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寝て打てばライン乱れる夏の夜 [詩歌]

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この夏、若い人がすなるという「ライン」を老人もしてみんとて始めた。やってみるとラインはメールよりよほど打ちやすい。時刻と既読の文字が出るのも何かと都合が良い。
別々に出かけたときなど、お互い連絡を取るときなど重宝している。2階にいるときお茶が入りました、とかTV相撲の時間ですよ、などと打ってくれるので、はいと返事を打って遊ぶ。
また離れて住む子供達とで災害などの安否連絡用のグループも作った。これは19号台風の時初めて使った。

駄句が浮かんだ。

寝て打てばライン乱れる夏の夜

この句は中七「ライン乱れる」が気に入っているが、仰向けでラインしているのは、必ずしも病人とは限らぬ。
横着な若者が寝ながら恋人に打っている図ともとれる。
若い人は老人と違って、仰向けでも打ち間違えなどしないかも知れないが、誤字でも誤変換でも万一打ち間違えて、そのまま送信してしまうと一大事になりかねない。
あなたが好きを数奇と打ったり、会いたいを逢いたい(大昔ではないから問題にならないか)としたりするリスクがいっぱいある。それでなくとも、ラインに限らずメールやSNSは、相手の顔が見えないので、誤解を招きかねない要素をふんだんに孕んでいるのは、周知のとおりだ。

タグ:ライン
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野分荒れ千葉の弱者のミゼラブル [自然]

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 地震雷火事親父というがこの中にない台風、竜巻による風雨水害がこのところ続いて苛烈である。
 集中豪雨は毎年のことだが、今年は温暖化による異常気象が原因かレベルが違う。こんな事は生まれてはじめてですというのは、災害にあった者からよく聞く言葉だが、今回の河川の氾濫はその範囲の広さが違う。
 15号、19号台風、その後の豪雨は自分の身の近くで起きたので強烈である。昨年の西日本水害では死者二百人を超えた凄まじいものだったが、遠く離れていたというだけで凡夫の悲しさ、衝撃は今回の方が強烈に感じるのだろうか。
 今回は東日本広域にわたる被害が特徴的だが、特に千葉県の風水害被害が際立つ。今回3度とも被害を受けた家も少なくないという。中には福島、宮城県など東日本大震災被災者が、被害を受けたと聞くと言葉を失う。

野分荒れ千葉の弱者のミゼラブル

 弱者は重篤な病人、寝たきり老人、貧困児童etc.例示するのも胸が痛む。
 被害は家屋倒壊、浸水、広範な長期に及ぶ停電、断水、農産物被害etc. 嗚呼。OMG!
 被害から立ち直り従前の生活を取り戻すには、長い時間と苦悩を伴うだろう。安寧の日を取り戻せない人が出る恐れもあり得ると思うとやりきれないが、心からお見舞い申し上げるしか術がないとは何ということか。
 自然災害だけではないと、確信出来るような報道を耳にするのもまた辛いものがある。
タグ:OMG!
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廃車 わがカーライフの終わり [車]

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 入社して1年の本店研修期間を終えて、静岡市に転勤した。
 支店で更に1年間研修を受けて配属されたのが、割引債券のセールスだったので、すぐに自動車免許取得命令が下りた。
 強い弱視に加えて運動神経、反射神経、空間認識、流動視力、など運転に必要な能力が乏しいらしく、何度も県営の自動車試験場の実地試験に落ちた。半年かけてやっと昭和40年(1965)8月取得。25歳。その年の秋結婚した。
 しかし、当時の静岡支店では先輩の乗る車しかなく、暫く自転車で飛び込みセールスをした後、はじめに乗ったのが日野のコンテッサ。
 コンテッサはかなりのオンボロで運転中に橋の上で後のタイヤが車軸から外れた。ひとつ間違えば大事故になっただろうが、停車した後おもむろに外れたのが不幸中の幸いだったけれど、冷や汗ものである。今でも思い出す。
 その後が当時初の量産大衆車で人気車種のトヨタのパブリカだったが、乗った期間はごく短く新潟市への2回目の地方転勤になる。
 28歳。一人息子と3人の暖国から雪国への1月の異動、移住である。

 後で振り返ると、この時の自転車と自動車によるセールス経験は、自分にとっていろんな意味で大きな財産になったように思う。

 新潟では内務の仕事に変わり、東京に戻ってからも車に縁がなく運転することもなかった。
 42歳。大分に転勤になって勧められて中古の日産ローレル2000ccを買った。これを東京に戻っても大分ナンバーで乗っていたが、再び福岡に転勤になって1年1ヶ月乗った。49歳、平成元年東京に戻る時に福岡で廃車した。このローレルを通算7年余持っていたことになる。
 以来車を運転することがなかったが、第二の職場に移ってから、どうしても必要になりトヨタのファンカーゴ1500ccを買い求めた。61歳。

 今回、深刻な病いになってもう車には乗らないと決め廃車した。
 79歳。次の免許更新まであと2年ある(2021)が、時節柄自主返納することになるだろう。廃車の方がそれに先行することになった。
 ファンカーゴは通算18年。3万キロちょっとだから、いくらも乗っていない。遠出も軽井沢や伊豆など数回しかせず、都内で走っている分には走行距離は伸びない。
 これが我がカーライフである。ある取引先のカーキチが、自分の余生と後乗りたい車種とを重ねて思うと短いと嘆いているのを聞き、こういう好きものもいるのかと感心したことがあるが、それに比べたら凡そつまらぬマイカーライフではある。

 しかしながら、ぶつけて傷をつけたり、ヒヤリハットもあったが、ブレーキの踏み間違いなどもなく、さしたる大きな事故にも遭遇せず優良免許証のまま終わりそうなのは有り難いことだ。 
前記の如く、もとより運転の才能は乏しいという自覚は持っているとはいえ、事故に対する認識も甘いのに良くもまぁ、乗ってきたという思いもある。
 それを知っていたのは、いつも脇に乗ってくれた家人でこの10年ばかりは夕まずめ、夜間、風雨雪どき、高速道路は極力回避することを求められた。有り難かったことだ。

 カーライフから話は、少し逸れるが、通勤、営業などで運転して貰って車に乗った期間は、大分2年、福岡1年、大阪2年、東京5年で、通算10年に及ぶので運転手さんがいかに優秀か、自分より上手いかをいやでも見ることになった。
 運転技術のみならず、時間に遅れず、早すぎず間に合わせるという確固たる目的意識、想定外のことへの対応、冷静な周囲の車への目配り、同乗者への気配りなど、何時も感心させられた。運転してくれる人は、変わるが共通する何かがある。自分はどれだけ彼らから学べたかと思うと心許ない気がする。

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