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東京の樹木 [自然]

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戦後65年という時間は長い。
 この間、東京の公園、街路樹、屋敷の植木などの木々は確実に太く、大きくなっている。
 残念ながらとくに街路樹の木など電線の邪魔になったりすると枝が切られることが多いが、全体的にみれば木は、大きく枝葉をひろげ、幹は太くなっている。
 別に東京の木々に限ったことでもないが、無秩序に見える東京の膨張・振興地の開発は、木や畑を駆逐してとどまることがないだけに、街を見渡して木が少ないとつくづく思うのだ。だから、一部の都心の公園などの樹木を除けば、樹木の少ないのが東京だという印象が強い。
 一方で、外国に比べれば小さいといえ、家々の小さな庭にはしっかりと植木が植えられており、それらの総体は大きな森に匹敵するのではないか。
幸い、大地震と戦争のなかった65年間に、東京は街も大きくなったが、樹木も確実に大きくなった。喜ばしいことである。

 昔からなぜか、木が好きだった。空に大きく枝を広げ、葉を茂らせている木、地下にしっかりとこれも大きく張っている根。口をきかず黙っているが、心があって人間を静かに見ているというイメージが良い。木に心がないと思うのは、ひとの傲慢だと小さいときから思っていた。

 60歳を過ぎた頃、あるいはもっと前かもしれないが、普段みなれている木の幹が突然いつの間にか、一回り太くなったなと思うことがある。若い時には無かった感覚である。一体なんだろうか。
 自分が年をとって、時間のたつスピードを昔より速く感ずることと関係がありそうな気がする。

 樹木は環境さえ良ければ長生きだ。都市と樹木はきっと共生できると思う。もっと東京の木々が増え、大きく茂り続けることを心からしみじみと願う。
タグ:都会の樹
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有明海のいきものたち [自然]

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有明海干拓事業に関して排水門の開門を命じる福岡高裁の判決があった。この問題のそもそもと帰趨については、大いに関心がある。

かつて福岡に転勤し、一年と一カ月勤めた。福岡県のほか佐賀県が担当だったので、せっせと佐賀に通うことになる。そのとき佐賀の有明海にはここ独特の生き物が棲んでいると教えて貰った。太古九州は大陸と陸続きであったことから中国沿岸、朝鮮半島に生きる生物と同じ先祖の魚介類が、独特の進化あるいは全く進化せずに生き伸びて来たため、他県では見られないものが沢山いるという。
誰もが知っているむつごろう。目玉の大きいハゼ科の魚。干潟で飛び跳ねる姿は愛嬌がある。良く見れば美しい魚体である。かば焼きが絶品という。
ほかにわらすぼ。むつごろうと並ぶ珍魚。これもハゼ科だのこと。うなぎの様な体形で紫色のぬるぬるした気味悪い体と、歯がむき出しでエイリアンを思わせる面構えを持つ。
有明海の干潟の泥の中に生息する。内臓を取り丸ごと干し物にしたものをあぶったり、揚げたりしてたべる。姿に似合わず煮付けにしても美味しいそうだ。干したものは、棒だらの如く、杖のごとく店の前の壺に立てて入れられ売られていた。これを粉にしてふりかけで食べることもあるという。
くっぞこ(舌平目)は、靴の底という意味。ドーバーソールに劣らず美味。
次は、エツ(斉魚)。日本では有明海にしか生息しない魚、にしん目カタクチイワシ科。銀白色。扁平で、ペーパーナイフの様な形をしている。韓国では、葦魚、中国では刀魚。5月~8月の産卵の為に川をさかのぼる。漁は流し刺し網で漁獲する。エツは小骨が多いので「はも」のように料理の際、狭い間隔で包丁を入れ骨きりをする。 刺身、から揚げ、煮付けなどで食べる。川のほとりの料理屋でこれを御馳走になったことがある。どんな味だったかは残念ながら覚えていない。
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 ほかにしゃっぱ(しゃこ)。見たことは無いが、これもはぜの仲間で体長50センチにもなるというはぜくち、などもいるという。
 貝類ではなんといってもメカジャ(女冠者と書くのが有力説)ミドリシャミセンガイのこと。いかにも何万年もとろりとした泥の中で生きていたという風情の貝。まて貝も沢山獲れる。
 有明海のイソギンチャクのつくだにというものをこのときはじめて食べた。
食べる話ばかりで恐縮であるが、有名な有明海海苔ワタリガニなど美味しいものばかりだ。

 さて、有明湾の干潟はこれら珍しい生き物がくらしている場所である。1997年これを埋め立てて長崎県側に農地をつくることとなる。そのため潮を堰き止める水門が(まるでギロチンが落ちるように)海に落とされる衝撃的な映像がテレビニュースで流れた。  沿岸4県、熊本、佐賀、福岡、長崎の漁業者が漁業被害を理由に裁判を起こす。むつごろうも原告に加わったと聞いたことがある。
 2010年12月、福岡高裁は、影響調査等のための開門命令判決を下す。政府はその上告を断念。
 今後のこの問題の行方は予断を許さない。しかし、少なくともここに生きる多様な生物、干潟に羽を休める渡り鳥たちにとっては朗報には違いない。

 長期にわたって我が国は、山を削り、海を埋め立て、無数の生き物を殺戮してきた。どんな理由があろうと、むつごろうなど多くの生き物のホロコーストは、もうやめて良いのではないかと思うのは私だけではないだろう。

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ひと雨千両 [自然]

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かつて「ひと雨千両」という言葉があったという。

いまどきこれを知っている人は少ないのではないか。植林した杉は雨が降ると降るたびにぐんぐん成長する。その分山持ちは杉山の値打ちが増えるという意味だ。
このことは木材の価格が高かったことと林家の経営規模が大きく、所有する人工林の面積が大きいことによる。言うまでもなく戦後改革で農地と異なり林家は林地の細分化を免れたからである。
しかし、今は木材価格が輸入材の増加によって低下しているのでどんなに雨がふっても関係ない。それどころか地ごしらえをして植樹をしたあとの下刈り、間伐、杉の枝打ちなど山の手入れも出来ず山林は荒廃の一途を辿っている。原因が林業自由化にあることは周知の通りである。住宅を創る場合、誰でもラワンなど外材や合成樹脂材より杉や檜が好きだ。にもかかわらず、国産材はそれらと比べて明らかに割高である。かくて家の建築における木材比率の低下をもたらす。我が国の木材自給率は27.8%(2008年)という。

戦後の農地改革で小家族経営となった農業では、長いGATT交渉を経てすでに自由化が林業並みに進んでいる。極端に言えば米だけで全体の食糧自給率(カロリーベース40%・2007年)を支えているのが現状である。

 TPPの議論が始まろうとしているが、米の関税撤廃は今の林業以上の打撃を農業に与えることになると懸念されている。衝撃緩和のための農家、農業、農村への資金の投入策もとくに中山間地では効果薄だ。
 都市は周囲の農山漁村地域で支えられている。その疲弊は農山漁村だけにとどまらないであろう。

 30年前、仕事で九州三大美林(鹿児島県屋久島の屋久杉、宮崎県日南地方の 飫肥(おび)杉)の一つとして有名な大分県の日田杉の経営者を数十軒訪ねたことがある。日田杉は、挿木苗で疎植、成長が早いのと大山林家が多いのが特長と教えて貰った。
 日田林業は天領だったころからすでに大山林家が生まれ500町歩を超える山林地主もおり、長い歴史をもつ。
 30年前すなわち、昭和50年後半にはもうその時、すでに多くの林業経営は大規模林家を含め危機的状況にあったと言って良い。現状はより悪くなっているのではないかと危惧する。

 農業のサイクルは1年だが、杉は植林してから材木として利用するために伐採するのに少なくとも30年余を要する。大きな規模の山持ちでも経営をいかに長期間維持するかは難題である。

 「ひと雨千両」から、柄になく、難しい話になってしまった。
 話題を変えたい。話題のひとつは、杉の巨木のこと。

 杉は、神社の杜の杉や国の特別天然記念物日光杉並木 のように材木として使われず落雷、風水害にあわなければ300年、500年と生きる。
 遠くから見ても杉は、古木の場合木のてっぺんが丸いのですぐ分かる。木の先端が三角錐のように尖っているのは若い木だとこれも林家に教えて貰った。
 日田や熊本の小国、奈良の吉野郡天川村、川上村の良く手入れされた樹齢100年前後の杉林も素晴らしいが、年を経た巨木が空に聳えているのも一種独特の風格があって圧倒される。

 残念ながら今まで見る機会がなかったが、屋久島の縄文杉は推定樹齢4000年と言われ、1000年未満は小杉と呼ばれるとか。

 福岡の英彦山の麓にある小石原は小石原焼で有名だが、その近くにある巨木群は行者杉と呼ばれ樹齢は200年〜500年。近くに寄って触れてみるとなにやら霊気のようなものを感じる。

また、奈良県吉野郡十津川村の玉置神社は、世界遺産となった熊野三山の奥の宮であるが、境内には樹齢3000年というご神木を含む老巨杉群がある。ここも訪ねたことがあるが、まさに荘厳と静寂な雰囲気は太古の世界かとみまごう。上の写真は玉置神社のご神木である。

 巨木に神が宿ると考えた昔のひとの気持が良く理解できる。

 もう一つの話題は、杉と言えば避けて通れぬ花粉症の問題。1960年代前半にスギ花粉症例が確認され、すでに半世紀の間人びとを苦しめている。戦後植林した杉花粉が元凶とされる。
 しかし九州に限らず、和歌山、奈良、秋田など江戸時代から人工林はある。現代人のアレルギーに対する免疫力の脆弱化こそ問題である。
 問題解決のために、伐採して杉林を照葉樹林にすることや花粉のない杉の品種を開発することなどが必要だとされているが、人間の免疫力を低下させている何かを究明しないと根本的解決策はないのではないか。花粉症は1960年以前には無かったのだから。


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ふぐのきも [自然]

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ふぐを詠んだ句は多い。有名なのはやはり芭蕉の
あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁
謡曲「あらなんともなや候」の文句取り「もじり」だそうだが、一番最後に河豚汁をもってきてキメており、相も変わらぬ心憎い巧者だ。
蕪村にもある。河豚汁のわれ生きている寝ざめ哉これは、素人には芭蕉の句と似ているように思える。

 ふぐを福岡では、縁起をかついで「ふく」という。俳句で河豚は冬の季語だが、福鍋となると新年の季語となる。福岡のふぐは玄界灘、下関に近いからか美味しい。ひれ酒をよく呑む。宴会でひれ酒ならぬ「身(み)ざけ」というのをよく呑まされた。鰭のかわりにふぐ刺しを熱燗に入れる。ふぐはしゃぶしゃぶになる。それがそのまま酒の肴となる。

 大分のひとは、豊後水道で獲れる臼杵の河豚が一番だという。ほとんどを下関へ出荷していると聞いた。たしかに、豊後水道の急流で揉まれた「関アジ」、「関サバ」は普通の鯖,鯵とは全く別物のように美味いのだからあり得ることと妙に納得した。

 臼杵の喜楽亭のふぐ刺しや「ふぐ良し」のふぐちりを思い出す。臼杵は、キリシタン大名大友宗麟が1562年(永禄5年)府内から拠点を移したという臼杵城のあった古く落ち着いた独特の雰囲気の町である。臼杵城は別名「巨亀城」といい、臼杵湾に浮かぶ丹生島にあり、いわゆる海城である。宗麟が島津の猛攻を輸入大砲「くにくづし」で凌いだことでも知られる。
 臼杵市は古い歴史的な武家屋敷や寺町の町並み、郊外にある臼杵石仏群や焼酎に搾って呑む「かぼす」などが有名であるが、この地のふぐ料理の美味しさはたしかに忘れ難いものであった。

 街には大きな醤油メーカーが二つある。「フンド―キン」と「富士甚」といって町の人々から親しまれている。
 九州の醤油は甘くて濃い、関西の薄口醤油とは別物のようである。これを河豚やほかの魚につけて食べるのは最初抵抗がある。慣れればどうということもないのだが。
 フンド―キン醤油は「海神丸」「秀吉と利休」などを書いた作家野上弥生子(1885-1985・99歳で歿)の実家でもある。弥生子は旧姓小手川、同郷の作家野上豊一郎夫人である。

 30年前、大分で2年ほど暮らしたが当時は、まだ河豚のきもが食べられた。たしか県条例で禁止していない数少ない県のひとつだったが、まもなく改正され禁止となったように覚えている。ふぐの肝は醤油でといて、ふぐ刺しをそれにまぶして食べる。無毒である「かわはぎ」の肝の食べ方と同じである。

 河豚は専門の調理師が流水で長時間洗うので心配ないという。最初こそ、こわごわだったが馴れると「肝のないふぐ刺しはゴムを噛んでいるようだ」という地元の人びとの言に納得しつつ食べていた。
 歌舞伎俳優の坂東三津五郎が京都の料亭で河豚中毒死したのが1975年1月、我々が大分でふぐ肝を食べていたのは、1980年代の始めだったから今思い出しても驚き呆れる。しかし、今ではあのおいしさを味わえないのだが、肝は捨てているのだろうと思うと、もったいないような変な気持だ。

 ふぐは、卵巣は駄目だが魚肉、皮や精巣(白子)に毒は少なく、とくに白子の味は絶品である。フグの白子は、大分県津久見市の四浦半島先端にある保戸島(ほとじま)で食べたのがいまでも記憶に残っている。
 保戸島は、豊後水道に浮かぶ周囲が4kmほどの人口1,400人ほどの小さな島で、マグロの遠洋漁業の基地。ここでご馳走になった白子はパンケーキのように大きく柔らかであった。さっと軽く焼いて食べる。

 ふぐは、確かにふぐちりのあとの「おじや」まで美味しいが、欠点は値段が高いことだろう。畜養、養殖もあるようだが、トラフグの値段はべらぼうである。したがってふだん庶民の口に入るのは、「かなと」ふぐなどとなる。これには毒がないかあっても少ないのか普通の魚の扱いである。値段もトラフグとは比較にならないほど安い。

 河豚はなぜか関西以西でとくに珍重される。東京でも川柳や俳句に詠まれてきたとおり江戸時代から勿論好まれたが、てっぽうとかてっさしと言って良く食べる大阪ほどでは無いような気がする。東北や北海道ではもっと人気がないのではないか。獲れるのが西ということだけが理由だろうか。

 大阪にいた時、黒門町市場で活きたとらふぐの値段を見て仰天したことがある。
 食い倒れ大阪には、さすがにおいしいものが多いが、そのひとつに有名なくじら料理があり、専門の料亭もあった。関東者には珍しいので興味を持ち、大阪の人にあなたはどうですかと聞いたらくじら大好きという答えである。ふぐとどちらが良いかと聞いたら、即座にあたしは鉄砲のほうが好きですと答えた。値段は関係ないという顔をしていたのがおかしかった。

 ところで、ふぐの毒・テトロドトキシンは周知のように猛毒(毒量はマウスユニットMU)で青酸カリの500倍の強さとも言われる。いけすで養殖される河豚は無毒であることから、河豚の毒は外部から取り込んで体内に蓄積したものと解明されている。つまり食物連鎖の結果である。もとを辿ればテトロドキシンを作り出す海洋細菌に行きつくそうだが河豚にいたるまでの詳しい連鎖は知らない。
 なぜ河豚だけが、それもいくつかの種類のものだけが取り込み蓄積するのかも分からぬ。
 世の中には知らないことがいっぱいある。サカナ君にでも聞いてみたいところだ。

 ふぐが毒を蓄積して体内に持つ目的はなぜか、食べられれば死んでしまうのだから、不思議だと思っていた。 しかし、河豚を食べる大型魚が近付くとストレスによって河豚の体表からテトロドキシンが発散され、大型魚は「これはたべられない、だめだ」と逃げるのだと聞いてやはり種の保存のためであると、納得したことがある。河豚が怒ると腹が膨れるのはそのせいか。

 美食を追求する人間は、毒そのものを研究しその排除・料理法をあみ出して食べてしまうのだからつくづくその執念に呆れ、なぜか悪いやつだなぁとあらためてしみじみ思う。

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お天気お姉さん [自然]

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ひとはどうして天気が良いと気分が良く、曇りや雨の日には諸事気鬱となるのだろうか。気持ちの持ちようであるけれど、慨してというか、程度の差はあれど心理的に落ち込む。

これは、気分であって意思力で変えなければいけない。アイム ファイン!と。

誰でもそう謂う傾向はあるのではないのだろうか。しかし、日照時間の少ない地方や極北に近い人々でも明るく強く生きているのだからおかしなことを言うなと叱られそうな気もする。

 低気圧が原因だと言う人もいる。天気は健康と深い関係がある。病気の気は心理である。これを研究テーマにしている学者はいないのだろうか。

 「天気商売」と昔からいうように天気が経済と密接な関係にあるのは、アウトドアのイベントへの影響などだけでなく経済主体である人の心理に影響を与えるからであろう。景気の気は人の心理である。
かくてひとはテレビ、新聞の気象情報、天気予報に関心を持つのだ。
 テレビでニュースの次によく見るのは天気予報士による予報と解説であるが、いつも、不思議に思いながら見ていた。
 この予報は、気象庁のものか、NHKのものか。天気予報士のものか。つぎつぎ現れる予報士はNHKの職員か、民間のウェザー会社から派遣された人か。どう言う手法、データから予測するのか?気象庁とはどういう関係にあるのだろうか。
 洗濯情報、熱中症情報、花粉情報、紫外線情報などは天気予報の一部か?予報が当たらなかった時になぜすみません、理由はこういうことですと解説しないのか?などなど。やや八つ当たり的な疑問もある。少しは調べて勉強せねばならないだろう。

