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吉本隆明の猫随筆「フランシス子へ」など [本]

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吉本隆明は、1924年東京 月島生まれ 。 88歳 で2012年没 した。東工大卆 の詩人 、文芸批評家 、思想家。「戦後思想界の巨人」、「知の巨人」と評される。漫画家ハルノ宵子は長女、作家よしもとばなな(1964〜)は次女。
肝心の詩や思想にかかる著書は読んだことはないので、それらを語る資格はもとより無い。
随筆「老いの超え方(2006朝日新聞社)」、「よせやぃ(2007ウエイツ)」は読んだ。「老いの超え方」では、「老人というのは、もう人間ではなく超人間と考えるべし」という文章だけをなぜかしら覚えている。あとの一冊は何も記憶がない。

最近、「知の巨人」は無類の猫好きだったと知って、猫随筆を図書館で検索し借りてきて何冊か読んだ。自分も猫と暮らしているので、猫随筆はかなり読む方だが、吉本隆明の猫随筆は少し他と趣が異なる。まず惑溺ぶりがすごい。「猫化」している、とさえ思える。「知の巨人」との落差が大きいので、思わず頤が緩む。

まず「フランシス子へ」(吉本隆明 講談社 2013)。
フランちゃんことフランシス子は、吉本の愛人と言われていた(長女ハルノ宵子)雌の猫である。
その愛猫フランシス子が死んで9ヶ月後、2012年3月吉本が逝く。
この本には、老人の老猫への思いのたけが、めんめんと書かれている。
編集者はこの本を「女こどもの本」と言うが、生と死の狭間にあった吉本・シャーマンの言葉を綴ったもので軽い本ではないと、長女のハルノ宵子はあとがきで書いている。その通りだと思う。
親鸞上人や武田泰淳の話が出てくるからではなく、老人が老猫に話しかける言葉が、ある意味重いのだ。
一つだけ引用すれば十分であろう。
「フランシス子が死んだ。
一匹の猫とひとりの人間が死ぬこと。どうちがうかっていうと、あんまりあんまりちがわねいねえって感じがします。おんなじだなあって。
どっちも愛着した者の生と死ということに帰着してしまう。」

次は「なぜ、猫とつきあうのか」( 吉本隆明 河出書房新社1999)。
こちらは、吉本が比較的元氣な時のもの。猫随筆というより吉本へのインタビュー・猫編である。
「動物性という言い方をすると、人間はやっとこさ動物が持っている本能的習性みたいなものから脱却したばかりで、ー動物性の上に何かを意識的に築いてヒューマニズムみたいなところまで、やっとこさきたということになるんじゃないでしょうか。
動物性がまったくなくなるまで解脱したわけじゃないですから、ふとした瞬間に動物性が強大な現れ方をすればー弱者をますますたたきのめしたくなっちゃったとかーヒューマニズムの名のもとに人間を惨殺したりー今の人間の段階はそんなところだという言い方もできるんじゃないでしょうか。」

次女の作家、よしもと ばなな が「あとがきにかえて」で次のように言う。
「それにしても、この本の、なんとなく盛り上がらないというか、無理がある感じが、なんとも間が抜けていてよく、妙に味が出ていますね。作っている人たち(全員父を含む)の困った気持ちが伝わってくるようだ。
しかし、姉のイラストはさすがにうちの猫たちを的確に描いていて、今はもういない猫の懐かしさに涙が出た。写真よりよほど生々しい。」

確かに吉本が猫博士というくらいの漫画家の猫挿絵は素晴らしい。長女は晩年の思想家の良き世話係でもあった。

ついでに借りて読んだ本。
「開店休業」(吉本隆明 追想・画 ハルノ宵子 プレジデント社 2013)を読めば、それがよく分かる。

この本は、吉本隆明が料理雑誌 dancyu誌 に2007年1月から2011年2 月まで4年間書いた随筆である。本の題名は途中体調を崩して、一時中断したりしたところから付けられた。
吉本の文章に長女のハルノ宵子が追想コメントを付していて、一段と味を濃くし、深めている。
吉本はこの連載を終えて、ほぼ1年後の2012年3月に逝去している。

吉本(家)の食べ物の話ばかりだが、猫の缶詰めの話もある。また、食べ物の話だけでは、たねも尽きたか猫の文章もある。吉本が小さい時から猫と遊んでいた(逢いびきしていた、という)こと、猫族との同族体験を愉しんだことを懐かしみ、老人になってもなお猫と同化(!)して暮らしている様子がうかがえて、楽しい。(猫との日々)

本題の食べ物の話は、同じ老人には頷くところがあって面白いが、知の巨人なるが故か、理解に苦しむ話の展開もあって悩ましい。

「ときに私は、自分が脳で食べ物の味をわかるのではなく、目にする色調と舌触りで感じているいるような気がして、しきりにこだわっている。(野菜の品定め)」
これなら難しくはないが、次の歌の引用になると自分には理解し難い。

「食材の良否の体験は、経済や政治の問題になるが、味覚の問題は文化と文明の民族性、その固有さと普遍性の問題だと言えそうな気がする。
古歌にも「駒とめて 袖うち拂ふ かげもなし 佐野のわたりの雪のゆふぐれ」と、あるではないか。 (甘味の自叙伝)」

「おかしなことをやってばかりで、文句を言われぬよう、太宰治が鬱勃たる雄心の歌と呼んだことのある、吉井勇の歌を添えておく。

紅燈のちまたに往きてかへらざる ひとをまことのわれと思ふや
(老いてますます)」

さて、最後は、よしもと ばなな著「すばらしい日々」( 幻冬社 2013)。
作家が両親を相次いで失くして間もない頃の日常を綴った随筆。吉本隆明は、猫を可愛がるのは遺伝するのだと書いているが、娘一家は犬を飼っている。遺伝子は猫と犬を区別しないのであろう。この本には猫の話は全く出てこない。
父を失った娘の哀切の気持ちがひしひし伝わる。男の子とは随分と違うな、というのが読後感である。

これらの本を読むと吉本家の様子がだいぶ分かる。吉本ファンには興味が尽きないであろう。
しかし、ふと気になったのは余り表に出てこない吉本の妻、二人の姉妹の母の特異なキャラクターである。
食べることが嫌い、そのせいで料理を作ることは嫌いという女性。猫は嫌いではなかったのだろうか。インタビューしてみたい。
吉本は不平も言わず、著作の傍ら手料理で不味い焼きたまごなどを作っていたようだ。二人の姉妹が料理嫌いにならなくて、幸いであったというものだろう。


渡辺京二「逝きし世の面影」を読む [本]

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渡辺京二著「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー2005)。
この本をなぜ図書館の検索ネットで探して借りたのか、きっかけを今どうしても思い出せない。何かブログでも見たの本を読んだのでその関連だったか。認知症はこうして始まるというから心配である。

「逝きし世の面影」は当初1998年に発行された。知らなかったが、 いっとき話題になり、おおいに売れたという。
なるほど読んで見るとさもありなんと思う。
表題からして「逝きし世」といい、「面影」といい、抒情的で人の心を捉える。当初案の「われら失いし世界」、「失われた近代」ではこうはいくまい。
外国人の見た江戸時代の日本の印象が数多く引用されているが、好印象の話が読む者の耳に心地よい。多分多くの読者を惹きつけたのは、これであろう。むろん外国人の悪印象も綴られてはいるが、読む者の脳を素通りする。嫌なものは見たくないのだ。
日本もかつてはこんなに良い国だったのだ。それに引きかえ今のひどさよ、誰がこんな国のかたちにしたのか。石原慎太郎がこの本を評価した(解説 平川祐弘)というのも理解できるというもの。

自分が読んだのは、文庫版だが580ページもある。しかもページに びっしり文字が詰まっている。少しずつ読み進めたといえ、最後まで読み切るのに時間を要した。ふつうなら途中で投げ出すことうけあいの長さである。
著者は熊本在住の塾講師ということだが、この長い文章を読ませるだけの筆力を持っている作家と見た。

さて、自分は著者の言わんとすることは概ね共感しつつ読み終えた。特に文化や文明を外国人の眼を通して見る手法は、批判者もいるが評価する方に与する。気づいても、効果を疑い実行しない方法だろう。著者は、異国人が初めて日本の地を踏んで眼にした驚きの中に、日本の特異性を見つけ出そうとする。徹底してかつ、執拗に。成功したのは、結果的に時代そのものも一緒に描き出したからに違いない。
描き出された世は戻らない。逝ってしまったのだ。今の世にそのかけらでも残っていないかと、求めて見るのは詮無いことだ。阪神淡路や東日本大震災のときの日本人の態度の中に見つけ出すことが出来るかもしれないが、そんなことを考え、ノスタルジアに浸ろうとするのは自分の世代までで、若い人には遠い国のような話でしかないだろう。

むしろ、外人の見た日本人の悪い印象の方は、読者も読み捨て、著者もその意義を深く追求していないけれど、しぶとく今の世に生き残っているのではないか。彼らの指摘には的外れなこともあるが、真っ当なものもある。これを吟味した方が、これからの日本のために大事なことのような気がする。
附和雷同、長い物には巻かれろ、忠君愛国、外国崇拝といったどこの国でもあることだけでなく、無関心や人のせいにする無責任体質、事なかれ主義など。
尤もこちらの方は、あげつらって解明した本を書いても売れそうには無さそうだが。
しかし、昨今の情勢を見るに、こりゃいつか来た道だぞ、こういうのは古くからある特異性のなせるわざだ、と思わざるを得ないようなことが多過ぎるのだ。

なお、本題からは逸れるが、自分は外国人が描いた本書の挿絵も愉しんだ。仏人画家フェリクス・レガメ(1844-1907)、英人画家チャールズ・ワーグマン(1832-91)らの絵である。
英公使オールコックの随員記者として来日した画家のワーグマンはポンチ絵でも高名だが、五姓田義松、高橋由一が入門したことで知られる。小林清親も接触があったと伝えられる。
レガメは仏実業家ギメとともに、宗教調査の記録係として1876年(M9)来日した仏人画家である。
たまたまだが、レガメが描いた河鍋暁斎の絵(肖像画)を「芸術新潮」最近号で見つけた。
「逝きし世の面影」には、この河鍋暁斎が描いたワーグマンの絵が挿絵に載っている。明治初期のかれらの洋画、日本画(浮世絵)を通した交流が偲ばれる。
挿絵はモノクロなのが残念。「逝きし世の面影」の表紙絵(街を行く「ムスメ」、エドウィン・アーノルド 、英詩人で1889年来日)は彩色されたものだが、格段に訴える力が強い。
海外の人々は、これらの絵から日本の国の特異性を目にしてみな驚き、この国に興味を持ったに違いない。かたや、彼らの絵から日本人画家は多くのものを学んだであろう。

著者あとがきに紹介されている「江戸という幻景」(弦書房2004刊)も同じようなことが書かれていそうだが、ついでに読んでみようかという気になっている。

佐野洋子の随筆 「死ぬ気まんまん」など [本]


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佐野洋子の随筆は何冊か読んでいる。
「覚えていない」(新潮文庫 )「嘘ばっか」(マガジンハウス)「シズコさん」(新潮文庫)「問題があります」(筑摩書房)などなど。
最近(26.5.24)も「死ぬ気まんまん」(光文社)、「ほんとのこと言えば? 佐野洋子対談集」 (河出書房新社 )などを読んだ。愛読者というほどでは無いが、読むほうであろう。
本を読みながら、画家である著者の絵をいつも頭に浮かべる。文章家で絵の上手い人を敬愛する傾向のある自分の特徴かもしれないと思う。

佐野洋子は、1938年北京生まれ。自分より2歳上。自分と同時代を生きた女性ということになる。残念なことに2010年、72歳で亡くなった。画家であるが、絵本作家としても知られる。代表作は「100万回生きた猫」。
これを読んだことが無かったので、図書館で借りてきた。ついでに借りた随筆は、4冊。いずれも文庫版。「ふつうがえらい」(新潮社 )、「がんばりません」(新潮社)、「死ぬ気まんまん」(光文社)、「役にたたない日々」(朝日新聞出版)。2度目となる「死ぬ気まんまん」は、最近読んだのに忘れていてまた借りた、よくあることだがご愛敬、また読む。
「死ぬ気まんまん」は「役に立たない日々」とともに、がんになりあと2年の余命と宣告されてからのことなどを書いたものだが、これまでのものとやはりおもむきが違いモーレツというか強烈。これと比較すれば若い時のエッセイの力のあること、若いというのは凄いなと思う。
今回、詩人の谷川俊太郎と一時結婚生活(6年間とか)をしたことを知って驚いた。詩人など認めぬ現実家と思っていたのに。男女の仲だけは分からぬ。

彼女の随筆は、言いたいこと、書くことはストレート、女山本夏彦といったところ。本当の事が書かれているので、舌鋒にたじろぐことが多いが、時に男と違って女とはこういうものかと思わされることもある。
たとえば、女史の男の子に対する特別な思い、女の子はいないので自分の母の行動を思い出して女の子に対する母親の思いとの違いを吐露する。女親は男の子の方が断然可愛いのだと言う。
自分は女親と娘との関係は、息子は大人になっても母のところに寄りつかないが、娘は母と行動を共にするので、つながりは男の子より強いと思っていた。どうもそう単純なものでも無いのかと思い始めた。
世の中分からぬことが多いな、と彼女のエッセイを読みながら思う。彼女の言うことはたいていのことは、さもありなんと頷くことが多いのだが。

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彼女の亡くなったあと、発見された原稿をもとに「私の息子はサルだった」(新潮文庫2015)が刊行されたので、さっそく借りて読んだ。エッセイのような、童話のような不思議な本である。ご子息(絵本作家廣瀬 弦氏)の「あとがき(にかえて)」も同じくらい不思議なものだった。
母と子、父と子、母娘、父と娘もみなそれぞれの立場でお互い理解出来ることもあるが、 出来ないこともありその関係は多様かつ個性的で不思議、と言うしかないとしみじみ思う。

丸谷才一「持ち重りする薔薇の花」を読む [本]

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丸谷才一は気になる作家のひとりである。このブログで書くのは三回目になる。詩人大岡 信や歌人岡野弘彦らと巻いた歌仙集が最初で入り口であったが、彼の随筆をよく読む。ふだんから小説はあまり読まないが、「年の残り」、「裏声で歌へ君が代」なども読んでいる。(関連記事は末尾に記載)

先日、図書館の文庫本コーナーで「持ち重りする薔薇の花」(新潮文庫)を見つけたので借りて読んだ。この変わった題名の小説は、丸谷才一のものだということは知っていたが、どんな話かは知らなかった。「持ち重り」は、「持っているうちに次第に重く感じてくること」と辞書にある。
はやとちりであるが、題名が七・五で調子の良いことからして、丸谷才一の好きな連句の話か、あるいは「持ち重り」から連想して俳句の話かと思った。手にとってパラパラとめくって見ると、とんでもない見当違いであった。

「持ち重り」から、そんな俳句があったなと連想したので、家に帰って歳時記例句を探したところすぐ見つかった。iPadアプリはこんな時便利である。キーワードは、芒(すすき)。手にとったら意外に重かったといった句だったと頭の隅にあったのである。この句はひらがなだけで表記されていて、独特な雰囲気を出して印象に残る。

をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏

さて、「持ち重りする薔薇の花」は、中七、下五とすれば上の句に何でもつけられそう。

例えば、蛇笏の上掲句の本歌どりを気取って

剪りとりて持ち重りする薔薇の花。とか、

金婚や持ち重りする薔薇の花
と上五をつければわが今の心情を詠んだことになりはしないか。

尤も、俳句では薔薇の花とは言わないのではないか。薔薇は夏の季語だが、薔薇そのものが花だからばらといえば花を指すのは、「薔薇の芽」と言えば春の季語になることでも分かる。花は俳句ではさくらのこと。

余談はさておき、小説の話である。
「持ち重りする薔薇の花」は、連句や俳句からはおよそほど遠いクラシックの弦楽四重奏団、カルテットの話である。
丸谷才一は1925年生まれで 、惜しくも2012年87歳で亡くなったので、その前年86歳の頃に書き上げた最後の長編小説(2011.10刊行)という。
小説を書くというのは力仕事らしく、たいていは、壮年を過ぎると筆を折り、晩年には短編や随筆だけにする作家が多い。この小説は、2010年2月胆管癌を手術した後に、本格的に書き始めたというからすごい。最後に何を書きたかったのか、という意味でも興味も沸く。

薔薇の花束を四人で持つのはしんどい、持ちにくく面倒だぞ、厄介だぞ…と帯にある。
その薔薇の花束とは、カルテットである。四人というのは言わずと知れた第一、第二ヴァイオリン、チェロとヴィオラ奏者。四人は音楽家であるとともに、個性を持った社会的な人間だが、それ故にひとつにまとまって優れた音楽を作り出すというのは、難しいぞと言っているのだ。

さらに、カルテットを会社、あるいは社会に擬して演奏者を組織、社会における人間と見立てる。企業運営も音楽芸術も人の作り出すもの、その人は組織や社会の影響を受けざるを得ないのだという比喩というから、それこそ厄介である。

近代小説は社会性が欠如しているという作家の主張が小説のテーマだと、巻末の作者インタヴューや解説にある。丸谷は、一貫して私小説は日本特有のもので社会性が薄いと批判しているのだ。
それにしてもなんと迂遠な小説とテーマ設定の関係ではある。風が吹けば桶屋がではないけれど、連想から連想へまさに連句のおもかげ付け、匂い付けみたいな感じを受ける。
読み終わってふむそうかと感心させようという作家の魂胆が見えるが、解説を先に読んでしまえば、何ということもない。

小説のテーマは深遠だが、ストーリーの語り手、聞き手、4人の音楽家やその妻などの話にまつわる多彩な細部の記述にはいつもながら舌をまく。小説はテーマはもちろんのこととして、細部ディーティルも重要だというが、その多様で詳細な記述には驚かされる。丸谷の雑学を含めた豊富な知識をもとに、あたかも湧いて出るように次々と繰り出されるおもむき。

一例をあげれば、第一ヴァイオリンの妻は職業が投資銀行(インベストバンク)のバンカーで企業買収(M&A)の有能な担当者だが、自分がかつて銀行員で見聞きした経験や情報に照らしても、彼女の業務や報酬などが微に入り細にわたって書かれている。もっとも自分の知識もハイレベルではなく、余りあてにはならないけれど。

丸谷才一の随筆を読むと分かるが、その博覧強記は並のものではない。読むほうが疲れてしまいついていけないほどだ。

丸谷のいう社会性というのは、何か。小説の場合、登場する人物の生活、実社会、経済との関わりであろう。人間の内面だけ掘り下げたつもりでも駄目だということか。
近代社会批判もするというが、この本が上梓されたのは、3.11東日本大震災、原発事故の起きた年である。
勿論この小説はテーマが芸術を素材に語られているので、3.11が触れられていなくても全く不自然ではないが、作家は日本の政治、社会状況をどう捉えていたのかには興味がある。

蛇足。新潮文庫のカバーの絵は和田 誠。ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラの弦を途中で持ち上げ支える駒4つ。一番背が高いのがチェロ。あいかわらずおしゃれな絵である。

関連記事
「丸谷才一の随筆」
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2012-12-24

「歳末に丸谷才一「年の残り」を読む」
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2012-12-30

内田樹著「日本辺境論」を読む [本]

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内田樹(たつる)氏は1950年生まれ、神戸女学院教授、専門はフランス思想史という。殆ど著作を読んだことはないが、学者、学校の先生で武道をやると何かで知り、珍しい人だな興味は持っていた。

大先生と比較するのも烏滸がましいが、自分も受験などであっさり挫折したものの高一の時に空手部に入り、演武の稽古をちょこっとしたことがある。流派は神道自然流と記憶しているが、正確かどうか自信が無い。
自分の身体を鍛えれば、いじめなどから自分をまもれるのではないか、という短絡的動機だったと思う。強くなってというより抑止力がついてという軟弱な考えである。
武器なしで闘える身体を作ることができる、というのが最大の魅力だった。
やめてからも身体と心について考える時に、この経験がいつも頭に浮かんだことは確かでそれなりによい経験だったと思う。

さて、閑話休題。内田樹著「日本辺境論」(新潮社 2009)である。

著者はこの本に新味、新コンテンツは無いと最初に断っている。率直な物言いで好感が持てる。丸山眞男、沢庵禅師、養老孟司、岸田秀らのうけうりだと。先賢の書かれた日本論の「抜き書き帳」みたいなものだが、うけうりでも何度もやって確認すべきことというものはあるという。同意、賛成。
丸山、沢庵はそれぞれ難解と決めつけ読まないが、養老、岸田は一時期良く読んだこともこの辺境論を読む気になったし、良く読んだ司馬遼太郎も辺境好きだったこともある。

