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喜寿の歌五首 [詩歌]

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2015年、後期高齢者になったとき、狂歌に限りなく近い「戯れ歌 後期高齢15首」を詠んだ。
その中の三首目に
二年後に喜寿祝わんと願いけり幾つになっても極楽とんぼ
というのがある。

そして昨年の夏、「極楽とんぼ」はめでたくも喜寿を迎えた。
体調も良くないこともあるせいか、気持ちのノリが悪いというか、今回はなかなか戯れ句、戯れ歌でもつくろうという気になれない。はなはだ冴えない。
この歳2017年は、身内のほか学生時代世話になった方や会社の先輩などの急逝・訃報に接したことも多分に影響している。
しかし、単に老齢化による感受性の鈍麻と語彙の忘却が進行して歌など浮かぶどころではなくなりつつあるだけのことのようだ。
人に読んで貰えるようなしろものではないが、生活の備忘録として喜寿の歌5首。

喜寿の会 六十年の再会に 面影浮かぶ人 一人いて
九十歳 何がめでたい 喜寿なれど 喜こばずや 蒲柳の我は
「TENQOO・(天空)」に 祝いし喜寿の 目の下の 「東京ビル」に 新人がいた
いまどきは「ハルサイ」を聴く中二病 綾香聴く喜寿 我は何病
喜寿の年 9年ぶりの 内視鏡 画面の大腸 朱き雉の目

一首目 2017年6月、那須烏山市那珂川町の馬頭温泉郷 「東家」で故郷境中学の同窓会に出席した。
二首目 佐藤女史の「90歳で何が目出度い」という気持ちも分からぬわけではないが、当方は身体が丈夫な方ではないので喜寿でも素直に嬉しい。
三首目 7月東京駅の高層ビルにあるレストランに子供達、孫、姉が集まって喜寿を祝ってくれたとき、東京駅全体と周辺が真下に見えた。郵便局の近くに自分が社会人1年生としてスタートした職場のあったビルが眼に飛び込んで来た。一瞬にして当時のことを想起した。
四首目 この歌のことは、既にブログに書いたので省略。
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2018-01-08
五首目 11月区民検診で便潜血が陽性と出た。大腸の内視鏡検査は、前回は2008年だから9年ぶり。済生会中央病院で3つのポリープを取ってもらい組織検査もして貰った。
医者が問題ないとの検査結果を説明してくれた時のモニター画面。そこに現れた我が大腸の写真は、赤くて雉の目のように見えた。喜寿の目。オキーフの描く花にも似ていた。

喜寿の感慨を詠んだものではないが、他にこの年に作った歌五首。上記喜寿の歌に劣らず 、出来が悪くてわれながら情け無い。

二つ上 病みし兄の 乾く喉 姪の飲ませし 水に微笑む(1月蘇我にて)
一つ上 頭上がらぬ 先輩の 訃報に悲し 「WAKITYAN!」の声(1月柳井さん逝く)
籾蒔いて水やるだけの三ヶ月 ワインバケツに稲の花咲く(5月バケツ稲づくり挑戦)
アイフォーン 冥土のみやげと買い替えて ユーチューブにて裏技磨く(5月鷺宮ドコモ)
教え子の 兄の手紙を 読む前に 母なる人の 訃報とぞ知る(6月長男敏博君が喪主)


冒頭に記したように、後期高齢者になったときは、狂歌に限りなく近い「戯れ歌 後期高齢15首」を詠んだ。喜寿の歌と比べて見たくて再掲。

滑稽を腰折れうたに詠み込みて明晰頭脳ボケのはじまる
真実を吐けばすべてが狂歌(うた)になる白髪頭の蜀山人か
二年後に喜寿祝わんと願いけり幾つになっても極楽とんぼ
鰻食ふ茂吉あやかり喰べているスーパー目玉さんま蒲焼
歩くより車が楽と言い訳し逆走怖いが免許更新
たびぐつと暖パンはきて渋谷まで破廉恥爺に怖いもの無し
光陰は新幹線と思いしが乗ることは無いリニアのごとし
妻や子に悪態をつくかたわらで憎まれ爺は猫に優しき
ヴァーチャルに遊ぶ老人のアイパッド白煙のぼる玉手箱かな
億劫と鬱は紙のうらおもて思い知らさる老懶(ろうらん)の春
億劫はそも人の世の常なれど無洗入浴老痩躯かな
バロックの通奏低音聴いてゐてイヤホンはずし 難聴を知る
朝ドラの祖母を演じる女優こそわが青春のアイドル愛(かな)し
愛しあい罵りあいて偕老の洞穴入りて半世紀過ぐ
めでたくも金婚式と重なりぬ蒲柳の夫婦(めおと)感謝あるのみ

