塚本邦雄を読む [本]
ウキペディアによれば「塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日本の歌人、詩人、評論家、小説家。
寺山修司、岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と称され、独自の絢爛な語彙とイメージを駆使した旺盛な創作を成した」とある。
2005年、85歳で没したが、1920年生まれといえば自分より20年歳上、1902年生まれのわが父より18歳下ということになる。歌人と父とは、無論関係は無いが大戦に兵役を免れていることだけ、共通している。
歌人は25歳で敗戦だから、大戦の精神形成への影響たるや大きいものがあったと推察できるが、戦時神戸の商社に勤めていたサラリーマン経験者ということが自分には興味が惹かれた。
わが少ない読書録に塚本邦雄著「百句燦々」がある。余り内容に記憶は無いが、確かに「独自の絢爛な語彙」は印象に残っている。
俳句に興味があって読んだので歌人、詩人などだったとは頭が回らなかった。ウキペディアに俳人とは書いてない。選ばれた百句が常識的でないなというのも感じた覚えがある。今になれば一般的な名句を単純に選んで解説したものではなかったと気づく。
図書館で借りてきて読んだ本は、「塚本邦雄の宇宙」、「華句麗句 俳句への扉Ⅱ」、「句句凛凛 俳句への扉Ⅰ」「詞華美術館」、「火と水の対話 塚本邦雄寺山修司対談」、「けさひらく言葉Ⅰ、Ⅱ 」、「異国美味帖」、「ほろにが采時記」、「ことば遊び悦覧記」だが、前衛短歌や詩は残念ながら殆ど理解の外で読み切ったとはとても言えない。なお「俳句への扉Ⅲ 句風颯爽」は図書館の資料検索に見つけることが出来なかった。
革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化するピアノ
馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ
日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも
突風に生卵割れ、かつてかく擊ちぬかれたる兵士の眼
これらの代表歌を見れば、俵万智のサラダ記念日などがその対極にあることがわかる。斎藤茂吉、寺山修司はその中間か。
溢れるばかりの比喩(直喩、暗喩)、音韻連想などについていけない。主宰する結社名からして「玲瓏」。
歌集の題名も 水葬物語、 日本人霊歌、装飾樂句(カデンツア)、水銀伝説、綠色研究、感幻樂(かんげんがく)、星餐図etc.と何やら謎めく。
俳句の方は17文字の故か、素人にも少しは分かるが通底するものは同じことのよう。論拠に乏しいが子規、虚子、芭蕉、兜太の順の次か。その先はもう山頭火、放哉になりそう。
ほととぎす迷宮の扉の開けつぱなし
初雪や膵臓のかげうすむらさき
曼珠沙華かなしみは縦横無尽
萬難を排して余呉へ芹摘みに
「人間の愚かさ。『人間の』は余計だ。愚かなのは、人間以外にない」とは塚本邦雄の言だが、戦争体験が頭にあることは疑いがなかろう。ただ歌人の私生活は意外と真っ当というか常識的であったよう。
「異国美味帖」や「ほろにが采時記」を読むと、記述は緻密、詳細に亘るが、それを窺える。また自分には興味の的や感受性などは共感するものが多い。
詩歌は言葉遊びというだけに「ことば遊び悦覧記」は最も塚本邦雄らしい本だろう。内容についていけないものが多いが興味深々ではある。
折句、回文、幾何学形詩、いろは歌、形象詩(カリグラム)などマニアックで読んでいて目が眩む思いすらする。これらに比べれば前衛短歌などはまともな方か。
一人息子が歴史小説家の塚本靑史。「わが父 塚本邦雄」(白水社 2014年)も読んだ。作品からは想像出来ぬ生活ぶりをこの本からも知ることが出来る。特に晩年の様子は前衛短歌から想像出来ぬ普通の老人だ。当たり前ではあるが。
息子は「麒麟も老いぬれば駑馬に劣る」と呟く。こちらは我が身に重ねて、駑馬が老いぬれば何になるのだろうと思うだけだけど。
これらの本は、日々増加するコロナ感染者数に恐怖を募らせつつ過ごす時に読んだ。きっと忘れがたい読書の時間だったと、一連の華麗な言葉の乱舞などとともに後々思い出すのだろうか。