読んでみるとたしかに、多くの人が考えてきた「日本の特殊性がその辺境性にかなり拠ること」を的確に解説していると思う。
目新しいものは無いが、本当にそうだと合点するから、著者の執筆意図は充分伝わったと言ってよい。
中でも、日本語が表意文字と表音文字を併用する特異な言語 であることが日本の文化の特殊性を形作ってきたことの話。これからもきっとそうであり、何か新しい文化を創造するするかも知れない可能性への思いが膨らみ楽しかった。
グローバリゼーションとインターネットを考えると、ハイブリッド日本語がマンガ脳を生んだように、また新しいカルチャーが生まれて世界に届くようなことが現れないか期待してしまう。
ほかにも、いろいろ考えさせられ得るところが多く、人にも薦めたくなる好著だ。

が、アマチュアの老人には少し言い回しと用語を易しくして貰えると、もっとありがたいと思う。
理系の福岡伸一、柳澤桂子、多田富雄らはとっつきにくい話を易しく説明してくれる。
学校の先生の著書は、読者、生徒はこのくらいの語彙は知ってわが本を読めという感じがする。
読者は学生より一般人の方が多い。凡百の読者には、自分のようなボキャ貧の固陋な古老(孤老)も中にはいる。
特に外来語は文脈から想像してもわからんのがあって困る。漢訳が難しいのであれば、趣旨が大きく変わらない「言い換え」で良いのだが。

何度か辞書を引いた。不学の恥をしのびその一部を記す。
「コロキアル 」Colloquial 、口語の、日常会話の
「佯狂」ようきょう 、狂ったふりをする
「メタ・メッセージー」メッセージの読み方に指示を与えるメッセージ 例もしもし
「フラクタルのように」fractal 、不規則な断片のように
「圭角 」カド、角、トゲ 、キズ
「アモルファス」amorphous 、非定型の
「アマルガム 」amalgam 、水銀と他の金属との合金
「アポリア」aporia 、論理的な難点
「執拗低音」辞書では出てこない。Web検索して丸山眞男の表現だと知った。執拗低音とは「バッソ・オスティナート」という音楽用語の訳語だそうで、執拗に繰り返される低音の音型という意味という。丸山眞男を読まないとこの本も本当には理解出来ないと知る。
辞書を引くのは恥ずべきことではないが、こちらは恥ずかしい。音楽に詳しい人は苦手だが読まないといけないかなぁ。

蛇足をひとつ。
「関ヶ原の戦いでは 小早川秀秋は東軍が午後わずかに優勢に転じると徳川にねがえる。脇坂甚内ら周辺の西国大名は小早川の動きを見て、空気の変化を感じ取り、一斉に東軍に奔り、そのせいで石田三成は大敗したー現実主義者は既成事実しか見ない。これから起きることは現実に含まれない。」
この記述は、間違ってはいない。しかし、脇坂甚内安治もそうだが、当時の大名は戦の事前に「敵」、「味方」相互に対話、意思の確認をし合っていたことは、たとえそれが不完全な情報交換だったとはいえ、重要である。
そのことに一言触れて、「空気を読んだのだ」と記述しないと、誤解する人もいる。

この二つ程度なら著者の嫌う「おかどちがいの批判」にはならないだろうと思うのだが。
甘いか。

絵は本文とは関係ない猫の習作。紙はアルシュのAR5、描きなぐり。

追補 備忘ノート
1)この著書でも書かれているような東夷 、西戎、 南蛮 、北狄 とか、元、宋、明、清など中華の国名は一文字、ほかは渤海 、百済 、新羅 、任那 、日本 などは二字の国で臣下の国ということは知っていたが、子どもの頃から「日本」というのは東の果ての国と読んだことはなかった。
迂闊といえばそのとおりながら、日の本は中心と誤解しやすい。遣隋使の「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」の話もかんちがいの原因になっている。

かんちがいといえばもうひとつ。倭寇、倭人というように中国から見て日本は倭(一字の国)だと思っていた。そうではなく匈奴と同じように倭奴であろう。
福岡の志賀島で発見された金印も謎が多いものだが、「漢委奴国王印」は倭奴の国とも読めそうだが、倭にある奴の国という説がありよく分からぬ。

2)日本史については、高校の頃好きで真面目に勉強した科目のひとつだったと思う。例によって現代史までは至らず、幕末までほどで終わってしまった。多くの人が思うように何らかの空気、あるいは何か意図のようなものを感じて落ち着かぬ。
大学では1年生ときの教養科目だけ。先生は後に教科書検定違憲訴訟をおこす家永三郎教授であったが、情けないことに どんな講義だったかあのキンキン声だけしか覚えていない。先日古い成績表が出てきて見ると、成績は前・後期ともBであった。Dだと単位を貰えなかった。
3)内田氏の「非現実」を技巧した「現実主義」、「無知」を装った「狡知」というものがあり得る。それをこれほど無意識的に操作できる国民が日本人の他にいるでしょうか。
という文章がずっと頭から離れない。3.11の原発事故、安保法制、疾病利得、現実、現象の都合のいい言い換え…etc. などが次々頭をよぎって行く。「無意識的に(操作できる)」と言うのがポイント。

老いらくの恋(その五) ー寂聴「いよよ華やぐ」と岡本かの子「老妓抄」 [本]

岸恵子「わりなき恋」を読んだ勢いで瀬戸内寂聴「いよよ華やぐ 」 (2001新潮社)を読んだ。あまり小説を読まないのに、自分でもびっくり。
2005年頃、連句には、正月や慶事があった時などに詠む「三つもの」なるものがあると知り、初めていたずらに作ったとき、この「いよよ華やぐ」なる言葉を拝借したことがある。この小説を読んだことがあったかも知れぬと、読書メモを検索したが出てこなかった。しかし、どうも読んだことがあるような気もしてならぬ。2度読みでないとすれば、あのときこの句がどこで頭の中に入ったのか記憶がない。

平成十七年乙酉歳旦三つ物
発句 五十肩癒えて 弾き初めバイオリン
脇 いよよ華やぐ 老いの春なり
第三 挙式せん 山笑う頃穂高にて

発句・この頃家人がひどい五十肩になり、好きなバイオリンが弾けず 泣いていた。その平癒を言祝ぐ。脇・老いの春は晩春のつもり。第三・次男が奥穂高神社で結婚式を挙げた。二人は明神池で神主の漕ぐ舟に乗り、ハイカー達にも祝ってもらった年である。

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瀬戸内寂聴氏は1922年生まれだから、この小説は79歳のときの長編。幾らも年齢差のない今の自分の情況とくらべると、その華やぎぶりに驚嘆する。
ご本人はいま96歳。病と闘いながら安保法制反対の活動に参加していたのが、記憶に新しい。

「いよよ華やぐ」の主人公は、91歳の俳人で銀座にある小料理屋「なぎさ」の女将藤木阿紗女。31歳から70歳までの40年間貫いた恋の回想を中心におき、女友達着物研究家・浅井ゆき84歳 、スナックママ・杉本珠子72歳と阿紗女の娘薫ら熟女、嫗たちの愛と性を描く。その描き方はあからさまでさすがに多少うんざりする。当方が枯れてしまったからであろう。

良く知られたように、ヒロインのモデルは俳人鈴木真砂女(1906-2003 96歳没)。銀座で小料理屋「卯波」を経営、傍ら俳句を詠んだことで知られる。
店名は「あるときは船より高き卯浪かな」からという。

真砂女の恋は、7つ下の軍人との愛がその死(真砂女70歳)まで続いたのだから、後半は老いらくの恋とも言えるのだろうか。相手が妻子ある男、不倫ながら一途というところが人の心を捉えるのであろう。真砂女に「夏帯やー途といふは美しく」があり、自分の頭のどこかに入っていた。

真砂女は96歳まで生きて俳句を詠んだ。
代表句はいくつかあるが、なんといってもさきの恋を踏まえたであろう「羅や人悲します恋をして」である。
「羅や」で始まる句はほかにもある。よほど恋に付く季語なのか。
羅や細腰にして不逞なり
羅や鍋釜洗ふこと知らず
羅や恨み持たねば気も安し

永六輔や小沢昭一らの素人句会「東京やなぎ会」のひとり柳家小三治の句に「羅や真砂女のあとに真砂女なし」があるくらいだ。

羅(うすもの)とは、絽、紗、上布など薄織の絹布の着物(単衣)のこと。歳時記によれば「見た目に涼しく、二の腕のあたりが透けているのが心持よく、特に婦人がすらりと着こなして、薄い夏帯を締めた姿には艶(えん)な趣がある」。夏の季語。軽羅、薄衣とも。

真砂女には他の佳什もあって、句全体の切れの良さ、潔さを好む人は多い。
来てみれば花野の果ては海なりし
今生のいまが倖せ衣被
戒名は真砂女でよろし紫木蓮

さて、題名の「いよよ華やぐ」は、岡本かの子 「老妓抄 」(1938 中央公論)の最終章に出てくる作中人物の老妓、小そのこと平出園子が、作者に送つた短歌の中の一首からとっている。
年々にわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり

岡本かの子 (1889 - 1939 49歳没)は、大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。 本名カノ。漫画家岡本一平の妻、画家岡本太郎の母である。妻妾同居ならず夫燕同居?(こんな言葉は無い。わが造語である)までした奔放な妻として世に名高い。

「老妓抄」は青空文庫で読むことが出来る。短編小説でおよそ「いよよ華やぐ」と対照的に性愛を書き連ねず淡々としている。腥さがない。

「老妓抄」のテーマはこの一首に尽きるのであろう。老いの悲しみとそれにあらがうような恋心への戸惑いであろうか。これはこれで老いらくの恋に違いない。
それをよく表している文章を引用してみよう。
「彼女は柚木が逃げる度に、柚木に尊敬の念を持って来た。だがまた彼女は、柚木がもし帰って来なくなったらと想像すると、毎度のことながら取り返しのつかない気がするのである。」
老妓「小その」は息子ほどの年齢の電気技師(柚木)を飼って?いる。好きとか愛しているとかは一切言葉にもしない。しかし、老いゆくなかで素振りにも出さないけれど命が輝くように、老女はたしかに若者に恋をしている。
小そのが短歌の師に見てもらうために送った一首は、人の、女の業のようなものが詠われていて哀れも誘う。そして寂聴が書きたかったテーマと重なったのであろう。

寂聴もかの子も「老いの悲しみ」と「命の輝き」を書いているのだが、どちらにウエイトがかかっているのか、不明ながら微妙に違うような気もする。
それにしても、かの子は短編でしかも多くを描写せず、読み手にも想像させてテーマを表現していて達者である。かの子は49歳で亡くなっているが、この小説はその前年1938年に書かれた(青空文庫は1950 ・s25)が、死後に発表された他の多くの作品とともに高く評価されたという。

作者49歳では自らの経験でなく、おそらく聞いた話と自分の想像力で書いた一編である。
寂聴さんのように長生きしたら、どんな老いを書いただろうか。

もうひとつの感想。「いよよ華やぐ」は「人悲しませる恋をして」のように不倫の恋が多く語られる。「老妓抄」にはそれが無い。不倫はおろか、夫のいる家庭に情人を入れるという、常人には理解しがたい私生活をおくった作者にしては、どうしたことか。

寂聴に「かの子撩乱」という岡本かの子の評伝があるそうだが、いまのところ読む気が起きない。関係ないが、かの子の「金魚撩乱」は青空文庫で読んだがこれはこれで面白い短編であった。


「女はバカ、男はもっとバカ」 (藤田紘一郎 2015 三五館)を読む [本]



著者は1939生まれ。東京医科歯科大名誉教授で免疫や感染学の大家という。たしか会社のOB会の講師として招聘されていたので名前を知ったが、この時欠席して講演は聴きそびれた。お名前は「八紘一宇」からであろう。紀元二千六百年が1940年。

本のサブタイトルに「我ら人類、絶滅の途上にて」とある。これは異常気象や制御不能の事故原子炉、縮減出来ぬ核兵器、何より戦争をはじめとする愚かな人間のふるまいを見れば、実感することである。
生物の歴史は絶滅の繰り返しだという。恐竜、ドードー、アメリカ旅行バトや最近の絶滅危惧種の増加を知れば、これも頷けること。絶滅回避のキーワードはバカとおっしゃる。女はバカだが、オトコはもっとバカということは、男のバカさ加減が人類の滅亡を回避できるというのだろうか。どうも肝腎のこの辺になると論旨がよく分からない。当方に生物学、病理学の素養がないからであろう。
本旨とどう関わるのか不明ながら、「駆け引きはメスが上手 オスに勝ち目なし」とかいうあたりは共感を覚える。
もとより男は女が創り出したものであり、急ごしらえだから、あちこちに無理があるとされる。人間も女の方が優れていることは間違いない。この意味で言えば、本の表題は正しい。
人類は一夫一婦制 を選択することで非生産的なオス同士の争いから解放され進化してきたが、これも制度疲労が進んできているという。もっと自由な、そして多様な生き方が、絶滅回避のために必要と言われる。自由で多様な生き方とは何か。LGBTや不倫ではないと思うのだが、良く理解できない。

以下も本旨とどう関連するのか分からないが、いくつか個別には納得感がある。
ハイヒールの女性がなぜセクシーか。ロードシス体位といって尻を後ろに突き出し下部脊椎を弓なりにそらすことになる姿勢は、哺乳動物のメスがオスを誘う姿勢だそう。

男性が女性を理解出来ないわけは、男性ホルモン(テストステロン)はほぼ一定量を保ち分泌されるが、女性は女性ホルモンのエストロゲン、 卵胞(ホルモン)、プロゲステロン(黄体ホルモン)の分泌量によって心身の状態が変わる のだという。女心と秋の空の原因は、これらの分泌時期と量が不安定だから。自分も男の心理は他人であってもそう違わないと思うから理解できることが多いが、女性のそれは皆目分からないことばかりだ。
「男にとってはそれが謎めいて魅力的なことであり、しゃむにに追っかけるから種の保存に適っている」とは書いては無い。

生命の本質は子孫(遺伝子)を残すこと 。これは良く理解できる。
が、「この本質を追求するための手段として、芸術は理にかなった一つの表現方法となっている、生産的活力の高い者は創造的な能力も高い、よって芸術家はモテる」という論理は、実態はそうかも知れぬが、 あまりロジカルではないような気がする。
自分がそうでないから、よく分かるというものだが、男がモテるのはハンサムな顔とお金である。それが女性の脳の回路にどう作用するのか説明してほしいものだ。

もう20年近くも前にもなるが、一時期竹内久美子女史の著書を面白がって読んだことがある。竹内 久美子 (1956 - )はエッセイスト、京大日高敏隆教室で学んだ動物行動学研究家。
「浮気人類進化論」(1988)1998文春文庫がなぜか本棚にあったので再読した。中味はすっかり忘れている。もとより藤田氏の著書と関連はあるとは思わなかったが、何となく共通点がありはしないかとふと思ったのである。やはり基本的には共通点はなかったようだ。
こちらは全体に歯切れが良いのが特徴。学者としてどうかと思うかというほど、ユニークな説を断じて憚らないからであろう。
実際に生物学者の伊藤嘉昭(1930-2015)らは、女史の一連の著作は理論の濫用だとして批判 したという。「トンデモ本」ともいうらしいが、初めて聞く。やや不寛容過ぎるという気もするが、そうだと言い切るほどの見識も持ちあわせない。

学者や医者の啓蒙書は、読んで面白いものが多い。多田富雄、棚橋桂子、福岡伸一、日高敏隆、中井久夫、養老孟司などなど。蒙度?の高い自分などは、読んでいて啓かれっぱなし。驚愕し学ぶことばかりで、理論の濫用かなどとは夢にも考えず感心しつつ愉しんできた。

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絵は最近習い始めた不透明水彩(ガッシュ)。
「帽子を持つ婦人像 」F6 ストラスモア
本文とは関係ない。

新田次郎・藤原正彦著「孤愁 サウダーデ」 を読む [本]


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「孤愁 サウダーデ」(文藝春秋 2010)は 新田次郎 (1912-1980 67歳没)の死去により未完となった小説を、30年後に息子の藤原正彦(1943~ お茶の水女子大名誉教授 数学者)が書き継いで完成させた。
ほかにも小説の合作というのがあるものやら、不学にして知らない。かりにあったにしても、親子というのは珍しいのではないか。
森鴎外と於菟、露伴と文(あや)など親が小説家で子が随筆家というのは多いが、親子とも小説家というのはいられるのだろうか。
親子作家といえばアレクサンドル・デュマなどがすぐに頭に浮かぶ。「モンテクリスト伯」のペール(大デュマ)と「椿姫」を書いたフィス(小デュマ)であるが、小デュマは脚本家だったという。
親子で画家、音楽家であったりするのは、環境やDNAを考えれば自然であってそう珍しくはないけれど、コラボしたとか共同で作品をものしたというのは、あまりないとみえて聞いたことがない。

藤原親子の例は珍しかったし、引き継いだ子が作家でなく数学者だったから、自分は知らなかったが、刊行されたときは話題になったようだ。
正彦の母、つまり新田次郎の妻藤原てい(1918ー2016 98歳没)には、(自分は読んでいないが)「流れる星は生きている 」の著書がある。
新田次郎は気象庁の気象学者だったが、妻の小説が売れるのを見たことが小説を書く動機の一つだったらしいから、まあ変わった家族ではある。

藤原正彦は「国家の品格」、「管見妄語」など随筆家としても知られる。「管見妄語」は週刊新潮連載のコラムを単行本化したもので何冊か読んだことがある。自分は、たしか近刊の「出来すぎた話」を読んで知り、この本(「孤愁」)を読む気になった。

さて、その「孤愁」は、ポルトガルの軍人、外交官で文筆家だったヴェンセスラオ・デ・モラエス(1854-1829 75歳沒)の評伝である。
モラエスは、明治後期に来日し神戸でポルトガル領事をつとめた。、日本の自然、文化、女性を愛し、その日記や日本を題材にした著作で、日本の素晴しさ、日本人の美徳を世界に知らしめた。
リタイア後、神戸から徳島に移住し、亡くなった日本人妻の墓守のように暮らしその地で没した。
文学者でもありあまり知られていないが、「もう一人の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)」といわれている。
題名の「孤愁 サウダーデ」とは、「愛するものの不在により引き起こされる胸の疼くような思いや懐かしさ」のことという。
ポルトガル人が特に強く持つ心情とされるが、ロシア人など他の民族も持ついわば万国共通の一般的なヒトの感情であろう。似たものにはメランコリー 、無常感 、憂愁 、悲愁 、哀愁 、憂鬱 などがあるが、郷愁とともに語られるところが特徴的と言えるか。

「孤愁」は、文藝春秋の単行本では、630ページ。422ページまでが新田次郎の書いた部分だから、藤原正彦は後半三分の一を書いたことになる。

読む前から当然文体の違いからくる不自然はないか、書こうとしたことが変わってしまってはいないかなど気になったが、小説技法など知らぬ自分にはあれこれ言う資格はない。
長い時間をかけて父と同じ取材をして資料を集めて書いた、と言うだけに読んでいてそれなりに面白い。
藤原執筆部分は、今の日本人が忘れている日本の良さ、日本人の美徳に触れた箇所が随所に出てくる。「国家の品格」の著者である、藤原の個性が色濃くなっているのは何やら微笑ましい。

父新田次郎が心筋梗塞で倒れたとき、藤原正彦は36歳の数学者で、新婚ホヤホヤだった。父の無念を思い、引き継いで書くと宣言したものの直ぐには書けなかったという。その後30年間、資料を集め続け、ようやく、新田次郎がこの「孤愁」を書き始めた年と同じ67歳で、物語の続きを書き始めることができたと述懐している。
とくに後半は主人公の晩年を書くことになるので、36歳では難しかったろう。若者が「死にゆく者の孤独」を描くだけでも、それなりに想像力が求められる。まして67歳の父が何を書こうとしたか、テーマに迫りながら文体も近いものにするのは至難だったに違いない。

あとがきで藤原は次のように書いている。
「確かに難しい仕事だった。当初の父の書いたであろうようにというのは早々に諦めざるを得なかった。どうしても別個の人格が出てきてしまうのである。父が全力で書き、そのバトンを受けた私が全力で書く、という作品となった。

さらに藤原は「父の無念をやっと晴らした 」という想い、「父の珠玉の作品を凡庸な筆で汚したかもしれない」という危惧を持ちつつも、「一つだけ確かなことは、父との約束を三十二年間かけて果たした安堵感である。」とあとがきを結んでいる。

家族から離れ異郷に単身骨を埋めた主人公の「孤愁」と藤原一家の家族の結びつきの強さが、読み終えて対照的につよく心に残った。
この読後感は、藤原の父への強い思慕、母ていの三人の子を引き連れての引き揚げ潭、「管見妄語」に記された正彦家の家庭の話などに影響された自分だけのもので、きっと正しい読み方、良い読み手ではないような気がする。

なお、自分は新田次郎の小説を読んでいない。似たタイプの吉村昭、城山三郎などは何冊か読んでいるのだが。作品一覧をみてもあまり読みたい本がなさそうだ。「孤高の人(1969)」、「剣岳 ;点の記(1977)」といったところか。


村上春樹を読む(その1)・「1Q84」など(上) [本]