ついでに古希を迎えた時、七福神にかけて思いのたけを七句の戯れ句に込めたのを再掲。
       
        古希なれば鏡のうぬは布袋腹
        古希なれど足るを知らない福・禄・寿
        古希なりて我が夢のゆめ寿老人(じゅろうじん)
        古希迎え弁財天とサファイア婚
        古希ならば無理してつくれ恵比須顔
        古希老に小槌貸してや大黒天
        今ぞ古希毘沙門天のご加護あれ

後期高齢15首
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2015-02-21

歳をとるにつれ歌や俳句は上手くなるのではないかと思っていたのは、幻想(でなければ錯覚)に過ぎなかったとしみじみと思う。

絵は本文とまったく関係ない。「Vサイン」Watercolor (Arches 28.5×38.0cm)

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米原万里を読む⑴ 「ガセネッタ&シモネッタ」など [本]


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「多田富雄対談集 懐かしい日々の対話」を読んでいたら、米原万里との対談の中に彼女の著書「ガセネッタ&シモネッタ」(2000 文藝春秋)が出て来て興味を惹かれた。この人の本は読んだ覚えがない。色々なエッセイ集に載っているようだから、正確に言えば、読んだ筈だが記憶にない、ということになろう。(例えば 木炭日和 - '99年版ベスト・エッセイ集、日本エッセイストクラブ・編などに掲載されているようだ)

米原万里は1950年4月生まれ。自分より10歳下になる。残念なことに 2006年5月に56歳の若さで亡くなっている(卵巣がん)。東京外語大卒、ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家である。 父親が共産党幹部の故米原昶(いたる)、妹が井上ひさし夫人ユリ氏、料理研究家。

早速図書館で「ガセネッタ&シモネッタ」(2000 文藝春秋)、「終生ヒトのオスは飼わず」(2007文藝春秋)、「米原万里ベストエッセイⅠ・Ⅱ 」、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(2001 角川書店)を借りてくる。
米原万里の本は、大きく分けて①ロシア語通訳とロシアの話、②猫の話、③チェコのソビエト学校の話、④その他になるがそれぞれに面白い。その他にはがん闘病の話が含まれるがこれは辛い。
「ガセネッタ&シモネッタ」は①通訳の話だが、翻訳の話から言語学、文化比較論などに及び読ませるエッセイ。ロシア語で「こんにちは」は、ズドラーストヴィチェだが発音は「ズロース一丁」に似ているととぼける。
自分が知っている露語はあとスパシーバ(ありがとう)、とダスヴィダーニャ(さようなら)しかないが、こちらも何かと似ているか。
かつて、新潟に住んでいた時、新潟港に寄港碇泊していたロシア材木運搬船に乗せて貰い、お茶(たぶんクワス)と黒パンをご馳走になったことを思い出した。
貨物船には女性の乗組員が多勢いて、2歳の息子をしきりに可愛いがってくれた。
船室の食卓の足は床に固定され、椅子は鎖で床に繋がれていた。日本海は荒れるのだ。

「終生ヒトのオスは飼わず」は②の猫の話だが、この人の猫好きはやや並外れのようだ。
常時5、6匹の猫と暮らし犬も飼っていた。どの随筆だったか覚えがないが、ロシアから仔猫(ロシアンブルー)を二匹買って、空港の動物検疫を済ますまでのハラハラを書いていたが、その猫好きが相当なものだと分かって微笑ましい。
表題のほか「ヒトのオスは飼わないの?」も収録されている。米原万里は生涯独身を通した。
やはり若くして亡くなった哲学的エッセイスト池田晶子(1960年生まれ、2007年逝去、46歳)の犬好きを想い起こした。
 彼女は「犬とは犬の服を着た魂である。そして、人間とは、人間の服を着た魂である。」とまで書いていた。二人にはヒトのオスを飼わなかったことのほか、いくつか共通点がある。美人で頭が良く筆が立つこと、ファザコンらしいこと、など。ただ、相違点もある。
米原万里は脳の言語中枢部が、池田は哲学中枢部(そんなところがあればだが)が発達しているところ。米原はユーモア、シモネタ、ダジャレ好き、食いしん坊。池田は私生活は詳らかではなく、一見「真面目」といったことなど。

