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へびうり、柱サボテンなど ーびっくりご近所の庭木 [自然]

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近所を散歩していると、よその家ながらついつい庭木や花に目がいく。
日本は公園は少ないけれど、個人の家の庭は一つ一つは小さいが、集積するとかなりの面積になるのだと聞いたことがある。小さな庭を集積した大きな面積に、いかほどの意味があるのかよく分からないが。
庭のあるじはみなそれぞれ手をかけ楽しんでいる。一方自分を含めて道行く人、散歩をする人もまたその成果を楽しみ恩恵を受ける。
なんの変哲も無い平凡な花、百日草、ペチュニアなどを植えている家もある(我が家がまさにそうだ)が、一見して高価そうな鉢に植えた華麗な花木を、季節に応じて変えている家、一年かけて世話をして見事な花を咲かせる薔薇屋敷など様々である。

しかし中には庭の前の道を覆うほどの鬱金桜の見事な木があって、花の時期に見つけうわぁとびっくりすることもある。びっくりといっても他の人もびっくりするかどうかは知らない。人は皆違うことに驚くような気がするからである。自分でさえその時の気分のありようで、びっくりしたりしなかったりする。だから人によりびっくりするものが異なるのはなんの不思議もない。

びっくりした一例をあげると、蛇瓜。インド原産。カラスウリ科の蛇瓜(へびうり)。別名毛烏瓜とも。自転車に乗って走りながら、数本ぶら下がっているのを見たときは、えーっと驚いた。
英名は、Snake gourd 。れっきとした野菜であり、イタリヤ料理、カレー料理などにも使うとか。見たところあまり美味しそうではない。率直に言って気味が悪い。

最近では山法師。ヤマボウシ(山法師、山帽子、学名 Cornus kousa)はミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。これは、花水木のあとしばらくして咲くが、庭木として最近では特段珍しくはない。驚いたのは栽培種なのか亜種なのか、普通は木のてっぺんに花をつけるのだが、側面にびっしりと花をつけているのを見つけたときである。

また、近くの普段歩かない路地で見つけたサボテン。家の二階にまで届き、更に上に伸び続けている背の高いのを見つけたときは驚いた。壁に釘を打ち丈夫そうな紐でサボテンを家が抱え込んでいる。ネットで調べてみると柱サボテンというものらしい。正確かどうかは自信がないけれど、サボテン科 ケレウス属 の鬼面角というのに一番似ている。南米産で6-8月に花もつけるという。こんなに大きくなるんだと初めて知る。

近所の方が育てている鉈豆。刀豆(トウズ )ともいう。マメ亜科 ナタマメ属 で血行促進や免疫や力の向上に資するという。古くから良薬として珍重されたらしい。そういえば、新聞広告で何かに効くというサプリがこの写真入りで掲載されていたのを見た覚えがある。驚くのはそのさやの大きさである。たぶん中の豆もさぞかし大きいのだろう。食用にもなるが、食べたことはないので、味はどうか知らない。

話は逸れるが、青梅街道を車で走ると「びっくりドンキー」というハンバーグレストランがあって、壁や屋根にトタンなどを張り付けいかにも廃屋の雰囲気を出していた。中に入るとどんなびっくりが用意されているのかとずっと思っていたが、とうとう入る機会がなかった。
最近リフォームして小綺麗なデザインに変わってしまったのである。あの佇まいも味があったのにと残念がっている。たぶんびっくりは外装だけで普通のファミレスだったのであろう。

加齢とともにか引きこもりがちなこともあって、最近ここにあげた類のびっくりがとみに少なくなっているような気がする。

原発再稼働、政治混乱、自然災害、人災などにはびっくりさせられてばかりいるのに、片手落ちだ。
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村上春樹を読む(その12)・「日出ずる国の工場」ほかノーベル文学賞のこと、など [本]

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「日出ずる国の工場」(1987 平凡社)
安西水丸との工場見学記。前書きで次のように言う。
日本人は愛おしいくらいよく働く人種で…仕事そのものの中に楽しみや哲学や誇りや慰めを見出そうと努めている…取材を続けているうちに日本とか日本人の概念が徐々に膨らみタイトルを変更した…。(当初「村上朝日工場」あるいは「メン・アット・ワーク」にしようと考えたのだと述懐する)
現場を見ての作家の気持ちの変化が良く分かる文章である。作家は正直である。
自称「ノン・ノンフィクション作家」が選んだ取材先は①京都科学標本(人体模型)、②アデランス、③CD工場、④コム・デ・ギャルソン、⑤松戸・玉姫殿(結婚式場)、⑥消しゴム工場、⑦小岩井牧場(経済動物たちの午後)である。
アデランスは「ねじまき鳥クロニクル」で主人公が笠原メイと「髪の毛調査」をするアルバイトのシーンに登場する。作家はいやに細かいことまで知っていると思いながら読んだ覚えがある。作家のいう引き出しの一つだろう。