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この頃、がらにもなく村上春樹の著書を読んでいる。
図書館では読みたい本だけ探していると、どうしても偏るせいで借りたい本が少なくなる。興味が薄くても読めば何かしら面白い発見もあるわよ、という家人の言に従って見た。
偏見だと非難されそうだが、一般的に言えば、村上春樹の小説は若い人向けであって、高齢の老人はあまり読まないのではないかという気がする。
しかし、年齢を問わずハルキストと称する人もいるくらいで、誰もが認めるように熱烈なファンが多い。海外向けにも数多く翻訳され、毎年のようにノーベル文学賞候補と騒がれるのは周知のとおりである。
村上春樹は1949年生まれだから、68歳。少年の成長譚、自分探し、ビール、タバコ、ジャズ、セックスなどのイメージが強い作家も今や前期高齢者に仲間入りしている。

村上春樹著「1Q84」は、たまたま「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(2013文藝春秋)を図書館で手にして読んで見ようかと借りた時、側にBOOK1があったので一緒に借りて読んだ。
思い出したが、「ノルウェイーの森」(1987 講談社)を、通勤電車の中で読もうと文庫本を(上)だけ買った。が、読んだ覚えがなく、あるいは読んで忘れたのか、本棚に置いたままだった。
そのころ、さかんに読んだ安部公房の方が印象が強い。なぜかしら自分の中では村上春樹は奇天烈なことばかり書く安倍公房と一緒にくくられているが、実際には若い頃も読んでいなかったのである。
もちろん、村上春樹は早くから人気があったのだが、皆がなぜこうも読むのか、よく理解出来なかったのは、実のところほとんど読んでいないからであろう。

今回ついでに図書館でこの「ノルウェイーの森」(「下」)も借りて来て通読した。累計発行部数1000万部を超えた超ベストセラーだという。
老人には、似て非である堀辰雄「風立ちぬ」を思い出させたが、文章には村上春樹特有の色つやのようなものがあるような気がした。さらにアマゾンのビデオ(映画)もアイパッドで見たが、ヒロインでもない(つまり脇役の)小林 緑が印象に残ったほか、とりたてて良いなとも思わなかった。こちらが枯れてしまったのだろう。
標題の「ノルウェイの森」は、広く知られているようにビートルズのヒット曲からだが、ノルウェイのウッドは、森でなくノルウェイの木材であって部屋の内装とか家具とかの誤訳だという説もあるとか。
She showed me her room
Isn't it good, Norwegian wood
個人的には歌詞などから、森は少し無理があり、内装材説だが、森でも、内装材でもそれなりの雰囲気があって面白いのは、小説でも同じであるのが何やら可笑しい。

村上春樹は、最近も近著「騎士団長殺し」がベストセラーになったりして、話題になっているので、(ふだんあまり小説を読まないのだが)「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」に手が伸びたというところか。勿論、「透明な…」でなく、「色彩を持たない…」という独特の言い回しに惹かれたこともある。

この「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の方は、あとで機会があれば読後感を、ということにして、今回は「1Q84」の方について書こうと思う。
上記の通りあまり熱心な読者、(勿論ハルキストにあらず)ではないので人に役立つ感想はとても無理というもの、いきおい自分のための備忘的なものになる。
なぜ、先に読んだ「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」でなく「1Q84」か、というと読む前に想定した以上に、総じてこの本は「面白かった」からである。

「1Q84」は、Book1,2 が2009年、Book3が翌年2010年に刊行された長編小説で3冊ともミリオンセラーになった。それぞれ、554p 、501p、602p の大部だが放り出さずに読了したのは面白かった証左であろう。

題名は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説「1984年」(Nineteen Eighty-Four 1949刊行)にちなむという。「1984年」は、トマス・モア「ユートピア」などのいわゆるディストピア(反ユートピア)小説の系譜を引く作品である。全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いている。
「1984年」という年号は、この本が執筆された1948年の4と8を入れ替えたアナグラム説などがある。これによって、当時の世界情勢そのものへの危惧を暗に示したものとなっている。
なお、アナグラム(anagram)とは、言葉遊びの一つで、単語または文の中の文字をいくつか入れ替えることによって、全く別の意味にさせる遊びのことである 。「回文」などと同じ言葉遊びだが、「いろは歌」のほうがこれに近いか。

ところで話が少し逸れるが、前述の村上春樹近著「騎士団長殺し」(2017.2 英訳「Killing Commendatore」)は、全2巻からなり第1部「顕れるイデア編」(512p)と第2部「遷ろうメタファー編」(544p)に分かれている。初版部数は2巻合わせて130万部。2010年の「1Q84」Book 3 から7年ぶりの長編作品になる。
これを読んで、書評らしきものを書けばタイムリーだから読む人が少しはいるだろうが、7、8年も前の「1Q84」ではもう興味は薄れていて(ふと六昌十菊という言葉を思い出した)読後感想文など読んでみようという人は、もはやいないような気がする。

「騎士団長殺し」をダメモトで図書館に4月23日、インターネット予約 してみた。
順番は5月23日現在、上744、下 820 とある。仮に杉並区の図書館に1冊しかないとして、予約取置き期間、貸出期間含めて一人2週間かかると仮定すれば、借りて読めるのは24、5年かかる。仮に5冊あるとしても5、6年かかる計算になり、老い先短い高齢者には間に合わない。「1Q84」など(下)に続く

村上春樹を読む(その2)・ 「1Q84」など(下) [本]

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「1Q84」に戻る。
「1Q84」のどこが意外に面白かったかだが、もとより「村上春樹は総合遊戯施設である」というのは通説のよう。例えば、「村上春樹の1Q84を読み解く」(村上春樹研究会 2009 データハウス)では、ずばりそう言っている。
「1Q84」のストーリーは好き合った少年と少女が幼くして別れ、成年になってお互いを探し再会するというものだが、作者のエンターテイメント性が存分に発揮され、 読者サービスは旺盛である。さながら恋愛小説、推理小説、ハードボイルド、アクションドラマ、ポルノ、幻想小説、怪奇小説、ホラー小説、メルヘン小説などの集合体のようだ。
もちろん、音楽(ジャズ、ロック、クラシック)、車、ファッション、映画、ワインなど日常の人の楽しみについて蘊蓄を傾け、教養、宗教、哲学などまでたっぷりと教えてくれて楽しめるだけでなくオウム、サリン事件、連合赤軍事件らしき深刻な社会現象などまで読者に提供し考えさせることまでしている。
だが、批評家はこの本のテーマは「世界を変える」人たちの思考と行動の物語であるという。どのような世界に変えるかと言えば、「クローズド」な世界から「オープン」な世界へ。クローズドシステムとは、その中に入ると個人が失われるシステムのことだという。
このあたりになると、クローズドな世界、オープンな世界とは具体的にどんなものか、読者には具体的には示されない。読み手がそれぞれ考えるということだろう。

この小説は構成もかなり凝っている。二人の主人公青豆と天吾が交互に登場して物語が進展して、かなり先でこれが繋がる。読者は二つの別の話がいつ一緒になるか先を想像しつつ楽しむ趣向だ。ブック3ではもう一人牛河が加わるのも、何やら意味ありげである。

2005年の「海辺のカフカ」(2005 新潮文庫 )は、「1Q84」の5年前、作家56歳の時の長編小説で、テーマ(母子相姦、父親殺し、姉犯し、近親相姦など)こそ違うが、構成、手法は酷似している。この小説は「1Q84」の後に読んだのだが「1Q84」に全体的によく似ている。
構成やストーリー展開が独特であり、深刻になりがちなテーマを普通のそれとは異なったイメージにカモフラージュしている感じだ。
「1Q84」がこの世1984年とあの世1Q84年の間の往き来であり、猫の町、二つの月が異界の象徴であるが、「海辺のカフカ」では少年が異界(死の淵から)入り口の石を経てこの世に生還する。基本的な設定もかなり似ている。

天吾の代作した小説「空気さなぎ」が、愛し合う二人を再会させるという手の込んだストーリーを楽しむだけでなく、作者はブック1(4~6月)、2(7~9月)で完結したかに見せかけ、10先(10~12月)もあるよと、それとなく予告し、1年後間を置いてブック3(10~12月)を発表したのだ。
1年間読者に次の展開を考え、想像する時間を持たせ楽しませることまでしている。ハルキストへのサービスだろうが、その後に三冊を一気に通読してしまうことになる読者にはこの楽しみを享受することはできない。
それにしても、1~3月はどうなっているのか自分には謎だが。

また、この小説はプロット(プロットはストーリーの要約、出来事の原因と結果を抜き出したもの)を事前に作らず、筆の赴くまま行き当たりバッタリで小説を書いているのではないか、とさえ思わせるような展開ぶりである。
構成の複雑さから見ても、全くのプロットなしということはありえないだろうが、文体と軽やかな語り口がそう思わせるのだろうか。
自分は、内田康雄の推理小説を思い出した。この作者は、プロットなしでその場で思いつくまま書くのだと公言している。作者も読者も思わぬ展開を楽しむ。

ところで、村上春樹の小説は、彼がジャズバーを経営していたことがあったというだけに音楽が随所に登場することで知られる。音楽はさりげない日常の中の点描であったり、物語の重要な展開に関わったり、ときに小説のテーマそのものに関わったりさえする。
「1Q84」で言えば、 チェコの作曲家ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」である。ヤナーチェクが1926年、63歳(老いらくの恋!)のときに恋人に触発されて作曲したという管弦楽のための小品という。自分のように音楽に疎いものにとっても、クラシックの中ではマイナーな方ではないかと思う。
管楽器の大掛かりなユニゾン(音)が特徴で、冒頭は威勢のよいファンファーレに始まり、金管楽器の叫ぶような音と、ティンパニのおののくような響きがこたえあう。
ヒロイン青豆 がタクシーのカーステレオで聴き、恋人探しのきっかけになった曲であり、かたや天吾が高校時代管弦楽のクラブで臨時にティンパニーを叩く曲という小粋な設定。

自分もさっそくアマゾンミュージックでダウンロードした。聴いてみると、なるほどスポーツジムのインストラクターである青豆にふさわしい曲であり、ストーリー全体にマッチするような気もする。
自分も通っているフィットネスクラブでストレッチなどをしながら、アイポッドで時折聴いたりする。
村上春樹の読者はこの類いの楽しみも、たっぷりと味合うのだろうと確認したかたちだが、あまり音楽を知らぬ者には新しく名曲を知ることになって有難いことではある。

自分が年寄りのせいであろうが、「1Q84」では、天吾が千葉県の千倉の病院に入院している父親を2年ぶりに訪ねて見舞うシーンが印象に残っている。「ノルウェイの森」でも、主人公ワタナベがガールフレンドの小林 緑の晩年の父親を見舞って面倒を看るシーンがある。この二つを比べると、「1Q84」の方がかなりリアルな感じがする。
例えば、父親は自分の死を覚悟して終活しているのだが、死後遺された者の事務負担軽減の為に戸籍まで移しているという。つい二つの長編が書かれた20年余のインターバル、過ぎた時間を意識してしまった。小説の中では二つとも重要なシーンの一つでもあるといえ、小説家の書きたかったことはこんな些末なことではないのは承知しているが。

さて「1Q84」は「クローズド」な世界から「オープン」な世界へと変える人々の思考と行動の物語という小説のテーマだというが、なかなか解りにくい。その理由の一つは、イメージするそれぞれの世界が人によって異なることにあるような気がする。例えば、極端な喩えで誤解されそうだが、あえて言うと北朝鮮をクローズドな世界と見る人もいるが、彼の国と国交のある160カ国以上の国の人から見ればオープンな世界と言えなくもない。ちなみに彼の国と国交のない国は日本、米国をはじめ30ケ国あまりしかない。
彼の国はクローズドだが、対極にある国々でも「人として損なわれることはない」とも言い切れまい。
東にも正義があり,西にもまた正義があるようなものである。確たるクローズ、オープンな世界というのもないような気もする。
そこにいると「人として損なわれてしまう世界」がクローズドな世界だ、と抽象的、観念的にならざるを得ない。
そんな難しさはあるが、「1Q84」が小説としては面白いことに変わりはない。二つの世界を具体的に示すのは小説家の仕事ではないし、エンターテイメントを愉しむ、それで良いのだろう。


村上春樹を読む(その3) 「 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 」など [本]


「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(2013文藝春秋)。
この長い題の小説は、先にブログで書いた「1Q84」BOOK3が発表された(2010年)3年後に刊行された長編である。
最近作「騎士団長殺し」は、4年後(2017)に発表されたという位置関係になる。「色彩を~」は376ページという長さだから、どちらかと言えば二つの長編のあいだに書かれた中編小説か。
内容も多崎つくるという名の一人の中年男が、仲の良かった高校の5人組(主人公の他は、赤松、青海、白根、黒埜と4人とも苗字に色が付いている)から追放された、自分の真実を求めて遠く(フィンランドまでも)巡礼の旅をするという単純なストーリーである。

英訳版は「Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage」である。
先に書いたが、自分は「色彩を持たない」という語に惹かれた。手遊びで透明水彩画のお稽古を続けているせいでもある。もっとも水彩画はWatercolor であるが。
小説家は小憎い表現で人の気をひくのが上手い。「透明なー」ではありふれているし、透明水彩画の用語でもある「trancelucent 半透明」「tranceparent(分かりきった)透明水彩」でもない。
しかし読んで見るとなんということも無い。自分を見失った少年という意味も読者に暗に知らしめているのだろうが、苗字に色が付いて無いというだけのこと。作家の諧謔というか言葉遊びに付き合わされたていである。
登場する二人の脇役も灰田、緑川と色付きでしかもそれぞれに個性的 で面白いキャラクターである。
旅をして自分を探せと勧めるつくるの恋人、木元紗羅にはなぜか色がついていないが、その理由は知らない。
ちなみに中国語訳の題名は「没有色彩的多崎作和他的巡礼之年」。色彩がメイヨー。

先に村上春樹の小説には音楽がたっぷり盛り込まれていると書いたが、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」では、ハンガリー出身のフランツ・リストのピアノ独奏曲集である「巡礼の年」がそれ。
ロシアのピアニスト、ラザール・ベルマンの演奏が有名という。主人公田崎つくるの4人の友達のうちの一人シロ(白根 柚木)が弾くピアノ曲の「ル・マル・デュ・ペイ」はこの「巡礼の年」の一節である。ル・マル・デュ・ペイとはフランス語でホームシックという意味の言葉だそうだが、ノスタルジアとも訳すように昔のことが懐かしいとか、過去にこだわるとかいう意味もあるよう。青年の自分探しという物語の基調と共振して、物語全編に流れている。
先にこのブログで書いた新田次郎 ・藤原正彦著の「孤愁 サウダーデ」のサウダーデ(ポルトガル語)は「愛するものの不在により引き起こされる胸の疼くような思いや懐かしさ」のことというが、「ル・マル・デュ・ペイ」も同類の感情であろう。

ラザール・ベルマンの「巡礼の年」もアマゾンミュージックでダウンロードして聴いた。
作者はこの音楽から小説を構想したのだろうか、それとも小説が出来てからふさわしい音楽を探すのだろうか。多分前者であろうという気がするが、そう思わせるだけで小説は成功したと言えるのだろう。しかし、音曲を知って小説を読むのと、自分のように後から聴くものでは、小説の味わいがかなり異なるだろうという気はする。

さて、作家を理解するためには、やはり初期の作品に触れる必要があるだろうと思ってデビュー三部作といわれる作品から読むことにした。

「風の歌を聴け」( 1979 講談社)
デヴュー作 (作家30歳 )のこの小説は、なかなか手強いというのが読後感。同じ遊びでも、全く何の足しにもならない遊び、読んだ後に何も残らないような、無益な遊びに終始している不思議な小説だ。評価、賛否が分かれたのは自然であろう。丸谷才一が評価したと何かで読んだ覚えがあるが、分かるような気がする。
「1973年のピンボール」(1980 講談社)
「僕の目に前にいるピンボールマシンはもはやただの機械ではない。それは人間のように話すこともでき、しかも僕の心に向かって訴えかけてくれる恋人でもある。」といった文章が続く。文体も取り上げられた題材も、日本文学ではこれまでにないユニークなものと評価する人もいる。

「羊をめぐる冒険 」(1982講談社)
村上春樹の小説は、この「羊をめぐる冒険」を境にして大きく転換したとされる。
この小説は、幽霊となった友人の行方を追う冒険物語であるとともに、羊に隠された不思議な秘密を解き明かそうとする推理小説でもある。羊男が面妖(緬羊)でユニーク。

村上春樹の小説はこのデビュー三部作もそうだが、鼠、羊男、牛河など登場人物が映画俳優のように何度も登場するのが一つの特徴だ。
ハルキストにはこれもたまらぬ魅力になっているのだろうか。
手塚治虫の漫画に何度も登場するキャラクター、ひげおやじ、ランプ、お茶の水博士などをつい思い出してしまった。村上春樹は小説で、手塚治虫は漫画で、同じ俳優が別の物語で別の人物を演じるという映画の手法をそれぞれ試みたのであろうか。

ダンス・ダンス・ダンス(1988講談社)
羊をめぐる冒険の続編。6年後に刊行された。全体的には「1Q84」に似ている。パラノイア、幻想小説、擬似世界、あっちの世界が描かれ、霊媒的な能力を持った美少女(ユキは「1Q84」のふかえりと重なる)などが登場する。例によって数多の音楽が出てくるが、村上春樹には珍しく絵・ピカソ の「オランダ風の花瓶と髭をはやした三人の騎士 」が登場する。
しかし、こんな絵は実際にないものだという。ありもしない絵をなぜ持ち出したのか、作家の遊びか。

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続いて読んだのは短編集。
「中国行きのスロウ・ボート」( 1986 中央公論社)
村上の初期の短編小説七篇を収めている。スロウボートは貨物船のこと。
表題になっている「中国行きのスロウ・ボート」は、日本人が中国人から負わされている重荷のようなものを描いた作品だ。一人の日本人が、これまでの半生で三人の中国人と
会ったと語り始めるのだが、作者の父が中国で暮らしたというから、そのことが下敷きになっていることは明らかというのが一般的な見方のようである。
「貧乏な叔母さん」、「カンガルー通信」などそれぞれなにを言わんとしているのかはっきりは書いていないが、読者に考えさせるような書き方である。
「午後の最後の芝生」は、自分が求めているのはきちんと芝生を刈ることだけという男の話。各編が何かの暗喩のようなものになっているのが特徴か。
文学的素養のないもにはもう少しはっきり言ってくれという感じがないわけでもない。
「午後の最後の芝生」にブラームスのインテルメッツォ(間奏曲)が出てきたのでアマゾンでダウンロードして聴いたが、音楽の素養がないせいで良さが分からなかった。ブラームスはバイオリンソナタくらいがせいぜいのところのようだと知る。

「女のいない男たち」(文藝春秋 2014 短編集)
女のいない男の話ばかりの6篇が収められている。女のいないというのは、離婚されたり、死別したりして相手を失った男のことでペットロスならぬ女性ロスに陥った男の話である。
「 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 」とほぼ同時期に書かれた最新の短編集。
「色彩を~」もあえて言えば女のいない中年男の話とも言えなくも無い。村上春樹の小説に登場する男は比較的ちゃんとした男が多いが何故か女に去られるケースが多いのは不思議だが、そこから新しい女性を求めて遍歴する。なにを言おうとしているのか明らかにされない。しばしば次の女性とどうなったのかわからずに物語が終わったりする。

短編を読むと作家がどんなことに関心があるのか、少し分かるような気がするが、随筆などを書いてくれるともっと良いのだが、などとつい思ってしまう。安直と言われそうだが。
村上春樹は前書きや後書き自作解題なども嫌いと見える。

村上春樹の文章は読みやすい方であろう。読みやすいと言って話が分かりやすいというわけではない。むしろ説明が少なく結末がない話もあるなど、読者に何を言おうとするのか分からず難解とも言える。
加えて何気ない描写の中に多くの比喩が散りばめられる。しかし、この中には独特のものがあって面白い。
またそれらがアフォリズム(警句、箴言、金言)のていをなしているものがあって、ストーリーから外れるのだが、人を驚かすような、なかなかのものが時にある。読者にとっては、これも楽しみのひとつであろう。


村上春樹を読む(その4)・「 世界の終わりとハードボイルド・アンダーランド」など [本]


「世界の終わりとハードボイルド・アンダーランド」(1985 新潮社)は、作家が36歳のときの作品で代表作のひとつである。谷崎潤一郎賞受賞を受賞している。

「ハードボイルド・ワンダーランド」の章は、暗号を取り扱う「計算士」として活躍する「私」が、自らに仕掛けられた「装置」の謎を捜し求める物語である。
「世界の終り」の章は、一角獣が生息し「壁」に囲まれた街(「世界の終り」)に入ることとなった「僕」が、「街」の持つ謎と「街」が生まれた理由を捜し求める物語である。
当初は関係ないように思える二つの物語が、「一角獣の頭骨」という共通のキーワードで繋がる。
村上春樹お馴染みの二つの物語が並行して進み、先で出合うという形式の長編小説だが、かなり難解という印象は免れない。二つの話の時間軸も一方に流れるわけでもなく、時に戻る感じもあったりして戸惑う。
現実と異界、表層と無意識の二つの世界がどう繋がるのか、或いは結びつかないのか、読者にはストーリーの構造が必ずしも明確に示されるわけではないから、物語の筋を追いつつ考えねばならないことがあるようで落ち着かない。
難解という印象はそのあたりからくるのか。ただし、それこそが、読者に考えさせる作家の意図するところでもあろう。ゆっくり何度か読み返すことが必要な小説なのかもしれない。
村上春樹自身は自作の中では重要な位置にあると言う。確かにこの世とあちらの世界との往き来は彼のメインテーマのひとつであることは疑いないようだが、それを読者としてきちんと理解は出来ていない確信があって情けない。

例によってこの小説にも音楽はたくさん登場するが、代表は何と言っても最終章に出てくるプロテストソングシンガー、ボブ・デュランの「激しい雨が降る」であろう。1941年生まれのボブ・デュランのこの曲は1963年リリースだから、小説に書かれたときは既にそれから20年以上が経過していた。2016年、75歳でノーベル文学賞を受賞した歌手22歳のときの曲。邦題「今日も冷たい雨が」。叫ぶようなリフレインが人の胸を打つ。

  And it's a hard, and it's a hard, it's a hard, and it's a hard,
  And it's a hard rain's a-gonna fall.