「米原万里ベストエッセイⅠ・Ⅱ 」は、池澤夏樹がⅠを、斎藤美奈子がⅡを、解説している。随筆集はあちこちに発表したものを集めるので、あ、これは読んだと気がつくものとそうでないものとある。読む者のその時の興味次第のよう。関心がなければ読んでも内容は100%覚えていない。

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は、親しかったチェコのソビエト学校時代のクラスメート3人、リッツァ(ギリシャ人)、アーニャ(ルーマニア人)、ヤースナ(ボスニア)を訪ね探し歩き、消息を確かめた記録。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品。NHKの「世界・わが心の旅 - プラハ 4つの国の同級生 」(NHK衛星第2、1996年2月3日放送)の取材紀行が下敷きになっているらしい。

米原万里は1959年、父の仕事の関係で一家で渡欧した。チェコのプラハで9歳から14歳まで暮らす。この間ソヴィエト大使館付属ソヴィエト学校で学び、帰国して東京外語大露学科を卒業。ソヴィエト崩壊、ロシア新体制移行時にゴルバチョフ、エリツインの通訳者としても活躍した。このあたりのことは、知らぬことが多いし関心がある。
もう少し米原万里の本を読んでみようかと思う。


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米原万里を読む⑵終「オリガ・モリソヴナの反語法」など [本]

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「不実な美女か貞淑な醜女か」(1994 新潮社)読売文学賞。
通訳にまつわるあれこれ。通訳者を志ざす者にとっては得難い教科書、参考書であることは間違いなかろう。たぶん翻訳者にとっても。しかし、一読すれば、単なる教科書、入門書でないことはすぐに分かる。読んでいると、むかし仕事では通訳のお世話になったことが多く色々思い出した。中国語や英語で露語ではないが、書かれていることは似たようなものだろう。
一番印象的だったのは、ムーディ社やスタンダード&プア社から格付けを取るときにお願いした通訳者の博識、彼女たちも必死で金融知識を予習していたのだろう。トンチンカンな専門用語など一言も使わなかった。

「ロシアは今日も荒れ模様」(1998 日本経済新聞社)
チャーチルは「ロシアは謎の謎、そして謎の中の謎」と言ったとあるが、確かに不思議な国らしい。この本ではその謎が少しは解けるだけでなく、翻って日本のことも解ってくるのが可笑しい。例えば「日本は資本主義国ではない。理想的な社会主義に一番近い国だ。ロシアはそれに向いていない」とロシア人がのたまう。すぐ皆が一方方向に走る、戦後の銀行の護送船団方式や最近の忖度世相を見ると、そうだなと思わずうなづく。
解説者袴田茂樹は米原ブシは独特のノリで誇張にわかに信じがたいようなところもあるが、一種の照れ隠しだと言う。そのようだ。

「オリガ・モリソヴナの反語法」(2002 集英社文庫 ) Bunkamura ドゥマゴ文学賞。
スターリン時代の暗黒、ソヴィエト崩壊後のロシア、1960年代のプラハを舞台に展開する老舞踏家の行方を追う長編小説。文庫本で493ページに及ぶ大作である。「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」と同じく、著者のプラハにおけるソヴィエト学校の経験がその核になっている。がこちらの方が少しフィクション色が濃い。だれでもロシア語に翻訳したら、彼の国の文学愛好者にどう受け止められるだろうかという興味が湧くだろう。
しかし、遠く離れた日本に住む自分にも、当時の社会主義国家の激動が感じられて面白く読了した。執筆に際し読んだという参考文献の量に驚く。

「旅行者の食卓」(2002 文藝春秋)
健啖家、胃丈夫(偉丈婦?)の著者の食べ物にまつわるエッセイ集。解説東海林さだを。
ウオッカのアルコール度は39、41度でもなく40度だとか、不味い「旅行者の朝食」という缶詰があったらしいとか、面白い話が音楽演奏会仕立てで纏められていて楽しい。

「わたし猫語がわかるのよ」日本ペンクラブ(2004 光文社)
題名を見て全部が米原万里の猫随筆かと勘違いしたが、米原万里は「白ネクタイのノワ」と題する一編を載せているのみ。他の作家やエッセイストたちの猫随筆を集めたものだった。ときどきこういう失敗をする。猫随筆もたくさん読むと、皆同じようになってきてつまらなくなる。
浅田次郎の私は猫であるという書き出しで始まる「百匹の猫」だけが面白かった。ペンクラブ会長だけに(ー関係ないが)とぼけた味わいがある。

