず「汝が」胸としたのは、自分のことではないと曖昧にしたかったから。
 初案は 令和ニ年はねずみ歳なので、「あるじ留守物置走る嫁が君」だった。自分の入院中に物置に置いた猫砂の袋がねずみに齧られたのを家人が見つけて、どうしようと本気で悩んだりしたのだ。
 嫁が君では脇が続かず、最後の最後にふと、「左義長」という語が浮かんだので急遽変更した。

脇 しみじみとしろこの初昔
 しみじみは命令形に馴染まないが、自分のなまえをかけた。やや強引だが読んで気づく人はいまいとふんだ。
 「初昔」には強意の「この」をつけた。「初昔」は去年(こぞ)のこと。歳時記で見つけた新年の季語。「昨年」と同じ言葉で、我が身にいろいろあった令和元年を指すという。初めて知ったが良いことばだ。

第三 誕生日五輪開会重なりて
 わが誕生日は7月24日。あと半年余り元気であれば、めでたく傘寿の日を迎える。世界中の人がこの日を五輪開会日として祝うだろうが、わしもこの日誕生日だぜ、関係無いけど、というだけの雑(ぞう)の句。
「誕生日」を「傘寿の日」とすることもできたが(あるいはその方がめでたさも増量するが)、遠慮した。
 過程では「またしても関わり薄き五輪来て」などという句もあった。
 今回も前回もオリンピックとの関わりは薄い。前回は結婚の前年の秋。オリンピックなど頭に無かった。
 今回も、たまたま開会式の日が誕生日と重なるだけの関わりになりそうで、待ちに待っている人からは叱られそう。それにしても騒ぎ過ぎで心配である。他にもっと騒いで貰いたいことがたくさんあるし、何より一億総なんとかの雰囲気でお宅何しらけているの、という感じが怖い。

 さて、三つ物らしくめでたい句になったかどうか分からないが、句の形だけは出来たので年賀状に添えた。相変わらずの心臓。
 読んだ人は殆ど理解出来ないだろう。それは読む人のせいでなく、詠んだ人の責だということが、この自解で分かるというものだ。
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