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やまどりの長き尾一閃いま雲に [詩歌]

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この一月、畏友を一人失った。友というより会社の一年上の優秀な先輩で、自分がどうしても追いつけなかった方である。まさしく自分とは「月と何か」くらいの差があり、同僚、部下(会社の先輩さえも!)に慕われ、誰もが一目置いた存在だった。
新入社員の頃からの家族ぐるみで世話になって以来のお付き合いなので、奥様にお悔やみの手紙を出したら、これ以上ないと思われる見事な返礼状を頂いた。このご夫婦にはとうていかなわんとまた思い知らされた。
昨年の賀状に夫婦で喜寿を迎えると添え書きがあって、その前の年にはまた会いたいものですねと、書いて頂いたことを思い出したが、そうしなかったことを悔やんでいる。
彼は役員で退任したとき、自分が設立の企画に携わって新発足した信託銀行の社長に就任された。周囲が期待したとおりの実績をあげたが、それは彼の人生のほんの一部に過ぎなかっただろう。しかし我ら二人が意図しなかったことといえ、この関わりは自分には何か因縁めいたものを感じたものである。

追悼の折句を作った。

やまどりの長き尾一閃いま雲に

自分の句は柿本人麻呂の有名なやまどりの歌を踏まえている、などというほど立派なものではないが、誰でもこの歌を想起するだろう。

あしびきの 山鳥(やまどり)の尾の しだり尾の
   長々し夜を ひとりかも寝む

この歌は拾遺集に収められたものだが、離れて暮らすという山鳥のつがいが啼いて呼び合うという習性をふまえて作られた歌である、ということはよく知られている。

絵は水彩(F4Waterford)で描いた山鳥。このあと空にもう一羽を付け加えたが、こちらの方が良いのは想像の余地があるからか。




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