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岸田秀再読 その40 「黒船幻想」精神分析学から見た日米関係 岸田秀 K・D・バトラー 1994 1986初版 [本]

 

「黒船幻想」精神分析学から見た日米関係 岸田秀 K・D・バトラー 河出文庫1994  1986初版

 

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 ケネス・D・バトラー(1930〜)は、エール大学日本文学助教授、米加11大学日本文学連合日本研究センター所長、国際ビジネス・コンサルタント、バトラーコンサルティング社長。

 岸田氏より3歳上で、1951年朝鮮戦争時海軍に在籍の経験がある。日本文化社会、経済にくわしい。岸田理論を理解し、氏の精神分析学から見た日米関係論に興味を持ち対談に至ったという。

 

 岸田氏の理論は、あちこちに書いているが、ペリーショックによる精神分裂症に陥った日本とインディアン虐殺に起因する強迫神経症患者のアメリカとの関係として捉えるというものである。

 この対談時における日本の貿易黒字をめぐる問題などをはじめこの理論で理解できるとし、その解決の方法などを論じている。

 

 岸田氏の解決方法は、アメリカは自身の病を自覚し日本に謝罪する、日本は自らの内的、外的自己の分裂を直視する。ただ、これはアメリカ国家と日本のアイディンティティを否定することになるので、極めて難しいことだとする。

 この議論は理解できるが、特にアメリカ人はどう受け止めるか、岸田氏ならずとも自分も興味のあるところだが、このアメリカ人との対談はその意味で大変興味深い。

 

 結論から言えば、大変面白い対談である。

 バトラー氏は岸田氏の考え方に全部ではないが、賛同すると言う。一方でアメリカはインディアンに謝罪して土地を返還することは現実的でないとし、日本に対しても原爆投下を反省し謝罪することも同じだとする。

 バトラー氏は、日本を良く知り、岸田理論を理解するが、アメリカ人の中では少数派であろう。銃規制すら覚束ず、トランプを支持する層の厚さを見れば良く分かるというものだ。

 さすれば、岸田理論は実効性に乏しいことになる。この対談後37年を経た今も日米関係は基本的に変わりなく続いていることを見れば残念ながら認めざるを得ない。

 

 つまり、日本の対米従属と米国のウクライナ支援、イスラエル支援に見られるように岸田理論が、日本とアメリカ国家の病理を的確に指摘していることを示しているように思える。

 米中対立、核兵器膨張、気候変動など状況は悪化している中で、岸田氏の精神分析学から導き出した国家間紛争の解決策は有効性が弱いとすれば、人類はどうすればいいか、生き残れるのか。暗然とならざるを得ない。

 しかし、こればかりは希望を失なうわけにはいかない。如何にナロウパスであっても、道を広げる努力を続けねばならない。道が「幻想」でないのであれば。

 

 対談は、主として岸田氏の日米相互理解の可能性、お互いが自分たちの病理の原因を理解し合えるかどうかを繰り返し追求し続ける。これまでの著書では病理のよって来たる理由が説明されているが、ではどうすればお互いが理解できるかを探っている。大変興味深い対談である。しかも対談相手はアメリカ人であり議論はそのまま日米文化の比較論にもなっている。

 

 気になった箇所をメモした。これを並べただけでも面白い読み物になっている。

 

 バトラー 岸田氏のペリー来航強姦説に関して自分は、それを強姦と一度も思ったことはない。文化に強姦はあるのか。幕末の阿部正弘、井伊直弼は一種の英雄、薩長は気違いである。日本の指導者は、中国などと違って西洋文化を認め開国し、西洋の真似をしてくれたとアメリカは評価する。日本が潜在的に恨みを持っているとは気がついていないし、気がつくのは難しい。

 日本人も外国人に説明する時は、自分たちは喜んで近代化したと言う。ペリーも人間の文明を野蛮人に持ち込んだと信じ、幸い武器を使わず開国した。アメリカ側はそう見ている。

 文明を持って来たのではなく、強姦したというのは心理的に問題がある。強姦は誤解を招く。極端にいかないと心理療法にならないのかも知れないが。

 何処かの財団に拠出して貰い日米相互理解のための基金でも創ると良いかも。

 

 岸田 日米関係の出発点が、お互いに知らなかった男女が強姦で始まったようなものだったことに、気付いて欲しい。アメリカが日本を近代化させてやったというと、押し付けられた心情が噴き出す。

