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好きな曲 [音楽]

一番好きな曲は何かと聞かれると音楽の分からない自分には、答えようがない。

ある人がマーラーの「復活」をあげていた。また別の人はスメタナの「モルダウ」。バッハ「マタイ受難曲」などなど。
言われて聴いてみるとなるほど素晴らしい。
モーツアルトが一番という人も多い。
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音楽は寝る前などに、CDからMDにおとしたウオークマンで聴く。
いま一番好きで良く聴く曲はブラームスのヴァイオリン協奏曲。

音楽が分かる人は分からない人よりしみじみした生活を享受する度合が違うだろうと
想像するに難くない。
音楽の分からない自分には確信のようなものがある。情けないことだが。


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二足の草鞋を履くー東京アマデウス管弦楽団 [音楽]

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我が家のお隣の隣が待晨教会(たいしん教会)である。待晨教会は、教会と言っても内村鑑三が提唱した無教会主義のプロテスタント教徒が礼拝、聖書研究などをするための集会場で、正式には「待晨集会」。少し広いが普通の家と変わらない。日曜日には礼拝の信徒が集まる。

そこの奥様がいらして、コンサートの切符を2枚戴いたけれどもよろしければと仰るので、家人とバスで荻窪の杉並公会堂へ出かけた。

東大の卒業生を中心に活動している東京アマデウス管弦楽団の特別公演で、曲目はR.シュトラウス「メタモルフォーゼン(23の独奏弦楽器のための習作)」とL.v.ベートーヴェン「交響曲第3番 変ホ長調 Op.55 」「英雄」。
指揮はバイエルン国立歌劇場管弦楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、ミュンヘン・バッハ管弦楽団、バイロイト祝祭歌劇場管弦楽団など名だたるオーケストラの第1コンサートマスターを長年勤めたクルト・グントナー氏。
恥ずかしながらドイツの指揮者の名は、似た名前のフルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886年 - 1954年)くらいしか知らない。

たしか昨年の暮れだったかに「難民を助ける会」主催のコンサートに行き、パガニーニの奇想曲などを聞いて以来なので半年ぶりである。そういえば現役の頃、大阪では身赴任でもあったので、取引先が応援していたサイトウ・キネン・オーケストラやオーケストラ アンサンブル金沢などの演奏を、時折来阪した家人と楽しんだことを思い出した。
自分はまったく音楽はわからないので、聞いても眠くなるだけだから愉しめるのは専ら家人のみである。

さて、今夜の一曲目「メタモルフォーゼン」は、良いとは思うのだが何やら難しく、ふっと真ん中へんで睡魔が来た。
それでもべートーヴェンは、おなじみの「エロイカ」だからそれなりに十分楽しみ10時には帰宅した。夕方6時半に家を出てバスのみで、7時開場、7時半開演に間に合うのだから、体調不良の身には、近いのが有難く何より助かる。

東京アマデウス管弦楽団は、1973年創設でアマチュア オーケストラの老舗という。
アマチュアというが、広いレパートリーを持ち、楽団名に冠したモーツァルトのみならず、ドイツものを得意とする本格的な管弦楽団としての評価は高い。
団員は20代から60代で大半が東大オーケストラの卒団者 、音楽をこよなく愛する社会人で構成されているというが、見たところは若い人が多いようだった。何人か中年らしき方もおられた。

今どきの交響楽団、管弦楽団の運営の困難さは、一流、名門のオーケストラでさえも尋常でないことは誰もが知っている。
仕事を持ちながら音楽を楽しむ人達で運営されているというが、アマチュアとすればどんなにその維持、運営に腐心していることか、大変であろうと推察する。

また、サラリーマン40年余の我が身にてらして思うに、仕事を持ちながら自分の好きなこと、好きな趣味を捨てないということは、なまなかのことで出来ることではない。
仕事を人並みあるいはそれ以上に遂行出来る能力と体力、音楽に対する情熱があるだけでは、たぶんこの二つは両立出来ることではなかろう。同好の仲間の存在が絶対条件に違いない。
加えて職場の仲間の理解、家族の支援も不可欠だ。
演奏者の姿を見ながら、音楽に限らず、「自分の好きなこと」と「仕事」の二兎を追うなどとても自分には出来ることではなかったな、と我が身を振り返った。
まず、最も要求されるのは仕事の能力であろう。それも十分な余力があるくらいでないと無理だ。
それでも職場の同僚としてみれば仕事一筋に、全ての生活を賭けている自分と、仕事は仕事、終われば自分の時間と割り切っている同僚には、どんなに寛容な人であれ、どうしても違和感がついて回るだろう。

我がつたない経験からすれば職場を離れても、仕事は自分を完全には開放してくれなかった。家に帰っても寝る時でも、どうするか、ああしたら、こうしたらと考えていることがある。勿論いつものことではないし、最後はなるようにしかないとふてくされて寝るのだが。
頭の切り替えが出来るかどうかは能力の問題だと簡単にいうが、人を使う立場にあって、かつそれなりの重い責任を負わせられれば、ことはそう単純な話ではない。

