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新pc windows11買った!オチた!蘇生に2ヶ月! [PC]

 昨年11月、Windows8.1のpcを11搭載の新pcに買い替えた。

 2013年にWindows8のpcを買い、2018年8.1にグレードアップして実に9年も使用した。iPadをもっぱら使っていると、起動のわずらしさもないのでpcはほとんど使わなくなった。

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 iPadとiPhoneのバックアップでiTunesを使うのと、筆まめの宛名印刷などの場合しか使わなくなったので新pcに買い替える元気が出ない。

 通常pcの使用年限は4〜5年というから9年とは長く使ったものだが、8.1は2023年1月にサポート終了と頻繁に警告が出るようになった。

 Windowsをずっと使っていて、Macに換え損なった反省と後悔を引きずっていることもあって、機種変更となると気が重いことである。しかしそうも言っておられず、最近のpcはSSD搭載などもあってこれまでと格段に使い易い、などと聞くと買い替えたくなった。

 たしかにWindows11の操作は、10をパスした間の変化(進歩?)のせいかいささか戸惑う。クラウドがやたら前面にのさばっている。自宅勤務のためにオンライン会議などのためか共有の仕組みなども進化している分複雑だ。

 リタイアして一人遊び用でpcを使っている者にとっては、クラウドも共有もあまり有り難くない進化だ、と嫌味も言いたくなろうと言うものである。クラウドドライブはすぐに無料の上限に達するのでサブスクリプション課金となる。当方はそれほどの仕事量などない。最近ドロップボックスも一杯になりやめた。グーグルドライブ15GBあれば十分で、特にマイクロソフトのワンドライブはうるさいので早々にリンクを解除した。

 総じて言うと、ノートpcは限りなくタブレット端末に近付いているように見える。一方デスクトップはキーボードとpcとモニターに3分割されたものが主流になりつつあるようで、こちらの方が自分に合っていそうな気がして最後の最後まで迷った。しかし、今さら新しいものに挑戦する元気もなくノートパソコンを買ってしまった。iPadとiPhoneとノート型パソコンでは面白味に欠けて中途半端は目に見えている。

 ノート型パソコン歴は四半世紀以上になり、何台目か覚えて無いが10台目くらいか。機種変更は何度やっても面倒である。wifi、ネット接続、メール、ヴァージョンアップによるソフトの入れ替え、セキュリティソフト等々際限が無い。買ったとたんに壊れた時のためにリカバリーソフトなどを作らねばならない馬鹿々々しさまでおまけがつく。

 80歳を過ぎたらもうpcはやめだと宣言した或る先輩がおられたが、その気持ちがよく分かる。ましてやiPadやiPhoneがあり、これが進化して使いやすくなっている。起動は早いしシャットダウンもストレスが少なくマルチタスクも扱いやすい。手書き、音声入力も進化している。特にアップルペンシルによるデジタルドローイングの書き味はなんとも言えない。機種変更も苦にならない。

 新pc購入にあたってはインテルi7、メモリー16GB、SSD、HD1TBなどにこだわったが、考えてみればばかな話である。老人が愉しむ程度なのにpcのハイスペック能力は宝の持ち腐れというもの、しかもpcの持っている機能のほんの一部しか使っていないのだから。使っていない部分は沃野ともいうべき広大な天地だと昔から思っていたのに、また同じ愚行である。まあ、これはiPadやiPhoneでも同じことではあるが。

 iPadでデジタルお絵描きをするのがいまの唯一の趣味なので、極端に言えばバックアップのためのiTunesが必須だから新pc、Windows11を買ったようなものだ。他に何かやりようがあったのでは無いかとグズグズ反省している。未練である。

 ブログ原稿を書いたりFBを見たりするし、外出しないで済むのでせいぜいインターネットショッピング、バンキングを多用しているのだから良いではないかと思おうとしても、これら全てiPad iPhoneでできてしまうのだ。

 

新pc windows11オチた!