 調べてわかったことが幾つかある。まず「天気」予報士でなく「気象」予報士が正しい。

 天気と気象はどうちがうか。天気にはおをつけるが気象にはまずつけない、また、天気は頭に「ノー」後ろに「屋・野郎」をつけたりして人をからかうのに良く使う。一方、気象には「学」が似合う、つまりアカデミック、法律用語になる固い感じである。これらは、らちもない冗談。

 気象予報士は、「気象業務法」という法律によって定められた立派な国家資格で、平成5年5月の気象業務法の改正によって設置されたという。
 「気象の予報」を業務とする場合、気象庁長官の許可を受けることが必要である。
 この許可を受けた会社や自治体などは、「予報業務許可事業者」と呼ばれる。予報業務許可事業者が気象の予報を行う場合には、気象予報士に行わせなければならないとされている。
気象予報士とは、単にテレビで天気の解説をするだけではなく、自らさまざまなデータを総合的に判断し、的確な気象予報を行う気象のスペシャリストである。

 さてNHKは、気象業務法に基づく気象予報業務許可を受けておらず、「独自」の予報を行っていない。このため「気象情報」では原則として気象庁の予報をそのまま放送している。気象庁が十分にカバーしていない世界各地の天気予報や花粉情報、予想湿度、細かいポイント予報などについては日本気象協会や民間気象会社の情報を補完的に使用する。また近年は民間の気象予報士を積極的に気象キャスターに起用し、気象庁が発表した予報についてもより掘り下げた解説を行い、情報性を高める方向にあるとか。

 NHKの人気女性気象予報士のカレンダーが大人気だという新聞記事を見たことがある。彼女達が難しい資格試験を突破して活躍していることに敬意を持つものであるがカレンダーとは!。もはやアイドルである。
 個人的に言えば、お天気お姉さんも良いとは思うが、静かにゆったりと予報される男性の予報士がいられる。こういう落ち着きはどうして会得されたのであろうかと思われる方がおられて、いつも尊敬のまなざしで見て予報を聞いている。

 お天気は挨拶代わりになるくらいだから、ひととの交流では潤滑油的に使われたりして重宝されるが、かたや「雨の降る日は天気が悪い」とか、「やまない雨はない」とか結構意味深なことばにもなる。

 ここ数年、体調が悪く半病人状態が続き、医者に行ってもなかなか良くならないとき、家人にすすめられて、あたかもラストリゾートに駆け込むように家の近くの鍼灸(しんきゅう)医院に通いつめた。
 医院の先生は沖縄伊江島のご出身である。お歳は自分と同じか少し上か、やさしい先生である。治療を受けながら、仕事で徳之島のサトウキビ工場に行ったことがあるのでその時のことや沖縄の話を二人で時々した。先生懐かしいらしく最近、島に帰り親戚中の方とお会いしたと、いつも寡黙なのに珍しく話がはずんだこともあった。
先生の過ごされた長い時間と自分のそれと比べても詮無いことであるが、同じ世代ということであろう、言葉に表せぬしみじみするものがある。

 鍼灸とまとめていうことが多いが、はり、きゅう師はそれぞれ別の資格である。周知のとおり国家資格である。当然気象予報士などより長い歴史をもつ。身体の不自由なかたでなくとも受験できるように法改正されたとかで先生のように眼の不自由な方には厳しい世の中である。

 しかし先生は、いつもクラシックをBGMで流し歌を口ずさんでおられる。お子さんはいらっしゃらないようであるが、姪御さんを可愛がりあくまで明るい。何かと言えばすぐふさみこみがちになる自分は、いつももっと見習わねば、と思うのである。
 もちろん、腕は確かでいつかウクライナの女性が、治療に来て、すっかり治りその後自分のお母さんまで連れてこられて診て貰ったそうである。都内に限らずかなり遠くから通われる患者も多いようだ。

 鍼治療が終わった後、先生は、僕の身体はいかがでしょうかと尋ねると必ず「身体が気候に順応しきれていないだけです、すぐなおります、心配いりません」と仰る。気候、気象と人間の身体は深い関係にあるというのが東洋医学の基本であるとあらためて理解する。

 予報士資格と鍼灸師資格とくらべる意図は無かったのだが、気象と健康との話からたまたまつながっただけのことで特段の意味があるわけではない。

 さて、遠出をするときや気象が荒れない限りは、総じて天気予報というもの、平和なものである。したがって、ぶつぶつ文句を言いながらも、テレビの天気予報は気楽に聞いている。台風・地震情報となるとそうはいかないが。

追記 この記事はここまで書き、写真も用意したあと23.3.11東北関東大震災がきた。(写真はNHKテレビ のお天気お姉さんをデジカメで前日の3.10に撮影したもの)。

 震災の被害は、息をのむのみ。なお終わらず進行中である。終息を祈ることしかできないのは情けない。

 3.11から世の中が変わる予感がする。このブログも変わるだろう。(23.3.16)

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めじろ捕りと鰻釣り [自然]

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今ではおよそ考えられないが、戦後間もない頃、疎開先の田舎で目白捕りやうなぎ釣りをした。小学生の頃だから60年以上も前の話である。

めじろはなんと最近まで捕獲飼育を禁止されていなかったというから、当時ももちろん保護鳥ではなかった。子供のあいだで目白を捕って飼うことが流行っていたのである。
メジロ以外の野鳥については2007年までにすべて捕獲・飼育が全面禁止されたから、現在の日本において捕獲・飼育が許可される可能性のある野鳥はメジロだけとなっていた。が、昨年2011年7月、環境省は今年2012年4月からメジロ(Japanese white-eye)の捕獲・飼育を原則許可しないことを決めたので日本において捕獲・飼育を許可される野鳥の種類は全く無くなった。遅きに失するとはこのことであるが、昔の自分の所業を思いだすと偉そうなことも言えない。なぜ、目白だけが例外扱いされ最後になったのか不思議である。雀などは沢山いたのに。

秋だったと思うが、朝まだ暗いうちに起きて囮のめじろをいれた小鳥かごと鳥もちを持って一人で山に入る。運搬中めじろが驚かないように、籠は風呂敷で覆いがしてある。
山の頂きから少し下がった、日のあたりそうな場所に鳥かごをぶら下げる。つんと伸びた30センチほどの漆の小枝を探して鳥もちを巻きつけ、鳥かごに斜めに挿す。
これで準備完了。あとは身を隠して目白が来るのを待つだけ。やがて囮の鳴き声に誘われて目白がチッ、チッと囀りながらやってくる。緊張の一瞬である。
めじろは恋の相手とばかり近づき、鳥もちの付いている漆の小枝にとまると、不思議やくるりと頭を下にさかさまになる。そしてなぜか静かにしている。少し離れたところで隠れていてこの瞬間に飛び出し、メジロを手のヒラに上手に包み込んで足を鳥もちの枝から外す。このとき目白が暴れて、羽に鳥もちが付いたりすると失敗である。
考えてみればめじろにしたら恋路から一転地獄であって何とも酷いことをしたものである。
ときに何を間違えたか囮のメジロとは全く別種の四十雀の群れや百舌などもやって来ることもある。
目白は鳴き声がきれいで姿も美しい小鳥だが、獲ること自体が楽しくて沢山のめじろを大きな籠を作って飼った。餌は蒸かしたさつまいもや熟柿がいくらでもあった。

戦後まもなく田舎ではたんぱく質が貴重であった。にわとりや兎などは滅多に食べられない。川魚、中でも鰻はご馳走で重要な蛋白源でもあった。

我が鰻釣りは次のとおりである。
まず、餌。竹を割りウツボを作る。ぐちゃぐちゃに砕いた田螺と米糠を混ぜた餌をウツボに入れ、それを田んぼに横にしかけて泥鰌を捕る。それを餌に使う。20センチ程の竹、田舎では篠竹と言っていた、のくぎを作って端に50センチくらいの凧糸を結び付ける。その糸の先に釣り針を付けて餌の泥鰌を刺す。太いみみずも餌として上等である。
これを10本ほど作り、夕方田圃のそばを流れる小川の岸に刺し餌のついた針を川に入れて帰るのだ。朝早くそれを引き上げに行く。
鰻がかかっているのは、20本に1本くらいだったろうか。つまりボーズのことが多い。それでも針を見に行く時の興奮と落胆、興奮と興奮の持続、つまり鰻がかかっていないときと釣れていたときの高揚した気分は、60年たった今でも憶えているくらいだ。

田舎では、このほかきのこ狩り、栗拾い、クワガタとりなど遊びが幾らでもあった。一人遊びでも友達と一緒の遊びも一日中ほうけていた。辛いこと中でも空腹、や嫌なこともあったのだが、半世紀も時を経ると、まるで蒸留された美酒のように楽しかったことだけが記憶に残っている。まさに我が黄金の時であった。

今は、田畑の農薬や、治水工事による小川の消失などで、あの子供達の遊びは大半消えてしまったのではないかと危惧する。
子供はいつの時代でも遊びの天才だから心配無用かもしれないが、プレステやニンテンドーしか無いのではとやはり気になる。しかも、放射能汚染で山遊び川遊びもままならぬというのでは、あまりと言えばあまりである。
楽しかったあの遊びを思い出して、 自分を含めて大人は重大な責任を免れぬとしみじみ思うのである。

鬱金桜と御衣黄 [自然]

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毎年、近所の妙正寺公園の近くに一本だけある、鬱金桜を見に行く。
散歩道を覆うようにして咲く、かなり大きい木である。散歩道は、家のそばを流れる妙正寺川に沿って源流のある妙正寺公園まで続いている。下流は神田川となる。
この散歩道は数本ある大小の樹のソメイヨシノがまず咲き、散る頃になるとしだれ桜の並木が一斉に咲いて花のトンネルを演出して散策する人の目を楽しませる。
鬱金ざくらはこの枝垂れ桜が終わる頃咲き始めるのだ。もちろん同じころ近くに何本かあるピンクと白の八重桜も咲き始める。こちらの花の名は知らない。
平成15年自己流俳句を始めたばかりの時に

意馬心猿鬱金桜に風と消え
と詠んだ。
句は字余りの駄句そのものだが、読んだ気持ちはあれこれ考えていたつまらぬ事など、一瞬みな忘れてしまうような美しさだとそれを表したい一念だけで作ったもの。当時たしかに、つまらぬことに振り回されていたのである。
意馬心猿という言葉を何かで読んで、頭の隅にあったのだろう。国語辞典に「 妄念や煩悩( ぼんのう) が激しく、心が乱れるのを抑えがたい様子を、奔馬や野猿が騒ぐのを抑えがたいさまにたとえたもの。 仏教用語、とある。

薄っすらと緑がかった花びらは、ピンクの八重桜とはおよそ似ていないで一種独特の雰囲気をもっている。 この木は民家の庭に植えられたものが大きくなり、散歩道の上を跨いで越え枝が川にまで垂れている。木に鬱金桜と墨で書かれた板が下げられている。
毎年これを見て、昔大阪の造幣局の通り抜けで見た沢山の桜、鬱金桜もあった、を思い出すならいである。

ウコン(鬱金桜)は、学名「Cerasus lannesiana 'Grandiflora' A. Wagner」、サクラの栽培品種である。開花時期はソメイヨシノより遅めの4月中旬~下旬頃。今年は厳寒でソメイヨシノは遅れたがウコンはあまり遅れなかったようだ。
花弁に葉緑体をもつなど性質はギョイコウ(御衣黄)に似ているが、色は緑色が弱く淡黄色である。300以上の品種があるとされるサクラのうちで唯一、黄色の花を咲かせるサクラという。御衣黄より花弁は薄く、丸みを帯びて尖っていない。

名前は、ショウガ科のウコンの根を染料に用いた鬱金色に由来する。「鬱金桜」あるいは「鬱金の桜」と呼ばれることが多い。    
 大阪で取引先に伏見の黄桜酒造があり、よく表敬訪問した。尤も回数は月桂冠の方が多かった記憶があるが。
黄桜酒造、今は黄桜株式会社に変わったようだが、社名もメイン銘柄「黄桜」はオーナーの庭に鬱金桜がありそこから命名されたという。
清水昆、小島功の美人河童やあの懐かしい、楠木トシエのコマーシャルソングでも有名である。

♪ウイ・ウイ・ハア・ウイ
ウイ・ウイ・ハア・ウイ
カッパッパ ルンパッパ
カッパ黄桜 カッパッパ
ポンピリピン 飲んじゃった
ちょっといい気持ち
のめる もめる のめる もめる
いける ける ける ける
黄桜 黄桜 ソフトなお酒
古いのれんの モダンな味
カッパッパ ルンパッパ 黄桜
ハウ・ウイ・ウイ♪(田中正史 作詞作曲)

蔵のそばに河童記念館カッパカントリーというのが出来ていて、河童の絵や酒のポスターなどが展示されていたのを思い出す。

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さて、今年は先だって知人が教えてくれたので、子供達が通い卒業した中野北中学校の校庭にある御衣黄を、はじめてわざわざ見に行った。3本もあってこれもまた見事に満開で美しかったが、近眼の目には先の鬱金桜と殆ど同じでようで区別がつかなかった。
ギョイコウ(御衣黄)は、学名「Cerasus lannesiana 'Gioiko'Koidzumi」、鬱金桜と同じ、サクラの栽培品種である。

大きさは中輪から大輪の八重咲き(花弁数は10から15程度)で、花弁は少し厚めで外側に反り返る。尖った感じもする。色は白色から淡緑色である。
中心部に紅色の筋があるというが、咲いたばかりでまだ目立たなかった。次第に中心部から赤みが増して、散る頃にはかなり赤くなるというから鬱金桜とだいぶ異なる。
やはり緑色の花を咲かせるサクラである。この緑色は葉緑体によるもので、同じく葉緑体をもつ鬱金も若干緑色がかかるが、その量が多いらしくこちらの方はもっと濃い感じである。
濃緑色の部分の裏側には、鬱金の花にはない気孔があるというが、自分にはどこにあるのかどんなものかも全く分からない。
名前の由来は、貴族の衣服の萌黄色に近いためとされる。古くは「黄桜」「浅葱桜(浅黄桜)」などとも呼ばれていたが、それが御衣黄なのかそれとも鬱金を指すものなのか不明とか。

平成20年 新宿御苑へスケッチに行った時、画友が「ギョイコウ」と木に板が書いてぶら下がっているのを見てどんな字を書くのかしらね、というので「御衣更」じゃないですかと答えた。
気になってあとで調べたら間違っていたので、慌てて葉書を出して御衣黄と訂正した。次の腰折れを添えた。

御衣黄に更の字あてしおっちょこちょい花便りにてお詫び訂正

詳しい人でないとこの二つの桜の区別がつかない。しかし、御衣黄は青野菜の菜っ葉の匂いが強いのに反してウコンはほんの少し甘い香りがするから分かるという人もいるようだが、加齢により嗅覚も衰えている当方にはまず無理というしかない分別方法である。
好きずきであろうが、自分にはこの鬱金桜と御衣黄は極めて魅力的な花である。
しかし、どちらかといえば八重桜なら「イチヨウ 」の方が、好きだという人が多いのではないかと思う。こちらは何しろ明るく艶やか、まさに桜の女王だ。
イチヨウは学名「Prunus lannesiana Wils. cv. Hisakura」、花の中心部から葉の形に変化した雌しべが一本突き出ており、この様子からイチヨウの名前がついたという。この花は、ウコン、ギョイコウと違ってピンク、桜色だ。大輪の花のブロッサム・かたまりで見るからに「牡丹桜」と呼ぶに相応しい。

今年も、幸いなことにいろいろな桜を堪能できた。東京の桜も、古い大きな樹で切られたもの、電線にかかるからと枝を下ろされたものもあるが、個人の庭にあるものも含めて確実に数も増え、太く大きくなっている。今のところ災害も少なく平和で何よりである。何とかこれが続くよう願うばかりだ。東北の桜の話を聞く度に、その復活に思いを馳せしみじみと祈るのみである。

花の春 [自然]

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花の季節になると他愛無いことをあれこれ考える。

花の美しさというものは無くて、美しい花だけがあると言ったのは小林秀雄である。花のような美しさというたとえがあるが、氏の言うように「花の美しさ」というのは本当に無いのだろうか。確かに「美しい花がある」の方は誰にでもわかる。夕焼けの美しさ、富士の美しさもなくて、美しい夕焼けや美しい富士があるだけか。
小林秀雄の言っていることを何か誤解しているような気もするのだが、いつものことだが、たいていはそこで思考が止まる。

花は、美しい花を愛でる人間のために咲くのではないことは自明である。
蝶などの虫や、蜜を吸いにくる小鳥の方を向いて美しく咲いているのだ。言うまでもなく雄しべの花粉を雌しべにつけてもらう受粉が目的である。より強い種の保存のためである。

