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岸田秀再読 その38「日高敏隆の口説き文句」 小長谷有紀 山極寿一編  2010 [本]

 

日高敏隆の口説き文句 小長谷有紀 山極寿一編 岩波書店 2010

 

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 日高敏隆(1390-2009 東農工大、京大教授、滋賀県立大学学長。)は、岸田秀氏とフランス(ストラスプール)留学時代からの交友があり、唯幻論に似た本能代理論を説く。

 この本は2009年日高氏没後まもなく氏と交流のあった人たちによる追悼文、日高氏の著書の批評文などをまとめたもの。その中の冒頭に岸田氏のインタビューが掲載されている。本の編者は小長谷有紀(文化人類学者)と山極寿一(人類学者、京大教授)の二人。

 

 日高説は唯幻論と共通点があり、似ているが、微妙に異なる点もあり、自分の岸田本能崩壊説に対する違和感に関わる様な気がして以前から気になっていた。

 インタビューの内容は次のとおりで「人間と動物に差、優劣はない」と日高氏は言う。こちらの方が自分には納得感がある。

 

岸田ー動物は本能がしっかりしているが、人間のは壊れているので動物の方が優れている。人間だけ幻想、イリュージョンを持ち動物は現実の世界に住んでいる。

日高ー動物の本能も万全ではなく(人間との間に)優劣はない。動物もシンボルで動き、イリュージョンを持っている。

 

 なお、日高氏の著書「チョウはなぜ飛ぶか」、「プログラムとしての老い」、「ネコたちをめぐる世界」、「人間はどこまで動物か」などの書評も面白い。機会があれば読んでみたい気になる。

 例えば、坂田明(音楽家)の「動物と人間の世界認識ーイリュージョンなしに世界は見えない」評。 (日高氏の岸田理論に触れた箇所がある。)

 

(日高)岸田氏の論旨(本能崩壊、自我発生)は明快だが、動物たちもある意味での幻想を持っていないわけではない。環世界はけっして客観的に存在する現実のものではなくあくまでその動物主体によって客観的な全体から抽出、抽象された、主観的なもので、人間の場合について岸田氏のいう現実という幻想にあたるもの=イリュージョンと呼ぶことにした。

 報道や死に対する態度を含むあらゆる信仰や宗教もまた死を発見した人間の作ったイリュージョン。イリュージョンは人間の情緒的感覚と結びついて、強固に存在し続けている。

 

 (注)環世界(かんせかい、Umwelt)はヤーコブ・フォン・ユクスキュル(独)が提唱した生物学の概念。環境世界とも訳される。

 すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、それを主体として行動しているという考え。ユクスキュルによれば、普遍的な時間や空間(Umgebung、「環境」)も、動物主体にとってはそれぞれ独自の時間・空間として知覚されている。動物の行動は各動物で異なる知覚と作用の結果であり、それぞれに動物に特有の意味をもってなされる。ユクスキュルは、動物主体と客体との意味を持った相互関係を自然の「生命計画」と名づけて、これらの研究の深化を呼びかけた。(ウキペディア) 

 

 他に、「チョウはどこまでカミか」中西進(国文学者、京都芸大名誉教授) など、面白いものもあるが本題から逸れるので省くことにする。

 

読後感

 岸田氏は人間の本能は崩壊し、代わりに自我を持ったが、動物は行動規範たる本能があるのでむしろ人間より優れている、とするのに対して日高氏は動物も同じで優劣はない。 幻想、イリュージョンを持った点は共通しているという。日高氏は人間の本能が壊れたと言っているわけではなく、人間も動物もそれぞれのあり方の違いだとすると解して良いのだろうか。


 

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