 さてこの新pc、自分仕様にカスタマイズ中の1月初め、突然オチるが如く故障した。「プログラム更新してシャットダウン」をクリックした途端に落ちて二度と起動しなくなった。購入して2ヶ月ちょっとだ。OMG。ネットで調べて修復モードでいくつか試みたがダメでヘルプデスクに相談。ヘルプデスクので指導の下、ネットで調べたやり方を同じように繰り返すもダメ。結局初期化。11月購入時外付けHDに取っておいたデータ頼みだったが、これが何と故障していて新pcを認識しない。外付けHDメーカーのヘルプデスクに診断して貰うと明らかに故障という。このメーカーもあろうことかpcメーカーの子会社だったのが余計癪のタネ。平然とデータバックアップは2重3重にしておかないとダメと宣う。OMG。泣き面に蜂。

 ラッキーなことに、ダメだろうと思っていた古い外付けHDが使えることが判明。旧pcを慌ててデータコピーする。11月初め時点のものだ。12月1ヶ月間のデータはない。iPadを使って作業したものだけが頼りだ。

 さらに泣き面に蜂は続く。新しいアカウントを開くと何とピクチャーのフォルダがエクスプローラーに見当たらない。またまたヘルプデスクに頼る。デスクはクールに二つの選択しか無いと言う。一つは初期化、もう一つは別アカウントを作って見る。酷い話であり、買ったばかりのpcだと息巻いても栓なきこと、やったことは無いが別アカウントを作ることにする。

 幸い別アカウントにはピクチャーフォルダも現れたので、これにデータをコピーして元の状態に出来るだけ近い状態に復元していくしか無い。最初のアカウントは暫くして削除して一応新pcは回復、蘇生した。

 それにしても最初の起動せずオチた原因も、ピクチャーのフォルダの欠落原因も不明だからいつまた同じこと、あるいは新しい事故が起こる可能性があると思うと、こころ穏やかならず不安のプレッシャーは半端ではない。

 今回の故障から回復過程は年寄りには応えた。結局役立たずだったが回復キー48桁の数字の入力を数回やったしんどさが1番象徴的だ。初期化後の外付けHDディスクからのデータコピーも時に6〜12時間以上かかって体に応える。今のSSDなら速いのだろうが。

 2022年11月新pcにして1月に壊れたあと、結局回復に2月いっぱい、実に2ヶ月を要したことになる。結局マイクロソフトアカウントにサインしない状態で(ローカルで)使っているのだからほぼWindows7に戻して使っていることになる。情け無い話である。

 それにしてもpc購入〜故障〜蘇生のこの4ヶ月弱は疲労だけが残り、呆け防止にもならなかった年寄りの冷や水そのものだったような気がする。

 ノート型パソコンは限りなくタブレット化して何を目指すのか、一方でタブレットはキーボードをつけることでpc化しているが何を目指すのか、目指すものは同じなのか門外漢には一向に想像出来ない。根拠のない想像だが、何となくタブレットが生き残るような気がする。

 デスクトップpcは本体は小型化しディスプレイが大型化しているが、持ち運びに便利なタブレットも同時に使えるように開発出来そうな気がするがどうなのか。

これにスマホの進歩がどう絡んで来るのか。

 いずれにしてもpcもタブレットも道具なのだから扱いやすいのが1番だろう。

壊れて修復に四苦八苦して回復に時間と労力を取られていては、肝心の仕事の生産性が落ちてしまう。

 データバックアップ、買い替え、pcシステム、アプリの引っ越しコスパや手軽さなどがポイントになりそうな気がするのは、自分が年をとって安きを重視するようになったからだろうなとしみじみ思い知らされた。


 

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プリンター廃インク吸収パッド交換体験記 [PC]

 2023年弥生3月某日、プリンターに「エラー 廃インク吸収パッドの吸収量が限界に達しました。◯◯◯◯(メーカー)の修理窓口に交換をご依頼下さい」と表示が出てうんともすんとも言わなくなった。

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 何日か前にも二度ほど同じ表示が出たがそのまま使えたのに、とうとう廃液が満杯になったらしい。この時に備えて対策をネットで調べていたが、選択肢は幾つかある。