このことは、いくつかのことを考えさせられる。

花にも色々あるが、多いのは桜のようにひとつの花の中に雌しべ雄しべを持つ「両性花」である。
両性花はなぜ雄しべ雌しべを持ち、自分で受粉出来るのに、あてにならぬ気まぐれ虫や小鳥の気にいるように、美しく花を進化させてきたのか。
それは、自家受粉を極力防いで異なった遺伝子を持つ他の個体の花粉を受精した方が、より強い子孫を作り、多様な環境を生き抜く戦略を取っているのだという。しかし、自家受粉はなぜ弱い子孫を作るのかが不明だ。
きゅうりのような雌雄異花、キウイフルーツのような雌雄異株の花も同じことだろうが、何故色々なかたちがあるのかわからない。とくに動物のように動けないのに雌雄異株は植物にとって決定的に不利であろう。 いずれにしても虫や鳥、ときには風媒花というのもあるから風、まかせというのはしんどいだろう。
動物ならともかく「植物の戦略」とはあまりぴんと来ないが、生きていく以上当然のことかもしれない。周囲の他の植物より多くの日照を得ようとする戦いは、熾烈と聞く。地下の見えないところでも根は戦っているのだろうか。

虫や鳥は人間と同じように花を美しいと思うから、花に近寄るのか。それとも、色だけ、あるいは匂いで花に寄って行くのか。匂いも蜜もなくひたすら花びらや萼を華やかにあでやかに進化させている花に寄る虫や鳥もいるから、かたちの美しさが分かるのではないかと疑う。そうでなければ美しくなろうとする花の進化は止まるに違いない。
鳥や虫でも「美」が分かるのであれば、猿や鯨はもっと美しさを理解できそうに思う。そう言えば花などの絵を描くチンパンジーや象もいる。人間だけが花を美しいと感じ、審美眼があるのだというのは思いあがりかも知れない。

ところで多くの花が春に一斉に咲くのは、虫や鳥が子育てなどに適した季節だからだが、その正確さに毎年感心する。
品種ごとに見事に同じ時期に咲くのは、人間の細胞内にあるという時間遺伝子と同じようなもののなせる技なのだろうか。四季を通じて咲く花や狂い咲きもあるにはあるが、稀有である。春に一番早く咲く花は辛夷など白色か、福寿草や山吹の黄色かなどと、咲く色に順番がありそうな気もするが地域にもよるのかも知れない。見ていると法則性とまでいかないが例えば白木蓮は、紫木蓮より早く咲く、八重桜よりソメイヨシノは早く咲くなど花の色や品種ごとに咲く時期が決まっているようには見える。どういう遺伝子操作がなされるのか。
東北地方など寒い土地の春の花は桃、桜、りんご、杏、なしなどが短期間に集中して咲き、あたかも一斉に咲くようだと聞くが、素晴らしいだろうなと思う。しかし、長い冬を耐えたからこそであろうが。

一方、人間はなぜ花を美しいと感じるのか。実を大きくして食べるために、梨やリンゴの人工受粉をする以外は、自然界では受粉の手助けをするでもない。美しさを愛でるあまり、花泥棒まで出現する。花を摘んだり、切ったりしてあまつさえ花器などを作り活けたりして枯らす。枯れるから一瞬の美しさが良いのだなどと、気取ってけしからぬ勝手をいう。
花にとってははなはだ迷惑極まりない。薔薇のように棘などを備えても無視される。
さらに余計なことに、より美しい花を求めて突然変異などを利用して、新しい栽培品種などを開発する。多くは種の実らぬ一代雑種が多い。種の保存を生きる最大の目的として、極寒や乾燥などの悪環境でも、花をつけようとする健気な植物たちの天敵以外の何ものでもない。
これは、人間が個体保存、ひいては種の保存のために、植物を食用にするのと訳が違う。
人間の花好きは異常とも言える。花卉市場の花の束、街に溢れる花やの数を見ればよく分かる。やれプレゼントに、公園の花壇に、花祭りと考えてみれば罪深いとも言える所業である。
バブルに及んだオランダのチューリップ、正気の沙汰とも思えぬ江戸っ子の朝顔への執着など金が絡んだりすると、もう見苦しいとさえ言えないか。

さて、花は例外なく美しいものか。人が美しいと感じない花はあるのか。美醜というから醜い花というのはあるのだろうか。
花らしくない花はある。例えば無花果・いちじくは実のように見える花軸(花嚢)の中に花が埋れて見えない。まさに花が無いようなものである。しかし受粉の媒介はイチジクコバチがしっかりやるとか。
黴や粘菌類など普段人の目に入ることのない植物を顕微鏡で見れば、また違った美醜の観念を懐くに違いない。しかしこの辺りになると、わが花談義も植物学の素養もないので、きっとトンチンカンなことを考えたり言ったりするから、その道に詳しい人から見れば、恥ずかしながら「噴飯もの」に違いない。

あたりまえながらも、不思議でもあるが、人によって美しいと思う花は異なる。大輪の牡丹が良いという人、野の小さな可憐な花や野ばら、野菊のようなシンプルな花が好きという人様々である。百合や蘭のように、ほぼ誰もが好きという花もある。これは洋の東西を問わないのか、理由は何故なのだろうか。
日本人は、花といえば桜。昔は中国から渡来した梅が人気だったというが、何時の間にか桜になった訳を知れば日本人の心情の特性が理解できるかもしれないとは、よく指摘されることだ。
アメリカでははなみずき、西洋では薔薇、中国人はボタン、ハワイではハイビスカスか、いやブーゲンブリヤか、韓国では木槿。日本人の桜好きと似たようなものに違いない。それぞれ身近にあって「思い入れ」が強い花だ。国の花、県、市の花というのもあるが、これも同じ思い入れというものだろう。
花言葉や花占いなどというものもあるが、これも根拠があるやらないやら、人の思い入れというもの不可思議の一語に尽きる。

東京でも梅、辛夷、木蓮、レンギョウなどから始まり、はや桜の季節も過ぎ、いまや花水木のさかりだ。負けじとつつじが追いかける。季節の移ろいは早く花の主役はいそがしく入れ替わる。梅雨を迎えればあじさい。夏ともなるとさすがに花は少なくなる。
毎年のことながら、花の季節のさなかは心がはやれども、またその過ぎゆくスピードには驚き唖然とするのみである。

47歳の若さで亡くなった林芙美子は、生前、色紙などに好んで、「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と短詩を書いたという。
古くは小野小町が、「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」(古今集)と歌い、芭蕉は 「ゆく春を近江の人と惜しみけり」(猿蓑 春)と詠んだ。
また白頭を悲しむ、かの国の翁は「年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず」(唐詩選 劉廷芝(りゅうていし)と。
実に、じつに、そのとおりの花の春である。







妙正寺川の立葵(タチアオイ)(1) [自然]

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家の近くを流れている妙正寺川は、かつて小さいながら暴れん坊川だったとかで、いまやコンクリートで固められてしまった川である。
妙正寺公園にある池を源として、下流は高田馬場で神田川に合流する。延長9.7kmを有する。
 近くには似たような規模の善福寺川がある。この川は杉並区の善福寺池に源を持ち、同じく神田川に注ぐ、延長約10.5kmを有する。
この二つの川は一級河川ながら、今でも溢れ出ることがあり、最近では平成17年9月大雨で増水、中野、杉並区中心に3000戸が浸水した。

その神田川は隅田川に合流し、東京湾に流れ込む。神田川としての水源地は、吉祥寺の井の頭池になる。かぐや姫のヒット曲でも有名な神田川は、全長24.5km、都心を流れる川はたいてい一部分暗渠になるものだが、珍しく全区間開渠。
昔は神田上水から取水、江戸の水道として利用された。都内を流れる河川としては最も大きい。近年水質浄化も著しく1993年ごろから鮎の遡上も確認されている。
都建設局河川部のHPによると、「一時は水質が悪化していましたが、今では水もきれいになりアユの遡上が見られるようになりました。そこで「アユが喜ぶ神田川」をめざし、いきものにやさしい川づくりを進めています。」とあるが、むろん妙正寺川のこの辺りでは魚の影さえ見たことがない。

さて妙正寺川は、杉並、中野、新宿、豊島区を流れ、我が家の近く辺りは両岸の道路が散歩道になっている。
誰かが植えたのか 、種が飛んで来たのか、道路脇の殆ど土がないところに立葵(タチアオイ)が毎年赤い花を咲かせる。生命力の強い花である。

タチアオイ(立葵、学名Althaea rosea)は、アオイ科の宿根性の多年草である。
従来は、中国原産と考えられていたが、今はビロードアオイ属のトルコ原産種と東ヨーロッパ原産種との雑種とする説が有力という。
日本には、古くから薬用として渡来したといわれている。
花が美しいので、園芸用に様々な品種改良がなされた。草丈は1~3mで茎は直立する。 花期は、6~8月。花は一重や八重のもあり、色は赤、ピンク、白、紫、黄色など多彩である。花の直径は10cmほど。

歳時記では、葵、花葵、銭葵などと夏の季語。

立葵いま少年の姿して 岩田由美

このうち銭葵(ぜにあおい)は、アオイ科の越年草。ヨーロッパ原産。古くから観賞用に栽培され、よく見かける。高さ約70センチメートル。葉は円形。初夏、葉腋に五弁花を数個ずつつける。花弁は淡紫色で紫色の脈がある。小葵(こあおい)、錦葵(きんき)とも。


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アオイ(葵)という名は、もともとはフユアオイなどを指し、「仰(あおぐ)日(ひ)」の意味で、葉に向日性があるためという。アカイ花が咲くのにアオイとは、これいかにと誰も思うが、その理由はこれによるらしい。どんな植物でも花でなく葉はすべて向日性があると思うのだが。

辞書では、葵、あふひ。アオイ科のアオイ属などの総称とある。紅蜀葵(こうしょくき)、天竺葵(てんじくあおい)とも。
静岡市の葵区、源氏物語の葵の上と六条御息所の争い、江戸幕府の象徴としての巴葵の紋所のことなども項を立てて載っている。
人名ではマモル。ミズーリ号で太平洋戦争の降伏文書に政府全権として調印した重光葵外務大臣がすぐ頭に浮かぶ。

川口松太郎の小説「新吾十番勝負」の主人公は、徳川吉宗の隠し子・葵新吾。「二十番勝負」もあり1960年代、映画、テレビで大川橋蔵などが人気を博した。こちらは姓が葵(あおい)だから辞書の人名、葵(マモル)とは全然別、ふと思い出しただけのことである。

なお、ヒマワリ(向日葵、学名Helianthus annuus)は、葵の字が用いられているが、アオイ科ではない。キク科の一年草。
タチアオイもヒマワリも向日性が共通しているからであろうか。
歳時記では、向日葵ひまはり、日車、天蓋草。太陽の動きに連れて動くというが、実際には花の蕾が開く時だけ日に向かうといやに詳しい。

向日葵の一茎一花咲きとほす 津田清子

ビロウ(Livistona chinensis、蒲葵、枇榔、檳榔)も葵の文字が使われているが、こちらはヤシ科の常緑高木。漢名は蒲葵、別名ホキ(蒲葵の音)、クバ(沖縄)など。古名はアヂマサ。古事記に出てくる「あぢまさの島」はこれ。
しかし、台湾に観光旅行に行った時にあちこちで目にした名物のビンロウ(檳榔、学名Areca catechu)とは同じヤシ科ながらビロウとは別種である。
ビロウ(蒲葵)は、葵とは似ても似つかぬ。何故葵という字が使われたのか、手掛かりさえなさそうで不明である。不思議としか言いようがない。
日本では馴染みが薄いからか、歳時記にはみつからなかった。

同じくワサビ(山葵)は、「山の葵」と書くが、アブラナ科ワサビ属の植物でこれもアオイ科では無い。こちらは、ご存知、食用、日本原産の香辛料である。根をすりおろすと独特の強い刺激性のある香味を放つ。刺身、鮨好きには欠かせぬもの。静岡、安曇野のわさび漬けも結構なもの。
山葵の葉はフタバアオイの葉に似ているから、葵の字が充てられたのだろうか。
歳時記では、山葵、山葵田、わさび沢が春、山葵の花が夏の季語。

夜の膳の山葵の花をすこし噛み 能村登四郎

なお、家紋に使われる葵(徳川家の「三つ葉葵」、下鴨神社の「双葉葵」など)は、アオイ科とは別科であるウマノスズクサ科のフタバアオイの葉をデザインしたものだそう。なるほど葉がそっくりである。
京都三大祭りの葵まつりは下鴨神社の夏の大祭 。神社の葵の紋に由来する。
家人が散歩中に、黄門様の印籠の葵の紋所と、タチアオイの葉があまり似ていないと言っていたのは、正しかったのである。

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アオイ科(Malvaceae)は双子葉植物の科のひとつで、分類では約75属もあり、種も1500と多い。
美しい花をつけるものが多く、上記のタチアオイのほか、観賞用の①ハイビスカス、②ムクゲ、③フヨウのほか、食用の④オクラ、また⑤ワタや⑥ケナフなど繊維として利用されるものもある。注意してみると、なるほど確かにこれらは花がよく似ている。面白そうなので、調べて見た。

長くなるので、ここまでを⑴、以下を⑵とした。

妙正寺川の立葵(タチアオイ)(2終) [自然]

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タチアオイはアオイ科であることは、前回(1)に書いた。アオイ科にはタチアオイの他、観賞用の①ハイビスカス、②ムクゲ、③フヨウのほか、食用の④オクラ、また⑤ワタや⑥ケナフなど繊維として利用されるものもある。

①ハイビスカス、園芸用・観賞用としていくつかの種が「ハイビスカス」として花屋さんでも売られている。その代表的なものはブッソウゲ(仏桑華、Hibiscus rosa-sinensis)である。歳時記では、ハイビスカス、仏桑花、琉球木槿とあり夏。

家よりも墓ひろびろと仏桑花 深見けん二

過日、石垣島土産として 頂いた「ハイビスカスティー」を飲んだ。沖縄だからハイビスカス(仏桑花)だとばかり思って飲んだが、これに用いられる花は、通常、ローゼル(Hibiscus sabdariffa)と呼ばれ、ハイビスカスとは別種のものだそう。


②ムクゲ(木槿、別名にハチス「波知須」、Hibiscus syriacus、英語ではrose of Sharon)は、アオイ科の落葉低木。 庭木として広く植栽されるほか、夏の茶花としても欠かせない花である。
早朝に開花し夕方には萎んでしまう「一日花」で、人の世の短い栄華喩え「槿花(きんか)一朝の夢」と表現される。 その儚さ故、華道では余り好まれないのか生け花では敬遠されるとか。
中国語では木槿(ムーチン)、ムクゲはこの音からか。朝鮮語ではムグンファ(無窮花)という。次々と咲いて尽きることのない 、お目出度い花という意味であろう。韓国の国花である。
「槿花一日の栄」は、槿花一朝と同じく儚いことと誤解されているが、出典の白楽天の詩の一節は「槿花一日自成栄」で、槿花は一日で自から栄を成す、つまり仏法があっというまにひろがったと解釈するのが正しいとのこと。
歳時記では、 木槿(ムクゲ、モクキン)、花木槿、底紅とも。季語秋。芭蕉の「道のべの木槿は馬にくはれけり 」(野ざらし紀行)がつとに有名。
「底紅」とは盃の底の様な花の中心が紅いことからであろう。昔の人も良く特徴を見て詠い季語としたものと感心する。

底紅の咲く隣りにもまなむすめ 後藤夜半

③フヨウ(芙蓉、Hibiscus mutabilis)はアオイ科フヨウ属の落葉低木。種名 mutabilisは「変化しやすい」(英語のmutable)の意。「芙蓉」はハスの美称でもあることから、とくに区別する際には「木芙蓉」(もくふよう)とも呼ばれる。
歳時記では、花芙蓉、白芙蓉、紅芙蓉、酔芙蓉とも一緒の項で秋の季語。

反橋の小さく見ゆる芙蓉かな 夏目漱石

スイフヨウ(酔芙蓉、Hibiscus mutabilis cv. Versicolor)は、フヨウの園芸品種。
朝咲き始めた花弁は白いが、時間がたつにつれてピンクに変色する八重咲きの変種であり、色が変わるさまを酔って赤くなることから。なお、「水芙蓉」はハスのことである。

花びらを風にたたまれ酔芙蓉 川崎展宏

10年ほど前韓国の昌徳宮を訪れた時に、余りにもガイドさんが綺麗だったので独吟半歌仙の中に酔芙蓉を詠ったことを思い出す。しかしアガシとチマチョゴリでは超付き過ぎ。

昌徳宮ガイドのアガシ酔芙蓉

敬語正きチマチョゴリなり

④オクラ(秋葵、英名Okra、学名:Abelmoschus esculentus)は、アオイ科トロロアオイ属の植物、または食用とするその果実。和名をアメリカネリと言い、ほかに陸蓮根(おかれんこん)の異名もある。
生あるいはさっと茹でて小口切りにし、醤油、鰹節、味噌などをつけて食べると美味しい。刻んだ時にぬめぬめした粘り気が出るが、この粘り気の正体は、ペクチンなどの食物繊維で、コレステロールを減らす効果をもっている。
誰かが納豆と刻んだオクラを混ぜて食べると、美味しいと言ったがまだ試していない。
花屋さんで苗を買い求め、プランターで栽培したことがある。黄色い美しい花が咲き、見事なオクラの実をつけた。
残念ながら季語でないようで歳時記には見あたらなかった。

⑤ワタ、綿・木棉(もめん)は、ワタの種子から取れる繊維。コットン(英語 cotton)。綿(ワタ)自体のことを木綿と呼ぶこともある。
綿は生活必需品として誰でも知っているが、ムクゲに似た黄色い花も綺麗でかつ種の白い綿の花畠も独特の美しさがある。どちらも綿花と呼ばれる。
歳時記では、綿そのものは秋の季語、綿の花は夏とややこしい。余談ながら、綿入れは衣類で冬。綿虫はアブラムシの一種、雪ばんばとも。これも冬の季語。

