SSブログ

千駄ヶ谷で富士登山 [風流]

image-20170405121848.png


家人が渋谷区千駄ヶ谷の八幡神社に富士塚があると新聞記事で見つけて、一度登ってみたいと言うのでついて行った。桜はまだ蕾小さく春とはいえ、晴天なのに少し寒い弥生某日である。
八幡神社は千駄ヶ谷一帯の総鎮守で「鳩森八幡神社」(はとのもりはちまんじんじゃ)とも呼ばれる。860年(貞観2年)、遣唐使慈覚大師(円仁)によるというから、 かなり古い社である。

阿佐ヶ谷駅から総武線(各駅停車)に乗り15分ほどの千駄ヶ谷駅下車、鳩森神社は約600メートル歩いて8分ほど。富士山まで家から40~50分ほどしかかからない。山は6メートル。あっという間の富士登山である。

江戸時代中期に富士信仰が盛んになると江戸を中心に多くの富士講が生まれ、「江戸八百八町講中八万人」といわれたという。
江戸中期から後期にかけての人口は50~100万と推計する人もいるが、八万人とは大げさといえ、かなりの愛好者がいたことは確かのようだ。
そのため講に集まる人によって富士塚も多数つくられ、現在東京都内には約50か所もあるとは知らなかった。
富士山の世界遺産登録は、風景美だけでなく日本人の富士信仰など文化的な価値が認められたからであることは周知の通りだが、講や富士塚などはその具体的な例のひとつであろう。

江戸市中の有名な富士塚は特に「江戸八富士」と呼ばれた。また、各地に点在する富士塚は庶民から「お富士さん」などと呼ばれ親しまれていたという。
当時の場所に現存する富士塚としては、千駄ヶ谷富士が都内最古のもので、東京都の有形民俗文化財にも指定されている。
江戸八富士にはほかに品川富士(品川神社境内)、茅原浅間神社境内の江古田富士などがあるとか。
最も高いものでも15メートル(品川富士塚)というからまさにミニュチュア富士。

実際に登ってみると、富士山から運んできたという熔岩が積み上げられ、日本庭園の築山の趣き、6メートルだとさほど高いという感じではない。
浅間大社もある。浅間大社に祀られているのは、木花咲邪姫(コノハナサクヤヒメ)という、美しい女神。
江戸時代の人も、今でいうヴァーチャル リアリティの世界で富士登山の疑似体験を楽しんだのだろうが、講にも参加出来ず富士山に登れなかった庶民が少し可哀想な気がしないでもない。

ところで、自分は社会人になり最初の転勤が静岡市だった。近くに富士を見ながら、4年ほど暮らしたが一度も富士登山をしなかった。なぜか是非登りたいとも思わなかったような気がする。新潟市で暮らした3年間に、佐渡へ行かなかったのも同じことだが、余り感心した性格ではない。

さて、千駄ヶ谷富士登山が終わったあと、お昼でも食べようとと探したが、神社周辺ではまだ11時前で開店しているレストランなどがない。
東京体育館近くまでもどり、モーニングカフェとやらでアスリートらしき人達と一緒にフレンチトーストを食べて帰った。
家を9時ごろ出て、なんと12時前には帰宅した。スピード富士登山、しみじみしている間などはなかった。家人はすぐにヘヤーカットに行ってくると出かけた。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。