  ①買い換える。同機能レベルなら3万円程度。

  ②メーカーに修理に出す。自宅まで取りに来てくれるサービスもある。

  ③自分で廃インク吸収パッドを交換する。

 ②が1番楽なのだが、メーカーに聞くと機種が2012年発売と古く該当しないと分かり、妙な反発心が湧いてあろうことか③を選択、挑戦してしまった。

 ネットで廃インク解除キー900円程、廃インク吸収パッド材(化粧用パフみたいなもの)を千五百円前後で買えば自分で簡単に交換出来るという。

 YouTubeで同じ機種の吸収パッドを交換しているを見つけ、自分でも出来そうな気がしたのである。

 これが浅はかな判断だったことは、購入後すぐ思い知らされる。

 まず廃インク解除キーなる物を買うとメールが来て「解除アプリソフトをダウンロードして記されたパスワードを使い解除せよ」とのこと。なるほど簡単だと感心した。

ところが、何とどうやってもダウンロードが出来ない。購入先と何度かメールでやり取りするが先方はダウンロード出来なければ返金すると早々に引く姿勢。まぁ、先方としては自らが何ともし難い原因なのだから仕方がない。当方は新しい吸収パッド材を買ってしまっているので、もう少し待ってと頼み込む始末。

 ダウンロードが出来ないのは、先方も同意見だったが、セキュリティソフトの関係だろう。分かっていても、セキュリティソフトを一時停止して何度やってもダメ。新pcに変えたばかりだったので、旧pcで試みるも同じセキュリティソフトが入っているせいかこれもダメ。

 途方に暮れて一時中断、夜中目が覚めたとき「そうだ何も自分のpcにこだわることはなかろう」と息子がたまたまpcを持って帰省していたのでダウンロードしてもらった。セキュリティソフトを入れていないとのことであっさりダウンロードに成功。ブラウザをUSBメモリーにコピーして自分のpcに移し、買った解除キーのパスワードを入れると、あっさり解除が出来た。

 さて次も大変。吸収パッド材を入れるべくプリンターをひっくり返しドライバーでネジを一本だけ外してケースを取り出すのはYouTubeで見たとおりで簡単ながら、吸収パッド材は型紙を頼りに20片近くにカッターで切る必要がある。息子と家人が二人がかりで詰め込んで貰ったが複雑な形状の器なので大変だ。体調不良で普段何もしていない自分はもうこの段階でヘロヘロ。二人にやって貰うのを見てるだけ。廃インクというだけあってビニール手袋もキットに入っているが、敷いた古新聞紙ともども真っ黒になる。

 6色のインクは混ざると真っ黒(玄)になるというが、その通りと妙なところで感心する。

 1時間半ほど詰め替えに要したろうか、終わって試運転、試し刷りで確認して再びプリンターは甦った。

 それにしても年を考えれば、バカな選択であった。買い替えておけばこんな苦労はしなかったのにと後悔する。物を大事に使う、SDGsは大事なことだが年寄りにはムリだ。

繰り言になるが、プリンター蘇生をやってみて、安く済ませようなどと妙なことを考えると体力と気力が消耗するだけだったと悔んでも遅かった。まぁいけるだろうという若い時の感覚はもうあてに出来ないようだ。

 ただ、機械は使えるのに廃インク吸収パッド交換をしないメーカーには不満がある。プリンターに限ったことではないが、メーカーにとって新機販売が最優先であることは理解するものの程度問題であろう。彼らにSDGsを言っても栓なきことか。されば誰にでも出来るパッド交換が出来るように設計してくれ。

 なお、これとは別だがもう一つ反省したことがある。ダウンロード騒ぎでセキュリティソフトを入れると、自動的にMicrosoft Dfenderは停止になる、ということを今回初めてセキュリティソフトのヘルプデスクに教えて貰った。停止ということは機能しないということであり、その間遊んでいるのであって二重にブロックしているわけではない。先日pcが壊れた時に、pcメーカーのヘルプデスクは、「通常マイクロソフトデフェンダーがあるから改めてセキュリティソフトは入れることはないと思います」と言っていたのを思い出した。セキュリティソフトは、先日3年ものを更新したばかりだが結構な値段だ。知らないでやっているとpc生活は何かと無駄が多い。