自分はこの中で小岩井牧場だけは昔仕事で訪ねたことがある。
思い立って「愛おしいくらいよく働く人」であった自分は、どのくらい牧場や工場を見学しただろうと、記憶を呼び覚まして辿ってみた。
牧場は、酪農場、養豚場(黒豚、無菌豚、種豚)、肥育牛(乳雄牛、黒毛和牛、短角牛)、養鶏(採卵鶏、ブロイラー)、種競馬など畜産関係が多い。15、6くらいは見学している。他に養殖場(養鰻、養鱒、養鼈、鰤、鯛、鮑)などもあった。
工場は、食品工場(製パン、清酒、ビール、ウイスキー、ワイン、ジュース、製糖、味噌、醤油、ハムソーセージ、ジャム)が多く、機械工場(農機、自動車ハーネス、)、製紙、製缶、縫製、段ボール工場など30近くをすぐに列挙できた。
他に思い出せないものもあるに違いない。引き出しとしては充分過ぎるほどだが、引き出しても使いようが無いのは残念。

「遠い太鼓」(1990 講談社)1986年から89年の3年間ギリシャ、イタリアなどで暮らした作家の滞在記、旅行記。作家は37~40歳。
表題はトルコ民謡ー遠い太鼓に惹かれて旅に出るーという古謡からとのこと。旅行記なのに短編集の表題かと思ってしまう。この海外で暮らした時期に作家は「ノルウエイの森」、「ダンス、ダンス、ダンス」を書いたという。
この種の旅行記、滞在記を村上春樹はスケッチと呼ぶ。これらは小説を書くときに、頭の中の引き出しから時々引っ張り出すのだともいう。
このあと、アメリカ東部で暮らし「ねじまき鳥クロニクル」などを書くのだが、加納クレタなどいくつかギリシャ関連のことどもが引出しから出てくることになる。

読んでいていくつか感想があるが、二つだけ。
一つは作家の妻のこと。当然のことながら、ほとんど夫婦揃っての海外暮らしなのでいつも一緒であるから、記述の多くは「僕らはー」が多い。しかし夫婦の会話は、時々出てくるもののきわめて少ない。
読む方は、いつも表に出なくともこのとき奥さんはどうしているのか、なんと言っているのかなどと妙に気になる。作家は夫婦の性格の違い、二人の距離感、衝突した時の対処の仕方なども時折書いているが、若いのにまぁ我慢強いなと感心する。勿論片方だけでは無く、二人ともである。どこかで作家は、妻が最初の読者で意見を貰うと書いてあったように思うが、日常生活、作家生活とも好感の持てる二人三脚のようだ。勿論読者に推し量れ無い事情もあるのだろうが。
もう一つは、この時期の自分が送っていたわがサラリーマン生活との違い。自由とはこういうものかと再認識する。作家の支払う代償の大きさとその代わりに手にする自由が光り輝いて見え、改めて驚く。支払うものが小さい代わりに、心身の安寧を得て暮らしていた自分を顧りみて、人の一生はかくも異なるのだという感慨を覚える。

「雨天炎天 GREECE アトスー神様のリアルワールド」(1990 新潮社)
村上春樹はヨーロッパ滞在中の1988年にギリシャのアトス半島にショート・トリップを行った。なお、そのあとトルコへ行った紀行文も「雨天炎天」である。「雨天炎天 Turkey チャイと兵隊と羊-21日間トルコ一周 」(1990 新潮社)は、このブログ記事「その10」ですでに書いた。
今回のこちらがアトス半島の旅。アトス半島は、ネットによれば、マケドニア南部テッサロニケの東南に突き出た三つの半島のうち一番東側の細長い半島。独特の宗教共同体の自治で知られているという。ギリシャ正教の修道院が二十、そのもとに粗末な建物が立ち並ぶ。住人のほとんどは男子聖職者であって、彼らはここで修行をし、宗教的な生活を送って一生を過ごすという。ミャンマーやチベットの僧などを思い起こすが、日本にはこれほど厳しい生活をする修行僧はいるのだろうか。

