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ファンカーゴ [車]

 愛車はトヨタのファンカーゴ。
 ヴィッツ兄弟のひとつで、後部座席を床に収納出来るのがウリ。東京では、大きな車はかえって不便なときがある。地方ではむしろ車は必需品で、しかも大きい方が良い。
 買って10年になるが、走行距離はたった2万キロちょっと。およそ1年間平均2、000キロメートルというのは極端に少ない方だろう。
 せいぜい1週間に一度20キロメートルほど走るだけだから、こんなものだ。目玉・ウリも一度も使ったことがない。  上手く使えば中で寝られるキャンピングカーにもなるというのだが。
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 わが、カーライフは貧弱なものであるが、車は無いと不便、とくに荷物を持っての移動は年寄りにはつらい。車の強みはたくさんあるが、大げさに言えば全天候型ということだろう。暑くても、寒くても、雨でも雪でも夜でも使えるという点である。維持費を考えれば、都度タクシー利用の方が経済的なのだろうが手放せない。

 高齢者にとってはとくに運転免許を更新すべきかどうかは、(マークをもみじにするかクローバーにするかはどうでもよいが)大問題である。

 話が飛ぶかも知れないが(実際飛んでいるのだが)、車というと、小さいときから考えていたことがある。
 近代の発明は、沸騰した蒸気を使う汽車にしろ、鳥の翼の揚力を使う飛行機にしても原理・手本が自然界にあるものだ。電気は雷だし。ところが、車は自然界に無い。
 強いていうなら、似たものとしては、丸い木の実や丸太(を輪切りにしたもの)くらいか。
 車は人間の作り出したかぎりなくオリジナルなものだ。一体だれが考えだしたのか。丸太のコロが発想の原点だろうか。あまり、不勉強にして、発明のそもそもを知らぬ。

 ところで、カーライフは楽しいものだが、しみじみした時間・生活を得るには、あくせくしがちなのでいっそ無い方が良いかも知れない。高齢者としては、便利さとこれとのはざまで揺れるのである。
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首都高速道路 [車]

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朝、テレビの首都高速道路情報を聞いていてふと思いだした。

むかしまだ現役の頃、新聞記者に車で追われたことがある。記者は目指す相手の自宅が不明のとき車で尾行し、相手が自宅に着いて降りたところで捕まえ取材するのだという。

仕事ではマスコミに対して、丁寧に説明することが基本であるが、同じことを何度も取材されこれ以上話すこともないうえ、たまたまその時の記者が現場感覚ゼロだったので、いいかげん真面目に対応するのにいや気がさしていた。家の近くでは、だいいち家族に迷惑もかけることにもなりかねない。

 車の運転手は、慣れたもので少しも慌てず「こういうときは高速道路に乗り、撒(ま)くのが一番ですよ」と言う。 近くのインターから首都高速に入り、後ろの車を時々確認しながら走る。頃合いを見て真っ直ぐ走るふりをし、記者の車とは別の後続車などが無く安全であることを確認しつつ、ふいと出口をでて一般道路に降りた。記者の車がしまったと思ったときは、直進してかなり走ってしまっている。引返すにも次のジャンクション、出口はかなり先にしかない。幸いにして、首都高速にはこれがやり易い出口や岐路がたくさんあるのだという。

 さすがプロ、走るスピード、尾行車との間合いの取り方など呆気にとられるほど上手な運転手であったが、めったに経験の出来ないスリルを味わった。
 一瞬といえ非日常的な出来ごとで面白かったが、理由不明ながら、なんとなく後味はあまり良くなかったことを覚えている。

 首都高速は若いときこそ自分でも走ったが、短いくせにトンネルあり、高架あり、何よりカーブがきつく、しかも多くて今はとても怖くて走る気もしない。家人も絶対駄目と言う。首都高速道路は、便利であるが、まるでブラックボックスみたいだ。

 ところで、街を歩いていて高架の下から高速道路を見上げると、平成7年7月、つまり阪神淡路大震災から6カ月ほど過ぎて大阪に赴任した時に、目の当たりにした復旧工事中の阪神高速道の橋げたを必ず思い出す。
青いシートに覆われた橋脚の壁には、まだコンクリートからむき出しになっている鉄骨がそこここに沢山見えていた。多くの橋脚は、いともかんたんにぐにゃりと折れて道路の片側は一般道路に崩れ落ちたという。