絆とは入日にしぼむ綿の花 福田甲子雄 (夏)

綿摘み、 綿の実 、綿吹く 、桃吹く などは秋の季語である。

蕾あり花あり桃を吹けるあり 三村純也 (秋)

⑥ケナフ (Kenaf, 学名:Hibiscus cannabinus) は、アフリカ原産のアオイ科フヨウ属の植物、またこれから得られる繊維をいう。洋麻、ボンベイ麻ともいう。この紙を使ったスケッチブックをよく買って、水彩画を描くのでお馴染みである。

さて、自分も妙正寺川両岸のタチアオイを見て駄句を詠んだ。例により冷や汗駄句、駄句。

新装の有平棒や立ち葵 杜 詩郎

自句解説。
立葵は、かなり背が高く、支えもいらずに真っ直ぐに上へ伸びる。床屋さんの看板である有平棒を彷彿させる。なんとなく似ているような。
すっくと立つタチアオイに出発、旅立ちや独立のイメージを重ねるのは、自分だけではないように思うのだが、どうか。句とすれば「新築の理髪店にあり立葵」の方が中七字余りながら素直か。自分の思いを句にするのは、いつものことだがたいへん難しい。

長い蛇足ながら。有平棒(あるへいぼう)について。
有平棒は、理髪店の店先に看板として据え付けられ、赤、白、青のらせん模様が回転する棒状の装置。ただし、製造メーカーは「サインポール」などと呼び、現代の理容師さんは有平棒という名を知らない方が多いらしい。
昔の西洋では理髪師を兼ねた外科医師の看板であったと、何かで読んだ覚えがある。白は包帯、赤は血、青は何だったか覚えていない。日本には明治初年に伝来。
ちなみに有平棒の名前の由来となったアルヘイ(alfeloa)はポルトガル語で、砂糖に水飴を加えて煮詰め、棒状にした砂糖菓子。ひねりを加えた形が、安土桃山時代にポルトガルから伝来した砂糖菓子有平糖(あるへいとう)とよく似ていたことから有平棒(あるへいぼう)となったとか。
英語圏ではバーバーズポール(Barber's pole)と呼ばれる。

我が散歩道の妙正寺川両岸は、近年、妙正寺公園入り口から1kmくらい下流まで植えられた枝垂れ桜が成長して、春にはみごとな花のトンネルになった。
体調が悪い時、運動不足を少しでも補おうと、この散歩道をよく歩く。歩きながらいつも、コンクリートで固められた川を元の自然の川に戻すコスト、社会的費用は、いくら位かかるのだろうか、と川砂利を流れるせせらぎの音などを、夢見る如くしみじみと思う。東京にこのような道は沢山あって、税金ではとても間に合わないだろうから、道筋の近くにいる奇特な大富豪がその気にならないか。実現したら、両岸にずらりとタチアオイを植栽していただきたいものだ。

2003年7月から2005年9月にかけて復元工事がなされ、ソウル市の清渓川(チョンゲチョン、全長約5.8km、漢江に合流する川。)が高速道路の暗渠の下から蘇生して市民の憩いの場になった話は心から羨ましい。
この原資は税金であろう。素晴らしい使い方だ。

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アーティチョークと野あざみ [自然]

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散歩中、よその家の軒下で、大きな見なれぬ植物を見た。庭に植える草花は小さいものという先入観があるから、一回り大きいと少しびっくりする。色はくすんだような白っぽい緑色。大きな薊(あざみ)のような花が咲いている。薊にしては大きい。いくつかついている蕾の形を見て気がついた。あ、これはもしかして、最近雑誌か何かで見たアーティチョークかも?。
調べて見るとやはりそうであったが、普通の民家の庭でこういうものが栽培されるとは思っていなかったので気がつくのが遅れたようだ。

アーティチョーク(Artichoke、Globe artichoke、学名:Cynara scolymus)は、キク科チョウセンアザミ属。大形で野アザミに似た宿根草。和名はチョウセンアザミ(朝鮮薊)。地中海沿岸原産。高さは1.5mから2mになり、葉は50cmから80cmに達し、つぼみは8cmから15cmになる。とにかく大ぶりである。
江戸時代にオランダから日本に渡来したというから、最近のものということでもないらしい。

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若いつぼみを食用とするいわゆる花菜類の一種。フランスやイタリアで好まれる野菜とか。にぎりこぶしより大きい頭花の蕾をゆでて食べる。食べる部分は蕾の中の「花芯」のようだ。ショートスパゲティに入れたりして食べるらしいが、残念ながらまだ食べる機会に接していないのでどんな味がするものやら知らぬ。

アーティチョークは、あまり一般的ではないが、かたや薊(あざみ)の方は日本の山地に自生する野の花。昔から親しまれた野草で誰もが知っている。
このアザミ(薊)は、キク科アザミ属 (Cirsium) だからアーティチョークと同じキク科ながら属が異なる。(アーティチョークはチョウセンアザミ属)

さて、この我々に身近なあざみ、アザミ属の方は、世界に250種以上あり、日本には100種以上あるという。薊というのはそれに類する植物の総称でもある。標準和名を単にアザミとする種はないとか。
地方変異が多いのが特徴で、このうち和名ノアザミ Cirsium japonicumが最も一般的なものである。C.japonicumというのだから日本で発見されたのであろうか。日本固有のものなのかも知れない。

あざみの別名は刺草(しそう)。あざみという名前の由来は、いろいろあるようだが「アザム」(傷つける、驚きあきれる意)がもとで、花を折ろうとするととげに刺されて驚くからという説が有力である。漢字も草冠に魚と刀、魚は骨であろう。棘のイメージ。
とにかく触れれば痛い草の代表であり、薊といえば棘を連想するのは、バラの花にとげを思うのに似ている。スコットランドでは、そのトゲによって外敵(イングランドに違いなかろう)から国土を守ったとされ国花となっている。

歳時記では、野薊、花薊 として春の季語。ただし夏薊(なつあざみ)は夏。
「キク科の多年草、春から咲き花期が長い 多数の筒状花が集合した頭花で紫色または薄紫色。葉は厚く鋸歯(きょし)状、尖端は鋭く棘状になっている」とある。
句例 大原女の三人休む薊かな 野村喜舟

薊の句には他に

妻がもつ薊の棘を手に感ず 日野草城

がある。新婚の妻を詠んで「ミヤコホテル論争」を引き起こした草城だからと言って深読みはいけない。素直に読めば佳句と分かる。

ところで、話が逸れるし、歳が知れるというものだが、薊といえば歌謡曲の「アザミの歌」を思い出す。
昭和24年8月(1949年)のNHKラジオ歌謡 で伊藤久雄が歌いヒット曲となる。ほかに倍賞千恵子らの歌もある。
作詞は18歳の復員兵、横井弘 。家族が疎開していた下諏訪・霧ヶ峰八島高原で、アザミの花に自分の理想の女性像をだぶらせて作詩したとされる。作詞者18歳、復員兵とは、驚きを禁じ得ない。

自分は9歳、小学生だったが、山や海にも憂いがあるなどとまるで理解も出来ず、「汝はあざみ」は「名はあざみ」とばかり思っていた。むろん恋も知らず空腹感だけで山野を走りまわっていて詩情などおよそ縁なき幼年時代であった。しかるに9歳上の人がこんな歌を作っていたとは。

 八島高原には、この歌の歌碑が建っているという。かつてそこら辺りを散策したことがあるが、全く気が付かなかった。七島八島湿原には、風露草、マツムシソウ、ツリガネニンジンなどがたくさん咲きみだれていて、たしかにアザミの花がそこここに咲いていたのを覚えている。
作曲は「毬藻の唄」、「さくら貝の唄」、「山のけむり」などの八洲秀章。

♪あざみの歌
山には山の 愁いあり
海には海の 悲しみや
ましてこころの 花園に
咲きしあざみの 花ならば

高嶺の百合の それよりも
秘めたる夢を 一筋に
くれない燃ゆる その姿
あざみに深き わが想い

いとしき花よ 汝はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの径は 果てなくも
香れよせめて わが胸に

岡本敦郎の歌った「白い花が咲く頃(作詞:寺尾智沙、作曲:田村しげる)」も翌年の昭和25年11月(1950年)発表された同じNHKラジオ歌謡である。
この二曲は、戦後間もない時期の抒情歌の名曲とされる。 
 昭和24、25年といえば、敗戦時の混乱がようやく収まり、就職や進学のために田舎から東京などの大都市へ出てくる若者が増え始めた時期と重なる。テレビなどはなくまさに歌はラジオとレコードだけの時代である。その頃二十歳前後の人には、その頃の我が身に思いを重ね、たぶん忘れることの出来ぬ懐かしい歌であろう。
なお、昭和25年6月に朝鮮戦争が起き、いわゆる特需によって経済復興に弾みがついたとされる。復興から徐々に成長期に移行していくことになる時期である。

閑話休題。
薊の中には山菜として食べられるのもあると聞いた。自分が疎開した栃木県那須地方では、蕨、ぜんまい、たらの芽など種々の山菜を食べるが、薊は沢山生えていたにも拘らず食べる習慣はなかったように思う。
また、会社に勤め、転勤で新潟市に三年住んだがここでも食べたことがなく、薊が山菜とは不覚にも知らなかった。新潟も知る人ぞ知る山菜王国である。
どんな味がするものやら、アーティチョークなどよりこちらの方を先に食べて見たいと興味がある。
食用に栽培されるモリアザミ(森薊、キク科アザミ属、学名 Cirsium dipsacolepis)というのもあるらしいが、どこで栽培され、どう食べるのか知らない。

我が国で食べるのは、サワアザミ (C. yezoense :近畿以北の日本海側沢沿)かミヤマサワアザミなど、山菜としての野生の薊である。食用部分は新芽や根(山ゴボウ)などであるという。

アザミ類は深山でなく平地に多いから採取はたやすいが種類も多く、花が咲かないと薊と特定が困難だそう。しかし枯れた去年の薊のそばに出ている新芽を探すのがコツとか。なるほど、さもあろう。

むろん若芽でも棘だらけだが茹でると、棘も柔らかくなるというから問題ない。
若葉や若茎は 茹でて味噌汁の具、胡麻和えに、小さい物を生のまま天ぷらにすると美味しいという。
 根はアクがあるので茹でた後によく水にさらし、ごぼうのようにきんぴらや味噌漬け、醤油漬けにして食べるらしい。

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ぜんまいわらび に代表される山菜は、地方各地にその種類も食べ方も多彩、野趣あふれる味合い深いものであるが、林業用語では、木の実やきのこなどと同じように特用林産物という。
山形県のHPに特用林産物「山形置賜(おきたま)伝統野菜」と銘打ったわらび、ぜんまいとならんであざみが紹介されているのを見つけた。
http://www.pref.yamagata.jp/ou/sogoshicho/okitama/325043/dentoyasai/azami.html

HPにはこうある。
 「あざみは、「ごぼうあざみ」という方言で食されており、学名ではサワアザミと呼ばれています。本州中部以北、北海道の山地に生える大型の多年草であり、茎は、高さ1~2メートル、中空で太く、全体に短い毛があって白緑色です。やわらかい茎を採取し、油いためや和え物として食します。あざみは、この種類のほかにダキバヒメアザミが食されています。
 あざみは、栽培ものはほとんどなく、山地に自生しているものが販売されています。山形県の生産量は、4.2トン(平成16年次)で全国第3位の生産量となっており、置賜管内の生産量は4.1トンで県内生産量のほとんどを占めています。
 自然ものであることから安全・安心の品目であり、5月から7月にかけて旬の味を楽しむことができます。
古来より食されてきた山菜であるが、特に、山形県内では置賜地域でより多く食されてきました。置賜地方では、ふつう、茎を食用にしていますが、青森地方では、早春に若芽を食べる習慣があります。
あざみは、利尿作用や神経痛などの効果があるといわれています。
 料理方法としては、生のあざみをみじん切りにして味噌汁の具として食するほか、煮物や油いためにし、歯ざわり、舌ざわり、特有の香り等を楽しむことができます。保存には、塩蔵漬けで長期保存が可能であり、冬期間に食することができます。」

これを読むと、ますます一度食して見たいと思う。アーティチョークはその次で良い。



 

からす [自然]

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現役で働いている頃だからだいぶ昔になるが、「カラスはどれほど賢いか―都市鳥の適応戦略」( 唐沢孝一 中公文庫1988年)という本を読んで、びっくりしたことを覚えている。
鳥類のなかでも最も知能が発達していることやかなりの程度の社会性を持っており、カラス同志で協力したり、カァカァという鳴き声で意思の疎通もしてり、遊戯行動(電線にぶら下がる、列車の線路に石を置くなど)をとることも観察されていることも知った。たしかにゴルフをやっているとき、ボールをくわえたカラスがフェアウェイをピョンピョン歩いているのを見たことがある。
スズメ目カラス科というが、小さなスズメとは大変な違いである。我々が街中で見かけるのは、ハシブトガラスでゴルフ場など山にいるのはハシボソガラスという。
ハシブトガラスの場合、翼長は32–39cmと大きくそばでみると顔の異形と大きさに圧倒される。羽音もでかい。

最近、某都知事の音頭で撃退宣言が出たとかで、その数がひところより減ったというが、ここ、中野区は今なおカラスが多くいて、道路の生ごみを散らかす被害が絶えない。
抱卵期は人が襲われたというニュースまであった。

カラスは4色型色覚で色を識別でき、人間と同じRGB(Red,Green,Blue三原色)の他にV(紫)も識別できるという。人間の個体を見分けて記憶したり、植物・家畜やペットを含む哺乳類・鳥類などを区別して認識できるといわれている。本当だろうか。
最近、養老孟司と阿川佐和子の対談「男と女の怪」(大和書房)を読んでいたら、このことが書いてあった。
「カラスは色を識別する感受性を持った細胞を四種類持っている。人間は三種類しか持っていない。だから、カラスが世界をどんな色で見ているかはわからない」(養老)
だから、カラスが黒いといっているのは人間だけで、カラスは黒いと思っていないかもしれないと言う。自分たちは美しいピンクの鳥と思っているかも知れない。
かねてから、動物も、植物もいろいろなことを考え感情もあるのではないかと密かに思っていた。なるほど細胞が違えば、感覚も異なるし、感覚を受け取る脳も細胞だから、それが全く人間と同じではないかも知れない。そう考えれば、人間の考えだけが正しいとは言い切れない。

カラスは人に嫌われるわりには、昔から童話や童謡に登場するし、絵にも描かれ親しまれてもいる。洋の東西を問わないから、何処でも人間の身近にいた鳥だからなのであろう。
烏合の衆、明烏、三羽烏、旅鴉、烏鷺、誰か烏の雌雄を知るや、など烏という文字が入った聞きなれた言葉も沢山ある。
また「烏有(うゆう)に帰す」の烏有は「いずくんぞ有らんや」と読み、無、何もないこと、であるのは黒い烏からイメージし何となく分かるようで面白い。しかし「烏滸がましい」の「烏滸」は、愚かなことという意味だが、何故烏なのだろうか。烏は利口な筈だが。

神話の八咫烏は神の使いで、日本サッカーチームのシンボルであることは誰でも知っているが、何故三本足なのか、そのわけを知っている人は少ない。烏は太陽神であり、陰陽道では奇数が陽という。三はたしかに奇数だが、それが三本足にする理由にならないのではないか。

歳時記では、「烏の巣」 が春、「烏の子 」が夏でカラス、烏、鴉そのものは季語になっていない。猫の仔や猫の恋(いずれも春)が季語で猫そのものが季語でないのと似ている。カラスもネコも季節に関係なく人間のそばにいるからであろうか。

たべ飽きてとんとん歩く鴉の子 高野素十
出来栄えを褒められてゐる鴉の巣 山田弘子

さて、童謡「七つの子」は、野口雨情作詞、本居長世作曲で大正10年1921年発表された。
有名な「七つは、七歳か、七つ子」かという論争は、他にも諸説があるが、今もって決着がついていないそうだ。
自分のことでいえば、何の疑問もなく七羽のからすの子と思っていた。烏は一度に、そんなに沢山抱卵しないなど考えもしなかった。7歳にもなった烏は可愛い時期をとうに過ぎているという感じである。しかし考えてみれば、作詞者は何故「からすの子」という題にせず「七つの子」としたのか不思議ではある。

烏 なぜ啼くの
烏は山に
可愛い七つの
子があるからよ
可愛 可愛と
烏は啼くの
可愛 可愛と
啼くんだよ
山の古巣へ
行つて見て御覧
丸い眼をした
いい子だよ

例によってとりとめのない烏談義だが、わが疎開地は江戸時代は烏山藩三万石、今の那須烏山市、出身高校は栃木県立烏山高校でカラスはおおいに親しいのである。烏というものに何故か惹かれるのは、そのせいでもないのだろうが。
わが故園の地に、特別沢山烏が棲息していた記憶はない。地名の由来は知らない。
東京世田谷にも千歳烏山なる地名があるが、わが故園とはまったく関わりはない。

へちま [自然]


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だいぶ前になるが、へちまの実が大きくなったので「たわし」を作ったことがある。化成品と違った肌触りが結構な代物である。ヘチマは英語で a dishcloth gourd; a sponge cucumber [gourd]というくらいだから英語圏でも同じことをしたのであろう。
へちまはインド原産。イギリスにも早くから渡ったのであろうと思われる。日本には江戸時代に渡来したといわれる。