「パンツの面目 ふんどしの沽券」(2005 筑摩書房)
ちくまに連載されたものを修正、加筆中に病気になる。少女の時の素朴な疑問、通訳者としての難問(固有の文化の言葉をどう伝えるのかなど)を解き明かそうとした「力作」と言えよう。単にシモネッタなどと思うと間違う。パンツの歴史は古く、騎馬民族などは最近のものらしい。論考は多岐にわたり、しかも微細に及ぶのでこれを読み通すには、ふんどしを締めてかかる必要がある。傍線が引かれていて助かる。

「必笑小咄のテクニック」(2005 集英社)
雑誌に連載した小咄の創り方を加筆修正したもの。著者が類い稀なユーモア感覚を持ち、いかにそれを大事なものと思っているかが分かる。苦しい時こそこれが大事と。この本も刊行直前に著者を病魔が襲う。
翻って我がことを思えば、著者の反対のところにいる感じか。大事だと分かるが笑いのセンスに乏しい。それでも俳句、連句、戯れ歌などに興味はあるのだが。
情けないが自分が本当に苦しいとき、彼女のように「ユーモア」に思いが至るか全く自信はない。
この小咄のテクニックは、お笑い芸人にはもってこいの教科書になるだろうというのが読後感とは情けない。

「偉くない「私」が一番自由」佐藤 優編 (2006文藝春秋)
佐藤優編によるロシア料理仕立ての著作集。佐藤は元外交官、作家、大学教授。外務省情報分析官のとき北方領土返還交渉に関わり代議士鈴木宗男逮捕事件に連座、背任等で逮捕、有罪。著書の「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」が話題となる。ついでにこれも読んだ。米原とはロシア繋がりであろう知人の間柄。佐藤の方が10歳若い。
なお、編集はロシア料理のコース仕立てになっている。ロシア料理を知っていれば、個々のエッセイがより味わいも深いものになるのだろうが残念。
米原の文章に「日本の古本屋」で古本をネットで買えると初めて教えられた。便利そうなので早速登録をしてみた。まだ試してはいない。

「打ちのめされるようなすごい本」(2006 文藝春秋)週刊誌などに掲載された書評集。
読書量の膨大なことに驚く。丸谷才一を高く評価している。「笹まくら 」「輝く日の宮」などが「ーようなすごい小説」。その丸谷才一が解説。その解説者も言っているが米原の書評は褒め方が上手い。
書評と無関係だが、文章の中に「猫の脳はヒトの脳と相似形、前頭葉が無いだけ」という記述に会い「前頭葉」をネットで調べてみた。
「前頭葉の持つ実行機能(executive function) と呼ばれる能力は、現在の行動によって生じる未来における結果の認知や、より良い行動の選択、許容され難い社会的応答の無効化と抑圧、物事の類似点や相違点の判断に関する能力と関係している」とある。
どうも猫の表情しぐさは人に近いなと最近強く思うので興味を持ったのだが、こんな実行機能の説明ではさっぱり要領を得ない。

「発明マニア」(2010 文藝春秋)
この本は米原万里が2003年から2006年まで雑誌に掲載したものを、没後収録刊行したもの。文庫本で579ページに達する大作。発明マニアの名に恥じぬ、数多の奇天烈な発明に名を借りた世相、文化評論である。
最後の「国際化時代に最も不向きな対立回避症克服法」は2006.5.21の日付になっているが、米原万里の死去は2006.5.25である。まさに絶筆だが畏れ入るばかりだ。
そもそも日本はアメリカの属領だから外務省はアクセサリーに過ぎないと持論を展開し、アメリカに丁寧なのに反比例して米国以外の国へ発言の不用意なこと、無礼、物騒なことと嘆く。自らのガンのことなど一切書かない。
新井八代なるペンネームで著者が大量の挿絵を描いている。絵は自己流というが、独特の味がある。習わなくとも、もう少し描いたらいっぱしのイラストレーターになっただろう。
米原万里は、もう少し長く生きたら、良い文章と絵をもっと残したに違いない。池田晶子(とその早世)を知った時と同じ気持ちになった。佳人薄命だとしみじみ思う。


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