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岸田秀再読 その31「ものぐさ人間論 1998」 [本]

 

ものぐさ人間論 青土社 1998

 

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 著者65歳の時の対談集。同じく対談集の「ものぐさ社会論 2002」は、「再読その10」に書いた。他に、対談集「ものぐさ日本論」があるらしいが、中野区の図書館蔵書には無い。

 氏は日本兵の死の写真から日本(の歴史)を考え、母親との葛藤から人間を考察したと言う。対談集も大きくこれら二つに分類していると後書きに記す。前に読んだ「ものぐさ社会論」は前者に属するようだが、人間もテーマになっているものもあって少し分かりにくい。

 ともあれ、著者は講演より対談の方が好きだとあとがきで書いているが、対談は相手がときに想定外の発言をし、それが自分を刺激して自分も思いもしなかった発言をしたりするのが面白いという。読んでる方も(前にも書いたが)対談者の気持ちの心の動きが読み取れ、時にそれが議論より面白かったりすることがある。講演や書き下ろしたものと違った味わいがある。

 さて、「ものぐさ人間論」の中では、落合恵子氏との対談 「レイプ神話の解体」を面白く読んだ。岸田氏の歴史事実の比喩として「強姦」がしばしば登場する。精神分析学者だから強姦がどんなものか、十二分に理解して使っているかについて疑いはないが、氏と言えども、昭和ひとけたの生まれである。どんなに女性を理解しているように見えても、時代に刷り込まれているもの(あるいはそのカケラ)はある。

 落合恵子氏は我慢強く対話をしているが、微かな苛立ちは隠しきれないように見える。なぜそれを感じるかは具体的に指摘出来ないが、多分自分が岸田氏と同世代だからであろう。二人のやりとりの一部(要約)を引けば次のようなものだが、これからはその雰囲気はしかと出てこないないのは残念である。

 

岸田 男は攻撃的でないとセックスが出来ない。女性の協力が必要。本能が壊れているので、教育で男女平等や両性の合意のもとのみなどセックスについて観念的なことを教えてもダメ。ポルノグラフィを見て喜ぶ女もいる。

 

落合 その発想の背景そのものがすでにインプリティングされた学習=刷り込み。何があとからきた学習かを明らかにしないと、強姦の忌まわしさは分かりにくい。観念的な教育がダメかどうかやってみないとわからない。女性の感性もモノ化した女の体に結びついているというのも社会がそういうふうに教育して来たからだ。p144

 

(注)落合 恵子(1945〜)氏は日本の作家。1974年、文化放送を退社。作家活動を開始。1976年児童書籍専門店『クレヨンハウス』を開業。フェミニストとしての視点から女性と子供の問題についての評論、講演活動を行う。

 

 ほかに山折哲雄氏との対談「尊厳死の行方」にも期待したが、特に印象に残るやり取りはなかった。

 

読後感

 対談といっても、岸田氏が聞き手になると、あまり面白くないものが多いような気がする。やはり岸田秀氏から岸田唯幻論の真髄、不備な点を衝いて丁々発止とやって貰えれば有り難いのだが、短い対談では期待する方が悪いだろう。

 

 余計なことながら、対談集なのに対談相手の経歴など紹介がないのは、(前にも書いたが)どう見ても編集者のものぐさ、不親切ではないかと思う。


 

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