そして最終章の文章は次の通りである。
「誰にも雨を止めることはできない。誰も雨を免れることはできない。雨はいつも公正に降り続けるのだ(中略)私はこれで私の失ったものを取り戻すことができるのだ、と思った。それは一度失われたにせよ、決して損なわれてはいないのだ。私は目を閉じて、その深い眠りに身を任せた。ボブ・ディランは「激しい雨」を唄いつづけていた。」

小説での雨は人間の終わり「死」を表徴している。ボブ・デュランの雨は世界の終わりを歌っているとも見える。村上春樹らしい洒落た歌の引用である。


「国境の南 太陽の西」 (1992 講談社)
失われた初恋を取り戻そうとして主人公が煩悶するリアリスティックな恋愛小説というふれこみ?だが、残念ながら自分には典型的な不倫小説としか読めなかった。たぶんまっとうな読み手ではないのだろう。

アフターダーク(2004 講談社)
「海辺のカフカ」のあとに書かれた小説。「悪」が一つのテーマというが、これが悪と明確には示されていないように思う。その後もこのテーマは追求されていくので、その初期的な位置にあるとする人もいるようだ。
題名が示すように、日が暮れてから夜が明けるまでの二人の姉妹(姉のエリ妹のマリ)の行動、一晩の出来事を交互に語っている。これも複線物語。
語り手が私たちという一人称複数なのが珍しい。だが、私のほかは誰なのか分からぬ。なぜ単数ではないのか。
この小説が一人の少女の成長の物語ということは感じられるが、全体に「海辺のカフカ」より分かりにくい感じがする。少年の成長譚が多い印象の村上春樹にしては、少女というのは珍しいし、当然ながら、自分の経験を踏まえていないからか。などと言うのは想像力の豊かな巨匠に失礼というものだろうが。

東京奇譚集 (講談社 2005)
アフターダークの翌年に出されたもの。短編集は読んでそのとき面白くても、余程のことでない限り直ぐ忘れるのが難点。ハワイのカウアィ島ハナレイ湾(ベイ)で高校生の息子を(鮫に襲われて)無くした母親の話「ハナレイベイ」が印象に残っている。関係ないが、昔行ったオアフ島ハナウマ湾(ベイ)の景色を思い出しながら読み終えた。
作家は、偶然や共振現象など非日常的な奇妙な話に強い興味があり、それらは長編小説でも良く登場して雰囲気を盛り上げるとともに読者を煙にまく。しかし、独立した話にすると何やら不自然になるのは仕方がないのか、「品川猿」が好例。奇譚の難しいところ。

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雑文集 (2011 新潮社)
雑文とは、作家による自作、翻訳書の解説や、インタヴュー 、交遊録、エルサレム賞受賞挨拶「壁と卵」だったりだが、随筆、エッセイ風のものもあり、作家の周辺、考えを垣間見ることが少し出来る。村上春樹はこの種のものは少ない作家の一人であろう。
友人安西水丸、和田誠のカバー装画が楽しい。
掲載文の中では、「音楽について」に興味があったが、素養ゼロの自分には残念ながら難しかった。ただ「ノルウェイの森」についてビートルズの曲がノルウェイの「森」か「内装材、家具」かの議論に関して釈明?しているのが、印象に残った。第三の説があるという紹介も面白い。

少ないコラムの中では「温かみを醸し出す小説を」(2005 読売朝刊)が記憶に残った。
村上春樹の小説を読むときに心にとどめておくことにしよう。作家は次の通りに書いている。
生きていくにはきつい日々に、どこまでが人間でどこまでが動物か、どこまでが自分の温かみでどこまでが他の誰かの温かみか、どこまでが自分の夢でどこからがほかの誰かの夢か、境目が失われてしまうような小説を書きたい。これだけが良き小説の基準だ。

インタヴューでは、オープン・エンドが多い理由を問われて「明白な結末が必要ないと思うからであり、日常生活の局面でも(明白な結末は)そうはないのでは、と答えている。
そう言われれば何やら納得感がある。

ほかに「世界の終わりとハードボイルド・アンダーランド」について「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終わり」では書きながら使っている脳の部分が違っている感覚だったとか、二つの物語がどこで繋がるか決めずに書き進めたとか、いくつか興味のあることが披瀝されていて面白い。

さて、作家はインタヴューで読んでほしい自分の長編小説として「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と「うずまき鳥クロニクル」をあげている。大きな転換点となった長大な小説と言っているので、次は「うずまき鳥クロニクル」も読んでみよう。かつて、一度読んだような気もするのだが、全く思い出せない。

村上春樹を読む(その5)・「ねじまき鳥クロニクル」など(上) [本]


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「ねじまき鳥クロニクル」(1994,5 新潮社)は、作者45歳のときの著作。1996年読売文学賞を受賞している。英訳版「The Wind-Up Bird Chronicle」。
「羊をめぐる冒険」の続編という「ダンス・ダンス・ダンス(1988)」の6年後に書かれた長編小説である。この後の長編小説が2002年「海辺のカフカ」になる。

「ねじまき鳥」も「クロニクル(chronicle 年代記 歴史)」も思わせぶりなもので商品でいうアイキャッチ力(りょく)抜群。
後の「1Q84」と同じように、第1部 「泥棒かささぎ」編(1994・308ページ)と第2部 「予言する鳥」編 (1994・356ページ)が先に刊行され、1年後に第3部 「鳥刺し男」編 (1995・492ページ)が発表された。
副題も人の目を惹くし、1年間結末を読者に想像させるところも「1Q84」と同じスタイルで本の商品力を高めたに違いない。

ページ数が示すように長大な小説である。このように長い小説というのは、外国は知らず日本ではあまり類が無いのでは、と思う。
読後感としては、長大なだけにまず大きな「樹木」のような小説だなという感じを持ったこと。真ん中にてっぺんまで達する太い幹があって、無数の大小の枝が伸び葉を茂らせている様を思い起こした。幹は妻を失った僕が取り戻そうとあえぐ、「女のいない男」の物語である。

枝はサブストーリー、葉がデティルであり、これが樹全体を覆っている感じ。樹種のイメージは、なぜか針葉樹でなく広葉樹。春の樹でなく冬の樹。
サブストーリーがたくさんあり、作家特有のデティルがそこにも丁寧に書き込まれる。登場する人物の細かな描写、散歩した、ビールを飲んだ、音楽を聴いたetc.と延々と続く。ときに比喩、警句も混じる。長い小説になるのは当たり前だ。何と言ってもどうやら作者はプロットなしで書く部分が多いらしく、どう書こうか行きつ戻りつするところまでも書いたりしているのでは無いか、と訝る。長くなるのは必然というもの。

この小説も複線型の部分がある。「僕」が主人公だが、手紙形式で間宮中尉や笠原メイなどが交互に語り手のごとく出てくる。「1Q84」の方が、複線のかたちがすっきりしていて、こちらはまだぎこちない感じは否めぬ。むろん、そう感じるほとんどの責は読み手の自分の方にあるのだが。

読んだ順序は逆だけれど、「1Q84」の牛河が出てきて手塚治虫のランプ、ヒゲオヤジをまた思い出し、さぁ俳優の登場と思ったが、どうやら、村上春樹の場合は「俳優方式」といった単純なものでも無いらしい。

例えば「ねじまき鳥の探し方」 (久居つばき 1994 太田出版)では、俳優説はとらず208号室、16階、いるか(ドルフィン)ホテル、高松など良く出てくる場所と同じようなものとして解説している。
なお、この本は「うずまき鳥クロニクル」第3部が刊行される前に出版された(追っかけ)本 だが、井戸を緯度とし 北緯35度15分から20分の間にある地名から登場人物名を付けていると推測している。へぇ、と思いつつ読んだ。
第3部で主人公の義兄綿谷 昇は長崎で死ぬのだが、長崎は同一線上から外れているのはご愛嬌。

読みながら、ふと村上春樹の小説は、和歌 、俳句や連句のように「付き」の世界のようだなと思う。別の小説の登場人物を再登場させる、前使った場所を再登場させる、前使った場所、月、井戸、ホテルを使うことで 、言葉の持つ意味に加えて以前読んだ作品を思い出させる、読者がそれを読んでいれば、連れて想起することでイメージがさらに膨らむ。よく使う音楽も、それから色々なものを想像させ、イメージが膨らむ。
連句は前進のみで後戻りなしだから、基本的には時空を自在に行き来するハルキワールドとは別だが、匂い付けや面影付けなど連想させるところが似ている。登場人物、エピソード、場所、音楽などだけでなく、言葉もあたかも俳句の季語のように読者が脳裡にあるものを惹起させるのが上手い。短歌や俳句における本歌取りの面白さやテクニックを思えばよく分かるというもの。
この手法は読者が知識、経験、情報を豊かに持つほど効果が高まる。逆にそれらが小さいとしぼむ。
自分の場合で言えば音楽などが「しぼむ」ほうの良い例だろう。「ねじまき鳥クロニクル」の第1~3部の副題はロッシーニのオペラ「泥棒かささぎ」の序曲、シューマン 組曲 「森の情景」第7曲 「森の予言する不思議な鳥」 、モーツアルトの戯曲「魔笛」のキャラクター「鳥刺し男」からという。

かささぎ(鵲)は韓国旅行でよく見た「カチガラス」のことだなと、間抜けなことを考えただけだった。九州では佐賀県にたくさんいた。東洋では瑞鳥、西洋では「まともでない者」とか。主人公がまともでないのか?予言する鳥は本田さんのことか?、鳥刺し男とは?謎めいている。まったく推理小説仕立てだ。
オペラに限らず音楽的素養のない者(自分のことである)にとっては、作者の意図はストレートには伝わらぬ。読後にオペラの筋を知り音楽を聴いても、受け止め方には微妙な差があろう。
音楽だけでなく車の車種(例えばスバル360とポルシェとか)、ワイン、ウイスキーの銘柄、ファッションなども、読者が作者と同程度の情報レベルならより意図は伝わり楽しめる。
地名なども同じだ。「海辺のカフカ」で主人公の少年は中野区の野方に住み、そこから家出した。我が家の近くだ。高円寺や阿佐ヶ谷なども出てくる。読者がその場所を知っていれば、その地に一瞬思いを馳せる。
むろん、この連想に正解のようなものは無く、読み手によって異なる。イメージの膨らまし方も強弱それぞれなのが特徴であり、基本的にイメージすべてが曖昧なところが、小説の醍醐味であろう。村上春樹に限ったことではない。(つづく)


村上春樹を読む(その6)・「ねじまき鳥クロニクル」など(下) [本]


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題名の「ねじまき鳥クロニクル」は、「ねじまき鳥」が何をシンボライズしているのか、「クロニクル」がいかなる「年代記」なのか、読了しても明確にならなかった。
ロッシーニ歌劇「泥棒かささぎ」、シューマン組曲「予言の鳥」、モーツァルト戯曲「鳥刺し男」もそれぞれの巻きで何を表徴していて、「ねじまき鳥」とどんな関わりがあるのか、作者は明示せず読者に委ねているのだが。文学的ないし音楽素養に乏しいからか、想像力が足りないのか、「付き」が漠としていて察しかねるのである。題名、副題が分からないのでは、とても良き読み手とはとうてい言えない。

さて、村上春樹の小説を読むときセックス、暴力(悪)、死(異界)をどう読むか触れねば、核心に迫ることは出来ないだろうが、自分には多少荷が重すぎる。
性と暴力は、夢、月、闇、想像懐胎、共振現象などシュールなものでまぶされ、あたかも現実にある様にみせかけて語られることが多いのが特徴であろう。表現が適切か知らぬが、虚実皮膜の間に遊ぶ危うい趣きがある。死についても世界の果て、黄泉の世界と現世との往き来などで語られるが、性、悪(暴力)とセットで描かれ、これらは、この「ねじまき鳥クロニクル」にかぎらず作家の重要なテーマであることは明白である。
しかしながら率直なところ「セックス」、「暴力」に限って言えば、少しく「過剰」と感じる。これは明らかに自分が老来、歳をとったせいでもある様な気もする。
「ねじまき鳥クロニクル」より「1Q84」の方を好ましく読んだのは、どうやらこのあたり(過剰感の強弱)にあった様に思う。

村上春樹の小説では美少女や娼婦が登場する一方で、良く動物や鳥が頻繁に登場する。
「うずまき鳥クロニクル」では、猫が登場する。
物語の始めのころ、妻が家出する前に可愛がっていた猫が、姿をくらます。戻らぬ猫を探し続け、後半になって妻を取り戻すことができずにいる主人公のもとにある日ふらりと帰ってくる。
自分が知らなかっただけだが、村上春樹は猫好きで若い時から猫を飼っていたようである。どんなに好きかは彼の手になる絵本「ふわふわ」(文 村上春樹 画 安西水丸 1998 講談社)を読むだけで分かる。
この楽しい絵本は、「ぼくは世界じゅうのたいていの猫が好きだけれど、この地上に生きているあらゆる種類の猫たちのなかで、年老いた雌猫がいちばん好きだ。」と始まる。
絵本に登場する年老いたおおきな猫の名前は「だんつう (段通)」という。

彼の書く猫は、自分も家に猫が一匹いるので感じがよく分かるのだが、猫リアリティに並々ならぬ気配が感じられる。
「うずまき猫の探し方」(1996新潮社)というのもある。これは米国ケンブリッジ滞在記、絵日記風エッセイで陽子夫人が撮影した近所の猫がしばしば登場する。

猫を扱った小説の3大傑作は源氏物語、漱石の猫、谷崎の「猫と庄造と二人のおんな」だと何かで読んだ記憶があるが、いつの日か村上春樹がそれに匹敵するような傑作を書いてくれることを期待したい。
妄想ながら、村上春樹「騎士団長殺し」のあとの大作を新聞発表!「100万回生きたねこ」。題は佐野洋子の絵本を仮に拝借したが、そんな感じのものがいい。

再び苦手な音楽の話。
「僕」が良く行く駅前のクリーニング店の主人は、JVCの大型ラジカセでパーシー・フェイス・オーケストラが演奏する「タラのテーマ」や「夏の日の恋」を聴きながら仕事をする。
村上春樹の小説では、クリーニング店の主人に限らずタクシー運転士、ホテルのボーイなど音楽に詳しいフツウの人が登場する。端役、脇役だったりするがときに重要な人物だったりもするので油断は禁物である。
「彼はおそらくイージーリスニング・ミュージックのマニアなのだ」と主人公に評される。easy listeningとは、くつろいで楽しめる軽音楽のことだ。JVCはむろん日本ビクター株式会社のブランド。
なお、パーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋」は「ダンス・ダンス・ダンス」や短編集「女のいない男たち」にも登場する。「ダンス・ダンス・ダンス」ではドルフィン・ホテルのフロアでBGMとし流れる。
前回取り上げた短編の「女のいない男たち」では語り手が次のように告白する。「僕は彼女を抱きながら、いったい何度パーシー・フェイスの「夏の日の恋」を聴いたことだろう。こんなことを打ち明けるのは恥ずかしいが、今でも僕はその曲を聴くと、性的に昂揚する」
ちなみに「夏の日の恋」は、1959年11月に公開された映画「避暑地の出来事」の主題歌である。パーシー・フェイス・オーケストラはシングルとして発表。パーシー・フェイスのバージョンは翌年1960年初から春にかけて全米チャート1位を9週連続で記録した、とネットで知る。
アマゾンミュージックで早速ダウンロードして聴いてみたが、それほど感激しなかったのは残念。「タラのテーマ」は昔見た映画「風と共に去りぬ」の火事のシーンなどをを思い出しただけであった。

「ねじまき鳥クロニクル」は長いだけに面白いことがふんだんにあり、話題に事欠かないのであげているとキリがない。当方の文章もつい長くなったが、もうひとつだけ。
主人公は、義兄綿谷ノボルとパソコン通信でやりとりする。最後に妻とも同じ方法で話すのだが今でいうチャットである。これを読みながら、これも連句の「文韻」というのを思い出した。両吟歌仙(二人で巻く連句)で長句と短句を交互に詠むのは座でやるのが主流だが、昔の人は手紙でもやりとりをしたらしい。のんびりしたよき時代の風流なものと感心したことを思い出したが、現代では「メール韻」というものがあると聞いてこれを真似て挑戦したことがある。

村上春樹の作品はまだ読み始めたばかりだが、これまで読んだ小説の文章の中では一つだけ気になる書き方があった。
登場人物Aの(考えや気持ちが)分かる?という問いに対してBが「分かると思う」と答える科白が多い。
<思う>というのは、いらない場合も時にはあるのではないかと思うのだが「分かる」と言い切らないのが多いのである。
確かに他人の気持ち、考えは100パーセント分かると言い切れない。だから分かる<と思う>と答えるのは理屈は通っているが、じぶんには何故か気になる。かといって不快というわけではない。たぶん作者の生真面目さが出ているだけのことかも知れないのだが。


村上春樹を読む(その7)・「小澤征爾さんと、音楽について 話をする 」など [本]

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その作家の随筆などを先に読んでから小説を読むのと、小説を読んだ後に随筆を読むのでは、少し味わいが異なるような気がする。自分の場合で言えば、前者が丸谷才一、後者が村上春樹である。
随筆で代表させたが、対談、インタヴュー、解説、批評などを指す。
自分は、どちらかと言えば小説をあまり読まない方だからであるが、随筆、エッセイなどである程度人となりを知ってから小説を読む方が多いが、小説を読んでから人となりや考え方を随筆などで知るというのは少ない。

村上春樹の小説の理解に少しは役立つかと、あとから随筆などを何冊か借りてきて読んだ。短編小説も何冊かあったが、これは人となりを知るために役立つというものではない。

「小澤征爾さんと、音楽について 話をする 」(2011 新潮社)
村上春樹の小説にはジャズやクラシックが出てくるからと手にした。世界的な指揮者との音楽対談。
この書を通読して自分が理解したのは2割とないだろうと思う。小澤征爾は勿論、素人と言っている村上春樹の音楽のレベルは、極めて高いことが一読して分かる。
音楽の奥の深さに驚きつつ、かたや今さらながらわが音楽の素養なしに呆れる。もっと若い時から音楽に親しむべきだったと悔やんでも遅い。
それにもかかわらずこの本を読了したのは、ひとえに村上春樹の筆力以外の何物でもないだろう。わからなくても本は読み終えるものだなと妙なことに感心する。
対談に登場する名曲(ブラームス「ピアノ協奏曲1番」、ベートーヴェン「ピアノ協奏曲3番」、ジョージ・ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」)などをひたすらアマゾンミュージックなどで聴いているのみである。嗚呼。
ただ、「インターリュード」と称したコラムは、 interlude 幕間、間奏曲だからか、少し内容が分かるものもあってほっとする。

「村上春樹、河合隼雄に会いにゆく 」(新潮文庫 1996)
「ねじまき鳥クロニクル」(1994,5)を書いた直後の対談。
村上:スポンティニアスな物語でなければならない (…自発的な 自然発生的な)など、作者の意図などが知り得て参考になる箇所がある。河合隼雄は一頃盛んに読んだ。
対談によるば、河合はこの小説をかなり評価していたことが分かるが、その物語性、主人公の屈折した心理描写を見れば理解できるように思う。

「ランゲルハンス島の午後」(光文社 1986)
安西水丸の絵のついた気楽な内容のエッセイ集。表題は書き下した少年(中学生)時代の話。ランゲルハンス島は膵臓の細胞(膵島)のこと、ランゲルハンスはそれを発見した医師の名前。
アイキャッチの巧みさに驚くが、例によって、それで何を言わんとしているのか、説明もないので明確でなく何やらあとに引くこともたしか。
これもアメリカ滞在記の「うずまき猫の探し方」(1996新潮社)で作者が、あとがきの最後に「うずまき猫は見つかりました?」というのと似た雰囲気。どこかにうずまき猫のことが書いてあったかな、斜め読みなので読み落としたかな、という感じ。

