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岸田秀再読 その23「唯幻論物語」2005 [本]

 

「唯幻論物語」岸田秀 文春新書 2005

 

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「支配的で勝手な親の弾圧、無理解、虐待などがストレスを生み、そのストレスに苦しんで子が神経症になるというような直線的因果関係を小谷野(注)は信じているらしいし、他にもそのように思ってる人は多いようであるが、この因果関係の因と果の間にはもうちょっと込みいった紆余曲折がある。(中略)わたしの場合は、むしろ、母がわたしを育てたのはただ単に、老後の生活の安定という現実的、打算的な目的だけのためではなかったからこそ、すなわち、そこに他のいろいろな動機が絡んでいたからこそ、神経症に追い込まれたと考えられるのである。」p33(母との対立 §2神経症)

 

 注)小谷野 敦(1962〜 )は、作家・比較文学者。愛称、猫猫先生。恋愛の比較文学的研究から出発し、「もてない男」を出版し、ベストセラーになる。「新近代主義の提唱」を展開している。

 

→この本を執筆したのは、小谷野敦著「すばらしき愚民社会」(新潮社)の中の岸田氏紹介文が動機だそう。つまり小谷野氏への反論ということになるが、内容的には、唯幻論を唱えた理由などで、特に新しい説明は無い(ように思える)。ただ文中主題に関係なく、面白いと思った箇所は幾つかあったので、以下記して見たい。

 

「いずれにせよ、人が唯幻論を好むかそれとも嫌うかは、まず、その人の親子の関係がどういう関係であったか、幸せな関係であったか不幸な関係であったか、その人にとって現実とは何か、現実に対して肯定的か否定的か、現実とその現実感覚との間にズレがあるかないか、などによって左右されるのではなかろうか。」p115(現実感覚の不全と唯幻論 §5現実感覚)

 

 →岸田氏ならずとも、「唯幻論」への読者の反応は賛否両論に分かれて面白い。自分のことも含め、確かに生い立ちや性格に関係がありそうにも思うので。

 

「最近は、鬱病の薬物療法が発達し、抗鬱剤で鬱感情をかなり解消できると聞く。したがって、鬱病は心因でなく、脳内物質などの生理的条件に起因していると考えざるをえないが、わたしは薬学も精神医学も知らないのでよくわからない。」p128(抑圧された不満 §6母と父)

 

 →自分(岸田)の場合は心因性のものとして説明可能なので、薬物療法を用いる精神科医がいうところの鬱病とは違うのだろうかと、率直な疑問を書いている。自分も知りたい。

 鬱病に限らず精神的な病が、心因性か脳内物質あるいは腸(?)などの生理的な要因なのかは、特に治療のことを考えると、重大な関心事である。岸田氏ならずとも、大層興味深い疑問である。心因によって鬱になったときに、脳内の細胞に何らかの物質が生じて同じ脳内の細胞に作用してトラブルが発生するのであろうか。抗鬱剤、睡眠剤などは、それに対してどう作用して改善するのだろうか。詳細なメカニズムは無理として、原理的なことは知りたいものである。現代医学ではかなりのことが解ってきているのではないか。

 心因性なら精神分析治療が、生理的要因なら薬物療法が有効なのか、併せて治療すればより効果的なのか。

 

「精神分析とは、実のところ、誰でも普段に自ずと知らず知らずのうちに用いているありふれた常識的な人間理解の方法をいくらか深めて体系化したものに過ぎない。早い話が、精神分析が記述しているような精神現象のほとんどは、とっくの昔に諺や箴言の中で言及されている。

 

「下司の勘ぐり」(投影)、「歴史は繰り返す」(反復強迫)、「己惚れと瘡気のない奴はいない」(ナルチシズム)、「可愛さ余って、憎さ百倍」(アンビバレンス)、「頭隠して尻隠さず」(抑圧)「泥棒にも三分の道理」(合理化)、「江戸の仇を長崎で討つ」(すり換え)、「三つ子の魂百まで」(幼児期の重視)、「鰯の頭も信心から」(宗教幻想論)、「朱に交われば赤くなる」(摂取)、「怪物と戦うものは怪物になる」(攻撃者との同一視)、「岡目八目」(無意識は他者に見える)、「羹に懲りて膾を吹く」(反動形成)、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」(同一視)、「類は友を呼ぶ」(集団形成)、「一事が万事」(転移)など。」p162(精神分析とは §7葛藤)