たわしを作るには、水に浸し皮を腐らせてから種を取り出した。なかなか種が出ずに苦労したので自然界で、ヘチマはどうするのかと訝ったが、あるとき、近所の大きな桜の木に這い上がったへちまが、木のてっぺんに大きな実をつけ風に揺られていた。なるほど、あのまま熟れれば風に吹かれてブラブラ揺れて、尻から腐り種がぼろぼろ落ちるのだと分かった。

へちまは雌雄異花、自家和合性で同一株で受粉が可能であるから、一本だけ苗を買ってくれば良い。
たくさんあれば葉が大きいので、流行りのゴーヤーなどよりよほど日陰をつくってくれる。これは昨年両方植えたので実証済みである。昨年は何故か 、花は咲いたが実をつけなかった。
食べたことはないが、小さい実は食用になる。沖縄ではナーベーラーと呼ばれると聞く。これは果実の繊維を鍋洗い(なべあらい)に用いたことに由来するという。

また、茎の根元を切りびんなどで受けへちま水がとれ、薬用のほかに化粧水ともなる。しかし、これはへちまを一本まるまる使うことになるので、たくさん植えた時でないと無理だ。
このことは正岡子規の辞世3句であまりに有名である。
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
をとゝひのへちまの水も取らざりき

ともかく、へちまは優れものの有用植物なのである。

へちま本来の名前は、実から繊維(糸)が得られることからついた糸瓜(いとうり)で、これが後に「とうり」と訛った。「と」は「いろは歌」で「へ」と「ち」の間にあることから「へち間」の意で「へちま」と呼ばれるようになったという。
こういう江戸っ子?の言葉遊びはほかにも沢山ある。けっして嫌いではない。
いろはにほへどちりぬるを……か。なるほど。「と」でなく「ど」じゃないかなどとと言ってはいけない。 昔は濁点は表記しなかったのだろう。え?、濁点減価もへちまもありはしない。
どこまでがまじめで、まともなのか分からなくなってきたので、このへんで。

夜顔ー朝顔、昼顔、夕顔、月見草など [自然]

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門扉にぶら下げたポッドに春植えた夜顔(ヨルガオ)が、彼岸になってやっとひとつだけ花をつけた。酷暑で水が足りなかったのか育ちが悪く、途中でつけた花芽が落ちてしまい、たぶんもう咲かないだろうと諦めていたので何だか嬉しい。
かたや、一緒に植えた朝顔は、次々と毎朝咲いて一夏中楽しませてくれたのとは対照的だ。

ヨルガオ(夜顔)はヒルガオ科の植物の一種。学名Ipomoea alba。このヨルガオのことを「ユウガオ」という人もいて混乱するが、和名のユウガオ(学名Lagenaria siceraria )はウリ科の野菜(かんぴょうの原料となる)で全く別種である。
ユウガオの花はしわしわがあるが、今回咲いたヨルガオの花は同じ白色ながら絹の滑らかさで明らかに異なる。

アサガオ(朝顔、牽牛花、蕣、学名 Ipomoea nil 、英名morning glory)は、ヒルガオ科サツマイモ属の一年性植物で誰でも知っているが、このヨルガオ(夜顔)やヒルガオ(昼顔)の方はそうおなじみでもない。

ヒルガオ(昼顔、学名Calystegia japonica)は、ヒルガオ科の植物。アサガオとユウガオは、朝と夕に開花してしぼむが、こちらは昼になっても花がしぼまないのが特長。昼顔と名付けられた所以である。
よく道路脇のフェンスなどに咲いているのを見かけるが、アサガオやヨルガオと違って園芸店でもまず置いていない。どちらかといえば雑草扱い。やや不公平である。
海岸の砂地に美しく咲く浜昼顔というのもある。ハマヒルガオ(浜昼顔、学名Calystegia soldanella )はヒルガオ科ヒルガオ属の多年草。典型的な海浜植物である。「君の名は」の主題歌に登場する。
歌うのは織井茂子。1953年 作詞 菊田一夫 、作曲 古関裕而。

君の名はと たずねし人あり
その人の 名も知らず
今日砂山に ただ一人きて
浜昼顔に 聞いてみる

わが幼少の頃、田舎では夕顔といえばヨルガオのことでもなく、ウリ科の干瓢でもなく「月見草」のことだった。夕方黄色い花がたくさん咲いて、腹の太い蛾がホバリングしながら蜜を吸っていたのを想い出す。
この夕顔と呼んでいたツキミソウ(月見草、Oenothera tetraptera)は、アカバナ科マツヨイグサ属に属する多年草だというからややこしい。

マツヨイグサは「待宵草」だから竹久夢二(1884-1934)の「宵待草」(ヨイマチグサ)と同じものだろう。

待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな

太宰治の「富嶽百景」に書かれた月見草も、このマツヨイグサであったという。
「3778米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合ふ。」という文章は試験問題に出たりして有名だ。この中に出てくる金剛力草というのは、実際にそういう植物があるわけではない。太宰の造語で月見草が強い黄色い花だと言っているのだが、可憐なマツヨイグサをそういうのはちょっと無理があるように思うのは自分だけでは無いだろう。

元南海ホークス監督野村克也氏が、昭和50年(1975年)に史上初の通算2500本安打を達成した試合後のインタビューで「王、長嶋が太陽の下で咲くヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草」、「おれはしょせん月を仰いで咲く月見草」と僻んで言った。これはむつけき野村と可憐な月見草のギャップがウケたものだが、太宰の富士と月見草はあまり感心した「付き」とは言えないように思う。だからありもしない金剛草などを持ち出したのでは、と勘繰る。かといって富士と桜では、陳腐ではある。ほかに富士にふさわしい花がありそうな気がする。
野村元監督には、「俺の花だよ月見草」という演歌があって自らが歌う。

http://www.youtube.com/watch?v=2Rc7eOyI_d4

夕顔といえば、やはり源氏に触れないわけにはいかないだろう。
「源氏物語」五十四帖の巻の一つ。第4帖。帚木三帖の第3帖。夕顔は、「源氏物語」に登場する作中人物の女性である。「常夏(ナデシコの古名)の女」とも呼ばれるとか。
巻名及び人物名の由来は、いずれも本帖の中で詠まれた和歌による。
心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花
寄りてこそそれかとも見め黄昏れにほのぼの見つる花の夕顔ありと見し夕顔のうは露は黄昏時(たそがれどき)のそら目なりけり

なお、源氏には朝顔もある。
「源氏物語」第20帖。これも巻名は光源氏と朝顔の歌による。
見しおりのつゆわすられぬ朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらん

秋はてて露の籬(まがき)にむすぼほれあるかなきかにうつる朝顔

朝顔がムクゲ(槿)の古称でもあることから、まれに「槿(あさがお)」と表記されることがあるという。
朝顔はこの巻のヒロインともなっている作中人物。桃園式部卿宮の姫君。
一茶にこの朝顔の二首目を踏まえた句がある。
「源氏の題にて」として
夕がほや男結の垣にさく

ほかにも夕顔の良句がたくさんある。
夕顔に久し振なる月夜かな 一茶
風呂沸いて夕顔の闇さだまりぬ 中村汀女

俳句では夕顔がウリ科の一年生蔓草として夏の季語。夕顔の実は秋。干瓢のことである。
月見草、待宵草(まつよひぐさ)は、アカバナ科の二年草で、夏の夕方、葉腋に直径三〜四センチの白い四弁花を開き、翌朝しぼむと紅変する。
一般に黄色い花を開く待宵草、大待宵草を「月見草」と呼んでいると歳時記に解説が載っている。黄色でないマツヨイグサもあることが分かる。
開くとき蕋の淋しき月見草 高浜虚子

歳時記によれば「朝顔」(あさがお、蕣、牽牛花)は、熱帯アジア原産のヒルガオ科の一年生蔓草の花としてなぜかしら季は秋。それでいて東京入谷の鬼子母神境内で七月六日から八日まで開かれる「朝顔市」は夏。どういうことだろうか。「朝顔の実、種」はもちろん秋。
何と言っても千代女のー朝顔に釣瓶とられてもらひ水ーが名高いが、蕪村のこの句も好きだ。
朝がほや一輪深き淵のいろ 蕪村

「昼顔」はヒルガオ科の多年生蔓草のとして夏。浜昼顔も。
昼顔に電流かよひゐはせぬか 三橋鷹女
這ふものは強し砂丘の浜昼顔 鷹羽狩行

「夜顔」は歳時記にない。

さて、花と詩歌の話から一転して変わることになるが、かつて「昼顔」という映画があったのを思い出した。
「昼顔」(ひるがお)は、フランス語原題Belle de jour, 「日中の美女」の意味。カトリーヌドヌーヴ主演、1967年(昭和42年)のフランス・イタリア合作映画である。貞淑な上流階級の夫人が昼間に娼婦として働くという衝撃的テーマで評判となった。
ところが「夜顔」という映画もあると知ってびっくりした。
夜顔(よるがお)は、フランス語原題 Belle toujours, 「つねに美女」の意味。2007年(平成19年)公開のポルトガル・フランス合作映画である。ルイス・ブニュエル監督の「昼顔」の約40年ぶりの「続篇」ということであるが、マノエル・デ・オリヴェイラのオリジナルシナリオによる監督作品。いわば昼顔の40年後を描いたものか。「壮絶な老い」がテーマかと想像したりする。
いずれも見ていないが、何やら惹かれる映画2編ではある。

またまた、花から映画へと方向感なく彷徨ってしまった。











個体発生は系統発生を繰り返すか [自然]


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かつて学んだわが高校はのんびりした田舎の学校であった。部活は中学までやっていた野球をやめて空手部にした。神道自然流といった。何を考えていたやら。高校三年になり、受験を控え二年間でやめてしまい生兵法になってしまったが、とにかくのんびりしていた。

55年も前のことなのに、思い出す先生は何人かいられる。その一人が生物のT先生である。数少ない母校の卒業生だったように覚えている。授業のことはほとんど忘れているが、話されたことの二つが印象に残っている。
ひとつは「女?あれは人類ではない。」、もうひとつは「自然発生は系統発生を繰り返す。」というものである。
前者は生物学と関連してのことだったのでは無いだろう。奥さんとその日喧嘩でもされたのかもしれないと今になると微笑ましい気もする。

後者は、細胞分裂などの時間だったようにも思うが定かでは無い。
爾来、ながいことずっと気になっていた。もう7,8年ほど前になろうが、「免疫の意味論」などを書いた多田富雄の本や養老孟司氏の「都市主義の限界」など文章を読んでいて、この二つを同時期に思い出した。
もともと人類は女だけであったが、種の保存のために男が女から作られたという。無理やり作られたので完璧でない、男に色盲が多いのもそのせいだと。だから男は弱く、女は強いのだという。女は存在で男は現象(多田)であるとまで言われる。女は基本的に消耗品である男より強く優秀である、という我が持論にぴったり合っていた。
男は女より数段優れているのだというT先生のお考えは基本的に誤りである。それは、長い人類の歴史からみれば、ごく最近に社会的動物となった人間の浅知恵が作り出した幻想以外の何物でもないのだ。われわれは、女は手弱女、足弱などと大きな誤解をさせられ、男女平等、機会均等などたわけたことを言ってきた。あさはかである。

二つ目の「個体発生では、進化の変化過程を経る」という方は、1824年「セールの法則」、1866年「ヘッケルの反復説」が出ているそうで、T先生に教えて貰ったのが我が高校時代の1957,8年頃だからかなり、その時点でもすでに長いこと議論されていたことになる。ダーウィンの進化論とともに、この説は有名なので知っている人は多い。三省堂 大辞林にはこうある。

「人間の胎児は、魚類、両生類、爬虫類、原始哺乳類という進化の諸段階を繰り返すような発生プロセスをたどって成長している。」
科学者である多田富雄や養老孟司が「個体発生は系統発生を繰り返す」説を肯定しているのかその説をどう思っているのかは知らない。随筆のなかだったか、誰か(玄侑宗久?)との対談だったかで、三木成夫著「胎児の世界」(中公新書)を紹介し、著者三木成夫は「確信犯的だ」と言う言い方をしている。早速これを読んで見た。還暦をかなり過ぎた愚昧な老人を仰天させた。もちろん全てを理解出来たわけではないが、自分には少なからずショッキングな本であった。

 素人には難しいことはよくわからないが、この説「自然発生は系統発生を繰り返す。」が出てから2世紀以上もたっているのに、今なお、定説となっていないようだが、もし、繰り返すのならその理由が何かなど、なにやら人間の根源にかかわる神秘的なというか謎めいた議論のような気がする。
 
 のんびりしたわが高校のT先生のふたつのことばは、その後もいろいろなことを考えさせてくれた。温和な先生の顔を想い出して、田舎の町の郊外にあった校舎とわが若かりし時もともに懐かしく、何やらしみじみとほんわかする。


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多摩森林科学園の八重桜 [自然]

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今年は近所の桜しか見ていないので、体調不良ながら4月14日の日曜日に家人について高尾の多摩森林科学園へ八重桜を見に出かけた。科学園は森林、林業の研究試験や桜の遺伝子保存をしている農水省の森林総合研究所。
高尾駅から徒歩10分ほど。八王子市廿里町にある。廿里はトドリと読む。難読地名だが、武田軍ー北条軍の古戦場(1569年)としても有名だと初めて知った。
廿里は、十十里、十々里とも書き、京都から百里あるからとか由来の説がいくつかあるとか。
最初甘里(あまり)町と読み家人から字が違うと失笑され、じゃ二十里(にじゅうり)町だとして家に帰り、科学園のパンフの住所にフリガナを見つけやっと「トドリ町」にたどり着いたというていたらく。

とどのつまりのトドを連想するが、こちらのトドは鯔(ぼら)のことだそう。出世魚の最後がぼらだからという。鰤(ぶり)や鱸(すずき)も出世魚なのになぜ「ぼら」なのかは不明。また、鰭脚類のアシカの最大種トドとも関係ないようだ。

周知のように八重桜はさくらの突然変異種。江戸時代に大名屋敷などで育てられていたが、明治以降サムライとともに消え去るところを、埼玉県安行の植木屋さんたちの努力で生き残る。多摩森林科学園の桜の保存林も安行のものが多い。

ここの園の技術者が開発し、NHKの「八重の桜」に出演した綾瀬はるか嬢が命名したという新品種「はるか」は満開が4月6日、残念ながら丁度散ったところでお目にかかれなかった。

今年は桜が急いでいる感じがする。桜だけでなくほかの花たちも、それにつられたように急いでいる。
保存林は広い山、谷に伝統的な栽培品種と全国各地の名木桜のクローン1300本が植栽されている。今年は、4月中旬の今が御衣黄(ぎょいこう)、鬱金(うこん)、カンザン、普賢象(ふげんぞう)、白妙(しろたえ)などの八重桜が見ごろ。
家人の好きな一葉(イチヨウ)は、残念ながら見つからなかった。場内案内のスタッフにどこにイチヨウはありますかと尋ねたら「え?、すみません度忘れしました」との答え。こちらが?