「TVピープル」(1990文藝春秋)
表題のほか数編の短編集。その中のひとつに「加納クレタ」がある。
水の音を聴く姉マルタのもとで働らくクレタは4年後「ねじまき鳥クロニクル」で再登場するが、これは「スポンティニアス」な物語なのか。

「回転木馬のデットヒート」(1985 講談社)
表題のほか8編の短編小説。
表題には、「はじめに」と付いていて小説に対する作家の考え方のようなものが記されている。村上春樹の小説についての考え方の一端が分かるのかもしれない。
「僕がここに収められた文章を<スケッチ>と呼ぶのは、それが小説でもノンフィクションっでもないからである。マテリアルはあくまでも事実でありヴィークル(いれもの)はあくまでも小説である。」とある。人から聴いた話を短編にしておき、それを材料にして小説を構想するのだろうか。確かに村上春樹の短編が長編の素材になっているものがあるような気もする。
だが、他人から「聴いた話」と自分自身の関係がどうして回転木馬(メリーゴーランド)のように追いつきも追い越しもせず、「仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートを繰り返す」のかというあたりになると、当方は小説家ではないからかストンと腑に落ちないところがある。

「カンガルー日和」(1983 平凡社)
表題のほか22編の短編小説。
「図書館奇譚」には、1982年の「羊をめぐる冒険」、その続編である1988年の「ダンス・ダンス・ダンス」に出てくる羊男、美少女が登場 する。
図書館は村上春樹の好きな場所(中でもその地下室?)で「海辺のカフカ」など頻出する場所だ。

「村上朝日堂の逆襲」(1986 朝日新聞社)
週刊朝日連載のコラム。朝日堂とは何だろうと思っていたが、週刊朝日のコラムだからか?いわく因縁があるのかと想像していたのだが。?うん、「村上朝日堂」は、アンアン連載だったかも。この辺になると、わけが分からない。ま、とまれ一連の朝日堂ものからはかなり作者の人となりや考えをうかがうことが出来る。

「やがて哀しき外国語」(1994 講談社)
1991年から2年半米国ニュージャージー州プリンストン滞在記。
「うずまき猫の探し方」(1996新潮社)はそのあと2年間住んだマサチューセッツ州ケンブリッジ滞在記。いずれも安西水丸の漫画風挿絵付きだが、後者に比べ「やがて哀しきー」はまじめな感じ。

「夢で会いましょう」(1986 講談社文庫)
糸井重里との共著。短編というよりショートショートをアイウエオ順に並べたもの。村上は「かなり面白い」、と前書き口上にいうがア行2、3編で読むのをやめた。
自分にはまだ、これらを面白がる才知と度量はないようだ。1986年と言えば昭和61年。

こところ小説や随筆などを集中して読んだが、なお村上春樹を理解していないという気がする。
もっとも理解できないのは、なにも村上春樹に限った話ではない。
一人の作家、その小説を分かろうとすることなど無理なのだろう。力不足だ。
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村上春樹を読む(その8) 「走ることについて語るときに僕の語ること」など [本]

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村上春樹がボストンマラソンなどを走るマラソンランナーであることはよく知られている。
玉子が美味しければ鳥など見なくても良いというのはどこに書いてあったか、メモしそこなったので分からないのだが、村上春樹の言ではなかったかと思う。また、同じ作家が贔屓のヤクルトの選手の活躍を知れば彼の生い立ちや周辺の事を知りたくなるのは自然だともどこかで読んだような気もする。これは全く正反対である。
小説とプロ野球を同列にするわけにいかないが、長編小説の事を知るのに書いた作家の人柄や周辺のことを知ろうとするのは間違っているのかどうか自分には分かりかねるが、うまい卵を産む鶏がどんな種類か、どんな餌を食べ、どんなファームで暮らしているかがすぐ気になる方である。よって随筆や短編集インタビューなどをせっせと読むことになる。

「走ることについて語るときに僕の語ること」(2007 文藝春秋)
著者はエッセイでなく自分史に近い「メモワール」だという。メモワールはフランス語で「記憶」「思い出」を意味する。英語でも主に「回想録」「自伝」を指す言葉として使われる。ここでは「英・仏」合わせたものか。
村上春樹の場合、小説の作法が長距離ランニングと同じようなものと言うのは、よく理解できる。武道家の評論家がいるようにジョガーの小説書きがいるのは、数は少ないがありうることだ。三島由紀夫みたいな例も(やや中途半端にも見えるが)ある。
しかし、スイム、バイク、ランのトライアスロンをやり、大学で教えながら海外生活をする作家は少ないことは確かで、それが小説に反映しないとはとても思えない。
しかし、そう聞いて(年寄りはとくに)だれでも思うだろう。身体能力の低い老いた作家は、遅かれ早かれ小説が書けなくなるに違いないと。もっとも、武術やランニングをしない作家でも歳をとれば書けなくなるのは同じでもある。物語を作り出すと言うのは力技だというのは、容易に想像出来る。
ピカソ、北斎などをみれば画家は幾分違うかも知れない。油彩は力技にも見えるのだが、80歳を過ぎても傑作を残した巨匠は少なくない。
表題は相変わらず巧みなアイキャッチだが、著者の敬愛する作家レイモンド・カーヴァーの短編集のタイトルが原型という。そのタイトルとは、
"What We Talk About When We Talk About Love" うん、なるほど。

「神の子どもたちはみな踊る」(2000 新潮社)
表題のほか5篇の短編小説が収録されている。初出し、連作「地震のあとで」その1~その6。
1995年の阪神大震災がテーマになっているが、地震そのものを取り上げている物語はない。地震は物語の背景だったりストーリー展開のきっかけとしてあつかわれている。
大災害でも当事者以外は外から被災を見ているわけで、神戸であれば北海道の人、東北の災害であれば大分の人はそれぞれ同情はすれど、また自分の日常に戻るのだからこういう扱いもありだろう。地震をめぐる全く別の物語をいくつか書くというのは俳句、短歌の連作あるいは連句、連詩のようで一種の趣がある。
表題が代表作なのだろうが、(そして大方の人と異なるかも知れないが)自分は「蜂蜜パイ」が一番好きだ。村上春樹の小説の原型みたいで読んでいて楽しい。ハッピーエンドなのも老人には有難い。
ところでこの短編集を読みながら、村上春樹は東日本大震災、福島原発事故についてどんな発言をしていたかが気になり出した。何処かにあったのだろうが、あらためて探して見ねばなるまい。

「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011」(2012文藝春秋)
村上春樹の小説作法、執筆姿勢がよく分かる。例は適切では無いがギリギリ自らを憑依状態に追い込んで物語を作り出すという感じを受けた。プロットなし、シュール、闇、夢、井戸、壁、異界など作品の特異性から見て、そういう状況に耐えられる精神力と体力が必要だと解釈したが、的を射ているか否か自信は勿論無い。少なくともマラソンやトライアスロンで体を鍛え規則正しい日常を、作家が心がけるのはこのためかと思う。

「海辺のカフカ」、「スプートニクの恋人」など個々の作品への応答もあるので素人読者(自分のことだ)には大いに助かる。
特に海外メディアのインタビューにおける作家の説明が、率直にして分かり易くて良い。

村上春樹 はこの時60歳だが、小説家の老いについてこう触れている。
「あれほど才能を持った人(カポーティ、チャンドラー、サリンジャーら)たちが、老境を迎える前に思うように現実に書けなくなってしまうというのは、本当に惜しいことだし、切ないことだと思うんです。反面教師といったらそれまでだっけれど、僕はどこまでやれるか挑戦して見たいです。」「るつぼのような小説を書きたい 1Q84前夜」(2009)。
身体を鍛えているからか自信がありそう。ふと、「韃靼疾風録」(1987)を最後に63歳で長編をやめ、晩年は「街道をゆく(1971-1996)」などを書いた司馬遼太郎(1923-1996 、73歳没)を想起した。

ところで、作家は神戸の震災やサリン事件に強い関心を寄せてはいるが、2011年の福島原発事故についてはどうだったかと前から気になっていた。
2011年6月のカタルーニャ国際賞受賞インタビューにおけるインタビュワーの紹介の中で村上春樹の東日本大震災、福島原発事故についての言及を見つけた。(インタビューの応答ではなく作家の言だとして紹介されている)
「我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。それが広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。」

「レキシントンの幽霊」(1996 文藝春秋)表題を含む7編の短編集。いずれも怖い話だがそれぞれに怖い中味は違う。読む人によって怖さは異なるだろう。自分はいじめの「沈黙」より、妻が洋服を買い漁りはてに交通事故で死んでしまう「トニー滝谷」の孤独が異様に怖かった。

「スプートニクの恋人」(1997 講談社)
「僕」が恋した女性すみれは、年上の女性ミュウと恋に落ちたが、うまくいかず忽然とこの世界から消えてしまう。僕はミュウに頼まれギリシャまで探しに行くが見つからない。
レズビアン、性をめぐって展開する中編小説。単線型小説に属するのだろうと思う。
ミュウの髪を一瞬に白髪にした不思議な経験も性にまつわる。オープンエンドであり、女をなくした男など村上春樹特有の展開。「ノルウェイの森」もこれに似た雰囲気の小説だが、こちらは表題の「スプートニクの恋人」がもう一つ分かりにくいというか、テーマとの付きが離れている感じ。スプートニクはロシア語でみちづれ、人工衛星の軌道はすれ違っても会うことはない。恋愛とはこれに似ているというのだろうが。「象徴と記号」の違いは「片思いと相思相愛」の違いだという方が分かりやすいが表題には向かないだろう。Symbol やSign(Codeなど)をどう使ってもたぶん「The Sputnik Sweetheart 」には敵わない。


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村上春樹を読む(その9) ・「アンダーグラウンド」など [本]


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「アンダーグラウンド」(1997 講談社)
1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件の被害者(本人および家族62人)から聞き出した体験談のインタビュー記録。後記の「約束された場所で underground 2」とともに村上春樹には、珍しくノンフィクションである。

サリン事件の起きる2ヶ月前、1995年1月には阪神淡路大震災が起きた。我が職場の神戸にも事務所があり、崩壊したので自分は本社にいたが、東京にも直ちに対策本部が設置された。
自分はその後間も無く7月に復興中の関西(大阪支店)に赴任した。55歳であった。前任者の芦屋の社宅は傾き入居不可能となり、豊中市の新しく借り上げた戸建ての社宅で1年間暮らした。

3月20日にサリン事件が起きた時は、東西線で高田馬場から大手町まで行き日比谷線に乗り換え日比谷駅まで通勤していたことになるが、その朝のことはよく覚えていない。通勤時間帯が自分の方が早かったのだろうか。後から職場のテレビで霞ヶ関駅辺りの映像を見た様な気がする。
今にして思えば、相次いで起きたこの二つの大事件は、自分の身近かで相次いで炸裂したのである。まかり間違えば自分が遭遇していたかもしれない、というのがまさしく実感である。

自分は「アンダーグラウンド」を講談社文庫で読んだが、731ページに及ぶ大作である。しかもインタビュー部分は全て上下段。本は当然ながら分厚くて手に重く、内容からしても、 寝ころがって読むには難がある。
アンダーグラウンドは言うまでもなく地下鉄を指すが、また「心の闇」である人間の内なる影の部分をもイメージしている。村上春樹の小説「ねじまき鳥クロニクル」に登場する「やみくろ」の世界である。
それは我々が直視することを避け、意識的に、あるいは無意識的に現実とから排除し続けている真っ暗闇であり、そこに光を当てると言うのが作家の狙いだ。確かに加害者でなく被害者の声を先ず聞く、というのはユニークなアプローチである。

当然ながら個々の被害の状況は似ているが、被害者それぞれは家族を含めた周囲の状況は異なる。いずれも同時代に生きるひとの言葉だけに迫るものがある。
自分も、西武新宿線の立川近くから勤務地大手町に1時間半余りかかる長距離通勤に音を上げた。少し近くになる中野に引っ越したが、引き続き東西線の満員電車を経験していた自分には、事件に遭遇した人の話を読んでいて身につまされて、しばしば胸が苦しくなった。そして当時の自らの追想に誘発されつつ、多くのことを考えささられることになった。

ところで、巻末の「目じるしのない悪夢 ・私たちはどこに向かおうとしているのだろう」によれば、事件を知ることだけでなく作家は、海外から帰り日本をももっと知りたいという動機もあったと説明している。

自分などは、被害者に聞くのならオウムサリン事件より東日本大震災による福島原発事故の方が日本を知るのに好材料だと思う。しかし、原発事故はオウム事件の16年後に起きたのだから、比較しても詮無きことではあるが。
この二つはどこが異なるのか、考えさせられる。原発事故は地上(Terrene)で起きたこと、サリン事件は地下(Underground)で起きた違いがある。小説家は地下の方が惹かれるかも知れないが、起きた場所が事件の本質に差異をもたらすことでは無かろう。
被害者が普通の生活者だというのは同じである。原因ではかたや宗教(らしきもの)、片や自然現象に併発した原発事故と明らかに異なる。

心の救済を求めて生活者であることを放棄し教祖に全てを委ね安寧を得た者が、無差別殺人に加担するというのは常軌を逸している。しかし、現実に起きた。
電力確保のための原発建設は生活者の為ではあるが、それだけなら代替手段がないわけではない。使用済核燃料処理が出来ない中での原子力産業は、いったい誰のものかも問われねばならない。原子力村か過疎にあえぐ地域住民か。こちらは経済が直接絡む。
オウムの方は、信者の出家に見られるように経済からは一見して遊離しているように見えるが、どうだろうか。
原発事故で強制的、自主的を問わず避難した被災者にインタビューしたら…経済、家計、家族など日本の何かが見えてくるのではないかと思う。
そうは言っても、政府、国家、核兵器開発、政治など解明出来ぬ怪物がずるずる出てくるだろうから余ほどの覚悟が必要だろうが。
また、オウムについて作家は「内なるアンダーグラウンド」と言って、誰もが持っていて意識的に避けていることについて語るが、原発についても同じこと、つまり「内なる原発」が言えるのではないかと強く思った。

「約束された場所で underground 2」(1998 文藝春秋)
オウム事件の被害者へのインタビューのあとに加害者たちへ同じことを行い、彼らの生の声なり、正直な思いなりを、そのままの形で紹介したいと思うようになったと作者は言う。それもまた、先の場合と同様に、「明確な多くの視座を作り出すのに必要な<材料>を作り出す」という目的のもとで。こうして同じかたちで書かれたのがこの本である。
こちらは、マスコミなどで詳しく世に知らされたことが多いのだが、オウム側のことについては、いくら聞いても理解し難いことがある。なぜ、こんな教祖に全生活を投げ打ち、全身を捧げることが出来るのか。
自分が読んだのは、「村上春樹全作品 1990~2000 [2]-7 約束された場所で 村上春樹、河合隼雄に会いにいく」である。「ー会いに行く」も再読した。
「約束された場所で」にも巻末に河合隼雄との対談がついている。
河合隼雄は、村上春樹とのこの対談で教祖について「あれだけ純粋なものが内側にしっかり集まっていると、外側に殺してもいいようなすごい悪い奴がいないと、うまくバランスがとれません」といっているが、そうしたメカニズムが反社会的な行為に走っていくところは、ヒットラーのナチズムとよく似ているという。そしてオウムの幹部とBC戦犯も似ていると。たしかにあなた任せの思考停止、誰もが責任を取らぬ曖昧さはサリン事件、原発事故、太平洋戦争に通奏低音のように鳴り響いている。

また、オウムに走った者の発想(宗教の追求)と作家の物語をつくる精神の類似性、共通点についてあるいは異なる点についての心理学者と小説家のやり取りは大変興味のあるものだった。

なおこの本の題名「約束された場所で」は、アメリカの現代詩人マーク・ストランド(Mark Strand)の詩からとったものだという。その部分を、村上自身が次のように訳している。 
ここは、私が眠りについたときに
約束された場所だ
目覚めているときには奪い去られていた場所だ

このノンフィクションは、村上春樹の「悪」についての考え方に近づく一つの手がかりになるのかも知れないが、まだ自分には作家の問題意識そのものが分かりかねる感じもしてもどかしい。
悪とは何か。閉じられた世界の悪はその世界の住民にとり悪ではない。開かれた世界の善も閉じられた側から見れば悪の場合もある。
一人ひとりの心の闇にある小さな我欲が集積、増加すると量が質に変化するように大きな悪(例えば戦争)になるのか。我欲には小さな安穏な生活、家族の安寧願望も含まれる。
人間の暴力、自然の暴力。人が損なわれるとはどういう事か。
脳裡に作家の言、自分の考えなどが交錯しつつ靄のように来ては去り、去っては来てまとまらない。
これでは村上春樹の良き読者には、まだなれそうもないなとしみじみと思う。


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村上春樹を読む(その10) ・「辺境・近境」など [本]


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「辺境・近境」(1998 新潮社)は、ロード・エッセイと称する8編が収録されている。
「辺境」のなかでは「ノモンハンの鉄の墓場」が印象に残る。
「近境」では「讃岐・超ディープうどん紀行」が面白かったが、これはどこか別のところで読んだような気もする。
同じく「近境」では、やはり1997年5月の「神戸まで」(書き下ろし)が出色。
前のブログに取り上げた「アンダーグラウンド」を書き上げた後だという興味と、自分が当時作家が歩いたそこに住んでいたので、懐かしい記憶を呼び覚まされながら面白く読んだ。
自分は1995年から1997年7月までの2年間、大阪支店勤務だった。前半1年は、豊中市の一戸建て社宅に住んだ。前任者が住んでいた社宅は芦屋のマンションだったが、地震で損壊して住めなくなったのである。1年後修復されたので戻って、後半1年間は芦屋から大阪は御堂筋の淡路町まで車で通勤した。
マンションは芦屋川の西側に山に沿って建てられ、エレベーターが登山電車のように斜めに昇降する頑丈だが変わった建物。前任者は1月17日定例会議のため上京していて、辛くも難を逃れたのである。
部屋が9階なのでベランダからの夜景は、六甲ランド、ポートアイランドの灯も見えて夜も見事な眺めだった。
前の芦屋川の河原では猪の親子が、時々数頭しきりに餌を求めて徘徊していた。
神戸の事務所は2階建てで一階が潰れ、壊滅的な被害を受け金庫の重要書類などを取り出すことを含め難儀したが、人的災害を免れたのが何よりであった。

大阪支店は兵庫、和歌山、滋賀、京都府の支店、事務所を所管していたが、神戸には取引先も多くて、挨拶と言う名の営業でせっせと通った。西宮、伊丹、灘の清酒メーカー、六甲ランド、ポートアイランド立地の企業などなど。転勤では静岡、新潟、大分、福岡で暮らしたことがあるが、関西は初めてで、しかも初めての単身赴任生活だったので毎日が新鮮な感じだった。

芦屋に住み高校まで育った作家は、2日かけて西宮から神戸までを散歩する。いわばセンチメンタルジャーニー、故郷紀行だが、震災(とサリン事件)の後だからただのそれではない。

神戸を襲った大震災は2年前の1995年1月17日である。その2ヶ月後にサリン事件が起きたとき、アメリカにいた作家は帰国して被害者にインタビューしてノンフィクション「アンダーグラウンド」と(のちにオウム信者へのインタビュー集「約束された場所で」も)を上梓する。
「僕がこの本で書きたかったのは、我々の足下に潜んでいるはずの暴力性についてであった。」と言う。そして、地下鉄サリン事件と阪神大震災は別々のものじゃない、二つは心的で物理的なもの、だという。このあたりは我々読者が正しく理解するには努力が必要かもしれない。
しかし、それとは別にせよ、起きてしまった二つのことに何が出来るかを考えても、自分(作家)にもまだ答えはないともいう。答えを得るまでに時間がかかるが、間に合うだろうか?と危惧するとも。
突然起きた理不尽なカタストロフに対して自分が何が出来るかという問い、これは我々と同じ普通の人の感覚であろう。作家と言えど特別な人間ではないのだから少しもおかしい事ではない。
なお、神戸の震災については直接テーマにした著作は無いが、短編小説集「神の子供達はみなおどる」という地震にまつわる連作があることは前に触れた。

「ノモンハンの鉄の墓場」は、「うずまき鳥クロニクル」を理解するために得るところがあった。
「うずまき鳥クロニクル」では、ノモンハン事件(実質的戦争を「事件」というのは、最近やたらと多い「言い換え」である)の生き残りが重要な語り手で登場するが、暴力は物理的なものでかつ心的なもので別物じゃないのだという作者の意識を思えば、ノモンハン事件が時・空を超えてエピソードとして挿入されている意味も分かるというもの。時を超えてということをクロニクルという言葉で表したのか。
作家のこの小説で書きたかった一つに暴力(性)があり、これは作家の持つ大きなテーマの一つであるが、なかなかどうして分かりにくい。

作家のノモンハンへの旅が小説を書く前でなく後であったということは面白いし、訪ねる前に書いた現地の様子は現実もそのとおりであったと、どこかで書いていたのも面白い。さすがであるが、人は心に浮かばないものは見えないという怖れもないわけではない。