 日本人もアメリカ人も双方が認識してもらわなければならぬ。お互いが認識しない限り日米の相互理解は不可能。また、日本人は和に最高の価値をおく。アメリカ人の唯一神に支えられた思考回路と全く異なる。

 

 岸田 貿易問題もペリーショックと関係がある。日本の貿易黒字は内的自己の発現。

 岸田 欧米人の自己放棄というのは、唯一絶対の神に集約されているから、普通の人間関係とか、普通の集団関係では出す必要がない。それだけにしか過ぎないんではないかというわけです。だから欧米人も自分が神との関係でやっていることを、日本人は、具体的な個人との関係、具体的な集団との関係でやっているんだと考えてくれれば、日本人のそういうところがいくらか理解できるんではないかと思っているわけです。p107

 

 日本の母親は文化的理念。背後に世間がある。それが力となって男達を支配する。男たちの背後に母親がいるという構造になっている。母親になれない女は居場所がない。嫁して三年子なきは去れ。日本は母親中心だから女は負担が大きい。神の代わり。かみさん。 

 ウーマンリブについても、女性差別の中身が西洋人と違う。 

 

 西洋人から見ると日本の女性は奴隷に見える。バトラー 奴隷に財布は渡さない。岸田

 

 日本人の外的自己は病的、悪い点が多い。むしろ内的自己の方が健全。バトラー

アメリカは武器をもって自由と民主主義を守っている。 バトラー それは同意するが手前勝手である。善意でやっているので始末が悪い。岸田

 外的自己は日本の半分。内的自己も組み入れたアメリカとの関係を作らないと真の関係は出来ない。内的自己が欧米に承認されれば外的自己との統一は出来るが、内的自己の根本に欧米に対する恨み(ペリーショック)がある。無意識なので日本人は気付いていないが。岸田

 

 西洋で個人がグループに参加する時は自己がなくなるのが原点。日本の場合はグループに参加しない限りは西洋人のいうセルフがない。バトラー

そういう差が出てくる根本のところには普遍性、共通性がある( 本能が壊れた動物という)。岸田

 

 岸田 日本人はインディアンほど自尊心が高くなく、自己に忠実でなかったので、インディアンと違って戦わなかったし、ある意味では、アメリカに自ら進んで迎合したわけですね。屈服したわけです。屈服したことによって近代文明の中に入れたわけだし、自分の国を守れたわけだし、滅ぼされなかったわけなんだけれども、その服したということの痛みというか、屈辱感と言うのは残っているということを知ってもらいたいということですね。p231

 岸田 ある正義が相対的にどれほど良いか悪いかを判定するためには、その正義がもたらすプラスの面と、その正義を守るために払わなければならなかった犠牲、他の民族、他の国家に与えた損害というマイナスの面との両面を考えなければならないと思います。マイナスの面が大きい正義は相対的に悪い正義です。正義を守るためなら大きな犠牲を払うのもやむを得ないと言う考え方は間違っているんであって、大きな犠牲を払わなければ守れないよう正義は価値が低いと考えるべきではないでしょうか。p228

 

 バトラー しかし、第二次大戦では、アメリカが戦わないと、少なくとも、アメリカのような民主主義は世の中からなくなると、そして意味の正義があったと思うのですね。そして誰でもこれはアメリカ人として言うんだけれども、今の日本と1940年あたりの日本と人間としてすぐにはどっちがいいかということは…。p228

 

 正義のプラス面は否定しない。岸田

 

 自我の共通の支えとしてのお金は、資本主義世界では普遍的共通価値になり得る。国際人に銀行家は多い。国際関係を作るのにお金は有効だ。バトラー

 

→これを実践しているのが現代中国。一帯一路などか。

 

読後感。

 精神分析学から導き出した日米の病理は、解決(治癒)策があるというのは希望だが、そのなんと難しいことか。ロシアとイスラエル、パレスチナとイスラエル、米中対立も病理の形、原因は異なれど、解決の方向は基本的には同じだろう。自我を支えているものを直視することは、アイディンティティの崩壊に繋がりかねないと言うのだから。

 

 2024年を迎えにあたって暗い気持ちになるのは、解決策の有効性が弱いことだ。個人の思い、願いが集団、国家の思いとならないのは何故なのか。

 

 岸田氏も米欧人も日本人も共通している部分は同じだと言う。岸田氏の場合は、本能が壊れた動物という点が共通点だという意味だが、単純に言えば同じ人類だということだろう。しかし、両者は自我を支えているもの=文化が異なるだけのことであることは理解出来るにしてもそれをお互い認めることのなんと難しいことか。


 

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