 高速道路の利便性に異をとなえるつもりはないが、必ず起きる自然災害は勿論怖いし、高架の下の陽の射さぬ暗い河を見るとそれと引き替えに失ったものも多いことを認めざるを得ない。
車、大深度地下鉄、新幹線、大型旅客機、客船など便利なものはみな同じことではあるのだが。

 しかも多くのリスクを孕んでいることを知りつつ、人はあくなき“より便利さ”を、眦を決して、追求しているのだ。
 人間の利便性を求める欲も、ゆったり生きたいという気持ちも両方とも欲には違いがないが、どこかに折り合える点というのはあるのだろうか。それともないのだろうか。

 わが生涯で、たった一度のアクション映画風の高速道路での車の追っかけっこを想い出していたら、それとは全く関係のない、なにやら人間の不可解(それは沢山あるのだが)な「さが」のひとつに、しみじみ思いを馳せる仕儀と合いなった。



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高齢者運転免許更新 [車]

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今年の2月15日、都公安委員会から運転免許更新のための講習のお知らせというはがきがきた。
 わが免許の期限は7月が誕生日だから8月である。昭和40年(1965年)に免許をとっている。間にペーパードライバーの期間があるとはいえ事故も幸いに起こしていないので、46年間の長期・優良免許保持者である。  今回の更新は、70歳超ということで事前の高齢者特別講習が必要なことは、人から聞いていたのでいやだなと思い、もうやめようかとも思ったが、まだ車が必要なこともあるので近所の自動車練習所に予約申し込みをした。
 60歳くらいまでは、誰でもそうだと思うが、自分の意識より身体の衰えが早くてなんとなく老いそのものの納得感に乏しいが、古希も過ぎるとなるとさすがに身体の衰えと老いの意識はパラレルになってそういった違和感が消える。どのくらい能力が落ちているのだろうかという興味もある。体調は良くないのだが、受講することにしたのだ。
 講習日は6月7日、朝8時50分からで講習料5800円である。当日の受講者は12人。6人ずつ二組に分かれ早速視力検査から始まる。強度の近視なので毎度この視力検査には泣かされる。あるときはあんたの眼はてんぷらだと検査官から嫌味をいわれたこともある。
 講習所でOKでも免許更新本番の際にもまた必要だという。そんな・・・とも思うがぐっと抑える。6人は当然のことながら4,5年の差はありそうだが同年代だ。なんとなく自然に親しみも湧いてくる感じ。
 続いてゲームセンターのゲーム機のようなもので運転適性検査や動体視力検査などをやらされる。
 結果は静止視力0.4 動体視力0.2 70~74歳としては5段階評価で2、「やや劣る」。若い人と比べると1。いささかショックではある。
 夜間視力は5段階評価1。視野測定ー右目視野角度54度、左目83度、両目角度137度。
 運転適性検査では複数の作業を同時に行う能力が反応の速さ3(4)、反応の正確さ4(4)、反応のむら5(5)、ハンドル操作3(3)。かっこのなかは30~50代の人との比較。
 あとでもらったコメントは、当然のことながら厳しい。
 曰く、あなたは考え事をしたり、注意散漫となったり、ぼんやり運転の傾向が認められます。前方の障害物に気が付きブレーキを踏むまでの時間が遅れることがあります。夕がたはとくに運転に気をつけるよう・・・etc。言われなくとも既に夜間の運転、高速道路の運転は余程のことのない限りしないように心がけている。
 総合コメントは、同年代との比較で平均的(普通)。総合評価3クラスという。若い人(30~50代)との比較では2。
 さて、最後は教習所の練習コースを使っての実車走行。講師と受講者2人が車に乗り講師が手本を示したあと、一人ずつ運転して見てもらう。コースはS字、クランク走行、車庫入れ、踏切、敷き石越えなど一通り5分くらいか。いつも乗っているファンカーゴより一回り大きい車でちょっと勝手がちがうので戸惑うがなんとかこなせてほっとする。
 あとで貰った運転行動診断票のコメントはなんと「運転は冷静で良いです」とは意外。
ペーパードライバーや運転に自信のない人は後部座席で見ていても良いのだと、これはあとから知った。武士の情けか。
 合間に休憩があるので時間的にも余裕十分あり、余り疲れもせず午前中で終了。教習所がわは講習者に随分気を使っている印象。
 終わって修了証が発行される待ち時間クラスメートに「どうせならここで免許更新もしてくれればいいのに」と言ったら、「まあこれで免許をくれて、75歳まで運転が出来ると思えば」との返事。なんでこんな面倒なことを始めて・・・こんなに丁寧な国は日本くらいだという声もあると聞いていたので、「そうだね」と言う答えを期待していたのだが、期待に反した。色々な考えの人がいるのだからしかたがない。事故を減らすためという大義名分のまえには、ぼやきにすぎないのだろう。
 この制度は最近高齢者の事故が多すぎるので平成21年6月の道路交通法の改正で導入されたとのことだが、これだけのことをするのに、免許保持者の負担はもちろんだが、警察、公安委員会や交通安全協会、講習指定教習所協会連合会などの労力とコストもたいへんなものに違いない。運転というのは、自己責任だということでは済まないことも十分理解出来るのだが、もう少し簡便にならないものだろうかというのが実感。

