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米原万里を読む⑴ 「ガセネッタ&シモネッタ」など [本]


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「多田富雄対談集 懐かしい日々の対話」を読んでいたら、米原万里との対談の中に彼女の著書「ガセネッタ&シモネッタ」(2000 文藝春秋)が出て来て興味を惹かれた。この人の本は読んだ覚えがない。色々なエッセイ集に載っているようだから、正確に言えば、読んだ筈だが記憶にない、ということになろう。(例えば 木炭日和 - '99年版ベスト・エッセイ集、日本エッセイストクラブ・編などに掲載されているようだ)

米原万里は1950年4月生まれ。自分より10歳下になる。残念なことに 2006年5月に56歳の若さで亡くなっている(卵巣がん)。東京外語大卒、ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家である。 父親が共産党幹部の故米原昶(いたる)、妹が井上ひさし夫人ユリ氏、料理研究家。

早速図書館で「ガセネッタ&シモネッタ」(2000 文藝春秋)、「終生ヒトのオスは飼わず」(2007文藝春秋)、「米原万里ベストエッセイⅠ・Ⅱ 」、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(2001 角川書店)を借りてくる。
米原万里の本は、大きく分けて①ロシア語通訳とロシアの話、②猫の話、③チェコのソビエト学校の話、④その他になるがそれぞれに面白い。その他にはがん闘病の話が含まれるがこれは辛い。
「ガセネッタ&シモネッタ」は①通訳の話だが、翻訳の話から言語学、文化比較論などに及び読ませるエッセイ。ロシア語で「こんにちは」は、ズドラーストヴィチェだが発音は「ズロース一丁」に似ているととぼける。
自分が知っている露語はあとスパシーバ(ありがとう)、とダスヴィダーニャ(さようなら)しかないが、こちらも何かと似ているか。
かつて、新潟に住んでいた時、新潟港に寄港碇泊していたロシア材木運搬船に乗せて貰い、お茶(たぶんクワス)と黒パンをご馳走になったことを思い出した。
貨物船には女性の乗組員が多勢いて、2歳の息子をしきりに可愛いがってくれた。
船室の食卓の足は床に固定され、椅子は鎖で床に繋がれていた。日本海は荒れるのだ。

「終生ヒトのオスは飼わず」は②の猫の話だが、この人の猫好きはやや並外れのようだ。
常時5、6匹の猫と暮らし犬も飼っていた。どの随筆だったか覚えがないが、ロシアから仔猫(ロシアンブルー)を二匹買って、空港の動物検疫を済ますまでのハラハラを書いていたが、その猫好きが相当なものだと分かって微笑ましい。
表題のほか「ヒトのオスは飼わないの?」も収録されている。米原万里は生涯独身を通した。
やはり若くして亡くなった哲学的エッセイスト池田晶子(1960年生まれ、2007年逝去、46歳)の犬好きを想い起こした。
 彼女は「犬とは犬の服を着た魂である。そして、人間とは、人間の服を着た魂である。」とまで書いていた。二人にはヒトのオスを飼わなかったことのほか、いくつか共通点がある。美人で頭が良く筆が立つこと、ファザコンらしいこと、など。ただ、相違点もある。
米原万里は脳の言語中枢部が、池田は哲学中枢部(そんなところがあればだが)が発達しているところ。米原はユーモア、シモネタ、ダジャレ好き、食いしん坊。池田は私生活は詳らかではなく、一見「真面目」といったことなど。

「米原万里ベストエッセイⅠ・Ⅱ 」は、池澤夏樹がⅠを、斎藤美奈子がⅡを、解説している。随筆集はあちこちに発表したものを集めるので、あ、これは読んだと気がつくものとそうでないものとある。読む者のその時の興味次第のよう。関心がなければ読んでも内容は100%覚えていない。

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は、親しかったチェコのソビエト学校時代のクラスメート3人、リッツァ(ギリシャ人)、アーニャ(ルーマニア人)、ヤースナ(ボスニア)を訪ね探し歩き、消息を確かめた記録。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品。NHKの「世界・わが心の旅 - プラハ 4つの国の同級生 」(NHK衛星第2、1996年2月3日放送)の取材紀行が下敷きになっているらしい。

米原万里は1959年、父の仕事の関係で一家で渡欧した。チェコのプラハで9歳から14歳まで暮らす。この間ソヴィエト大使館付属ソヴィエト学校で学び、帰国して東京外語大露学科を卒業。ソヴィエト崩壊、ロシア新体制移行時にゴルバチョフ、エリツインの通訳者としても活躍した。このあたりのことは、知らぬことが多いし関心がある。
もう少し米原万里の本を読んでみようかと思う。


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