我が世代で言えば、第一勧業銀行できっちり仕事をしながら、作曲など音楽活動をしていた小椋桂氏を遠くから眩しく見ていた。また、「人生を二度生きる」とうそぶく日銀の金子兜太、たしか俳句では他に永田耕衣が人生二毛作、手堅い勤め人だったと思うが、能力のある人はつくづく羨ましいと思っていたものである。世に多才な人は多く、マルチな活動家は数多いるが生活のための仕事をきちんとこなし、自分の好きなことを続ける人をみると凄いなと思う。

作曲や俳句と異なりオーケストラの演奏は、繊細で知的なものでありながらきっと力仕事でもあろう。しかも文字通り個性の発揮のみならず、人との協調性が求められる。

そんな難しさがありながら、素晴らしい音楽の世界に全身で浸り、しかも人に感動を与えている人たちが目の前にいた。

リタイアして好きな水彩画を、趣味としてそれも自分のためにだけ愉しんでいる我が身にてらして、心から敬服せざるを得ない。

能力差の大なること、人間とはかくも違うものかとしみじみ考えさせられた一夕でもあった。

虻と蜂二足の草鞋でつかまへり 杜 詩郎

酒と演歌 [音楽]

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 「ひとりしみじみ飲む酒は♪」(美空ひばり)、「しみじみ飲めばしみじみと♪」(矢代亜紀)
など酒と演歌はしみじみが良く似合う。

 酒はひとりで飲むのも美味しいが気心の知れた何人かで飲むのもまた良い。
この場合はむしろハイになりしみじみとはならないが。

 若いときは酒の味が分からなかった。仕事でやむなく飲むようになって、
量も増えおいしさが分かるようになったような気がする。
 仕事で飲んだうえ、仕事がうまくいったと言っては飲み、うまくいかなかったと言っては飲んだ。

 今は、これまでほぼ毎日飲んでいたが少し飲まない日をつくるように心掛けている。
たいていは日本酒「菊正宗」か焼酎の「さつま白波」。ときにウオッツカ、ラム、ジンとワイン。

 酒と上手に付き合うことは、難しいがしみじみ生活にはそれが必要だなとしみじみ思う。



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八代亜紀 [音楽]


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名前を間違えました。矢代でなく八代が正しい。
また美空ひばりの「悲しい酒」の歌詞も間違っている。
正しくは
♫一人酒場で飲む酒は
別れ涙の味がする でした。
演歌のことをロクに知らないくせに知ったかぶりをして失敗。
お詫びして慎んで訂正させて頂く。
八代亜紀は、熊本は八代の出身か。絵がとても上手ということだけなぜか知っている。
名前を間違えたから言うわけではないが絵の上手な人は羨ましく、尊敬する。
自分も水彩画を習っているが、いっこうに上手くならないのだ。
歌と絵と美貌と天は二物どころか沢山の物をお与えになることもあるのである。
名前を間違えたから言う訳ではないが。
きっと、唄っているようにしみじみした良い生活を送っておられのに相違ない。
美空ひばりの名曲「悲しい酒」の方は、しみじみという言葉は入っていないが
なぜかそう頭に刷り込まれていたに違いない。しみじみとはそういうものなのだろうか。

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望郷のバラード [音楽]


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もう一年以上前になるが、近所の方に誘われて天満敦子ヴァイオリンリサイタルに行った。連れて行ってくださったのは、難民を救う会に勤めている方の母上。難民の会のチャリティ演奏会だったように覚えている。母上とお嬢さん、家人と四人で夏の一夕を愉しんだ。

自分は音楽について皆目分からない。演奏された曲目では天満敦子の代名詞のようになっている「望郷のバラード」だけ覚えている。帰ってからもこの曲がずっと気になっていたので、ユーチューブで時折り聴いたりしていた。おもいたって、先日図書館で検索してCDと天満 敦子/著「わが心の歌 望郷のバラード」(文芸春秋 )を借りてきた。

バラードとは、語り物的な歌のことで、またそのような内容・感情を器楽曲にしたもの、譚詩曲ともいう、とか。シャンソンや歌謡曲のジャンルにもあることなどを初めて知った。美空ひばりの「川の流れのように」がバラードと聞くと、びっくりする。

天満 敦子著「わが心の歌 望郷のバラード」は、彼女の自伝的なものだが、その生い立ち、半生と「望郷のバラード」(ポルムベスク作曲、原題BALADA)との出会いが記されている。ストラディヴァリウスとの出会い、ヴァイオリン修業など音楽のことだけでなく井上光晴、丸山眞男らとの交流も面白く読ませる。

天満敦子は、1955年東京生まれ。芸大大学院卒。東京芸大在学中に日本音楽コンクール第1位、ロン・ティボー国際コンクール特別銀賞等を受賞して注目を浴びる。海野義雄、故レオニード・コーガン、ヘルマン・クレッ バースらに師事。
1992年に文化使節としてルーマニアを訪問、演奏し文化大臣から、ロシアの誇る史上最高のバイオリニスト、ダヴィット・オイストラフ(1908-74)に並ぶヴァイオリニストとして絶賛された。
翌1993年にルーマニア出身の夭折した作曲家チプリアン・ポルムベスク (Ciprian Porumbescu)の遺作「望郷のバラード」の楽譜を托される。
哀愁を帯びた美しい旋律に魅せられ日本人として初演し、それが評判となり、1993年発売のアルバム「望郷のバラード」はクラシックとしては異例の5万枚を超えて大ブレークした。