 1週間ほど過ぎて6月15日運転免許更新通知はがきが警視庁運転免許本部免許管理課
から来たので都庁の更新センターへ行き免許更新する。費用2550円と講習修了証の威力でいやな視力検査もスムーズにパス。目出度く75歳までの4年間の免許更新を澄ました。5年間でないところがニクイ。
 講習を受けるまでもなく、体力、知力、気力の衰えは十分思い知らされている。運転をするときは、これまで以上に気をつけようという思いを新たにする。

 次のときは、この講習に加えて認知症のテストもあるとのこと。この歳になると、先のことは考えないようにするのが賢明、といことくらいは分かるようになっている。


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認知機能検査 [車]

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2011年6月に高齢者運転免許更新のための講習を受けて、はや4年が経ってしまった。この時のことは、初体験だったので面白がってこのブログで書いた。

高齢者運転免許更新
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2011-12-27-3

今回は、2回目の高齢者免許更新 となる。前回なかった認知機能検査をする時がついに来た。
認知症かと疑うことが多い今日この頃なので、心配しながらも、何まだまだだと自分に言い聞かせつつ検査に臨む。検査は次の三つ。
①今日の日時を記入せよ。
②絵を見て、それを数分後に思い出せというもの。案の定16問中半分も思い出せず、うーんと唸る。
続いてヒントが出されるとまた幾つか思い出せたものの、二つだけはどうしても出てこなかった。
どういうことか、この二つは最後まで思い出せなかった。
③時計の絵を描き、言われた時刻の長短針を書き入れる。

①と③はさすがに間違わなかったと思う。76点以上が問題なし(第3分類)で、それをクリアしたものの自分は100点近くいけるだろうと想定していたので、やはりショック。

この検査は平成21年から導入されているが、逆走事故など頻発していることから、今回運用を厳しくするために制度が改正されたという。
第1分類(49点未満)は医師診断書提出が義務付けられる。第1分類は全国で5万数千人いるとか。第2(49点から76点未満)、3分類でも特定の違反をすると同じ扱いとなる。

ちなみに警視庁のホームページでは見つからなかったが、神奈川県警のHPには、検査の問題と採点基準の詳細が掲載されているのを後で知り、自分が受けた絵の検査がパターンC(パターンは4つある)であることが判った。
どうしても出てこなかったのは、どうやら大工道具のドライバーと野菜のとうもろこしだったらしいことが判明した。
機関銃や孔雀など変わった絵は頭に残るが、平凡なありふれたものを忘れてしまうようだ。
事前にこのHPを見ていれば、もっと成績が良かったかも知れないが、日頃の常態を反映しないことになろう。

免許取得は1965年だから50年を超え、今回の更新は3年間。いよいよ、世のため人のため免許返納の時が近づいて来ていると実感する。
一緒に受検したお一人は明らかに自分より年上と見たが、足が少し不自由のよう、年老いても車が手放せない理由はひとそれぞれだが、厄介な問題である。

絵は、検査と無関係ながら普段遊んで貰っている猫。F8 パステル 水彩 ワトソン

ふたたび認知機能検査 [車]

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早いもので免許更新から3年が経ってしまい、今年2月通知が来て認知症機能検査に行ってきた。75歳からは更新が3年ごとになり、認知症機能検査を受けなければならないので、2回目となる。
2回目ともなると慣れたもので、日頃の物忘れのひどさで心配したが、我ながら好成績でパス。
検査は16の絵を見てあとでいくつ思い出せるかというのが柱だが、この検査でも90点は超えたのではないかと思う。

