内田樹「村上春樹にご用心」を読む [本]
いっとき、暇があったのとその読み易さの文章で多くの村上春樹の小説をまとめ読み(?)したことがある。
備忘のため、わがブログに書いたら短文ながら「その13」にまでなった。
村上春樹を読む(その13)・「村上さんのところ」などとCD「僕と小説とクラシック」
https://toshiro5.blog.ss-blog.jp/2017-11-09
読後感は一般的に言われていることとさして変わらないものだが、そのとき、この小説家は、なぜこんなに暴力とセックスを多く書くのかと思ったことを覚えている。
「日本辺境論」(新潮新書2009、11 2010新書大賞)、「逆立ち日本論」などの著者で有名な内田 樹がいる。2016年この2冊のほか、呪いの時代を読んだ記録があるが、内容はすっかり忘れている。最近の忘れ方のひどさは半端ではない。そら恐ろしい。
「日本辺境論を読む」
https://toshiro5.blog.ss-blog.jp/2016-04-08
内田 樹は、1950年生まれ神戸女学院大学 フランス文学者 武道家。以前から何故か関心があり、ネットで「内田樹の研究室」というブログをたまに読む。
表題に惹かれて内田 樹著「村上春樹にご用心」(アルテスパブリッシング 2007)を図書館で借りて読んだ。借りた途端、新型コロナによる閉館になり、返せなくなったおかげでゆっくり読めた。
この中で内田は、村上春樹の文学は「普通の穏やかな生活」を「邪悪なもの」から守る「センチネル(歩哨)」と三者関係が基本になっていると説く。とても分かり易い。自分は沢山読んだ割には、村上春樹の読み手としては落第だなと反省する。
内田氏はそれぞれ、「普通の生活」は衣食住こそ基本、「邪悪、不条理」とは例えば猫の手を万力で潰すようなもの、「センチネル」は誰かがやらねばならぬ雪かきのようなもの、と表現して解説する。これも分かり易い。
また、「政治的激情とか詩的法悦とかエロス的恍惚とか、そういうものは「邪悪的なもの」の対立項ではなく、しばしばその共犯者である。」とも書いている。
エロス的恍惚は、普通の生活におけるセックスではなく邪悪的なものの側にあるものとして書いているなら、村上春樹がしきりにそれを書くのは分かる。しかし、それなら普段の生活における衣食住と同じような扱いのセックス描写はなんなのだろうか。
また、「政治的激情」とか「詩的法悦」も邪悪的のものとしばしば共犯者になると言うが、それはどんな時か。村上春樹の小説を読んでいて気が付かなかったが、それだけに知りたいものだ。
「もういちど村上春樹にご用心」(アルテスパブリッシング 2010)があるようだから、それが書いてあるとも思えないが、図書館が再開したら借りて読んで見ようと思う。
検索したら他に「村上春樹スタディーズ」、「村上春樹1Q84をどう読むか」などもあるようだ。
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