使用するヴァイオリンはアントニオ・ストラディヴァリウス晩年の名作。弓は伝説の巨匠ウージェーヌ・イザイ遺愛の名弓。(天満敦子HP http://www.officetemma.co.jp より)


東欧革命前夜のルーマニアを舞台に、この曲をめぐる謎とヴァイオリニストの恋愛を描いた高樹のぶ子の小説「百年の預言」(2000 朝日新聞社)のヒロインは、天満敦子がモデルといわれている。
著者高樹のぶ子は1946年山口県生まれ。
昔福岡に1年間赴任した時、薬院の近く浄水通りあったマンションに住んだ。高樹のぶ子は、そのマンションの住人だと聞いたが見かけたこともないので、本当かどうか定かでない。福岡勤務は1988年だから「光抱く友よ」(1984年)で女史が芥川賞を受賞して間もなくという時期になる。わが読書記録に「波光きらめく果て」(文藝春秋 1985)があるが、全く内容に覚えがない。受賞作は読んでいない。
周知のごとく、いまや文学賞の審査委員をつとめるなど文壇において確固たる位置にあるが、当時は若い美人女流作家の鮮烈なデビューであったように記憶している。

「百年の預言」を通読したが、ルーマニアという国に詳しく、クラシック音楽に造詣が深く、恋愛経験豊富でさらに東欧革命史にもっと通じていれば、ポルムベスクの楽譜をめぐる謎解きを含めてこの小説をより楽しめたのだろうにというのが読後感想。

天満敦子は、前記の著書のなかで「モデルは私だが、行為は高樹さん」と当時リサイタルの都度釈明したというほど、愛の描写がリアルで強烈である。天満満子らしきヒロイン走馬充子の恋愛ストーリー展開は女史の独壇場といった感がする。

小説の中でバイオリストの母親が、「望郷のバラード」を貶してルーマニアの「湯の町エレジー」と言う。せめて「荒城の月」くらいにして欲しいが、クラシック音楽からすればそういうものかどうか知らない。天満満子は「わが心の歌」の中で「シクラメンのかほり」だったか、「北の宿から」だったかを請われて弾くことがあると書いていた。自由な心のアーチストなのであろう。

それにしても、音楽の分からぬ自分がこの「望郷のバラード」やスメタナの交響詩「モルダウ わが祖国」、カザルスのカタルーニャ民謡「鳥の歌」など、どちらかといえば哀切を帯びたような暗い曲に惹かれるのは何故なのか、と時折りしみじみと訝うことがある。

以下は例により、余談で備忘。
ルーマニアは人口19百万、カタチが上掲の小説では「チョウチョウウオ」と表現されているように丸く膨らんでいる。東ヨーロッパに位置する共和制国家。南西にセルビア、北西にハンガリー、北にウクライナ、北東にモルドバ、南にブルガリアと国境を接し、東は黒海に面している。首都はブカレスト。

1989年、ニコラエ・チャウシェスクの独裁政権がルーマニア革命によって打倒され、民主化された。「百年の預言」の時代背景である。欧州連合(EU) への加盟は2007年、28か国中ブルガリアと共に一番最後。最後になった理由は知らない。

お隣りのハンガリーには1998年仕事で行ったが、ルーマニアには行ったことがない。似たような雰囲気なのだろうか。
訪ねていれば小説をもっと楽しめたのだろうが。

自分はルーマニアというと、思い浮かべるのは好きなマチスの絵「ルーマニアのブラウスThe Romanian Blouse」(1940 油彩)である。この稿とは全く接点がない。

「百年の預言」では、高樹のぶ子は「…のはず。」と切る文章がときに出てきて、なぜか気になった。大江健三郎も使うが、自分だけだろうが、どうもしっくりこない。

「わが心の歌」に出てくる曲のうち、いくつかのものをメモしたので、あらためて聴くことにしよう。すでにiPodに入れてある曲もあるが。ちょうどアマゾンの音楽配信が始まったのでタイミングよし。

ベートーベン 「ヴァイオリンソナタ 第3 、第5 スプリング 、第7 アレクサンダー、第9番クロイツェルソナタ」
ショスタコーヴィチ 「ヴァイオリン協奏曲コンチェルト1番」
バルトーク 「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ」
テレマン 「12の幻想曲 変ホ長調 第7番」
バッハ 「無伴奏ヴァイオリンソナタ パルティータ 第2番ニ短調 終曲シャコンヌ」

「港が見える丘」妄評?(1/2) [音楽]

妄言、妄語、妄想という言葉はあるが妄評という語はない。わが造語である。歌謡曲、演歌などに疎い自分にはこれをまっとうに評する力はないので、以下は妄評というのがぴったり。

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「港が見える丘」は、1947年(S22)、東 辰三が作詞・作曲し、当時の新人歌手平野愛子が歌って大ヒットした歌謡曲。終戦直後の混乱期に「りんごの唄」と並び多くの人に愛唱された。