ちなみに採点は、総合点をA1.15+B1.94+C2.97で計算する。Aは検査当日の日時を答えさせる問題の点数、Bが16の絵を思い出させるもの、Cは時計を書かせる問題である。Bで自分が正確にいくつ思い出せたのか不明だが、まあそこそこか。
総合点76点以上が記憶力、判断力に問題なし、49点未満はそれが低下しているので警察から連絡があると医師の診断を受けなければならない。
一緒に受検した隣の方はあまり絵を思い出せなかったようで苦労していた。あとで係の方から呼び出されていたが、どうなったか他人事ながら身につまされて心配である。
自分より2歳下の立派な紳士風だった。人みなそれぞれだが、単純に免許証を返上出来ない事情をもつひともいるのだ。

高齢者になっての免許更新(74歳までは講習のみで認知機能検査はない)は今回が3度目になる。
たぶんこれが最後になるだろうと思いつつ、高齢者運転講習を予約(6月11日)してとりあえず今日のところは無事終了した。

高齢者運転免許更新
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2011-12-27-3

認知機能検査
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2015-06-21
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廃車 わがカーライフの終わり [車]

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 入社して1年の本店研修期間を終えて、静岡市に転勤した。
 支店で更に1年間研修を受けて配属されたのが、割引債券のセールスだったので、すぐに自動車免許取得命令が下りた。
 強い弱視に加えて運動神経、反射神経、空間認識、流動視力、など運転に必要な能力が乏しいらしく、何度も県営の自動車試験場の実地試験に落ちた。半年かけてやっと昭和40年(1965)8月取得。25歳。その年の秋結婚した。
 しかし、当時の静岡支店では先輩の乗る車しかなく、暫く自転車で飛び込みセールスをした後、はじめに乗ったのが日野のコンテッサ。
 コンテッサはかなりのオンボロで運転中に橋の上で後のタイヤが車軸から外れた。ひとつ間違えば大事故になっただろうが、停車した後おもむろに外れたのが不幸中の幸いだったけれど、冷や汗ものである。今でも思い出す。
 その後が当時初の量産大衆車で人気車種のトヨタのパブリカだったが、乗った期間はごく短く新潟市への2回目の地方転勤になる。
 28歳。一人息子と3人の暖国から雪国への1月の異動、移住である。

 後で振り返ると、この時の自転車と自動車によるセールス経験は、自分にとっていろんな意味で大きな財産になったように思う。

 新潟では内務の仕事に変わり、東京に戻ってからも車に縁がなく運転することもなかった。
 42歳。大分に転勤になって勧められて中古の日産ローレル2000ccを買った。これを東京に戻っても大分ナンバーで乗っていたが、再び福岡に転勤になって1年1ヶ月乗った。49歳、平成元年東京に戻る時に福岡で廃車した。このローレルを通算7年余持っていたことになる。
 以来車を運転することがなかったが、第二の職場に移ってから、どうしても必要になりトヨタのファンカーゴ1500ccを買い求めた。61歳。

 今回、深刻な病いになってもう車には乗らないと決め廃車した。
 79歳。次の免許更新まであと2年ある(2021)が、時節柄自主返納することになるだろう。廃車の方がそれに先行することになった。
 ファンカーゴは通算18年。3万キロちょっとだから、いくらも乗っていない。遠出も軽井沢や伊豆など数回しかせず、都内で走っている分には走行距離は伸びない。
 これが我がカーライフである。ある取引先のカーキチが、自分の余生と後乗りたい車種とを重ねて思うと短いと嘆いているのを聞き、こういう好きものもいるのかと感心したことがあるが、それに比べたら凡そつまらぬマイカーライフではある。

 しかしながら、ぶつけて傷をつけたり、ヒヤリハットもあったが、ブレーキの踏み間違いなどもなく、さしたる大きな事故にも遭遇せず優良免許証のまま終わりそうなのは有り難いことだ。 
前記の如く、もとより運転の才能は乏しいという自覚は持っているとはいえ、事故に対する認識も甘いのに良くもまぁ、乗ってきたという思いもある。
 それを知っていたのは、いつも脇に乗ってくれた家人でこの10年ばかりは夕まずめ、夜間、風雨雪どき、高速道路は極力回避することを求められた。有り難かったことだ。

 カーライフから話は、少し逸れるが、通勤、営業などで運転して貰って車に乗った期間は、大分2年、福岡1年、大阪2年、東京5年で、通算10年に及ぶので運転手さんがいかに優秀か、自分より上手いかをいやでも見ることになった。
 運転技術のみならず、時間に遅れず、早すぎず間に合わせるという確固たる目的意識、想定外のことへの対応、冷静な周囲の車への目配り、同乗者への気配りなど、何時も感心させられた。運転してくれる人は、変わるが共通する何かがある。自分はどれだけ彼らから学べたかと思うと心許ない気がする。

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