今年のかぼす [自然]
昨年のかぼすは、沢山なったが、今年は裏年というのか数が4、50個と少なかった。昨年は300個はなった。そのかわり、今年のはサイズが大きい。沢山なっても摘果すれば大玉になるのだろうか。
全部取り尽くしたと思ったら、黄色く色づくとよく見えるようになり、いくつか残っていた。青いうちは葉の陰にあって見つからず、人の眼というのはあてにならないものと知らされる。
かぼすは大分県の名産だが、大分では熟したものを「黄色いかぼす」と言ってバカにしていた。かぼすも四国のスダチ(酢橘)と同じく、ふぐ刺しなどにかけて、まだ青い未熟の香りを楽しむ。大きくなったものはジューシーだが、夏みかんより酸っぱくてそのままでは食用とならない。
絞って秋刀魚にかけるか、ポン酢などを作るときの酢の代用品にするしかない。
それにしても、我が家のかぼすの木は樹齢が40年以上になると思うと、ただただ、ときの流れを感じるのみだ。
解体パワーショベル [随想]
このところ、ご近所は家の解体、新築が立て続けに数カ所あった。子供が独立して巣立ってしまい、老夫婦が住んでいたが、高齢化とともに戸建て管理が大変になったというのが多いようだ。更地にして売却したあとに、数件の新所帯向けの小さな家が建つ。自分たちは、その一角に住む方もおられる。世代の代わりでやむなしといえども、古屋の解体は見ていてものがなしい。壊される途中で二階の押入れなどが見えると、あそこで生活していたのだなと、人のことなれどなにやら妙な気になったりする。
しかし、やがて古い家が、庭木ともども跡形もなく消えると、そこにどんな家があったか思い出せなくなる。
解体に使われるパワーショベルは強力である。昭和に建てられた木造家屋などあっという間に壊される。
パワーショベルが動き出す前に合掌しているように見えた。
秋晴れや 解体ショベル 合掌す