東 辰三(あずま たつぞう 本名 山上松蔵)は、1900年(M33)兵庫県うまれ、昭和期に活躍した作詞・作曲家(ビクターレコード)。代表作は他に「君待てども」「白い船のいる港」など。1950年(S25)、50歳で脳溢血により没。
ご子息は作詞家の山上路夫氏。「夜明のスキャット」、「瀬戸の花嫁」などを。氏は1936生まれ79歳。

「りんごの唄」(サトーハチロー作詞 、万城目正作曲 、歌唱並木路子・霧島 昇 1946)の発売は、「港が見える丘」の一年前になる。こちらは戦前軍歌として作られたが、明るすぎるとして発禁となり、戦後になってヒットしたという変わり種。デュエットというのも珍しい。

「港が見える丘」を歌った平野愛子(ひらの あいこ 1919年(T8)は、東京生まれ。公募3千人から選ばれた。「濡れたビロウドの声」と絶賛され、若きブルースの女王とも。ヒット曲はほかに「君待てども」など。1981(S56)年、62歳没。
シャンソン歌手平野りり子さんは娘。本名平野淑子。CDアルバムでは母の「港が見える丘」を歌っているというが、もとより聴いていない。

「港が見える丘」の曲はブルースというよりジャズの匂いも。曲について自分には評する言葉がないが、歌詞は、あらためて読むと素人目にもなかなか面白い。全文を掲げるのは著作権の保護期間(50年)は過ぎているといえ、あまり感心しないが、じっくりながめたいので、ご寛恕願って。

1 あなたと二人で来た丘は
 港が見える丘
 
 色あせた桜唯一つ
  淋しく咲いていた
 
 船の汽笛咽(むせ)び泣けば
  チラリホロリと花片(はなびら)
 
 あなたと私に降りかかる
  春の午後でした
2 あなたと別れたあの夜は
  港が暗い夜
 
 青白い灯り唯一つ
  桜を照らしてた
  
船の汽笛消えて行けば
  チラリチラリと花片 
 
 涙の雫にきらめいた
  霧の夜でした
3 あなたを想うて来る丘は
  港がみえる丘
 
 葉桜をソヨロ訪れる
  しお風 浜の風
 
 船の汽笛遠く聞いて
  うつらとろりと見る夢
  
あなたの口許 あの笑顔
  淡い夢でした

この歌は、何となく変わった歌謡曲だと前から気になっていた。
まず題名。
「港の見える丘」でなく「港が見える丘」。
なぜ「港のみえる丘」としなかったのだろうか。やはり終戦直後の1946年(S21)発表された加藤省吾作詞の童謡「みかんの花咲く丘」が「みかんが花咲く丘」よりもロマンチックなように。
「港が…」は現実的で歌謡曲にふさわしいのか。
東の作詞作曲で同じ平野愛子の歌った「白い船のいる港」(昭和24年)は「白い船がいる港」とすると少し変ではあるが、「港が見える丘」シリーズふうになる。そうしなかったのは「白い船の…」方が詩的だからだろう。

1962年に開園した「港の見える丘公園」は、神奈川県横浜市中区山手町にある都市型公園。 名称はこの流行歌「港が見える丘」に由来するという。なぜ「港が…」とせず、「港の…」としたのか。どう違うのか、はたまた同じか無学にして分からない。公園が出来た1962年には著作権は消滅していたし、曲名は著作権の対象外でもある。あとネーミングに関係するのは商標登録か?どうでも良いことながら、こちらも気にはなる。

次は全体の調子。詩句の多くが七五調でない。五は混じっているが七は少ない 。八、九、十もありぎこちなさが独特の味を出している。破調、散文歌謡。
一方「りんごの唄」はどちらかといえば七五調でリズミカル。対照的である。

「…でした」という過去調。告白調 だ。最初に港に来たのはー昼の午後(春)でした、別れたのはー霧の夜(夏)でした、別れた今となってはー淡い夢でした。その夢が醒めたのは、葉桜の季節だから、冬はもちろん、まだ秋も来ていない。
全体にいえば、分かりやすい「デート、別れ 、想い出」の失恋の歌で悲しいはずだが、どこか軽みもあってあっさりとしている。

失恋し戦後の混乱期で米兵についていったオンリーの話という人もいるというが、このあっさり感から出たものか。この説を自分は賛同しかねるが。

個々の詩文も不思議なものが多い。
例えば、「色あせた桜唯一つ」。桜の樹はむろん1本であって、ひとつのブロッサム、花、はなびらではないだろう。ここは、「色あせた桜」で別れを予感させればよいのであろうが、「唯いっぽん」ではいかにも興醒め。だが、桜がひとつとはいかにも変。しかし他に適切な言い方もないのも確か。

3番、思い出すあなたの口許というのも意味ありげ。くちびるといえば肉感的なだけだが、口許と言われると何か言葉がともないそうな気配もある。言葉がなくともゆるむ口許、固く結ぶ口許など男の表情まで想像してしまう。思い出す「あの笑顔」の方はごく自然なので、その前の口許の方が際立つ感じ。