作家は戦跡を歩いた日の深夜2時過ぎ、得体の知れない地震のような激しい揺れを経験することになる。それが大地の揺れでなく作家自身の心の揺れだと知覚する。
「暴力」が物理的かつ心的なもので、過ぎた時間に関係ないという証であろう。村上春樹の小説が少しわかるような気がして、これも収穫のひとつだった。

「雨天炎天 Turkey チャイと兵隊と羊-21日間トルコ一周 」(1990 新潮社)
紀行文というのは、近々その地を訪ねるといった目的意識なく読み始めるとよほど好奇心が強いひとでないと、無理やり旅の道連れにされたようなもので、文章が面白くなければ最後まで読み通せない。まぁ、埒もない読後感想の「辺境ブログ」文よりはもちろんましだが。
この旅行記では、トルコ東部高地ヴァン湖の泳ぐヴァン猫の話が面白かった。作家が絨毯屋とグルのホテルマンの誘いに乗り、猫を見たさに絨毯屋に案内される。幸い世にも珍しいヴァン猫にも会えたが、絨毯を買うことにもなるのが面白い。自分だったら、きっと同じようなことをしたに違いないと思う。
ネットによればヴァン猫は、世界に1000匹ほどしかいない希少種という。可愛らしい顔をして、瞳が青もしくは琥珀色、または片方が青で、もう片方が琥珀色というのもいるというのだからすごい。しかも写真で見ると上品な猫である。
水を怖がらずに泳ぐ猫としても知られる。トルコのヴァン県原産。(写真はネットから拝借した)




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村上春樹を読む(その11) ・「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」など [本]


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村上春樹の随筆などをランダムに読んでいる。

「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」(1999 平凡社)
陽子夫人の撮影した写真が掲載されたスコットランド、アイルランドのウイスキー紀行文。
ウイスキーは、アイルランドで生まれアイラ島を経てスコットランドに渡ったという。
この紀行文を読む前には、「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」という表題はアイラ島のシングル・モルト・ウイスキーとアイリッシュウイスキーにしても、言葉で良さを人に伝えるより飲めば分かるということかと思ったが、それにしては言いまわしが少し変である。やはりそう単純でもないようだ。
ウィスキーのもつ味わいを少しでも読者に「共有」して欲しいという願いをこめてこの文章を書いたらしい。つまり、自分の言葉だけで読者がウィスキーを味わえたらどんなにかすばらしいだろうか、という作家としての思いがこもっているのである。むろん言葉だけでウィスキーを味わうことはできない。言葉はウィスキーでなく言葉に過ぎないからだ。それでもなお作家は「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と夢を見続けるのだと次のように書く。作家が伝えたいのは何もウイスキーのうまさだけでは無い。
「でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、ぼくらのことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らは(少なくとも僕はということだけれども)いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ」
言葉を扱う作家としての希望、姿勢を示した表題なのだ。直球でなくカーブかナックルボールの言いまわしで、人の目を惹くところは相変わらずである。

1999年2月、仕事でスコットランドはインバネスのモルツメーカー・トマーチンデイストラリーを訪ねて見学させて貰った旅を懐かしく思い出した。
ここのウイスキーのブランドは「LANG」だった。lang は辞書によればlanguage の省略形だとある。とすれば村上春樹の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と偶然ながら呼応するような気もする。

少なくとも作家の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」という夢想とトマーチンディストラリーが、そこで蒸溜して作ったウイスキーにLANG(language・言葉)とネーミングしたココロには似たものがあるかも知れない。

自分がインバネスに行った1999年は平凡社からこの本が出版された年だが、作家は1997年に「サントリークオータリー」にこの文を書いているので、旅の時期は自分よりかなり前になるようだ

作家は「うまい酒は旅をしない」とも言う。舌では分からないが雰囲気は少し分かる。灘の清酒メーカーの人から清酒は野菜や魚と同じで新鮮が一番と教えられた。地酒が美味しいのはそのせいだという。ウィスキーはどうなのだろう。都会の薄暗いバーで飲むより、荒涼としてうそ寒いインバネスで飲んだ方がうまいと思ったかどうか、今となると思い出せない。
ディストラリーの側を流れていた小川の水は、ピートが混ざっているのか茶色く濁っていたのだけいやに記憶に残っている。


「村上朝日堂 はいほー!」(1989 文化出版社)
「ハイファッション」なる服飾雑誌(眼にしたことはないが)に連載していたエッセイ集。
作家はかなり気楽に自分自身の生い立ち、性格や生活態度、趣味や夫婦仲などを書いている。自分の夫婦仲のことをこだわりなく披瀝するというのは、なかなか出来る事ではない。作家は意外とまじめな性格のよう。村上朝日堂というのは朝日新聞社専売ではなさそうだし、例により「ハイホー!」の説明はなかった(のではないか)と思うが、訳が分からないエッセイの表題ではある。

「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」(1997 朝日新聞社)
サリン事件被害者インタヴューを一年間かけて文章化していた同時期に、週刊朝日に連載していた気楽なコラム。著者は「アンダーグラウンド」(1997 講談社)とのバランスをとっていたという。シリアスなものと気楽なものとの。

「村上ラヂオ」(2001 講談社)
「anan」連載のコラム集。短くて気楽ながら丁寧で好ましいエッセイ集。読者を20歳前後の女性と決めつけず書いているのが良いのか、1話が(文庫本で)1ページ半ほどの短文なのが良いのか、理由は分からないが好感度が高いと思う。
中でも気に入ったひとつ。
「パスタでも茹でてな!」
イタリアの車の運転モラルが低い話。車の窓をあけてドライバーが「シニョーラ、運転なんかしないで、うちでパスタでも茹でてな!と怒鳴る。」という話からパスタの話になり、「国境をまたいで超えただけで、パスタが突然信じられないくらいまずくなる。国境って変なものだ。それでイタリアに戻ってくると、そのたびに「おお、イタリアってパスタがおいしいんだなあ」とあらためてしみじみ実感する。思うんだけど、そういう「あらためてしみじみ」がひとつひとつ、僕らの人生の骨格をかたちづくっていくみたいですね。」としめる。
思うんだけどという転じ方がすこぶる良い。そして後に続く文章がまたすこぶる結構。わがブログ「しみじみ e 生活」のテーマそのものだ。

「村上ラヂオ2 おおきなかぶ、むずかしいアボガド」(2011 マガジンハウス)
「アボガドはむずかしい」
作家は難しいのは食べどきのことを言っているのだが、自分の経験では、アボガドの難しさは傷んでいるのに外からは分からないことだ。これで何度泣かされたことか。
食べどきなら、キウイの方がよほど難しい。かつて「採り時を教へぬキウイの硬さかな」という駄句を作ったことがある。
紹介されている村上夫妻のたのしむタマネギときゅうりとアボガドのサラダ、ショウガドレッシングが美味しいとの由。一度試してみたい気がした。

「村上ラヂオ3 サラダ好きのライオン」(2012 マガジンハウス)
「ブルテリアしか見たことがない」
ブルテリアは犬の種類。これしか飼ったことのない人に犬は分からない。一度しか結婚していない人に女を分かったと言えない。
各文最後の「今週の村上」がくだらないけれど面白い。特にダジャレ。フリーダイアルと不倫ダイアル、洗剤意識と潜在意識、何回止まっても一時停止など。わが記憶力が急低下しているのに、覚えているのがいくつかある。ダジャレや言葉遊びの好きな人は好きである。回文だが、「またたび浴びたたま」という著書がある。

「またたび浴びたタマ」(2000 文藝春秋)
うーむ。自分も「伊丹の酒今朝飲みたい」など言葉遊びは好きだが、一冊の本にするほどのことかなとも思う。回文に怪文が添えられているが、読んでいて「定型」は物語を作りやすいのではないかとふと感じた。5・7・5調が俳句、短歌を、韻が詩を、折句が追悼句を、作りやすいように回文は怪文を生みやすい。

「意味がなければスイングはない」(2005 文藝春秋)
かねて作家が音楽(ジャズやクラシック)についてじっくり書いて見たいとして実現したエッセイ。
相変わらず上手いアイキャッチの表題について作者は「あとがき」でデュークエリントンの名曲「スウイングがなければ意味はない」のもじりと明かしている。名言はそのままひっくり返しても意味がある場合があるものだと知る。
本文では、「シューベルトピアノソナタ17番ニ長調D850 ソフトな混沌の今日性」、「ゼルキンとルービンシュタイン 二人のピアニスト」
の二章だけが少し理解できたような気がするが、あとのジャズやロックの話は殆どが理解の外にあった。


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村上春樹を読む(その12)・「日出ずる国の工場」ほかノーベル文学賞のこと、など [本]

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「日出ずる国の工場」(1987 平凡社)
安西水丸との工場見学記。前書きで次のように言う。
日本人は愛おしいくらいよく働く人種で…仕事そのものの中に楽しみや哲学や誇りや慰めを見出そうと努めている…取材を続けているうちに日本とか日本人の概念が徐々に膨らみタイトルを変更した…。(当初「村上朝日工場」あるいは「メン・アット・ワーク」にしようと考えたのだと述懐する)
現場を見ての作家の気持ちの変化が良く分かる文章である。作家は正直である。
自称「ノン・ノンフィクション作家」が選んだ取材先は①京都科学標本(人体模型)、②アデランス、③CD工場、④コム・デ・ギャルソン、⑤松戸・玉姫殿(結婚式場)、⑥消しゴム工場、⑦小岩井牧場(経済動物たちの午後)である。
アデランスは「ねじまき鳥クロニクル」で主人公が笠原メイと「髪の毛調査」をするアルバイトのシーンに登場する。作家はいやに細かいことまで知っていると思いながら読んだ覚えがある。作家のいう引き出しの一つだろう。

自分はこの中で小岩井牧場だけは昔仕事で訪ねたことがある。
思い立って「愛おしいくらいよく働く人」であった自分は、どのくらい牧場や工場を見学しただろうと、記憶を呼び覚まして辿ってみた。
牧場は、酪農場、養豚場(黒豚、無菌豚、種豚)、肥育牛(乳雄牛、黒毛和牛、短角牛)、養鶏(採卵鶏、ブロイラー)、種競馬など畜産関係が多い。15、6くらいは見学している。他に養殖場(養鰻、養鱒、養鼈、鰤、鯛、鮑)などもあった。
工場は、食品工場(製パン、清酒、ビール、ウイスキー、ワイン、ジュース、製糖、味噌、醤油、ハムソーセージ、ジャム)が多く、機械工場(農機、自動車ハーネス、)、製紙、製缶、縫製、段ボール工場など30近くをすぐに列挙できた。
他に思い出せないものもあるに違いない。引き出しとしては充分過ぎるほどだが、引き出しても使いようが無いのは残念。

「遠い太鼓」(1990 講談社)1986年から89年の3年間ギリシャ、イタリアなどで暮らした作家の滞在記、旅行記。作家は37~40歳。
表題はトルコ民謡ー遠い太鼓に惹かれて旅に出るーという古謡からとのこと。旅行記なのに短編集の表題かと思ってしまう。この海外で暮らした時期に作家は「ノルウエイの森」、「ダンス、ダンス、ダンス」を書いたという。
この種の旅行記、滞在記を村上春樹はスケッチと呼ぶ。これらは小説を書くときに、頭の中の引き出しから時々引っ張り出すのだともいう。
このあと、アメリカ東部で暮らし「ねじまき鳥クロニクル」などを書くのだが、加納クレタなどいくつかギリシャ関連のことどもが引出しから出てくることになる。

読んでいていくつか感想があるが、二つだけ。
一つは作家の妻のこと。当然のことながら、ほとんど夫婦揃っての海外暮らしなのでいつも一緒であるから、記述の多くは「僕らはー」が多い。しかし夫婦の会話は、時々出てくるもののきわめて少ない。
読む方は、いつも表に出なくともこのとき奥さんはどうしているのか、なんと言っているのかなどと妙に気になる。作家は夫婦の性格の違い、二人の距離感、衝突した時の対処の仕方なども時折書いているが、若いのにまぁ我慢強いなと感心する。勿論片方だけでは無く、二人ともである。どこかで作家は、妻が最初の読者で意見を貰うと書いてあったように思うが、日常生活、作家生活とも好感の持てる二人三脚のようだ。勿論読者に推し量れ無い事情もあるのだろうが。
もう一つは、この時期の自分が送っていたわがサラリーマン生活との違い。自由とはこういうものかと再認識する。作家の支払う代償の大きさとその代わりに手にする自由が光り輝いて見え、改めて驚く。支払うものが小さい代わりに、心身の安寧を得て暮らしていた自分を顧りみて、人の一生はかくも異なるのだという感慨を覚える。

「雨天炎天 GREECE アトスー神様のリアルワールド」(1990 新潮社)
村上春樹はヨーロッパ滞在中の1988年にギリシャのアトス半島にショート・トリップを行った。なお、そのあとトルコへ行った紀行文も「雨天炎天」である。「雨天炎天 Turkey チャイと兵隊と羊-21日間トルコ一周 」(1990 新潮社)は、このブログ記事「その10」ですでに書いた。
今回のこちらがアトス半島の旅。アトス半島は、ネットによれば、マケドニア南部テッサロニケの東南に突き出た三つの半島のうち一番東側の細長い半島。独特の宗教共同体の自治で知られているという。ギリシャ正教の修道院が二十、そのもとに粗末な建物が立ち並ぶ。住人のほとんどは男子聖職者であって、彼らはここで修行をし、宗教的な生活を送って一生を過ごすという。ミャンマーやチベットの僧などを思い起こすが、日本にはこれほど厳しい生活をする修行僧はいるのだろうか。

「ラオスにいったい何があるというんですか?紀行文集」(2015 文藝春秋)
作家がかつて住んだギリシャ、イタリア、アメリカ再訪記など。再訪記よりイタリア・トスカーナ州のワイナリー訪問記が面白くて印象に残った。キャンティといえば藁苞の瓶も有名で水彩画でもよく題材で描いたことがあるが、本格的なキャンティ・クラシコの方を飲んで見たいものだ。(黒い鶏のエンブレムが目印らしいが。)
トスカーナは粘土と石灰石の混じった土壌が美味い葡萄を育てるという。昔訪ねてワインテイスティングをさせて貰ったブルゴーニュも、地底にある石灰石に葡萄の根が届くとワインが美味しくなるのだと聞いた。ワインの味を決めるのは石灰石か。

ちなみに題名はラオスに行った時にヴェトナム人に聞かれた言葉という。何があるか分かっている旅は旅とはいえぬという作家の持論。それはそうだ。再訪はその地の変わりようを見る旅だし。

「蛍・ 納屋を焼く・その他短編」(1984 新潮社)
帯にリリックな7つの短編 とある。「叙情的」というように流れるような文章だが、例により書かれない部分があるので分かりにくくもある。(書かれぬ余白が味を出しているのだろうとは思うが。)
表題の2編と「踊る小人」、「めくらやなぎと眠る女」、「三つのドイツ幻想(冬の博物館としてのポルノグラフィー、ヘルマン・ゲーリング要塞1983)」、「ヘルWの空中庭園」)が収められている。
長編「羊をめぐる冒険」(1982)と「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」(1985)との間に書かれた初期の短編集。
「蛍」はノルウェイの森の原形のようだ。他の短編も村上春樹の長編小説のシーンや登場する女性などと似た所があるのは面白いし、村上春樹の小説を理解するヒントがあるかも知れない。

「シドニー!」(2001 文藝春秋)
2000年シドニー・オリンピックの村上春樹による観戦記録である。スポーツ情報誌「ナンバー」に掲載された。
観戦記よりオーストラリア事情、歴史などの方が力が入っている感じ。マラソンやトライアスロンを除いてだが。
女子マラソン金メダルの高橋尚子より、有森裕子のインタビューに力が入っているのも村上春樹らしい気もする。理由はよく分からないが。
アボリジニーの女性が金メダリストとなった女子400mの決勝レースは読ませる。原住民と侵略者の歴史は何処でも奥が深いものがあるとあらためて考えさせられる。アメリカインディアン、アイヌ、マヤ・アステカしかり。

終始五輪は退屈だと言いつつ膨大な観戦記(409ページ!)を書いた作家は、後半で次のように総括的に呟く。このつぶやき末尾の「長い結婚生活の薄暗い側面」という意味は何か良く分からないし、ここに相応しい喩えなのかどうかとも思うが。
「シドニー・オリンピックは、とことん退屈ではあったが、それを補ってあまりあるくらい~あるいはやっとこさ補うくらいには~価値あるものだったということができる。長く続いた結婚生活の、ある種の薄暗い側面と同じように」

この文章を書いていた時にカズオ・イシグロ(1954長崎生まれ)のノーベル文学賞受賞のニュースが伝えられた。彼の「日の名残り」はこのブログでも取り上げたが、「記憶」が主たるテーマとは読んでいなかった。とても立派な小説読みとは言えないなと反省。

http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2014-07-22
カズオ・イシグロ「日の残り」ーマナーハウスとカントリーハウスのことなど

イギリス国籍の日本人であるカズオ・イシグロは、村上春樹より5歳ほど下、二人は友人でもある。受賞理由は「壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」という。

村上春樹はいつも有力候補に挙げられながら受賞を逸していて、その理由を何かで読んだことがある。
たしかに村上春樹の書くなかにノーベル賞となじまないものもあるようには思う。例えば暴力(性)などもその一つであろう。選考委員会がどんな基準を持っているのか知る由も無いが、それが何か危険なものに結びつく怖れを懸念することは考えられる。
しかしもっと小説を書く者、読む者を信頼しても良いという気持ちもある。
何れにしても受賞と小説の良さは別物であろう。世の中にはいろんな書き手といろんな読み手がいるのだから、良し悪しは人によるのだ。









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村上春樹を読む(その13)・「村上さんのところ」などとCD「僕と小説とクラシック」 [本]

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「パン屋再襲撃」( 1986 文藝春秋)
表題は1985年作(下記の絵本「パン屋を襲う」で触れたい)。あと「象の消滅」、「ファミリー・アフェア」、「双子と沈んだ大陸」の短編。ほかに2篇、計6篇が収められている。
いずれも面白く読める。「ファミリー・アフェア」は「家庭の事情」とでも訳すのか。60~70年代に活躍したアメリカのファンクバンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの曲名「Family Affair」と同じだと指摘する人も。
主人公の妹の婚約者の名前が渡辺昇、安西水丸の本名だ。「ノルウェイの森」ほか、あちこちに出てくるのが可笑しい。この短編集「パン屋再襲撃」では主人公僕の共同経営者、「象の消滅」では象の飼育係、「双子と沈んだ太陽」ではやはり共同経営者として、渡辺昇が俳優のごとく出てくる。皆別人ながら短編集に通した横串と見るのはうがち過ぎか。
ほか2篇のうちの「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(1986)は、後の長編の冒頭の書き出しでほぼそのまま使われた。失踪猫の名はノボル・ワタナベで「クロニクル」のわたやのぼるにほぼ同じ。
「ねじまき鳥クロニクル」の刊行は、1994年だから、この短編が書かれてから9年が過ぎていることになる。

「パン屋を襲う 」(2013 新潮社)
「パン屋を襲う」「 再びパン屋を襲う」の2編の短編を収録。それぞれ「パン屋襲撃(1981)」、「パン屋再襲撃(1985)」を改題、絵本に仕立てたもの。
絵はカット・メンシック(独イラストレーター)なる女性が描いている。絵は好みだから評価は人によるだろう。自分は嫌いではない。
「パン屋を襲う」は若い男の二人連れがパン屋に押し入ってパンを強奪しようするが、パン屋の主人からワグナーを一緒に聞けば、パンをやると持ちかけられ、襲撃が頓挫する話。
「再びパン屋を襲う(旧題パン屋再襲撃)」は、結婚したばかりの若い男女が、猛烈な空腹に耐えかねてパン屋を襲う話である。かつてパン屋を襲った経験のある男の方が妻と再びパン屋(実際にはハンバーガーのマグドナルド)を襲う。物語はいわば独立しており、読者は二つの物語の関連性はそれぞれ考えろ、とつき放されることになる。いつものことだが、なぜワグナーなのか(「パン屋を襲う」の方)も含めて不分明、謎めかせて読者を惹きつける魂胆と見た。

「波の絵、波の話」(1984 写真 稲越功一 文村上春樹 文藝春秋)Pictures of Wave,Tales of Wave英題名。
波の絵は絵画かと誤解しかねないが、Photograph の方。マンハッタン、パリ、ロングアイランド、ハワイなどの波の写真と歌詞、短編レイモンド・カーヴァー村上春樹訳など。
手元に置いて、ウイスキーでもやりながら時折眺めるには大判で重過ぎると思う。

「The scrap 懐かしの一九八〇年代」(1987 文藝春秋)
スポーツ・グラフィック・ナンバー誌に掲載(1982~1986)された。
「オリンピックにあまり関係ないオリンピック日記」がとぼけていて読ませる。

「地球のはぐれ方 東京するめクラブ」(2008 文春文庫)
海外はハワイ、サハリンのみ。日本のはぐれ方である。名古屋、熱海、江ノ島、清里などであまりはぐれたくない。