昨年の春、このブログに鬱金桜と御衣黄のことを書いた。

http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2012-04-22

その時にもふれたが、この二種の桜は、白、ピンクの多い桜の中では珍しく黄緑色の八重桜である。しかし、この二つは似ているので、しろうとには殆ど見わけがつかない。
今回も注意して見たが、御衣黄は開花直前の花びらがかなり緑が濃い、ということだけ確認して終わった。

科学園の入園料は4月だけ400円で普段は300円。農水省森林総合研究所は独立行政法人になってケチなことをなさる。
花の時期は客が多く場内整理などに費用が嵩むから、集中化を平準化したいからというのだろうが園の都合ばかりで利用者は考慮の外。発想が変。課題は、森の科学館などオフにいかに利用者に来てもらうかだから、4月は300円そのままにし冬場を200円にすべし。
組織の合理化、効率化は利用者と働く者に皺を寄せて辛くあたるものと勘ぐりたくなる「事象」だ。自分は生来根性が曲っているのだろうか。それとも単なる老化現象か。

家を朝8時半ごろ出発して家に帰ったのは午後2時前。短時間の遊山なのに久しぶりの遠出でぐったり疲れ、風呂に入り昼寝。情け無いが優雅とは言えぬ花疲れ。遊びも体力がないとダメだとしみじみ思い知らされた。


清水山憩いの森のカタクリ [自然]


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東京23区では唯一の自生地が、練馬区の北部大泉町清水山憩いの森にあると家人が見つけてくれたので、4月2日出かけた。
家の近くから阿佐ヶ谷発のバスで西武池袋線石神井公園駅へ、そこで成増行きのバスに乗り換え土支田2丁目までおよそ30分ほど。土支田というのは、珍しい地名だが、土師器と関係する説もあって古い地名らしい。あたりは光が丘に近く、北隣は埼玉県和光市になる。

カタクリは、ユリ科カタクリ属に属する多年草。昔は球根の鱗茎からカタクリを採取したというが、今では片栗粉はじゃがいもなどの澱粉から作る。かつては日本各地で自生し、古語では「堅香子」と呼ばれていたとか。
学名はErythronium japonicum Decne 。「Japonー日本」とあるが、北東アジア(朝鮮半島、千島列島、サハリン、ロシア沿海州と日本)に分布する。なお、日本のカタクリは赤いのが特徴でカタクリ属のユリ科に属する。カタクリ属(Erythronium )には、ユーラシア大陸の大陸温帯域に4種、北米大陸に20種があり、中には黄色や白い花のカタクリもあるという。

英名は Dogtooth violet 。犬歯すみれとはたしかに似ているが、味気ないネーミングだ。あとでこの話を家人にしたら、蛍は、Firefly (火の蝿)あちらさんは虫、草などに日本人のように親密感を持たないのよ、とのこと。

早春に地上部に現われ、4-5週間という短期間で葉や茎は枯れてしまう。群落での開花期間は2週間程と短い。このため、ヨーロッパではニリンソウなど同様の植物とともに「スプリング・エフェメラル」(春の妖精もしくは春の儚い命)と呼ばれているとか。短命植物で春を告げる花でもある。それもあってか、花言葉は初恋。うん?、犬歯すみれの花言葉が初恋とはこれ如何に。

区のHPは、今年は咲き始めが3月17日、見ごろが3月30日から4月3日、花終わりが4月10日だったと報告している。私たちは見ごろ5日間の後半、まさに理想的なタイミングで訪ねたことになる。

今年の花見は4月1日が井の頭公園の桜、2日がカタクリの花となった。昨年は善福寺川公園の桜とカワセミだった。東京の生き物もがんばっている。

練馬区のHP
http://www.city.nerima.tokyo.jp/annai/fukei/ikoinomori/katakurizyouhou.html


芽出ール? はじめての接ぎ木 [自然]

昨年秋、学生時代のクラス会があり熊本のM君が園芸三昧と聞いたので、我が家のカボスの話をした。彼の話では、その枝に接ぎ木をすればみかんでもレモンでもなるという。
びっくりしたのでひとしきり話を聴くと面白そうである。やってみたいと言うとそれなら春に穂木を送ってやるという。

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すっかり忘れていたら、最適期という4月中旬(4月16日)ゆうパックで送られてきた。開けて見て驚いた。
接ぎ木の手順はもちろん、初心者のための注意事項も丁寧に書かれ、なんと台木、穂木のサンプルと台木選択のための見本まで付いている。サンプルを見れば、まさに百の説明文より台木の割り方、穂木の削り方が一見して良く判る。
穂木は、レモン、デコポン、ダイダイ、みかん、ザボン、ライム、パール柑、スイートスプリングの8種。名も知らぬ柑橘類もあり、複数のもあり全部で14本。
一本のカボスにこんなに継いで、木が傷まないか気になる。また、みんな活着して実をつけたらどうなるの、とも思うが全部が成功するとは思えないので余計な心配かとそこで思考停止。

頂いた穂木は、親切丁寧に、すべて乾燥しないように木工ボンドが塗布され、メデールが巻き付けられている。
このメデールというのが、雨をしのぐとともに継いだあと芽が突き破って出て来て、あとで取らなくても自然に溶けて消えるという優れもののビニールテープ、だということは同窓会の時の講釈で教えて貰い知っていたが、初めて見る 。
ホームセンターで購入しようと思っていたが、今回その必要なし。至れり尽くせりの接ぎ木キットである。これで失敗したら…と思うと緊張する。
継ぐまで間がある場合は、冷蔵庫の野菜室で保管すると良いという。また、実践前にネットで知識を得てイメージを作っておけとのこと、これらのご注意も有り難かった。ユーチューブで接ぎ木の動画がたくさんある。

さて、当日である(4月19日)。接ぎ木には枝接ぎ(高接ぎ)と腹接ぎと台木継があるが、枝接ぎはやはりどの枝が良いのか選ぶのが難しい。剪定したほうが良いと思う枝が、気楽だし適切という。腹接ぎも、どのあたりが良いのかが分からぬ。どちらも高いところは作業がしにくい。
そばに日陰で威勢の悪いキンカンがあったので同じ柑橘類だからと考え、台木としてダイダイを継いで見た。あとでM君に報告したら正解とのこと。
ナイフは専用のものが無いが、ネットではOLHAでも良いとあったので砥石で研いで使用した。
台木も穂木も削り方が重要だというのは、初心者にも容易に推察できる。
形成層が合わさることが何より基本だろう。あとは雨水が切り口に入らないようにしてやることだろうか。そのため木工ボンドを切り口に塗り、園芸テープでしっかり結わえる。

ともあれ、作業は午前中3時間くらいで終了した。あとは芽が出るのを待つばかりだ。
ネットでは10日ないし2週間と書いてあったので、一週間後と二週間経過したときに見たら二度とも全く変化がない。
M君に「芽デーズ」と、失敗したかも知れないとメールを打ったら、説明メモに書いたように1〜3月かかるからまだわからぬと返信があった。なるほど読み返して見るとそうあった。事前に良く読んでいない証拠である。間抜けとせっかちをわびたが、他にもポカがあるやもしれないと自信喪失、にわかに心配にもなって来た。

あとは芽のでることを祈りつつ、ひたすら待つしかない。しかし、楽しみが先に伸びて長くなったとも言える。
M君は接ぎ木の活用で、庭のデザインが豊かにできるという。バラは木香ばらに7種ぐらい、桜、梅、フジなどに数種の色違いを、花桃に実桃、イチジク、柿に数品種を接ぎ、色、香り、果実などを接ぐことで、数少ない植栽でも自在にいろいろと取り込めるのが利点という。いろんな応用ができるので、季節の移り変わりを楽しんでいるという。

「我が庭、農園は賑やかなものです」というM君の域には、到底及ばないものの、彼の愉しみを少し想像できたのが何より嬉しい。

成功すれば、柑橘類も早いものなら3年で実をつけるという。家人はそれまで元気でいられる?と怪しむが、山林の持ち主は年老い、いくつになっても、木を伐ったらあと苗木を植えるものさと心の中で呟いている。
実ナール?より、まずは芽デール?かどうか。ワクワク ドキドキである。



柑橘類の話( 1 ) 「芽出ーズ」はじめての接ぎ木 失敗す [自然]

昨年4月、熊本の友人M君がカボスに柑橘類を接ぎ木をしてみたらと、穂木を送ってくれたのではじめての接ぎ木に挑戦した。穂木はレモン、デコポン、ダイダイ、みかん、ザボン、ライム、パール柑、スイートスプリングの8種、14本。
すべて「メデール」という保護テープが穂木にしっかり巻かれていた。メデールは、ほどかなくても芽がテープを突き破って出てくるという優れもの。

このことはブログに詳しく書いた。

芽出ール? はじめての接ぎ木
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2015-05-14

懇切丁寧な図解入り手順図と注意事項に加えて台木、穂木の実物見本まで添えられた完璧なキットだったので、はじめての経験だったが、順調にカボスとキンカンに接ぎ木し終えることが出来た。1〜3ヶ月で活着するとのことなのでワクワクしながら待った。

さて、結果は見事に完敗。14本すべての穂木が枯れた。高枝つぎ、腹つぎ、キンカン台木つぎとも全滅。完敗だった。

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原因はもちろん当方の技術の拙劣にあることは確かだが、直接の原因はいまなお特定出来ていない。
一番考えられるのは、やはり台木と穂木の削り方のような気がする。つまり二つの形成層がぴたりとつかなかったからと推定している。
友人は穂木が乾燥気味だったのではと、当方を気づかってくれたが全ての穂木がそうであるはずはないので、多分それが原因ではあるまい。クール便で東京に着いて、すぐ冷蔵庫の野菜室に保管している。見た目も緑色が変わっていなかった。

失敗の本質は、自然の力は強いといういい加減な自分の思い込み、にあったような気がする。
M君は来春もリベンジをと言ってくれるが、失敗の原因が不明なので再び彼の手を煩わせるのは、さすがに考えこまざるをえない。

柑橘類の話(2) 熊本産みかん類到来す [自然]

暮れに熊本のM君が段ボールいっぱいのみかん類(果実)を送ってくれた。春の接ぎ木「芽出ーズ」の失敗を慰めてくれたのである。接ぎ木が成功すれば、数年後にこのようなりっぱな柑橘類が、たわわにわがカボスの枝になったのかと複雑な思いである。
買って入れてくれた晩白柚を除いて全てが、彼が自分の果樹園で丹精こめた作ったという多品種の柑橘類である。
ダイダイ、デコポン、ポンカン、パール柑、ライム、レモン、スイートスプリングなどまるで柑橘類の見本市、多彩である。小みかんというのもある。もちろん無農薬だが、市場のものに劣らず立派なものばかりだ。M君の高度な園芸技術の成果だ。

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暮れから正月、2月にかけて美味しくいただき堪能した。

我々がふだん食べるみかんは、周知のようにウンシュウミカン(温州蜜柑、学名:Citrus unshiu)である。ムクロジ目、ミカン科の常緑低木。りんごと並ぶ日本の代表果実。様々な栽培品種がある。
甘い柑橘ということから漢字では「蜜柑」と表記される。「ウンシュウ」は、柑橘の名産地であった中国浙江省の温州のことで、名はその地名に由来する。単に名産地にあやかって付けられたもの。紀州みかん、静岡みかんとおなじようなものか。子供の時は温州とは静岡のことと思っていた。
欧米では「Satsuma」「Mikan」などと呼ぶのが一般的である。 タンジェリン・マンダリンオレンジと近縁であり、そこから派生した栽培種である。手でむけて炬燵で食べられると人気のフルーツ。
Mandarinマンダリンは中国清朝の官吏のこと。彼らが身につけていた服の色によるもので、Tangerineはタンジール(Tangier)人、つまりモロッコ人のことである、と聞くと
にわかにミカン類がアフリカ、アジア大陸の人に愛されてきたことが身じかに感じられてくる。
自分は最初の赴任地が静岡で、新婚所帯も、第一子の誕生も彼の地だったので静岡みかんは懐かしい。

みかんはムクロジ目というので、ヘェと思って調べると、次のように書かれている。
ムクロジ(無患子、Sapindus mukorossi)はムクロジ科の落葉高木。西日本(本州中南部から南西諸島)から、台湾、中国南部、ヒマラヤ、インド北部まで自生し、栽培もされる。名前の由来は、読んで字のごとく、子どもが患わない病気をしないという意味という。ムクロジ科には、熱帯果物として人気のあるレイシ、ランブータン、リュウガンや日本でも観賞用に植えられるツル植物のフウセンカズラなどが属しているとあるが、みかんがこれに入るという記述は無かった。
ムクロジの熟した果実は、果皮がつやのある黄褐色の半透明になり、中に一個の黒い種子が入っている。たしかフウセンカズラも、黒い実がフウセンの中にコロコロ入っていた。
ムクロジの種子は堅く、よく弾むので羽子板の羽根の重りとして、あるいは数珠玉として使われると聞けばああ、あれかと思うがみかんとはおよそ結びつかぬ。植物分類というのは不思議なものではある。りんごがバラ目バラ科であるのといい勝負だ。

ミカンの分類を体系的に理解するのは、門外漢にはなかなか難しそう。
ついでながらミカン科植物、中でも柑橘属の分類研究の世界的権威としてウォルター・T・スウィングルと並び称される田中 長三郎(たなか ちょうざぶろう、1885ー1976 90歳没)という、日本の農学者がいる。この人の区に分ける分類(ミカン区、ザボン区など)が素人には少し分かり易い。

我々はふだん柑橘類という言葉を使う。柑橘系の香水とか、香酸柑橘といったぐあいだ。
柑橘類(かんきつるい)は、ミカン科ミカン亜科ミカン連(カンキツ連)の、ミカン属など数属の総称である。漢語ではなく日本での造語で、やまと言葉。ミカン(蜜柑)やタチバナ(橘)に代表される。

一般的とは言えないが、似たような幾つかの種をまとめた柑橘類の呼称にタンゴール (tangor) がある。主に「ミカン」(マンダリン、タンジェリン)と「オレンジ」の交雑種のことを指す。
語源はタンジェリンの英名tangerineとオレンジのorangeの「tang」と「or」を組み合わせた事に由来する。日本では「清見」、「せとか」などが代表的なタンゴールである。
また、「ミカン」と「ブンタン」 (pummelo) との交雑種は「タンゼロ」 (tangelo) という。
なお、ここでいうオレンジ(英名:orange、学名:Citrus sinensis)はみかん科ミカン属の常緑小高木で柑橘類に属する。和名はアマダイダイ(甘橙、甘代々)。このオレンジ類はスイートオレンジ、サワーオレンジ、マンダリンオレンジに大別される。

日本のタンゴールの代表選手、清見(きよみ)はミカン科ミカン属の常緑小高木で、柑橘類の一種である。温州ミカン(宮川早生)と外国産のトロビタオレンジを交配させたもので、日本で育成・公表された最初のタンゴールである。品種名の「清見」は、育成地(静岡市)の近くにある清見潟(きよみがた)・清見寺(せいけんじ)に由来する。清見ミカンはスーパーでもよく見るが、育種親としても有名である。

同じく、「せとか」は1984年タンゴールの「清見」と「アンコール」を掛け合せたものに「マーコット」を交配し、育成された品種である。高級懐石料理のデザートになる高価なもので自分は食べたことがない。

柑橘類の話( 3 ) 頂いた柑橘類を堪能す [自然]

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頂いたみかん類は暮れから正月、2月にかけて美味しく頂いた。また水彩画の画材にしたりたっぷりと楽しませて貰った。

晩白柚(ばんぺいゆ)は、柑橘類のひとつで、柑橘類で最大の果実。ザボンの一品種である。名前は、晩(晩生)・白(果肉が白っぽい)・柚(中国語で丸い柑橘という意味)に由来する。熊本の八代の名産。
ザボンはブンタン(文旦)のことで標準和名がザボン(朱欒、香欒)。
ボンタンとも呼ばれる。ブンタンは自然交雑により色々な品種を生み出しており、グレープフルーツ・ナツミカン・ハッサクなどはブンタンの血を引いている。砂糖漬け、ぶんたん飴の原料でもある。むかし「長崎のザボン売り」という戦後歌謡曲があったのを覚えている。調べると昭和23年小畑実(平壌出身、本名カン・ヨンチョル)とあった。
1か月はもつというので、2月上旬に剥いて食べたら果肉も甘くて美味しかった。ぶ厚い皮と白い綿は、3度湯がいて24時間寝かせてアクを抜き、砂糖漬けにした。白い綿の部分もシロップ漬けにしてライムを搾ってかけ食べるとすこぶる結構なデザートになった。
あまりに量が多いので、家人が晩白柚の果肉と上記のアクを抜いた皮を入れマーマレードを作った。パンにつけて食べている。

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ダイダイ(橙、学名:Citrus aurantium)は、ミカン科ミカン属の常緑樹、およびその果実。別名、ビターオレンジ。熟しても落ちず枝に栄えるとして古来縁起物として重用された。酸っぱいので生食に向かない。我が家では絞ってサラダドレッシングにした。鍋物のポン酢代わりにも。柑橘類の中ではかなり大きいほう。皮はいわゆるダイダイ色ながら頂いたものには緑が混じり独特な色合いである。正月に大きなダイダイを飾って眺めるのは
まことに良い風情であった。

ナツミカン(夏蜜柑、学名:Citrus natsudaidai)は、別名:ナツカン(夏柑)、ナツダイダイ(夏橙)。
カワノナツダイダイ(川野夏橙)は、1935年(昭和10年)大分県津久見市の果樹園で川野豊によって選抜・育成された、ナツミカンの枝変わり種である。甘夏橙、甘夏蜜柑(甘夏みかん)、甘夏柑、甘夏などとも呼ばれる。

シラヌヒ(不知火)は、「清見」と「ポンカン」の交配により作られた品種である。 日本における2010年の収穫量は42,440 トンであり、熊本、愛媛、和歌山、広島、佐賀の5県で全国の生産量の8割を占める。
シラヌヒの流通果実が「デコポン」。熊本県果実農業協同組合連合会が所有する登録商標である。静岡では「フジポン」、愛媛では「ヒメポン」、広島は「キヨポン」、徳島は「ポンダリン」などと呼ばれ、ブランド競争のていをなす。
頂いたデコポンは甘く剥きやすいうえ、上品な香りがする。家人がこれは美味しい!と言う。

ポンカン(椪柑、凸柑)は果重(1個の重さ)は120–150 グラムで、完熟すれば橙色となり独特の芳香を有する。外皮はむきやすく、果肉を包む内皮は柔らかいので袋のまま食べられる。果梗部にデコが現われやすい。12–2月にかけて収穫される。ポンカン」と「ネーブルオレンジ」との自然交配種に「タンカン」がある。「デコポン」の親でもある。
デコポンとポンカンの皮は、捨てずにオレンジピールにしておやつに食べている。ロールケーキに入れても美味しそう。


パール柑はグレープフルーツの親戚にあたり、文旦から生まれた柑橘類。品種名は大橘。
皮が黄色く表面が滑らか、大玉が多いことが特徴。熊本 天草のブランド。熊本県では「パール柑」だが、鹿児島県では「サワーポメロ」という名称が使われている。
果肉は淡黄白色で柔らかく、味は果糖の上品な甘みと爽やかな酸味があるが、グレープフルーツのような強い酸味ではない。

ライム (Lime) は、柑橘類の一種。樹木としてはインドからミャンマー、マレーシア一帯の熱帯地域を原産とする低木。ライムの果実はレモンに似ているが、レモンと比べると乳頭と呼ばれる先端の突起が小さく若干小振りである。レモンよりやや小さいタヒチライム、ペルシアライム(Citrus latifolia)と、さらに果実が一回り小さいメキシカンライム、キーライム(Citrus aurantiifolia)と大きく分けて2種類ある。レモンにない独特の苦味があり、香りもより強いたされる。
ジン・ライムに代表されるカクテルに使われる。働いていた頃、いっときパーティーでは、ジン・トニックばかり手にした。たいていライムの輪切りがグラスのふちに乗っている。
また、ライムはキャベツのザワークラウトにも、良く使われるという。