詩中で使われるオノマトペ(擬声語、擬態語)が変わっている 。極めつきは3番の「うつらトロリ」。ウツラウツラと居眠りのオノマトペ を使い、溶けるさまトロリをあわせて酔生夢死のような、ようでもない独特の「夢見」「想い出」を醸し出す。読むひとによって様々なことを想起させる効果が出た。

1番の降りかかるはなびらは「チラリホロリ」と 。
この歌はちあきなおみ、森昌子ら数人が歌っているが、カヴァーしている他の歌手は殆ど「チラリホラリ」と歌っている。たしかに咲き始め二分咲きくらいの時にはチラリホラリと咲いている、とはいうのでこちらの方が一般的な感じだが、散るさまに用いるのはは如何か。
ホロリは涙の落ちるときに使うもの。さくら散るさまはふつうヒラリヒラリだ。せいぜいフワリヒラリ。「チラリホロリ」と散るは、特異な感覚だろう。2番の別れでホロリと落とす涙をついでに予感させようとしたか。

2番、はなびらが涙の雫にきらめくとき「チラリチラリ」になる 。ここも2番に引きずられ安直にチラリホラリと歌う歌手もいる。チラリチラリは見ないようにして見るときなどに使うのが普通だ。涙の雫にならキラリキラリが穏当なようにも思うが、なみだ眼なのでチラリが、盗み見するような妖しい雰囲気を醸し出す。

同じく2番、葉桜を「そよろ」訪れる潮風、浜の風。そよ吹く風のそよか。ソヨと訪れるではダメか、そよ「ろ」で詩的になるのだろう。(つづく)

「港が見える丘」妄評?(2/2 終) [音楽]

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試みに、二人が港が見える丘に行く前の、出会いのシーンを作詞してみた。なに替え歌の要領だから、出来は別として難しいことではない。
4番をと思ったが、3番で淡い夢と終わってしまっていて続けようが無いので、そもそものなれそめの情景として0番にした。

「港が見える丘 」(番外)

あなたと出会ったこの街は
異国のような街
金色の風見鶏一羽
梢を見つめてた
船の汽笛空にひびき
キラリキラリと朝陽(あさひ)が
あなたと私に降りそそぐ
冬の朝でした

東 辰三は、「港が見える丘」をつくるとき、故郷の神戸をイメージして作詞・作曲したそうだが、後に横浜に題名を冠した公園まで作られたくらいだから、誰もがヨコハマの歌だと思っている。
かつて神戸芦屋の山手町に住んで大阪御堂筋まで通ったことがあるが、山の麓にあるマンションだったので神戸港の一部がベランダから見え、夜景が素晴らしかった。しかし、前を流れる芦屋川の岸には、しょっちゅう猪の家族が出没し、少しの詩情もなかった。
神戸にも港が見える丘はあるのだろうが、行った記憶は無い。もちろん神戸でもこの歌はぴたりと合う。

さて、二人は洋館が多く異国情緒溢れるヨコハマか、神戸の山手で知り合ったとした。時期は冬の朝。桜の咲く前で1番へつながり、おさまりは良い。
しかし、出来た歌詞では3行目の「金色の風見鶏一羽」が何とも歌いにくいのが難。
神戸市には、異人館風見鶏の館があり風見鶏が市のシンボルマーク的な存在となっているくらいで、ふさわしい詩句だと思うのだが。

また朝陽(あさひ)のオノマトペ、「キラリキラリと」が月並みで面白くない。「サンサンサンと」では、奇のてらい過ぎだ。ホンモノの方はオノマトペが、変わっていて絶妙な味を出しているのに。

0番として作ってはみたものの、「港が見える丘」には、こんな出会いのシーン、ヴァージョンはたしかにいらない。
1番・会って、2番・別れて、3番・思い出しているだけの歌だから、あっさり感、スピード感も大事である。
余計な詩を足すものも引くものも、大事な余韻、余情を消してしまい野暮というもの、不要だ。

戯れで作詞して見ると、どことなくぎこちなく、しかもアンニュイさえ漂うこの歌の特異さが、よりはっきり分かったような気はする。
平野愛子の「濡れたビロード」のような声がそれらに合い、戦後の虚脱感、解き放された自由の高揚感などが、ないまぜになっている雰囲気の中で多くのひとに受け入れられ、歌われたのだろうと解釈して腑におちた。

リズミカルに歌われ、明るい希望に満ちた期待感あふれる「リンゴの唄」とは対照的だ。

ところで、この歌がどこかヘンだと思うのは、これまで気がついてここまで書いたことだけではないような気がしてきた。

あの人を想って来る港は、一度だけではないようである。港の近所に住んで何度も来るようにもとれる。
うつらトロリと見た夢は「儚い恋」ではありません、あの人と一緒に暮らすという「淡い夢」、ほんとは現実的な話なんですと言っているのではないか。
つまり、実は私たちの仲を裂いたのは先だっての戦争なんです。婚約していたあの人が学徒動員で…。

あるいは、この歌の主人公は実は男ではないかという疑惑。
歌っているのが女性だし、「あなたと私に降りかかる」という言い方からしても、女心を歌ったものと決めつけているが、もしかして男が泣いているのでは、と(やや無理すればだが)疑えないこともない。
うつらトロリと夢を見るのは男も同じこと、いやむしろ男のほうこそふさわしいから、いちがいに妄想とも言いきれまい。