「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問」  (2000 朝日新聞社)
村上朝日堂のHPの掲示板での作家と読者とのやりとりを収録したもの。村上春樹の答えは丁寧で辛抱強い。大方は共感する、あるいはそういう考えもあろうと思うものが多い。
個人的に言えば、一人が好きで一人でいたいので走ったり、音楽を聞いたり小説を書くことに没頭するのだ、というあたりは、やや誇張もあろうが、同感するところもある。

ただ一つだけ違和感を覚えたのは、なぜ選挙に行かないかという28歳の主婦からの問いへの回答。政治性において極端に個人的であるとして、選挙に行かないのは、人それぞれだから、とやかくいう筋合いではないのかも知れない。しかし、自分は決して非政治的な人間ではないというからには、質問者にはどうすべきかを言うべきではないかと思う。そうでないと、村上春樹でさえ行かないのだから、と若い人たちが安易に思ってしまうような気がする。著名人の発言力は本人が思う以上に強いのだ。もっと言えば、行くべきだと言って欲しい気さえするのだが、余計なことだと叱られそう。

「村上さんのところ」  (2015新潮社)
上記「村上さんに聞いてみよう」から15年後になされた読者との対話。
17週119日間にわたり37万7465通(うち外国語14カ国2530通 )の質問があり3716通に答えたという。うち473通のやりとりを収録。驚くべきタフネス。
二つ気になった応答がある。
村上春樹の小説は主人公に主体性がなく草食男子が多い、と言うの住職(ドイツ人僧侶)に対する答え。
一面的な見方だ。世界の変化を認識し自分の世界観を調整しようとしている のであって、新しいモデルを物語からこしらえたいと書いている。受動的ではないと、作家はやや気色ばんで答えている感じ。
もう一つは、50代主婦の「1Q84」における薬物・sexシーンは必要だったのかという問い。たしか主人公が父を見舞いに行って世話になった看護婦とのエピソードだったと、自分も覚えている。
大麻は、日本では禁止されているがアメリカの幾つかの州では合法。フィクションの中での話 だ。物語の中では殺人でも解せないということになる。ナーヴァスな自主規制の方が怖いのではないか。
必要かという問いへの答えとしては行違いがあるような。

なお、蛇足ながら質問者の最高齢84歳とか。作家より高齢な読者は少なそうだし、ましてメールをうって作家にコードネームを欲しがるような人は少なかったとみえる。

「みみずくは黄昏に飛び立つ 川上未映子インタビュー村上春樹」(2017 新潮社)
「職業としての小説家」「 騎士団長殺し」をめぐるインタビュー 。自分は主題の2冊とも読んでいないので特に感想も書けない。

さて、ここ5ヶ月ほどに村上春樹の著書をほぼ一読(最近作「騎士団長殺し」を除き)したが、読む前に持っていたイメージとそんなに大きく違っていたかというと、そんな感じはあまりしない。
多くのファンが村上春樹に魅かれるのは、第一に読みやすい文体にあり、第二に不分明なテーマと展開、第三に著者の読者への親切心などであろう。
第一の文体は分かりやすくリズミカル。もちろん推敲され磨き上げられたものだからでもある。二番目の「不分明な」というのは我ながら適切ではないと思うのだが、いまのところ良いことばが見つからない。謎めくオープンエンド、敢えて余白の多い絵のように読み手にも想像させる。三つ目の読者に対する親切心については、日常生活の描写にしても、無意識下の異界の物語にしても随所にそれが溢れているから多くの説明は不要だろう。
「村上春樹の読み方」や解説本が沢山あるのは初めて知ったが、これも上記の3点と関係がありそうだ。
自分はといえば、総じて違和感より共感が上回ってきたとまでは言い切れないが、これだけの量の本を通読することになったのは意外であった。もっとも、美味しい卵を産む鶏を知りたいという好奇心で読んだ本も多かったが。

蛇足ながら、この5ヶ月ほど著書に出てくる音楽を聴きたくなりアマゾンミュージックで探し、アイポッドやアイフォーンで聴いている。音楽と小説の関係は、今なお不分明で情けないが。
もとより音楽の鑑賞能力は極端に低い。ただ、常日頃少しでも音楽に親しめればと思っているので、良いとっかかりになったことは最大の収穫かも知れない。
同じようなファンもいるらしくニーズに対応して「僕と小説とクラシック」というCD(巡礼の年篇、泥棒かささぎ篇、シンフォニエッタ篇の3アルバム)があってアイフォーンで時折り聴いている。リストの「巡礼の年」、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」、プッチーニ「泥棒かささぎ」などが収録されている。いまどきはなんでも用意されていると感心するが、「僕」とは誰かなどと詮索すると面倒な気もしないでは無い。不分明なままの方がよさそうだ。
そのうち、僕と小説とビール、ワイン、料理レシピでも現れるのだろうか。

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「晩年様式集 イン・レイト・スタイル 」を読む [本]

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大江健三郎。1935年1月生まれの82歳。1959年東大卒。1960年友人伊丹十三の妹ゆかりと結婚。1963年長男光誕生などといった説明はいまさら不要だろう。
ノーベル文学賞受賞作家と並べるのは流石に気がひけるが、自分は1963年卒。1965年結婚。1967年長男誕生。ー同世代の作家だということを言いたかった。
若い頃はよく読んだが、仕事が忙しくなってからはあまり読まなくなっていたのは、サラリーマンの話題とするには適当ではなかったからだろうか。

「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」の表題は友人サイードの言「晩年の仕事レイト・ワーク」からというが、相変わらずうまい。「芽むしり仔撃ち」、「遅れてきた青年」、「洪水はわが魂に及び」 、「万延元年のフットボール」など初期作品名がすぐ浮かぶ。
2013年に刊行(講談社)されたこの本を書いたのは、刊行の一年くらい前だろうからたぶん77歳の頃と思われる。今の自分と同じだ。大作家が同じ年の頃にどんなことを考え、書いたか、どんな健康状態か興味が湧くのは自然のことである。まして書かれているのは2011年「3.11」の直後にあたる。
ただ、この本の主題は、作家の小説手法など別のところにありそうだ。残念ながら自分はよく理解できなかった。それほど最近の(晩年の)著作を読んでいないし、良き読者でも無いのだから無理もないと思う。

自分が日々感じている老いや心の変化などでは、作家の言葉に共感するところが多い。
作家は自宅の階段踊り場であの大震災から百日ほど経ったある夜半ふいに涕泣する。
「この放射性物質に汚染された地面を(少なくとも私らが生きている間は…実際にはそういうノンビリした話じゃなく、それよりはるかに長い期間)人はもとに戻すことができない。」と。

あの地震、津波、原発事故の時、自分は何も考えることも出来ず、呆けたように日を過ごした。作家は77歳で当方は作家の5歳下だから、72歳だったということになる。なにげに比べることになる。この時の打撃は作家ほどでないにしても、すべての日本中の人が強烈な衝撃を受けた。これまでの秩序や規範がガラガラと崩れていく、未来への不安が頭を覆う…。

さて、ネットの解説によれば、作家の1999年以降の創作活動は、「宙返り(1999)」、「取り替え子チェンジリング(2000)」、「さようなら私の本よ!(2005)」、「水死(2009)」などで作家自身が「後期の仕事(レイト・ワーク)」と表現しているという。

「後期の仕事」は、ほとんどが作家自身を重ねあわせた小説家・長江古義人をめぐる虚実入り乱れた物語ばかりであるという。
「作家自身をめぐる物語に虚構の騒動を交えて自身の思考を語りなおす、という手法が踏襲されている。(この形式には大江自身も自覚的であり、「水死」の作中にも「老作家のあいも変わらぬ自己模倣」などといった韜晦のような表現がある)。また、全編にわたって先行する文学・芸術などからの放縦な引用に加えて、過去の自作の引用・再話・換骨奪胎・再構築が行われている。」とある。

自分はこれらの著作をほとんどを読んでいないので、言うべき言葉はない。リタイア後読んだ「静かな生活(1990)」と「恢復する家族(1995)」 「ゆるやかな絆(1996)」ーこの2冊はいずれも妻大江ゆかりとの共著ーなどは「後期の仕事」以前のものだ。
よって「後期の仕事をテーマ」にしたこの「晩年様式集」についても語る資格もない。
読みながら、身体的な老いと戦いつつ九条を守る会、原発反対集会などに参加する姿に首を垂れるのみだ。

作家は、「晩年様式集」のなかで、これまで毎年ひとつずつ年齢を重ねている、としか自覚していなかったーが、「僕の年齢認識の変化は、こうなんだ。僕は間近に迫っている八十歳を基準にする。定点とする。ともかく自分の定点から逆算して、あと三年、二年と生きている今をとらえるということです。」と変わってきたという。
自分はかなり前からそうだが、定点は父の死の79歳だ。今やあと二年弱という年になっている。

また、作家は「四年ほど前の、視界が片隅からザーッと崩れる症状(それ以来、二度、三度と再来するので大眩暈と呼んで来た)に襲われた。」と言い、MRI,CT検査の結果、アルコール離脱症状だったと告白している。アルコール依存は原発事故禍、反対運動の疲労、自分の老い、知的障がい者の長男の行く末など悩み事からの酒への逃避の結果だという。
自分は幸にもいままでに大眩暈のような経験がないが、いつかどこかで何らかのカタストロフィが来ると懸念している。この恐怖感は大作家であろうが、凡夫の自分であろうが変わりは無いだろう。
作家は原発などのカタストロフィを語るとき、自らのカタストロフィも重ねているだろうことは何となく感じさせられる。

巻末の詩の最後はそれを感じつつ読んだ。

「ー私のなかで
母親の言葉が、
はじめて 謎でなくなる。
小さなものらに、老人は答えたい。
私は生き直すことはできない、しかし
私らは生き直すことができる。」

暮から正月にかけて、「後期の仕事」を少しずつ読んでみようかという気になっている。
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米原万里を読む⑴ 「ガセネッタ&シモネッタ」など [本]


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「多田富雄対談集 懐かしい日々の対話」を読んでいたら、米原万里との対談の中に彼女の著書「ガセネッタ&シモネッタ」(2000 文藝春秋)が出て来て興味を惹かれた。この人の本は読んだ覚えがない。色々なエッセイ集に載っているようだから、正確に言えば、読んだ筈だが記憶にない、ということになろう。(例えば 木炭日和 - '99年版ベスト・エッセイ集、日本エッセイストクラブ・編などに掲載されているようだ)

米原万里は1950年4月生まれ。自分より10歳下になる。残念なことに 2006年5月に56歳の若さで亡くなっている(卵巣がん)。東京外語大卒、ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家である。 父親が共産党幹部の故米原昶(いたる)、妹が井上ひさし夫人ユリ氏、料理研究家。

早速図書館で「ガセネッタ&シモネッタ」(2000 文藝春秋)、「終生ヒトのオスは飼わず」(2007文藝春秋)、「米原万里ベストエッセイⅠ・Ⅱ 」、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(2001 角川書店)を借りてくる。
米原万里の本は、大きく分けて①ロシア語通訳とロシアの話、②猫の話、③チェコのソビエト学校の話、④その他になるがそれぞれに面白い。その他にはがん闘病の話が含まれるがこれは辛い。
「ガセネッタ&シモネッタ」は①通訳の話だが、翻訳の話から言語学、文化比較論などに及び読ませるエッセイ。ロシア語で「こんにちは」は、ズドラーストヴィチェだが発音は「ズロース一丁」に似ているととぼける。
自分が知っている露語はあとスパシーバ(ありがとう)、とダスヴィダーニャ(さようなら)しかないが、こちらも何かと似ているか。
かつて、新潟に住んでいた時、新潟港に寄港碇泊していたロシア材木運搬船に乗せて貰い、お茶(たぶんクワス)と黒パンをご馳走になったことを思い出した。
貨物船には女性の乗組員が多勢いて、2歳の息子をしきりに可愛いがってくれた。
船室の食卓の足は床に固定され、椅子は鎖で床に繋がれていた。日本海は荒れるのだ。

「終生ヒトのオスは飼わず」は②の猫の話だが、この人の猫好きはやや並外れのようだ。
常時5、6匹の猫と暮らし犬も飼っていた。どの随筆だったか覚えがないが、ロシアから仔猫(ロシアンブルー)を二匹買って、空港の動物検疫を済ますまでのハラハラを書いていたが、その猫好きが相当なものだと分かって微笑ましい。
表題のほか「ヒトのオスは飼わないの?」も収録されている。米原万里は生涯独身を通した。
やはり若くして亡くなった哲学的エッセイスト池田晶子(1960年生まれ、2007年逝去、46歳)の犬好きを想い起こした。
 彼女は「犬とは犬の服を着た魂である。そして、人間とは、人間の服を着た魂である。」とまで書いていた。二人にはヒトのオスを飼わなかったことのほか、いくつか共通点がある。美人で頭が良く筆が立つこと、ファザコンらしいこと、など。ただ、相違点もある。
米原万里は脳の言語中枢部が、池田は哲学中枢部(そんなところがあればだが)が発達しているところ。米原はユーモア、シモネタ、ダジャレ好き、食いしん坊。池田は私生活は詳らかではなく、一見「真面目」といったことなど。

「米原万里ベストエッセイⅠ・Ⅱ 」は、池澤夏樹がⅠを、斎藤美奈子がⅡを、解説している。随筆集はあちこちに発表したものを集めるので、あ、これは読んだと気がつくものとそうでないものとある。読む者のその時の興味次第のよう。関心がなければ読んでも内容は100%覚えていない。

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は、親しかったチェコのソビエト学校時代のクラスメート3人、リッツァ(ギリシャ人)、アーニャ(ルーマニア人)、ヤースナ(ボスニア)を訪ね探し歩き、消息を確かめた記録。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品。NHKの「世界・わが心の旅 - プラハ 4つの国の同級生 」(NHK衛星第2、1996年2月3日放送)の取材紀行が下敷きになっているらしい。

米原万里は1959年、父の仕事の関係で一家で渡欧した。チェコのプラハで9歳から14歳まで暮らす。この間ソヴィエト大使館付属ソヴィエト学校で学び、帰国して東京外語大露学科を卒業。ソヴィエト崩壊、ロシア新体制移行時にゴルバチョフ、エリツインの通訳者としても活躍した。このあたりのことは、知らぬことが多いし関心がある。
もう少し米原万里の本を読んでみようかと思う。


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米原万里を読む⑵終「オリガ・モリソヴナの反語法」など [本]

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「不実な美女か貞淑な醜女か」(1994 新潮社)読売文学賞。
通訳にまつわるあれこれ。通訳者を志ざす者にとっては得難い教科書、参考書であることは間違いなかろう。たぶん翻訳者にとっても。しかし、一読すれば、単なる教科書、入門書でないことはすぐに分かる。読んでいると、むかし仕事では通訳のお世話になったことが多く色々思い出した。中国語や英語で露語ではないが、書かれていることは似たようなものだろう。
一番印象的だったのは、ムーディ社やスタンダード&プア社から格付けを取るときにお願いした通訳者の博識、彼女たちも必死で金融知識を予習していたのだろう。トンチンカンな専門用語など一言も使わなかった。

「ロシアは今日も荒れ模様」(1998 日本経済新聞社)
チャーチルは「ロシアは謎の謎、そして謎の中の謎」と言ったとあるが、確かに不思議な国らしい。この本ではその謎が少しは解けるだけでなく、翻って日本のことも解ってくるのが可笑しい。例えば「日本は資本主義国ではない。理想的な社会主義に一番近い国だ。ロシアはそれに向いていない」とロシア人がのたまう。すぐ皆が一方方向に走る、戦後の銀行の護送船団方式や最近の忖度世相を見ると、そうだなと思わずうなづく。
解説者袴田茂樹は米原ブシは独特のノリで誇張にわかに信じがたいようなところもあるが、一種の照れ隠しだと言う。そのようだ。

「オリガ・モリソヴナの反語法」(2002 集英社文庫 ) Bunkamura ドゥマゴ文学賞。
スターリン時代の暗黒、ソヴィエト崩壊後のロシア、1960年代のプラハを舞台に展開する老舞踏家の行方を追う長編小説。文庫本で493ページに及ぶ大作である。「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」と同じく、著者のプラハにおけるソヴィエト学校の経験がその核になっている。がこちらの方が少しフィクション色が濃い。だれでもロシア語に翻訳したら、彼の国の文学愛好者にどう受け止められるだろうかという興味が湧くだろう。
しかし、遠く離れた日本に住む自分にも、当時の社会主義国家の激動が感じられて面白く読了した。執筆に際し読んだという参考文献の量に驚く。

「旅行者の食卓」(2002 文藝春秋)
健啖家、胃丈夫(偉丈婦?)の著者の食べ物にまつわるエッセイ集。解説東海林さだを。
ウオッカのアルコール度は39、41度でもなく40度だとか、不味い「旅行者の朝食」という缶詰があったらしいとか、面白い話が音楽演奏会仕立てで纏められていて楽しい。

「わたし猫語がわかるのよ」日本ペンクラブ(2004 光文社)
題名を見て全部が米原万里の猫随筆かと勘違いしたが、米原万里は「白ネクタイのノワ」と題する一編を載せているのみ。他の作家やエッセイストたちの猫随筆を集めたものだった。ときどきこういう失敗をする。猫随筆もたくさん読むと、皆同じようになってきてつまらなくなる。
浅田次郎の私は猫であるという書き出しで始まる「百匹の猫」だけが面白かった。ペンクラブ会長だけに(ー関係ないが)とぼけた味わいがある。

「パンツの面目 ふんどしの沽券」(2005 筑摩書房)
ちくまに連載されたものを修正、加筆中に病気になる。少女の時の素朴な疑問、通訳者としての難問(固有の文化の言葉をどう伝えるのかなど)を解き明かそうとした「力作」と言えよう。単にシモネッタなどと思うと間違う。パンツの歴史は古く、騎馬民族などは最近のものらしい。論考は多岐にわたり、しかも微細に及ぶのでこれを読み通すには、ふんどしを締めてかかる必要がある。傍線が引かれていて助かる。

「必笑小咄のテクニック」(2005 集英社)
雑誌に連載した小咄の創り方を加筆修正したもの。著者が類い稀なユーモア感覚を持ち、いかにそれを大事なものと思っているかが分かる。苦しい時こそこれが大事と。この本も刊行直前に著者を病魔が襲う。
翻って我がことを思えば、著者の反対のところにいる感じか。大事だと分かるが笑いのセンスに乏しい。それでも俳句、連句、戯れ歌などに興味はあるのだが。
情けないが自分が本当に苦しいとき、彼女のように「ユーモア」に思いが至るか全く自信はない。
この小咄のテクニックは、お笑い芸人にはもってこいの教科書になるだろうというのが読後感とは情けない。

「偉くない「私」が一番自由」佐藤 優編 (2006文藝春秋)
佐藤優編によるロシア料理仕立ての著作集。佐藤は元外交官、作家、大学教授。外務省情報分析官のとき北方領土返還交渉に関わり代議士鈴木宗男逮捕事件に連座、背任等で逮捕、有罪。著書の「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」が話題となる。ついでにこれも読んだ。米原とはロシア繋がりであろう知人の間柄。佐藤の方が10歳若い。
なお、編集はロシア料理のコース仕立てになっている。ロシア料理を知っていれば、個々のエッセイがより味わいも深いものになるのだろうが残念。
米原の文章に「日本の古本屋」で古本をネットで買えると初めて教えられた。便利そうなので早速登録をしてみた。まだ試してはいない。

「打ちのめされるようなすごい本」(2006 文藝春秋)週刊誌などに掲載された書評集。
読書量の膨大なことに驚く。丸谷才一を高く評価している。「笹まくら 」「輝く日の宮」などが「ーようなすごい小説」。その丸谷才一が解説。その解説者も言っているが米原の書評は褒め方が上手い。
書評と無関係だが、文章の中に「猫の脳はヒトの脳と相似形、前頭葉が無いだけ」という記述に会い「前頭葉」をネットで調べてみた。
「前頭葉の持つ実行機能(executive function) と呼ばれる能力は、現在の行動によって生じる未来における結果の認知や、より良い行動の選択、許容され難い社会的応答の無効化と抑圧、物事の類似点や相違点の判断に関する能力と関係している」とある。
どうも猫の表情しぐさは人に近いなと最近強く思うので興味を持ったのだが、こんな実行機能の説明ではさっぱり要領を得ない。

「発明マニア」(2010 文藝春秋)
この本は米原万里が2003年から2006年まで雑誌に掲載したものを、没後収録刊行したもの。文庫本で579ページに達する大作。発明マニアの名に恥じぬ、数多の奇天烈な発明に名を借りた世相、文化評論である。
最後の「国際化時代に最も不向きな対立回避症克服法」は2006.5.21の日付になっているが、米原万里の死去は2006.5.25である。まさに絶筆だが畏れ入るばかりだ。
そもそも日本はアメリカの属領だから外務省はアクセサリーに過ぎないと持論を展開し、アメリカに丁寧なのに反比例して米国以外の国へ発言の不用意なこと、無礼、物騒なことと嘆く。自らのガンのことなど一切書かない。
新井八代なるペンネームで著者が大量の挿絵を描いている。絵は自己流というが、独特の味がある。習わなくとも、もう少し描いたらいっぱしのイラストレーターになっただろう。
米原万里は、もう少し長く生きたら、良い文章と絵をもっと残したに違いない。池田晶子(とその早世)を知った時と同じ気持ちになった。佳人薄命だとしみじみ思う。