 

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爛 瀬戸内寂聴 新潮社 2013 [本]

 

コロナ禍で変わったことは、幾つもあるが読書が大幅に減少したのもその一つ。状況からすれば、むしろ読書量は増えて当たり前のようなものだし、たぶん他の人はそういう人も多いと思うが、自分の場合は図書館に行かなくなったのが最大要因らしい。

 先日久しぶりに区立図書館に行くと図書滅菌器なるものが導入されていた。図書館も今は民間業者に委託されているのだろうが、コロナ禍の利用者減で何かと大変なのだろうと推察する。

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 本棚を探しても久しぶりのせいか読みたい本もあまりない。ふと「爛」(瀬戸内寂聴 新潮社 2013)が目に入って来た。

 え?爛、らん? 

 「爛」は辞書を引けば解ることだが、「ただれる」と「鮮やか」と二つの意味がある。しかしどちらかと言えば、火篇のせいか前者の意味の方を自分は強く意識する。

 「爛」1 ただれる。くさる。やわらかくなってくずれる。「爛熟/糜爛 (びらん) ・腐爛」2 あふれんばかりに光り輝く。あざやか。「爛然・爛漫・爛爛/絢爛 (けんらん) ・燦爛 (さんらん) 」

 本(小説)の表題としてはあまり関心しないなと思ったのが借りた動機だ。え?と思ったのである。

作家はもちろん後者の意味で題名にしたのだろうが。

 「爛」の主題は高齢女性の性愛である。若かろうが高齢だろうが女性のこと、中でも性愛は基本的に理解は不可能だと思っているので、この本も流し読みでもあって本当のところは解らないと思う。

 80歳くらいの女性の性愛の話だから、大岡越前の母堂の火鉢の灰、花咲婆さんや高力士などという言葉が小説にも出てくると言えば中身はおおよそ推察出来るだろう。

 瀬戸内寂聴は1922年生まれ。2021年惜しまれつつ99歳で亡くなった。「爛」を書いた2013年は、自分と同じ82歳。我が老化ぶりと比べるのも気が引けるが、そのエネルギーには感心するのみ。

 読み終わって何か最近これに似たようなものを読んだなと思い出した。「上海甘苦」(高樹のぶ子 日本経済新聞社Ⅰ〜Ⅳ 2009)である。 これも表題の「甘苦」に惹かれて借りた。主人公は上海でエステサロンを経営する51歳の女性と39歳の男と言えば解るように「爛」と似たテーマである。高樹のぶ子は1946年生まれだから63歳の時の作品である。

 表題の甘苦(かんく)も辞書には二つの意味がある。 あまいことと、にがいこと。 楽しいことと、苦しいこと。苦楽。「―を共にする」

 作家の意図は強いて言えば後者であろうが、前者の「甘い、にがい」ももちろん含まれていよう。上海は二度ほど現役の頃、行ったことがあって小説の中の街の描写と挿入画(写真)が懐かしかった。

 二つの小説の主題は高齢者の性愛であって、男にとっても老人文学のテーマの一つであるそれと何ら変わりはない。

 

 1932年生まれの岸恵子81歳の著書「わりなき恋」(幻冬社2013)などと同類だがたまたまとはいえ、似たものを良く読むなと我ながら感心する。

 「わりなき恋」は女性の国際的ドキュメンタリー作家69歳と大企業のトップ58歳(男)の恋の話だったが、だいぶ前、たしか老いらくの恋をさかんにこのブログで書いていた頃に読んだ。

 

 意図的に選んで読んでいるわけでは無いが、老人文学を良く手にするのはやはり老人にとって自然のことなのだろう。そして老人文学には男もの、女ものがあるのもごく自然なことである。


 

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