詩だから曖昧で、あれこれ考える余地、余白があってあたりまえである。ことに歌謡曲や演歌は、人は詩句と曲に自分の身上や情念を重ねて、それに酔いしれるのだ。しかもそこで思うことはひとりひとりみな違う。

それにしてもまことにヘンな歌が、終戦直後のドタバタの中で生まれ、人々に圧倒的に受け入れられたものだな、と思うほかない。

やや考えすぎか。歌謡曲は、その時のその人の気分で楽しく歌えばそれで十分。「妄評」はこのあたりでやめることにする。

平原綾香 Jupiter [音楽]

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弦楽のための組曲「惑星」(The Planets)作品32は、イギリスの作曲家ギュスターヴ・ホルスト(Gustav Holst 1874- 1934)の作曲した代表的な管弦楽曲である。
ギュスターヴ・ホルストの最も知られた作品は、この組曲「惑星」であるが、合唱のための曲を多く作曲している。またイングランド各地の民謡や東洋的な題材を用いた作品、吹奏楽曲でも知られる。

この組曲「惑星」は7つの楽章から成り、それぞれにローマ神話に登場する神々にも相当する惑星の名が付けられた。
「火星 戦争をもたらす者Mars, the Bringer of War」
「金星 平和をもたらす者Venus, the Bringer of Peace」
「水星 翼のある使者Mercury, the Winged Messenger」


第4曲 の主題が木星 で「快楽をもたらす者Jupiter, the Bringer of Jollity」
Jollityはお祭騒ぎのことだが、なぜ快楽と訳すのか不勉強で知らない。
この「木星」は「惑星」のなかでは知名度が最も高く、とくにイギリスでは愛国歌「I vow to thee, my country(我は汝に誓う、我が祖国よ)」として愛唱されている。
また世界各地で編曲され演奏されている曲でもある。

あと、「土星 老いをもたらす者 Saturn, the Bringer of Old Age」 、「天王星・魔術師」、「海王星・神秘主義者」と続く。

作曲時期は1914年から16年だから第一次世界大戦の頃、今から100年ほど前の組曲になる。

音楽を知らない自分が解説するまでもないが、組曲(suite)は、いくつかの楽曲を連続して演奏するように組み合わせ並べたもの。バレエ、オペラ音楽に名曲が多いがオリジナルもある。
ホルストの「惑星」のほか、交響組曲「シェヘラザード」(リムスキーコルサコフ)、「イギリス組曲」、「フランス組曲 」(バッハ)などが有名である。家人が好きだったので「シェヘラザード」は若かりし頃よく聴いた。「イギリス組曲」は、リタイアしたばかりの頃、さかんに聴いたが最近暫くごぶさたしている。

ところで、木星は地球と比べると半径11倍、質量320倍。太陽系最大の惑星。成り立ちや特徴の縞模様など謎多い惑星である。先日NASAの無人探査機「ジュノー」が、13年ぶりに木星軌道に到達し、観測をはじめたと報道された。
しかし、組曲の方は天文学、宇宙科学というより着想は占星術の世界のようである。

さて、2003年12月17日にリリースされた平原綾香のシングル「Jupiter」(ジュピター)は、このホルストの曲に、吉元由美(1960年生まれ、作詞家、エッセイスト)氏が日本語の歌詞を付けたもの。平原綾香のデビュー曲である。
♪わたしのこの両手で何が出来るの…など、良い歌詞があるが、♪自分を信じてあげられないこと…など気になるのもある。
CDは百万枚を超え大ヒット。アルバム「オデッセイ」にB面蘇州夜曲とともに収録されている。曲は今でも人気が高いという。

歌手がテレビに出演(「スタジオパークからこんにちは」 )していたので、アイパッドで撮影して透明水彩でチャレンジした。紙はアルシュで大きさはF2ほど。
案の定、似ないので往生する。もっとかわいい。猫や子供ももそうだが、このかわいいというのを表現するのは難儀である。まして若さやこの人の持つオーラとか、はなやぎなどはわが水彩レベルでは表現不可。
絵の具がうまく乗らないのは、どうやら用紙がブロック紙の最後から二枚目なので風邪をひいたらしい。下手な絵の言い訳。

いまどきは「ハルサイ」を聴く中二病 綾香聴く喜寿 我は何病 [音楽]

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中二病なる言葉がある。
ネットで調べると「中二病(ちゅうにびょう)とは、中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。
別名「他人とは違う俺カッコイイ病」。厨ニ病、厨弐病とも。(何故に厨なのかは不明。台所に籠る訳ではなかろうが。)
「病」という表現を含むが、実際に治療の必要とされる医学的な意味での病気、または精神疾患とは無関係である。」とある。
洋楽を聴き始めたり、旨くもないコーヒーを飲み始め、世界への怯えや、その裏返しの、暴力への興味、そしておとなの嘘っぱちを暴く態度をとるようになるという。