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丸谷才一「笹まくら」 [本]

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この「笹まくら」は、最近読んだ米原万里の著書「打ちのめされるようなすごい本」で紹介されている。彼女はどんなことに打ちのめされたのだろうか。
題名の「笹まくら」は鎌倉時代の歌人の「これもまたかりそめ臥しのささ枕一夜の夢の契りばかりに」という和歌から来ている。
著者は1925年生まれ、2012年87歳で没。この小説は昭和41年(1966)刊行だから作者が41歳の時のもの。自分の41歳の時のことを思い、こんな小説が書けたかと考えるとたしかに打ちのめさたような気分になる。
「歳の残り」、「たった一人の反乱」、「輝く日の宮」、「裏声でうたへ君が代」などと並ぶ代表作であるが、この作品を一番に押す人が多いという。
物語は、昭和15年晩秋(主人公、浜田庄吉が徴兵され入営を迎える前日)に、出征壮行会の準備をしている実家から「床屋に行く」と行って出かけ、そのまま逃亡生活へと入る場面で終わるという変わった構成に驚かされる。それまで語られた全ての出発点にいきなり立たされた読者は一瞬名状しがたい気分になる仕掛け。
また読者は、戦後のサラリーマンとなった主人公の生活と戦争忌避者として逃亡生活を交互に語られる展開に、抵抗感なく引き込まれる筆力にも驚かされる。
これらの小説手法は村上春樹の作品に多く見られるなと、ふと思う。複数の物語の同時進行、二つの世界の行き来などだ。村上春樹のデビューを丸谷才一が評価したというのも頷ける。そういえば性描写なども共通点があるようにも思う。品格に少し差があるが。
それにしても戦争忌避、逃亡者をテーマにしたことは戦後の日本の歩みを考えると意味は何重にも深い。
漱石の「草枕」もやはり戦争とは無縁ではないという。丸谷才一は後に「徴兵忌避者としての夏目漱石」という評論を書いているが、自分はまだ読んでいない。
図書館でついでに借りたのは「たった一人の反乱 」「七十句 八十八句」どちらも面白い。
なかでも後者(古希に編んだ七十句、米寿記念の八十八句)に収録された岡野弘彦、長谷川櫂との三吟歌仙(連句)は楽しめる。氏(俳号玩亭)の付けは分かりやすくて面白く、久しぶりに堪能した。
もともと自分は著者を連句から読み始めたのである。長い小説より、五七五 七七の方が良いのはあながち歳をとったせいばかりでもなさそうだ。
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共通テーマ:日記・雑感

塚本邦雄を読む [本]

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 ウキペディアによれば「塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日本の歌人、詩人、評論家、小説家。
 寺山修司、岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と称され、独自の絢爛な語彙とイメージを駆使した旺盛な創作を成した」とある。

 2005年、85歳で没したが、1920年生まれといえば自分より20年歳上、1902年生まれのわが父より18歳下ということになる。歌人と父とは、無論関係は無いが大戦に兵役を免れていることだけ、共通している。
 歌人は25歳で敗戦だから、大戦の精神形成への影響たるや大きいものがあったと推察できるが、戦時神戸の商社に勤めていたサラリーマン経験者ということが自分には興味が惹かれた。

 わが少ない読書録に塚本邦雄著「百句燦々」がある。余り内容に記憶は無いが、確かに「独自の絢爛な語彙」は印象に残っている。
 俳句に興味があって読んだので歌人、詩人などだったとは頭が回らなかった。ウキペディアに俳人とは書いてない。選ばれた百句が常識的でないなというのも感じた覚えがある。今になれば一般的な名句を単純に選んで解説したものではなかったと気づく。

 図書館で借りてきて読んだ本は、「塚本邦雄の宇宙」、「華句麗句 俳句への扉Ⅱ」、「句句凛凛 俳句への扉Ⅰ」「詞華美術館」、「火と水の対話 塚本邦雄寺山修司対談」、「けさひらく言葉Ⅰ、Ⅱ 」、「異国美味帖」、「ほろにが采時記」、「ことば遊び悦覧記」だが、前衛短歌や詩は残念ながら殆ど理解の外で読み切ったとはとても言えない。なお「俳句への扉Ⅲ 句風颯爽」は図書館の資料検索に見つけることが出来なかった。

  革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化するピアノ
  馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ
  日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも
  突風に生卵割れ、かつてかく擊ちぬかれたる兵士の眼

 これらの代表歌を見れば、俵万智のサラダ記念日などがその対極にあることがわかる。斎藤茂吉、寺山修司はその中間か。

 溢れるばかりの比喩(直喩、暗喩)、音韻連想などについていけない。主宰する結社名からして「玲瓏」。
 歌集の題名も 水葬物語、 日本人霊歌、装飾樂句(カデンツア)、水銀伝説、綠色研究、感幻樂(かんげんがく)、星餐図etc.と何やら謎めく。

 俳句の方は17文字の故か、素人にも少しは分かるが通底するものは同じことのよう。論拠に乏しいが子規、虚子、芭蕉、兜太の順の次か。その先はもう山頭火、放哉になりそう。

  ほととぎす迷宮の扉の開けつぱなし
  初雪や膵臓のかげうすむらさき
  曼珠沙華かなしみは縦横無尽
  萬難を排して余呉へ芹摘みに

 「人間の愚かさ。『人間の』は余計だ。愚かなのは、人間以外にない」とは塚本邦雄の言だが、戦争体験が頭にあることは疑いがなかろう。ただ歌人の私生活は意外と真っ当というか常識的であったよう。
 「異国美味帖」や「ほろにが采時記」を読むと、記述は緻密、詳細に亘るが、それを窺える。また自分には興味の的や感受性などは共感するものが多い。
 詩歌は言葉遊びというだけに「ことば遊び悦覧記」は最も塚本邦雄らしい本だろう。内容についていけないものが多いが興味深々ではある。
 折句、回文、幾何学形詩、いろは歌、形象詩(カリグラム)などマニアックで読んでいて目が眩む思いすらする。これらに比べれば前衛短歌などはまともな方か。

 一人息子が歴史小説家の塚本靑史。「わが父 塚本邦雄」(白水社 2014年)も読んだ。作品からは想像出来ぬ生活ぶりをこの本からも知ることが出来る。特に晩年の様子は前衛短歌から想像出来ぬ普通の老人だ。当たり前ではあるが。
 息子は「麒麟も老いぬれば駑馬に劣る」と呟く。こちらは我が身に重ねて、駑馬が老いぬれば何になるのだろうと思うだけだけど。

 これらの本は、日々増加するコロナ感染者数に恐怖を募らせつつ過ごす時に読んだ。きっと忘れがたい読書の時間だったと、一連の華麗な言葉の乱舞などとともに後々思い出すのだろうか。




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内田樹「村上春樹にご用心」を読む [本]

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 いっとき、暇があったのとその読み易さの文章で多くの村上春樹の小説をまとめ読み(?)したことがある。
 備忘のため、わがブログに書いたら短文ながら「その13」にまでなった。
村上春樹を読む(その13)・「村上さんのところ」などとCD「僕と小説とクラシック」

https://toshiro5.blog.ss-blog.jp/2017-11-09

 読後感は一般的に言われていることとさして変わらないものだが、そのとき、この小説家は、なぜこんなに暴力とセックスを多く書くのかと思ったことを覚えている。

 「日本辺境論」(新潮新書2009、11 2010新書大賞)、「逆立ち日本論」などの著者で有名な内田 樹がいる。2016年この2冊のほか、呪いの時代を読んだ記録があるが、内容はすっかり忘れている。最近の忘れ方のひどさは半端ではない。そら恐ろしい。

「日本辺境論を読む」

https://toshiro5.blog.ss-blog.jp/2016-04-08

 内田 樹は、1950年生まれ神戸女学院大学 フランス文学者 武道家。以前から何故か関心があり、ネットで「内田樹の研究室」というブログをたまに読む。

 表題に惹かれて内田 樹著「村上春樹にご用心」(アルテスパブリッシング 2007)を図書館で借りて読んだ。借りた途端、新型コロナによる閉館になり、返せなくなったおかげでゆっくり読めた。

 この中で内田は、村上春樹の文学は「普通の穏やかな生活」を「邪悪なもの」から守る「センチネル(歩哨)」と三者関係が基本になっていると説く。とても分かり易い。自分は沢山読んだ割には、村上春樹の読み手としては落第だなと反省する。

 内田氏はそれぞれ、「普通の生活」は衣食住こそ基本、「邪悪、不条理」とは例えば猫の手を万力で潰すようなもの、「センチネル」は誰かがやらねばならぬ雪かきのようなもの、と表現して解説する。これも分かり易い。

 また、「政治的激情とか詩的法悦とかエロス的恍惚とか、そういうものは「邪悪的なもの」の対立項ではなく、しばしばその共犯者である。」とも書いている。

 エロス的恍惚は、普通の生活におけるセックスではなく邪悪的なものの側にあるものとして書いているなら、村上春樹がしきりにそれを書くのは分かる。しかし、それなら普段の生活における衣食住と同じような扱いのセックス描写はなんなのだろうか。

 また、「政治的激情」とか「詩的法悦」も邪悪的のものとしばしば共犯者になると言うが、それはどんな時か。村上春樹の小説を読んでいて気が付かなかったが、それだけに知りたいものだ。

「もういちど村上春樹にご用心」(アルテスパブリッシング 2010)があるようだから、それが書いてあるとも思えないが、図書館が再開したら借りて読んで見ようと思う。
 検索したら他に「村上春樹スタディーズ」、「村上春樹1Q84をどう読むか」などもあるようだ。

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「ザ、キャッチャー イン ザ ライ」、「グレート ギャッビー」、「ザ ロング グッドバイ」を読む [本]

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 村上春樹訳でJ.Dサリンジャー(1919〜2010 91歳没)の「The Catcher in the Rye (1951)」、スコット フィッツジュラルド(1896〜1940 44歳没)の「Great Gatsby(1925)」、レイモンド チャンドラー(1888〜1959 70 歳没)の「The Long Goodbye(1953)」3冊を続けて読んだ。20世紀のアメリカ文学に限らず外国の小説など殆ど読まないのだが、村上春樹の小説を読む延長のような感じで読む気になった。周知のように訳者はこれらの小説を高く評価しており、彼の小説に大きな影響を与えていることに疑いはない。

 「ザ、キャッチャー イン ザ ライ」は青春小説、「グレート ギャッビー」は大人の恋愛小説、「ザ ロング グッドバイ」はハードボイルドミステリーと言ってしまえば身も蓋もないが、名作の長編小説の中身と特徴を良く表していることも事実だろう。
 「キャッチャー…」は世の中をすべてインチキと感じる多感な青年が、なろうことなら遊んでいる子供が崖から落ちるのを助ける見張り役になりたいと願う。村上春樹の小説の多くに登場するセンチネル、歩哨である。崖は村上のいうセンチネルの対極にある「邪悪なもの」であろう。
 「ギャッビー…」は女を失った男、よりを戻そうとする男、格差や差別などが描かれる。これも村上春樹の小説にたびたび出てくる。女が男を犠牲にして生き残る、といった村上小説があったかどうかはおぼえていないが。
 「ロング グッドバイ…」はミステリーの古典になっているだけに読んでいて飽きない面白さだ。村上春樹のプロットなしの書き方もストーリーがミステリー風になるが、念入りに仕立てられたそれとは似て非というものだろう。

 三つの小説は無論別物、それぞれの特徴があるが、村上春樹の訳のせいか文章、文体、日常の暮らしの表現など共通するとまではいわないものの、似た雰囲気を醸しだしているところがある。そう感じるのは、自分が3冊同時に読んだせいばかりだけでもなかろう。訳は原作家になり切ることもあろうが、演じ切っても訳者の言葉でしか表現出来ない。訳者の色がでるのも当たり前だろう。
 英語で読まない限り、やむを得ないことだが、しょせんサリンジャー、フィッツジュラルド、チャンドラーそのものを読んでいるのでなく、村上春樹を介してしか読んでいないと思い知らされる。

 あまり間をおかずに読んだからという理由以外に、3冊のうちどれが一番心に響いたかという問いは、ナンセンスというものだが、自分にはやはり「キャッチャー」の印象が強い。若い時のことは歳をとるほど鮮やかになると見え、あのなんとも言えぬ苛立ちのようなものを思い起こすのだ。人によってその年齢は違うのだろうが、誰もが経験するいわば危険な時だ。
 間違えば心を病みそう気がする時期とも言える。決していい時期とは思えない。加齢とともにそれをやり過ごしつつ、生活にかまけて忘れるが、苦味を帯びて時折り思い出す。歳をとると次第に嫌な思いは、変質するような気もするが、甘い青春の思い出などと言うのとは異なる。
 主人公の妹の存在で嫌なエンドにならなかったのは救いであり、後世の多くの読者を得ているのはめでたいことだとしみじみ思う。



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内田樹「もういちど村上春樹にご用心」を読む [本]

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 内田は「村上春樹にご用心」の中で村上春樹の文学は、「普通の穏やかな生活」を「邪悪なもの」から守る「センチネル(歩哨)」の三者関係が基本になっていると説く。

 そして「政治的激情とか詩的法悦とかエロス的恍惚」とか、そういうものは「邪悪的なもの」の対立項ではなく、しばしばその共犯者である。」とも書いている。

 

 エロス的恍惚は、普通の生活におけるセックスではなく邪悪的なものの側にあるものとして書いているなら、村上春樹がしきりにそれを書くのは分かる。しかし、それなら普通の穏やかな生活における衣食住と同じような扱いの夥しいばかりのセックス描写はなんなのだろうか。

 

 3年後に刊行された「もういちど村上春樹にご用心」に何かヒントがあるかさがしてみた。

 

 関連のありそうなのは次の箇所しかなかった。

 

初心者のための村上春樹の「ここが読みどころ」

セックス・シーン

(…)村上さんが性描写に力を入れるのは、実は「作家的技術を見せている」という要素が多分にあ ると僕は見ているんです。さらさらっとセックス・シーンを書いてますけれど、「はい、僕はこ んなふうに書きました。みなさん、これと同じくらいに「凄いもの」が書けますか」みたいな。 これって、実はかなり挑発的な構えだと思うんですよ 暴力的な場面やホラー的な場面もそうですね。村上さんはほんとうに鳥肌が立つほど「怖い」 場面を書く筆力がある。セックスと暴力とホラーというのは、大衆文学の基本要素ですけれど、 村上さんはそういう要素が混入することを忌避しない。そのような「刺激物」が入り込んだくら いのことで、物語構造は少しも揺るがない自信があるんだと思います 。(…)

つまり、暴力もエロスもホラーもコメディも、村上春樹は全部書けるんです。それを楽々と コントロールすることができる。その技術の確かさにおいて、「大衆文学」プロパーの書き手も 「純文学」プロパーの書き手も誰も村上さんに追いつけない(…)

 

 うーん、これでは、わが疑問の答えにはならない。さればわが疑問は的外れなのかと疑うきっかけにはなった。村上春樹の小説におけるセックスは邪悪なものの共犯者としてのものも、通常の生活におけるそれもあまり違いはないのである。描写が得意だから?

だけでもないと思うけど。

 繰り返しになるが、内田のいう村上春樹の物語構造とは、この世の邪悪なもの、不条理(暴力、壁、システムなど)に立ち向かう弱いセンチネル(歩哨)そして穏やかな日常と対立する異界、魔界への行き来などを指す。そして一番大事なのは穏やかな「通常の生活」なのだ。

 通常の生活とは小説の中に繰り返し描かれるパスタを茹でることであり、デザートとおなじような何気に軽いセックスなどだ。これが頻出するのはさして不思議ではないような気もしてきた。

 

 邪悪なものの側にあるセックス=エロス的恍惚とはどんなものかという設問の方が正しいのかも知れぬ。

 それなら邪悪なものとしての「政治的激情」とか「詩的法悦」とは何かという同じ疑問になる。

 つまりときに邪悪的なものと共犯者となるこの三つは、具体的には何だという問いである。

 

 自分としては、村上春樹の小説を読んでいて分からなかったが、知りたいものだ。

 

 村上の小説に出てくる若者たちは、例えば挨拶がわりにセックスをするが、これは普通の生活におけるものだろう。一方「海辺のカフカ」の少年は自分の母親と、それと知っていながらセックスをしたり、自分の姉かもしれない女性にセックスを迫ったりする。これは邪悪なものと共犯者となるものか。「1Q84」におけるヒロイン青豆の破滅的なそれはどうか?

 

 うーん、まだよくわからぬ。

 政治的激情、詩的法悦もそれ自体は分かるが、具体的にはどんな政治家が、詩人がもつものか、邪悪なとはどんな激情、法悦か。

 どうも村上春樹の小説は曖昧というか、あとは読者が考えろというものが多過ぎる気がする。読者はいつか答えが見つけられるかと惹かれながら読み続けるのだろう。

 内田樹の解説は読んでも混迷が深まるばかりで、確かに著者の言うとおり「ご用心」ではある。

 

内田 樹「村上春樹にご用心」を読む

https://toshiro5.blog.ss-blog.jp/2016-04-08

 


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爛 瀬戸内寂聴 新潮社 2013 [本]

 

コロナ禍で変わったことは、幾つもあるが読書が大幅に減少したのもその一つ。状況からすれば、むしろ読書量は増えて当たり前のようなものだし、たぶん他の人はそういう人も多いと思うが、自分の場合は図書館に行かなくなったのが最大要因らしい。

 先日久しぶりに区立図書館に行くと図書滅菌器なるものが導入されていた。図書館も今は民間業者に委託されているのだろうが、コロナ禍の利用者減で何かと大変なのだろうと推察する。

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 本棚を探しても久しぶりのせいか読みたい本もあまりない。ふと「爛」(瀬戸内寂聴 新潮社 2013)が目に入って来た。

 え?爛、らん? 

 「爛」は辞書を引けば解ることだが、「ただれる」と「鮮やか」と二つの意味がある。しかしどちらかと言えば、火篇のせいか前者の意味の方を自分は強く意識する。

 「爛」1 ただれる。くさる。やわらかくなってくずれる。「爛熟/糜爛 (びらん) ・腐爛」2 あふれんばかりに光り輝く。あざやか。「爛然・爛漫・爛爛/絢爛 (けんらん) ・燦爛 (さんらん) 」

 本(小説)の表題としてはあまり関心しないなと思ったのが借りた動機だ。え?と思ったのである。

作家はもちろん後者の意味で題名にしたのだろうが。

 「爛」の主題は高齢女性の性愛である。若かろうが高齢だろうが女性のこと、中でも性愛は基本的に理解は不可能だと思っているので、この本も流し読みでもあって本当のところは解らないと思う。

 80歳くらいの女性の性愛の話だから、大岡越前の母堂の火鉢の灰、花咲婆さんや高力士などという言葉が小説にも出てくると言えば中身はおおよそ推察出来るだろう。

 瀬戸内寂聴は1922年生まれ。2021年惜しまれつつ99歳で亡くなった。「爛」を書いた2013年は、自分と同じ82歳。我が老化ぶりと比べるのも気が引けるが、そのエネルギーには感心するのみ。

 読み終わって何か最近これに似たようなものを読んだなと思い出した。「上海甘苦」(高樹のぶ子 日本経済新聞社Ⅰ〜Ⅳ 2009)である。 これも表題の「甘苦」に惹かれて借りた。主人公は上海でエステサロンを経営する51歳の女性と39歳の男と言えば解るように「爛」と似たテーマである。高樹のぶ子は1946年生まれだから63歳の時の作品である。

 表題の甘苦(かんく)も辞書には二つの意味がある。 あまいことと、にがいこと。 楽しいことと、苦しいこと。苦楽。「―を共にする」

 作家の意図は強いて言えば後者であろうが、前者の「甘い、にがい」ももちろん含まれていよう。上海は二度ほど現役の頃、行ったことがあって小説の中の街の描写と挿入画(写真)が懐かしかった。

 二つの小説の主題は高齢者の性愛であって、男にとっても老人文学のテーマの一つであるそれと何ら変わりはない。

 

 1932年生まれの岸恵子81歳の著書「わりなき恋」(幻冬社2013)などと同類だがたまたまとはいえ、似たものを良く読むなと我ながら感心する。

 「わりなき恋」は女性の国際的ドキュメンタリー作家69歳と大企業のトップ58歳(男)の恋の話だったが、だいぶ前、たしか老いらくの恋をさかんにこのブログで書いていた頃に読んだ。

 

 意図的に選んで読んでいるわけでは無いが、老人文学を良く手にするのはやはり老人にとって自然のことなのだろう。そして老人文学には男もの、女ものがあるのもごく自然なことである。


 

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