「ラオスにいったい何があるというんですか?紀行文集」(2015 文藝春秋)
作家がかつて住んだギリシャ、イタリア、アメリカ再訪記など。再訪記よりイタリア・トスカーナ州のワイナリー訪問記が面白くて印象に残った。キャンティといえば藁苞の瓶も有名で水彩画でもよく題材で描いたことがあるが、本格的なキャンティ・クラシコの方を飲んで見たいものだ。(黒い鶏のエンブレムが目印らしいが。)
トスカーナは粘土と石灰石の混じった土壌が美味い葡萄を育てるという。昔訪ねてワインテイスティングをさせて貰ったブルゴーニュも、地底にある石灰石に葡萄の根が届くとワインが美味しくなるのだと聞いた。ワインの味を決めるのは石灰石か。

ちなみに題名はラオスに行った時にヴェトナム人に聞かれた言葉という。何があるか分かっている旅は旅とはいえぬという作家の持論。それはそうだ。再訪はその地の変わりようを見る旅だし。

「蛍・ 納屋を焼く・その他短編」(1984 新潮社)
帯にリリックな7つの短編 とある。「叙情的」というように流れるような文章だが、例により書かれない部分があるので分かりにくくもある。(書かれぬ余白が味を出しているのだろうとは思うが。)
表題の2編と「踊る小人」、「めくらやなぎと眠る女」、「三つのドイツ幻想(冬の博物館としてのポルノグラフィー、ヘルマン・ゲーリング要塞1983)」、「ヘルWの空中庭園」)が収められている。
長編「羊をめぐる冒険」(1982)と「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」(1985)との間に書かれた初期の短編集。
「蛍」はノルウェイの森の原形のようだ。他の短編も村上春樹の長編小説のシーンや登場する女性などと似た所があるのは面白いし、村上春樹の小説を理解するヒントがあるかも知れない。

「シドニー!」(2001 文藝春秋)
2000年シドニー・オリンピックの村上春樹による観戦記録である。スポーツ情報誌「ナンバー」に掲載された。
観戦記よりオーストラリア事情、歴史などの方が力が入っている感じ。マラソンやトライアスロンを除いてだが。
女子マラソン金メダルの高橋尚子より、有森裕子のインタビューに力が入っているのも村上春樹らしい気もする。理由はよく分からないが。
アボリジニーの女性が金メダリストとなった女子400mの決勝レースは読ませる。原住民と侵略者の歴史は何処でも奥が深いものがあるとあらためて考えさせられる。アメリカインディアン、アイヌ、マヤ・アステカしかり。

終始五輪は退屈だと言いつつ膨大な観戦記(409ページ!)を書いた作家は、後半で次のように総括的に呟く。このつぶやき末尾の「長い結婚生活の薄暗い側面」という意味は何か良く分からないし、ここに相応しい喩えなのかどうかとも思うが。
「シドニー・オリンピックは、とことん退屈ではあったが、それを補ってあまりあるくらい~あるいはやっとこさ補うくらいには~価値あるものだったということができる。長く続いた結婚生活の、ある種の薄暗い側面と同じように」

この文章を書いていた時にカズオ・イシグロ(1954長崎生まれ)のノーベル文学賞受賞のニュースが伝えられた。彼の「日の名残り」はこのブログでも取り上げたが、「記憶」が主たるテーマとは読んでいなかった。とても立派な小説読みとは言えないなと反省。

http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2014-07-22
カズオ・イシグロ「日の残り」ーマナーハウスとカントリーハウスのことなど

イギリス国籍の日本人であるカズオ・イシグロは、村上春樹より5歳ほど下、二人は友人でもある。受賞理由は「壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」という。

村上春樹はいつも有力候補に挙げられながら受賞を逸していて、その理由を何かで読んだことがある。
たしかに村上春樹の書くなかにノーベル賞となじまないものもあるようには思う。例えば暴力(性)などもその一つであろう。選考委員会がどんな基準を持っているのか知る由も無いが、それが何か危険なものに結びつく怖れを懸念することは考えられる。
しかしもっと小説を書く者、読む者を信頼しても良いという気持ちもある。
何れにしても受賞と小説の良さは別物であろう。世の中にはいろんな書き手といろんな読み手がいるのだから、良し悪しは人によるのだ。









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