中学二年生といえば、14歳。
哲学的エッセイスト池田晶子の「14歳からの哲学 考えるための教科書」を思い出したが、14歳は生老病死、神、などあらゆることを考える年齢だと彼女は強調していた。
我が身にっ振り返ってみると、中二の頃は何も考えていなかったように思う。奥手だったと見える。ただこれだけ年をとると、当時のことをすっかり忘れているだけなのかも知れない。

余り関係無いが、マッカーサーは日本人12歳論を唱えた。同じ敗戦国でもアングロサクソンのドイツ人は45歳。日本人は子供だから、(戦争をしても)仕方がなかったのか、その代わり未来があるーだったのか、その真意はよく分からないが、まだ中二病になる前の小学6年生ということになる。

また大江健三郎を批判してピュアな幼児性、というか男子中学生っぽさだ。永遠の中学生なのだ。というのも想起した。いずれもいまどきのネットスラングという中二病とは関係無い。

さて、この中二病をテーマにしたというCDがある。

 思春期の少年の心理に訴えかけるクラシック音楽を集めたアルバム「ハルサイとか聴いてるヤバい奴はクラスで俺だけ。〜「春の祭典」初演100周年記念アルバム」〜」。
クラシック音楽レーベルのナクソス・ジャパンがリリースしたもの。

ハルサイとは「春の祭典」(はるのさいてん、原題:Le sacre du printemps, :The rite of spring )のこと。ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲したバレエ音楽。1913年に完成し、同年5月に初演された。20世紀の近代音楽の傑作に挙げられる作品であり、複雑なリズムのクラスター(群れ)、ポリフォニー(多声音楽)、不協和音に満ちていて、初演当時怪我人も出る大騒動となったことで知られる。

 CDは、ニーチェの哲学書を元にした「ツァラトゥストラはかく語りき」など、孤独、自意識、宇宙、神、死、前衛、反逆などのイメージを持つクラシック音楽を収録。「現代により近い、もしくは時代が離れていても何らかの今日性を感じさせる作品」をセレクトしているという。ちょっと長いがPR文を引用させてもらうと。

「おまえ、いっつもなに聴いてんの?」

「ん…まあ、ちょっとした(100年前の)洋楽」

”神は死んだ”という言葉で知られるニーチェの哲学書を元にした
「ツァラトゥストラはかく語りき」(リヒャルト・シュトラウス)

トランペットが木管楽器に“存在の永遠”を問いかける
「答えのない問い」(チャールズ・アイヴズ)

改造楽器の一種であるプリペアド・ピアノのために書かれた
「危険な夜」(ジョン・ケージ)

そして、

あまりに過激な音楽とダンスゆえ、初演時に炎上騒ぎを巻き起こした
「春の祭典」(イーゴリ・ストラヴィンスキー)

孤独、自意識、宇宙、神、死、前衛、反逆。
思春期の男子の“中二病心理”をくすぐる曲は
パンクやヒップホップだけじゃなかった

ストラヴィンスキー作曲「春の祭典」(通称ハルサイ)初演100周年記念。
音楽史という名の“青春の黒歴史”に捧げる、恥ずかしくも愛しい音楽の詰まったアルバム。

CDに収録された曲を備忘のために記すと末尾のとおりである。

最近、平原綾香のクラシックをカヴァーしたCDや、村上春樹らしき?「僕と小説とクラシック」(CD)を聴いている自分が知っているのは、このうちいくつも無い。バッハのシャコンヌ、リヒャルトシュトラウス・ツァラトゥストラはかく語りき、ストラヴィンスキー・春の祭典、メシアン・トゥーランガリラ交響曲くらい。それもよく聴いたのはヴァイオリンパルティータ・シャコンヌくらいであとは知っている程度だ。音楽に疎い自分と比較しても余り意味は無いけれど、いまどきの14歳は凄いなと感心するばかりだ。そこで腰折れ一首。

いまどきは「ハルサイ」を聴く中二病 綾香聴く喜寿 我は何病

我は喜寿病か?、な。

①edit. Alfonso X: Cantiga de Santa Maria No.77/119~アルフォンソ10世の編纂によるカンティガ集 第77/119番 アンサンブル・ユニコーン/ミヒャエル・ポッシュ(指揮)
②J.S.Bach: Violin Partita No.2 - Ciaccona~シャコンヌ イリヤ・カーラー(ヴァイオリン)
③R.Strauss: Also sprach Zarathustra~ツァラトゥストラはかく語りき スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団/ズデニェク・コシュラー(指揮)
④E.Satie: Vexation~厭がらせ クラーラ・ケルメンディ(ピアノ)
⑤C.Ives: The Unanswered Question~答えのない問い ノーザン・シンフォニア/ジェイムス・シンクレア(指揮)/アルチョム・デルウォード(ギター)
⑥I.Stravinsky: Le Sacre du Printemps~春の祭典(1913年版) - 第1部 大地の礼賛 ロンドン交響楽団/ロバート・クラフト(指揮)
⑦I.Stravinsky: Le Sacre du Printemps~春の祭典(1913年版) - 第2部 生贄の儀式 ロンドン交響楽団/ロバート・クラフト(指揮)
⑧C.Orff: Carmina Burana~カルミナ・ブラーナ - 全世界の支配者なる運命の女神(フォルトゥナ) ボーンマス交響合唱団/ボーンマス交響楽団/マリン・オールソップ(指揮)
⑨J.Cage: The Perilous Night~危険な夜 - VI.(プリペアド・ピアノによる) ボリス・ベルマン(ピアノ)
⑩O.Messiaen: La Turangalila-Symphonie~トゥーランガリラ交響曲 - 第3楽章 トマ・ブロシュ(オンド・マルトノ)/ポーランド国立放送交響楽団/アントニ・ヴィト(指揮)
(11)P.Glass: Violin Concerto~ヴァイオリン協奏曲 - 第3楽章 アデレ・アンソニー(ヴァイオリン)/アルスター管弦楽団/湯浅卓雄(指揮)
(12 )L.Vierne: Carillon de Westminster~ウエストミンスターの鐘 アンドリュー・ルーカス(オルガン)