レモン(檸檬、学名: Citrus limon)は、柑橘類のひとつであり、なかでも主に酸味や香りを楽しむ、いわゆる香酸柑橘類の代表選手。よく知られているので説明不要。
アメリカ、チリからの輸入品が多いが、ポストハーベスト問題のない人気の国産レモンは広島、愛媛県が生産量1,2位、熊本は4位である。

イヨカン(伊予柑)は、柑橘類でタンゴールの一種。日本で生産される柑橘類では、温州ミカンに次ぐ生産量の果物である。日本の在来種で、主に愛媛県で生産されている。
明治時代には、紅みかん、穴門みかん(あなとみかん)と呼ばれていた。「伊予柑」の名称は、昭和5年に伊予国にちなんでつけられたが、もとは山口県の穴門(あなと)の産。
ミカンとオレンジの交雑種とされるが、正確な起源は不明である。最近の研究ではミカンとブンタンの交雑種と考えられている。つまりタンジェロ。

スイートスプリング(Sweet Spring)は、1947年に静岡果樹試験場興津支場(現:農研機構果樹研究所)において、「上田温州」に「ハッサク」を交配し、育成・選抜されたタンゼロ類で、1982年に品種登録され、市場に出回るようになった。

柑橘類の話(4 ) みかん類あれこれ思い出した [自然]


送って頂いたものではないが、このほか柑橘類といえば幾つかの思い出がある。ついでなのでそれぞれネットで検索してみた。

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ヒュウガナツ
柚子が突然変異したものと考えられており、 6月頃に成熟する果実は温州ミカンよりやや大きく、 表皮は黄色(薄い黄みどり)で厚さがあり、果肉は酸味があり甘さが控えめで独特の風味が強い。 どちらかというと、グレープフルーツやレモンの味に近い。 表皮は温州みかんと比べるとでこぼこが少なく、つるつるとしている。
なお他の柑橘類とは違い、果実の表皮における白い部分(内果皮、アルベド)もそのまま食べられるので、 皮の黄色い表面(外果皮)だけを薄く剥いで食べる。この白い部分はふかふかとした食感であり、苦みや渋みはない。高級料亭のデザートで出てくるほど上品なたたずまい。日向つまり宮崎で食べた。「冷やし汁」と共に忘れられぬ味わい。

グレープフルーツ
は、1750年代に西インド諸島のバルバドスで発見されたものが最初とされ、ブンタン(英名:pummelo、学名:Citrus grandis)とオレンジ(学名:Citrus sinensis)が自然に交配したものでブンタンの特徴を多く受け継いでいる。ぶどうのように鈴なりに実をつけることからついた名前であることはよく知られているが、なっているのを写真を含めて、見たことはない。ニューヨークで暮らしたことのある家人の友達が、ニューヨークから送ってきたとお福分けを下さった。その大きくて立派なこと、さすがアメリカと思ったことを覚えている。家人の良き親友は、残念ながら思い出の人になってしまった。

ブッシュカン
仏手柑は、「カボス」「ユズ」などと同じ香酸柑橘類の一種である。シトロンの変種。ブシュカンとも言う。生け花などでよく使われるが、水彩の画材で出て来て往生したことがある。
奇怪な形をしていて絵にならない。

マーコット
正確な起源は不明とされているが、アメリカで育成されたみかん類とオレンジ類の交雑種であるタンゴールの一種と言われている。名前は苗木商のマーコット・スミスに由来する。大きさは温州みかんぐらいで、果皮は赤みの強い黄橙色で薄いがやや固く少し剥きにくい。表面はなめらか。種がやや多いが果汁は多く、甘味が強く濃厚で食味の良い品種である。

アンコール
「キングマンダリン」と「地中海マンダリン」の交雑種で1954年(昭和29年)にカリフォルニアで生まれた。日本に導入したのは1969年(昭和44年)頃。果実は100~150gと小ぶりで、濃いオレンジ色の果肉は糖度が13~15度と高くコクがある。種がやや多めだが、果皮はむきやすく袋ごと食べられる。出荷は2~4月頃。ちなみに「アンコール」という名前は「一度食べるともう一度食べたくなるから」ということから付いたというが真偽のほどは知らない。主産地は愛媛県や大分県である。
昭和57年頃大分県で働いていた時、県南の津久見あたりでマーコットとともに一村一品の花形のひとつだったので食べる機会がしばしばあった。

ユズ
柚子は、香酸柑橘類の1つ。ホンユズとも呼ばれる。消費・生産ともに日本が最大である。
果実が小形で早熟性のハナユ(ハナユズ、一才ユズ)とは別種である。日本では両方をユズと言い、混同している場合が多い。
先日テレビの「キッチンが走る」に登場していた獅子柚(ししゆず)は 、大柚や鬼柚などとも呼ばれ大型の柚子と間違えられがちだが、分類上はザボンや文旦の仲間で別種である。大きいだけでなく異形。観賞用であろう。


カボス
臭橙、香母酢も、香酸柑橘類のひとつである。大分勤務経験があるのでこれには思い出もあり、思い入れも強い。大手町花の市で買った苗木を庭に植えたら大きく育った。このブログでも再三にわたり書いているので今回はパスする。

スダチ
酢橘、は徳島県原産の果物で、カボスやユコウと同じ香酸柑橘類。名称の由来は食酢として使っていたことにちなんで、「酢の橘」から酢橘(すたちばな)と名付けていたが、現代の一般的な呼称はスダチである。
カボス好きはこれに少なからず対抗意識があるが、世間ではすだちの方が上品とされ、知名度も高いのは確か。スーパーでもこちらが高価だ。高知のさわち料理でも添えられる。

キンカン(金柑)は、ミカン科キンカン属。別名キンキツ(金橘)ともいう。
果実は果皮ごとあるいは果皮だけ生食する。皮の中果皮、つまり柑橘類の皮の白い綿状の部分に相当する部分に苦味と共に甘味がある。果肉は酸味が強い。果皮のついたまま甘く煮て、砂糖漬け、蜂蜜漬け、甘露煮にする。甘く煮てから、砂糖に漬け、ドライフルーツにすることも。
蛇足ながら、蚊に刺された時に愛用しているキンカン。昭和30年代のCMは、果実の「キンカン」とは、関係ない。「金冠堂」のコマーシャル。

オリジナルは藤原洸作詞、服部 正作曲「キンカンのうた」
カンカン キンカン キンカンコン
カンカンかじやのおじいさん
かたこり いたみには 
キンカン塗って また塗って
げんきに陽きに キンコンカン
(最後にリフレイン)
ミカン キンカン サケノカン ヨメゴモタセニャハタラカン
1〜5番まである。

カラタチ(枳殻、枸橘)はミカン科カラタチ属。原産地は長江上流域。日本には8世紀頃には伝わっていたとされる。カラタチの名は唐橘(からたちばな)が詰まったもの。
鋭い棘 互生 生垣 利尿、去痰 生薬 薬用 ミカン、柚子などの台木
オレンジとカラタチの細胞融合による雑種に「オレタチ」がある。どんなものか見たことはない。

北原白秋作詞 山田耕作作曲「からたちは1925年。誰もが子供の頃歌った。
♪ からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
ちなみに、ご存知島倉千代子の「からたち日記」は1958年。昭和33年。

ハッサク(八朔、学名:Citrus hassaku)は日本原産のミカン。江戸時代末期、尾道市因島で発見された雑柑。旧暦八朔(8月1日)ころ食べられるとして名がつけられたという。独特の苦味とさっぱり感 が特徴だが、人気の柑橘類のひとつ。生産量は和歌山県がダントツ68%。

さて、こうしてみると柑橘類の品種の多いことにあらためて驚く。長きにわたって先人達が実生、接ぎ木を問わず自然交配、人工交配などによって新しい品種を創り出して来たことが実感として理解できた。
柑橘類にかぎらず、りんご、梨などほかの果実も同じように進化をとげてきたのであろうが、品種改良は年単位の仕事である。流れた長い時間をしみじみと尊いものと思う。

柑橘類の話(5) フラノクマリンとポストハーベスト [自然]

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柑橘類は、これまで見たようにバラエティに富んでいて味よし、栄養価高し、香りよし、見た目も美しく素晴らしい果物である。
常緑樹だから冬でも青々として、庭木としても人を楽しませる。東京でも夏みかん類が多いようだが、植栽されているのをよく見かける。

と、良いことずくめの柑橘類だが、以前から気になっていたことが二つある。
その一つはグレープフルーツと薬の飲み合わせである。

5〜6年前から、年相応に高血圧気味で降圧剤ノルバスク(ジェネリック名アムロジピン)の服用をはじめたが、この薬の注意点にグレープフルーツと同時に服むなとある。運転する時も控えた方が良いという注意点と並べて書いてある。
実際にグレープフルーツを食べてもジュースを服んでも、運転しても問題ないようだし、医者も特に何も言わないので、気になりつつも薬の服用を続けている。
降圧剤とは、人により合うものと合わないものがあることを服みはじめに痛感させられた。やっとこのノルバスクに落ち着いた経緯があるので、余り変えたくないこともある。

柑橘類のことをネットで検索していると、このグレープフルーツの薬との相互作用について時折出てくるので注意して読んでみるが、どの程度のものなのかもうひとつ分かりにくい。
グレープフルーツの果肉に含まれるフラノクマリン類(様々な植物によって産生される有機化合物の一種)が、様々な医薬品と相互作用があるという。
相互作用というのは「干渉し、意図しない効果を生み出すこと」であり、一緒に飲む薬と薬、薬と飲み物との関係で、薬が効かなかったり、逆に効きすぎて、身体に悪影響が出ることをいい、グレープフルーツについては、1990年頃に報告されたらしい。

特にカルシウム拮抗剤という系統の高血圧治療薬などでグレープフルーツの影響を強く受けるものがあるという。
その薬とは、高血圧・狭心症治療薬(カルシウム拮抗薬)、脂質異常治療薬、免疫制御薬、催眠鎮静薬、抗精神病薬など多岐にわたる。
 但し、カルシウム拮抗薬の中でも、アムロジピンベシル酸塩やジルチアゼム塩酸塩はグレープフルーツとの相互作用はないとされている。
副作用の種類は、突然死、腎不全、呼吸困難、胃腸の出血などの深刻なものとされていたり、過度の血圧低下、浮腫、頭痛といったものが列挙されていておだやかではない。

さらに、シクロスポリン(抗生物質のひとつ)、ベンゾジアゼピン系(デパス、ジアゼパム ・ホリゾンなど向精神薬)、風邪薬でも主作用、副作用ともに効果が効き過ぎることがあるという記述もある。

自分は20年以上ホリゾン2mg(ジェネリック名はジアゼパム)を服んでいるが、今までグレープフルーツの相互作用を感じたことはない。もともと副作用も少なく依存症にもならないと医者のすすめで服むようになったもので、くすりの注意事項にも記載がなかったように思う。

このフラノクマリン類はグレープフルーツ以外の柑橘類にも含まれる。含有量はグレープフルーツでは品種により、他の柑橘類ではその種類で異なる。温州みかんにはほとんど含有しないとされている。
果皮には果汁のさらに300倍ものフラノクマリンが含まれるとも書いてある。

フラノクマリン類が含まれるものには、グレープフルーツ、晩白柚、ぶんたん(ざぼん)、サワーオレンジ(ダイダイ)、夏みかん、金柑、八朔、タンジェリン(タンゼロン)、甘夏、ライム、レッドポメロ、サワーポメロ、パール柑、三宝柑。

ポンカン、伊予柑には入っていないとされるが含むと考えておくのが無難とも。

フラノクマリン類を含まない柑橘類は、バレンシアオレンジ、カボス、温州みかん、マンダリンオレンジ、デコポン、ネーブル、ゆず、せとか、スイートスプリング、日向夏。
レモンは果皮にのみ含むという。

柑橘類以外ではざくろ、ブラックマルベリー(桑の実)、山ぶどう、ブラックラズベリーにも入っている。なお、りんご、ぶどうには入っていないとある。

さて、二つ目はポストハーベスト問題である。
日本ではポストハーベスト農薬は禁止されているが、海外輸入の物には品質を維持するために農薬(殺菌剤)が使われていることが多いとされる。この農薬をポストハーベスト農薬という。日本では食品衛生法で食品添加物扱いとなる。
日本国内で流通するグレープフルーツ、レモンのほとんどは海外から輸入されたもので、7割近くを米国産が占めている。早くから発ガン物質を含むとして問題になり、消費者の国産果実への人気が高まっている。
果実のみならず海外輸入農産物は増加しているので、この問題が消えることはないが、ともすれば忘れがちであることも事実だ。
日本からの国産果実輸出も奨励され増加していることから、旬の味を維持保存する輸送保管技術が研究され脚光を浴びているが、ポストハーベストの方は、新鮮度を確保する事よりも優先されねばならない大事な問題である。

フラノクマリンにしろポスハーベスト問題にしても、よく理解出来ないことも多いが、直接身体にふりかかる問題である。とくに未来を担うこども、こどもを生み育てる母親などにとっては深刻かも知れぬ。

高齢で先もない老人だからなどと能天気なことを言っている場合でなく、もう少し勉強した方が良いのかも知れないと思う。

絵は柑橘類の習作。本文とは関係ない。
画家はりんごひとつでも数千回も練習する人がいるそうだが、なるほど果実は描いてみると難しいと思い知らされる。
(F6 on Waterford Watercolor and Pastel)

八国山緑地散歩 [自然]

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5月2日、新緑を見たくて初めて八国山緑地に出かけた。出かけたというより、前に行ったことがあるという家人に連れて行って貰ったという方が正確。体調もうひとつで今年は、桜も近所の桜だけしか見に行かずに終わった。春が急ぎ足で行ってしまう。
鷺ノ宮駅から東村山駅で乗り換え西武園駅まで30分ほど。八国山は競輪場のすぐ側にある。駅は競輪場へ行くおじさんが多く、GWなのに子ども連れ家族は少ない。
8時半ごろ出発して1時前には帰宅、お昼は家で食べる。最近は家で食べるのが一番いい。

八国山緑地(はちこくやまりょくち)は、東京都東村山市と埼玉県所沢市にまたがる緑地であり、都立公園となっている。宮崎駿の映画「となりのトトロ」のモデルになったともいわれる。
足弱ならずも老人には、丸太の椅子がありがたい。
東村山市にあり都立公園のくせに、なぜか所沢市管理という立て札が。合同管理か。

八国山緑地は、なだらかに広がる狭山丘陵の東端にある。面積36.7ha。
八国山の名は、山頂から、かつて上野、下野、常陸、安房、相模、駿河、信濃、甲斐が見渡せたことが名前の由来とされる。山というより丘のようなものだから、茨城なら筑波山、静岡は富士山、群馬の浅間山、栃木は男体山などが見えたということであろう。今は木が高く育ってほとんど眺望がきかない。
古戦場など史実、伝説の豊富な場所で将軍塚もある。将軍とは将門か義貞か定かでない。多分後者だろうが、疲れて見に行くのをやめた。
1333年 反鎌倉幕府の上野の国の御家人新田義貞が、小手指原の戦いで幕府軍を破りここ八国山に陣を張ったという。このあと鎌倉の東勝寺合戦をへて鎌倉幕府が滅亡、南北朝時代へ突入することになる。
東西1.9kmにつらなる都と埼玉県境の尾根道は、適度なアップダウンがあり、歩きやすく、くぬぎ、コナラ、リョウブ(リョウブ科落葉高木)やヤマザクラを見ながらのウオーキングを楽しめる。
今は、みずきが白い花をつけていて美しい。ホーホケキョを練習中の鶯や野鳥の啼く声も聞こえる。
尾根道から南側へ、幾本もの枝道があり、その途中静かな林内に設けられたほっこり広場は、楓やみずきなどの木に囲まれた草の原である。花と綿毛のタンポポやカラスノエンドウなどが目を楽しませてくれる。また、園内南のふたつ池周辺は、バードウオッチングのスポットになっているというが疲れてしまい、残念ながらここも行くのを諦めた。

八国は見えずみずきの花高し

亡き友の笑顔がつらし青楓 (杜 詩郎)

帰ってから俳句をと思ったが、なかなか句にならない。体調が優れないと下手な句さえ浮かばぬと体調のせいにする。寝床の中でひねり出したのが上の2句。我ながら駄句と思う。なお、亡き友とは家人と親しかった方で、この八国山にも何年か前に二人で来たと言う。

以下は、駄句を作るためにネットと歳時記で調べたことども。

ミズキ(水木、学名:Cornus controversa)はミズキ科ミズキ属の落葉高木。別名、クルマミズキ(車水木)。
花期は5-6月。新枝の先に多数の白色4弁の小白色花を散房花序につける。果実は核果、球形で紫黒色をしている。
和名は早春に芽をふく時、地中から多量の水を吸い上げることから。
歳時記では、季語 夏 。「枝は扇形に広がり、遠望すると雪をかぶったようである。幹に樹液が多く、材は下駄、箸、器具などに用いられる。春の「花水木」とは別。」とある。

例句 水木咲く高さ那須嶽噴く高さ  斎田鳳子

ヤハズエンドウ(矢筈豌豆、Vicia sativa subsp. nigra)はソラマメ属の越年草。ヤハズエンドウが植物学的局面では標準的に用いられる和名だが、カラスノエンドウ(烏野豌豆)という名が一般には定着している(「野豌豆」は中国での名称)。
歳時記をめくるも、季語になさそう。

楓は歳時記に「若楓」があった。若葉の楓の略。「青楓」とともに古歌に詠まれてきた伝統をもつ言葉で、独立した季語。夏。
例句 雨重き葉の重なりや若かへで  太祇

2年目、芽出ール! [自然]

カボスへ柑橘類を接ぎ木することに昨年惨敗して、原因が分からなかったのでもう今年はやめようと思っていたが、熊本市の友人M君から穂木が送られてきた。何と届いたのは、4月16日である。(昨年は4月14日だから2日だけ遅い)
熊本を襲った大地震が4月14日、M君はそれまで集めていた穂木を、地震の翌日の15日、混乱のさなかに郵便局へ出向き東京へ送ってくれたのである。
周知のように、2度目の震度7の強震が16日に発生、これが余震でなく本震と訂正されるという、これまでに経験したことが無いことが起きた。
あとで知らされたところによれば、中央区水前寺にあるM君の家は比較的被害軽微だったそうだが、大変だったことに変わりは無い。
幸い、ご一家は人身事故等なかったとのこと 不幸中の幸いというもの。
熊本、大分両県ではその後に続いた執拗な1500回を優にこえる余震をはじめとして、被害は眼を覆うばかり酸鼻を極めた。
熊本や阿蘇もそうだが、隣の湯布院を含め被害地は、現役時代大分、福岡で働いていた頃、しばしば訪ねたわが縁ある土地である。
テレビのニュースを見るたび、何とも言いよう無く辛い。ひたすらお見舞いを申し上げて、1日も早く復興し安寧の日々が戻ることを祈るばかりである。

とまれ、被災にもかかわらず連年で穂木、芽デール、テープまで一式を送ってくれたM君の好意を無にすることは出来ない。災難にめげない彼の親切に応えねばならぬ。
もはや原因が分からないなどと言ってはいられない。切り出しナイフだけ新調して4月20日(昨年は4月19日)に14、5本接ぎ木をした。しかし、正直なところ、やり方は昨年と同じなので全く自信がないと、完了後M君にメールで報告をする。
案の定1ヶ月ほどたつと、今年は昨年より早く穂木が茶色く変色し始める。やはり奇跡は起きなかったとM君に詫びた。

ところが、諦めきれず6月20日に見ると 一本だけだが、小さな芽が出ていた!


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蟻んこにふたばの一枚は食われているので育つかどうか不明だが、とにかく接ぎ木に成功したのである。穂木はレモン、デコポン、ダイダイ、みかん、ザボン、ライム、パール柑、スイートスプリングのうち何だったかを記録していなかった。残念。
大地震のさなかに熊本隈府からきた柑橘が、江戸東京で芽出たく発芽したのだ。感激せずにおられようか。まことに災害のさなかに不謹慎極まりないが。
さっそく写真をつけてM君に報告する。すぐ返事がきて朗報だと喜んでくれた。

メールのなかでM君は、常緑樹の高枝接ぎ木は難易度が高く、根元での割り接ぎ、また、バラや落葉樹などから勧めるべきところだったと反省している、とあくまで優しい。

熊本ではまだ身体に感じる震度2,1の余震が続いていて落ち着かないが、受け容れて生きていかねばともと書いている。

今朝熊本では、4月16日以来の震度5弱が起きたと報じられた。なんということか。梅雨に入り、九州を毎年のように襲う梅雨明けの豪雨も、また気がかりである。(28・6・13)

アカンサス [自然]


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近所の友達が自宅で転倒して怪我をした、と見舞いに行ってきた家人が戴いてしまったと、アカンサスの花を抱いて帰ってきた。まじまじと近くで見るのははじめてであるが、何となく魅力がある花である。

アカンサス(Acanthus、ハアザミ、葉薊)は広義にはキツネノマゴ科ハアザミ属(アカンサス属 Acanthus) の植物を総称していうが、普通は特に観賞用に栽培されるA. mollisを指す。その名前にはギリシア語で「トゲ」と言う意味があるとネットで知る。
葉は古代ギリシア以来、建築物や内装などの装飾のモチーフとされた。これは何かで聞いたことがある。ギリシア、シルクロード、中国そして日本へ伝わった葡萄からくさ紋様などと一緒に、頭の隅っこ奥にあった。

特にギリシア建築のオーダー(円柱と梁のかたち)の一種、コリント式オーダーはこのアカンサスの葉を意匠化した柱頭を特色としているという。ちなみにアカンサスは、ギリシアの国花である。
アカンサスをモチーフとした柄は絨毯にもしばしば用いられ、ビザンチンリーフとして知られる。
大型の常緑多年草で、地中海沿岸(北西アフリカ、ポルトガルからクロアチア)の原産。葉には深い切れ込みがあり、光沢があり、根元から叢生して長さ1m、幅20cmほどになる。日本の多くの花と異なり、葉も花もとにかく大ぶりである。
晩春から初夏に高さ2mほどの花茎を出し、緑またはやや紫がかったとがった苞葉とともに花をつける。花弁は筒状で、頂いた花の色は白だが、ほかに赤もあるという。乾燥にも日陰にもまた、寒気にも強い植物らしい。

かつてアーティチョークに惹かれて、これもネットなどで調べたことがある。大ぶりなのはアカンサスと共通している。

アーティチョークと野あざみ
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2012-07-04

アーティチョークはキク科チョウセンアザミ属。日本の野アザミに似た宿根草だが大型なのが対照的。和名はチョウセンアザミ(朝鮮薊)。アカンサスはキク科でなくキツネノマゴ科でハアザミ属。

なお、野あざみ(薊)は、キク科アザミ属 (Cirsium) だからアーティチョークと同じキク科ながら属が異なる。こちらは小さくていかにも可憐。アカンサス、アーティチョーク、野あざみは、それぞれどう違うのか詳らかでないが、近縁種なのであろう。それにしてはアカンサスだけは、薊のような王冠に似た花でないのが不思議。


暫くしてアカンサスの絵を描きたいものだと、家人に頼み庭に入れていただき写真を撮らせて貰った。なるほど強い植物のようで株も大きい。
ガッシュや透明水彩などで何枚か描いてみたが、なかなか手強い。もともと花も苦手だが、アカンサスはとくにダイナミックな葉が難しい。
透明水彩よりガッシュ、さらに油彩の方が合うのかもしれない。

家人の友人はその後だいぶ良くなったと聞いた。まずはめでたい。

蜜柑の接ぎ木 [自然]


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はじめての接ぎ木は二年前の春(27年4月)だった。一年目は、かぼすの台木に接ぎ木した柑橘類14本全部枯死して完敗したが、昨春二回目は28年4月20日に接ぎ木したところ、ついに二年目にしてやはり14本の穂木のうち1本から芽が出た(芽デール28.6.11)。そのことを興奮してこのブログに書いた。

2年目、芽デール!
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2016-06-13

その後他のもう一本の穂木から芽が出たが、夏を過ぎて秋頃までに残念ながら二本とも芽が枯れてしまった。
やはり我が素人技術では無理と思い知らされた。接ぎ木の初歩的な技術を教えてくれて、穂木を熊本から二年連続で送ってくれたM君にこれ以上迷惑はかけられない。
まして彼のところは28年4月の地震の激甚な被災を受け、かつての日常を取り戻すのに何かと落ち着かない状況下にある。

29年3月5日、メールで今年(三回目)はやめると申し出る。

事実上の敗北宣言をして1ヶ月あまり、29年4月17日、昨年発芽して枯れた穂木から新芽が出ているのを発見した。4月23日には蕾らしきものもついているのに気づく。5月3日にはそれが三つあり少し膨らんでいるのを確認した。

一昨、昨年と2回14、5本も接ぎ、殆ど失敗したと思ったが、昨年は芽が出て喜んだのもつかの間 、その芽は枯れたのに今年になって新しい芽が出たのはどういうことなのか。
それに何と花蕾までついていたのだ。
しかもこの穂木は地震のさなかに空輸されたものだ。復活、復興のシンボルのようなものではないか。これが感激せずにおられようか。

思わず昨年作った駄句に七七を付け足して腰折れを。花はまだ先である、無茶苦茶だ。
隈府より東都に飛びし蜜柑穂木 地震(なゐ)の翌年 芽吹き花咲く

接ぎ木も挿し木も自然の力を利用した伝統技術だろうが、不思議なものだ。成長した個体の一部だから移植されても、元の木の花芽をつける能力を持ちそのまま発揮する。実生なら花が咲くまで数年かかるのだが、一気に時間を速めるバイオテクノロジーである。

はじめての接ぎ木を体験して、結果がどうなっているかを見るのは楽しいものである。カボスの木に接いだデコポン、レモン、甘夏などがたわわに実るのをずっと夢見ていた二年間だった。農園で園芸を趣味に楽しんでいるM君の気持ちが、ほんの少しだが、分かったような気がする。

M君に報告したら、メールに添付した画像から推定すると、花が咲き実がなる可能性があると喜んでくれて、「①三つの花のうち一つは授粉用にして実が二つなったら一つを摘果し一つを残すか、②人工受粉もせずそのまま三つを大きくし後で二つを摘果する二方法がある」と教えてくれた。
三つとも大きくして食べるものとばかり思っていたのでびっくりした。あなたは欲張りだと家人から笑われる
人工授粉は難しそうなので後者②の方法を選択することにする。周りのかぼすの花が同時に咲いていれば、三つとも実がなる可能性はあるとM君のご託宣。幸いかぼすは、今年も今沢山の白い蕾をつけている。
取らぬみかんの皮算用である。

花芽が出た穂木が何か記録しておかなかったのが残念だが、それが分かるかも知れないという楽しみもある。
M君は、画像の花芽から推定して晩柑種だろうという。

ネットで晩柑種を調べると、文旦(ブンタン)の突然変異種に河内晩柑というのがある。
「大正時代に熊本県河内町で発見された柑橘で、ブンタン系の自然雑種。地域によって「美生柑(みしょうかん)」や「宇和ゴールド」、「ジューシーフルーツ」などと呼ばれることもある。果汁が豊富で果肉がやわらかく、さっぱりとした甘味がある。その外観から「和製グレープフルーツ」ともいわれるが、グレープフルーツのような苦みや酸味はない。サイズは250~450g程度で3月下旬~6月頃に出回る。」とあり何やら美味しそう。

このあと実がなり大きくなることを願うが、この二年の経験からみても、自然は何が起きるかわからない。まだまだ、接ぎ木の楽しみと心配の泣き笑いが続きそうである。


滑り莧(スベリヒユ) ワタシのことか ポーチュラカ [自然]


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春過ぎてパンジーなどが終わると、夏のプランターに植える草花の種類が少なくて、花屋さんの店頭でいつも悩む。
定番は日々草くらいであるが、今年はポーチュラカの苗を見つけた。時期が過ぎたのか6個300円。お買い得のこれが見事に赤と黄の花をつけてくれて夏中楽しめた。

ネットで調べると、ポーチュラカオレラセア(学名)はスベリヒユ科スベリヒユ属ポーチュラカ。
多肉質の葉と茎をもち、同属に松葉ボタンがあってたしかに雰囲気が似ている。
酸味があり、ぬめり(これが滑るもとになる)のある独特の食感を持つとある。東北では「ひょう」と呼び、茹でて芥子醤油で食べる山菜の一種、干して保存食にもされたという。
中国では生薬として解熱、解毒、虫毒利尿に効き目あるとされ馬歯莧、馬歯菜、五行草、酸莧、豬母菜、地馬菜、馬蛇子菜、長寿菜、老鼠耳、宝釧菜などと沢山の名前があるというから薬効顕著な漢方薬なのだろう。
トルコ、ギリシャ、沖縄などでは葉物野菜の不足する夏季に重宝されサラダに入れたりして食べるというが、リンゴ酸由来の苦味があるらしい。
食べられるとか薬草でもあるとかも知らなかった。ハナスベリヒユはこのスベリヒユの近縁種で「花滑り莧」(はなすべりひゆ)と書く。「莧」などという漢字は初めて見る。これも知らなかった。

スベリヒユの「スベリ」は茎や葉を茹でた際にぬめりが出ることや踏みつけると滑ることに由来し、「ヒユ」はヒヨコと同源の言葉で小さくて可愛らしいという意味らしい。
ポーチュラカという花名は、ラテン語の「porto(持ち運ぶ)」と「lac(乳)」が語源で、茎や葉を切ると乳状の液が出ることにちなんでいるという説や、ラテン語の「porta(ポータ・入口)」が語源で、実が熟すと蓋が取れて口が開くことに由来するという説があるが、自分には確かめる術はない。

暑さや乾燥に非常に強い植物で、地表を覆うように育つ。朝顔のように朝開いて夕方に一斉にしぼむいわゆる一日花。
今年の夏は雨の日が多く日照時間も極端に少なく異常気象が続く。もうこれ以上の変な天気は勘弁して欲しいと祈るのみである。
ポーチュラカの花が元気に咲いてくれて嬉しい。


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へびうり、柱サボテンなど ーびっくりご近所の庭木 [自然]

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近所を散歩していると、よその家ながらついつい庭木や花に目がいく。
日本は公園は少ないけれど、個人の家の庭は一つ一つは小さいが、集積するとかなりの面積になるのだと聞いたことがある。小さな庭を集積した大きな面積に、いかほどの意味があるのかよく分からないが。
庭のあるじはみなそれぞれ手をかけ楽しんでいる。一方自分を含めて道行く人、散歩をする人もまたその成果を楽しみ恩恵を受ける。
なんの変哲も無い平凡な花、百日草、ペチュニアなどを植えている家もある(我が家がまさにそうだ)が、一見して高価そうな鉢に植えた華麗な花木を、季節に応じて変えている家、一年かけて世話をして見事な花を咲かせる薔薇屋敷など様々である。

しかし中には庭の前の道を覆うほどの鬱金桜の見事な木があって、花の時期に見つけうわぁとびっくりすることもある。びっくりといっても他の人もびっくりするかどうかは知らない。人は皆違うことに驚くような気がするからである。自分でさえその時の気分のありようで、びっくりしたりしなかったりする。だから人によりびっくりするものが異なるのはなんの不思議もない。

びっくりした一例をあげると、蛇瓜。インド原産。カラスウリ科の蛇瓜(へびうり)。別名毛烏瓜とも。自転車に乗って走りながら、数本ぶら下がっているのを見たときは、えーっと驚いた。
英名は、Snake gourd 。れっきとした野菜であり、イタリヤ料理、カレー料理などにも使うとか。見たところあまり美味しそうではない。率直に言って気味が悪い。

最近では山法師。ヤマボウシ(山法師、山帽子、学名 Cornus kousa)はミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。これは、花水木のあとしばらくして咲くが、庭木として最近では特段珍しくはない。驚いたのは栽培種なのか亜種なのか、普通は木のてっぺんに花をつけるのだが、側面にびっしりと花をつけているのを見つけたときである。

また、近くの普段歩かない路地で見つけたサボテン。家の二階にまで届き、更に上に伸び続けている背の高いのを見つけたときは驚いた。壁に釘を打ち丈夫そうな紐でサボテンを家が抱え込んでいる。ネットで調べてみると柱サボテンというものらしい。正確かどうかは自信がないけれど、サボテン科 ケレウス属 の鬼面角というのに一番似ている。南米産で6-8月に花もつけるという。こんなに大きくなるんだと初めて知る。

近所の方が育てている鉈豆。刀豆(トウズ )ともいう。マメ亜科 ナタマメ属 で血行促進や免疫や力の向上に資するという。古くから良薬として珍重されたらしい。そういえば、新聞広告で何かに効くというサプリがこの写真入りで掲載されていたのを見た覚えがある。驚くのはそのさやの大きさである。たぶん中の豆もさぞかし大きいのだろう。食用にもなるが、食べたことはないので、味はどうか知らない。

話は逸れるが、青梅街道を車で走ると「びっくりドンキー」というハンバーグレストランがあって、壁や屋根にトタンなどを張り付けいかにも廃屋の雰囲気を出していた。中に入るとどんなびっくりが用意されているのかとずっと思っていたが、とうとう入る機会がなかった。
最近リフォームして小綺麗なデザインに変わってしまったのである。あの佇まいも味があったのにと残念がっている。たぶんびっくりは外装だけで普通のファミレスだったのであろう。

加齢とともにか引きこもりがちなこともあって、最近ここにあげた類のびっくりがとみに少なくなっているような気がする。

原発再稼働、政治混乱、自然災害、人災などにはびっくりさせられてばかりいるのに、片手落ちだ。
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今年のかぼす [自然]

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昨年のかぼすは、沢山なったが、今年は裏年というのか数が4、50個と少なかった。昨年は300個はなった。そのかわり、今年のはサイズが大きい。沢山なっても摘果すれば大玉になるのだろうか。

全部取り尽くしたと思ったら、黄色く色づくとよく見えるようになり、いくつか残っていた。青いうちは葉の陰にあって見つからず、人の眼というのはあてにならないものと知らされる。

かぼすは大分県の名産だが、大分では熟したものを「黄色いかぼす」と言ってバカにしていた。かぼすも四国のスダチ(酢橘)と同じく、ふぐ刺しなどにかけて、まだ青い未熟の香りを楽しむ。大きくなったものはジューシーだが、夏みかんより酸っぱくてそのままでは食用とならない。

絞って秋刀魚にかけるか、ポン酢などを作るときの酢の代用品にするしかない。

それにしても、我が家のかぼすの木は樹齢が40年以上になると思うと、ただただ、ときの流れを感じるのみだ。


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