絵は「我が家のふて猫」 アルシュ 28.5×38cm 文と関係無い。
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ショパン マズルカ・ポロネーズ [音楽]

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平原綾香がクラシックの入門解説を東京新聞に連載している。それを時折り読む。このほどそれをまとめて「平原綾香と開くクラシックの扉 」(2017 東京新聞)が刊行された。新聞連載で読み落としたものもあるだろうと、図書館で借りて来た。
音楽に疎い自分には、まさしくうってつけの入門書である。
面白い記事がいくつかあったが、そのなかで芥川賞作家平野啓一郎(1975-)のショパン話に惹かれた。早速平野著「葬送」(新潮社2001)と「エッセー集ショパンを嗜む」(音楽之友社2013)を図書館のインターネットで借りる。近作の「マチネの終わりに」(毎日新聞出版2016)は予約順120番という人気で借りられなかった。

「葬送」は、19世紀のパリを舞台にショパン、ドラクロワ、ジョルジュ・サンドらの織り成す人間模様を描いた長編小説。「エッセー集ショパンを嗜む」はその取材紀行を主にした随筆集。
ドラクロワ(1798-1863)には良い水彩画がある。このブログでも取り上げたが、「Jewish Bride ユダヤの花嫁 」(1832 水彩 ルーブル美術館所蔵288 ×237mm)は自分が水彩画を始めたとき、こんな絵を描きたいものだと思った好きな絵の一つだ。

2013.8「ウジェーヌ・ドラクロワの水彩画
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-08-11

なお、ドラクロワには油彩だが、ショパンと愛人ジョルジュサンドの肖像画もある。もともと一枚の絵だったが、2枚に切り離されたという説がある。この小説を読むとそんな説が出てくるのも、あながち突飛なことでもないなと納得する。
小説はショパンとドラクロワが主人公で音楽と絵画論が続く。ジョルジュ・サンドはどちらかといえばサブだがその割に長女との母娘葛藤、確執が延々と続く。そのことがショパンとの距離を拡げたのはわかるが、他にも書くべきことはありそうなものだと思ってしまう。小説の出来は分からないが27歳の若さで死にゆく者の孤独、男女の愛(時代といえ何と不倫の多いことか)、音楽、美術など芸術論をかくもすらすらと書けるものかと驚くばかりである。
ジョルジュ・サンドは、小説にもちらと出てくるが水彩画を描く。それも独自に考案した水彩技法(ダンドリッド)だったと以前別の本で読んだ記憶がある。このへんを絡めて書いてくれたら最高なのだがと、勝手なことを考える。とまれ、小説家であり政治活動家もあった男装の麗人とショパンの関係を主にした方が、個人的には良かったのではないかと思う。
小説後半に出てくるショパンのラストコンサート(1848年2月)の様子は演奏された曲目とともに音楽をよく知らないものにも楽しめる描写だ。
エッセイの方は、作家が傾倒し造詣に深いだけあって、ショパンとその音楽について勉強になる。内容はともかく題名の「嗜む」は、理由は分からないが、個人的には好きになれぬ。「バッハを嗜む」と言う人はいるのだろうか。

これまでピアノ協奏曲1.2番だけアイポッドに入れてたまに聞いていたが、これを機会に、ソナタ(葬送)、ノクターン、バラード、ワルツ、マズルカ、ポロネーズなどをアマゾンミュージックで聴くようになった。
なかでもマズルカとポロネーズが気に入って、CDを借りアイポッドに入れた。マズルカはショパンの故国ポーランドの民謡舞曲の影響が濃厚だという。ポロネーズはフランス語でポーランド風とか。
フランスで活動したショパンは最後まで故国ポーランドに帰れなかった。ショパンの音楽に望郷の思いが強く影響しないわけはない。
音楽の分からぬ自分にはショパンのピアノはみなマズルカ、ポロネーズのように聞こえる。1810年生まれのショパンが生きたのは、ナポレオン戦争と大国ロシアに蹂躙されたポーランドの時代だから、むろん百年後の第2次大戦を知らない(1849年没、39歳) が、周知のようにアウシュビッツはポーランド南部にある。
ポーランド人にとっての近代や現代は、ロシア、ドイツなどの外国人による反ポーランド主義運動と、その屈辱に耐え続けた歴史だが、マズルカやポロネーズには民衆の哀しみが流れているのだとしみじみと思う。


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