 

 →面白い。岸田氏の頭の柔らかさからくる喩えの上手さには、たびたび驚かされる。なるほど、なるほどと感心する。が、上記の中には、精神分析の用語に詳しくないせいか、はて(?)と思うものもある。たとえば、

 

 ・岡目八目(第三者は当事者よりも情勢を客観的に判断出来る)が「無意識は他者に見える」とは(?)。他者からの方がよく見えるという意か。

 ・己惚れ(おのぼれ)=自惚(うぬぼれ)と瘡気(かさけ)=梅毒のないやつはいない、が「ナルチズム」とは(?) 。ナルチズムは「自己陶酔」や「己惚れ」であるが、梅毒が誰にでもあったのは昔のこと。諺の方が変なのか?。

 ・ある対象に対し相反する感情を同時に持ったりするアンビバレンス=相反する態度を取ることが「反動形成」=慇懃無礼=「羹膾(あつものなます)」とは(?)などである。

 

「私は、個人心理を集団心理に当てはめているのではなく、個人心理と集団心理とは同じ観念群を材料として同じ原理に基づいて構成され、同型、同構造であるから、同じ理論で説明できると言っているのである。」p193(個人心理と集団心理 §8史的唯幻論)

 

 →この方が(これまでより)簡潔で一般の人には分かりやすい説明だと思う。

 

「個体発生が系統発生を繰り返すかどうかは知らないが、集団の中に生まれた個人は、集団に存在する無数の観念群を受け容れ、内在化し、構築して精神を形成する。個人も自分についての物語を持つことによって個人となる。それは人類の祖先が人類になったときの過程と同じ過程であろう。個人の心理構造に先祖の心理構造と共通な要素があるのは、「集合的無意識」が遺伝されるからではない。両構造の間に共通な要素があれば、それを「集合的無意識」の遺伝によるとしか考えないのは、想像力がいささか貧困である。」p193(史的唯幻論 §8史的唯幻論)

 

 →理由は知らないが、個体発生が系統発生を繰り返すのは、胎児の成長過程などから見ても、事実と思われる。集団の発生において系統発生的なものはあるのだろうか。少なくとも個人と集団の違いのひとつだろう。このことは前から気になっているのだが、それは岸田氏の唯幻論に何か関わりがあるのかそれとも、ないのだろうか。疑問が湧くがその先に進めない。

 

「1853年にペリーに強姦されたときに生きていた日本人は、今では全員死んでいるが、そのときの日本に欧米との関係における外的自己と内的自己との分裂という観念構造が形成されると、それは、ペリーのことなんか聞いたこともない今の日本人に何らかの形で伝わっていると考えられる。インディアンを大量虐殺した時代のアメリカ人は全員死んでいるが、この虐殺の経験は、例えば、イラクにおける今のアメリカ兵の行動パターンに影響を与えていると考えられる。」p197(史的唯幻論 §8史的唯幻論)

 

 →これも岸田氏のの繰り返し主張していることの一つながら、この書き方の方が一般の人には分かりやすいのではないかと思う。

 

「幻想が歴史を決定するのであって、経済的条件等のような具体的、物質的要因が歴史を決定するのではないから、歴史には何の必然性もない。(略)ある事件が歴史的事件として選ばれるのは、その事件が招いた事態が、もしその事件が起こらなかったとすれば、こうなったであろうと想定される事態と比較して、我々にとって重大であると感じられるからである。(略)フランス革命が歴史的事件であるのは、もしフランス革命が起こらなかったとした場合に想定される事態との比較においてでしかない。すなわち、あらゆる歴史的事件は、「もし」(if)に支えられているのである。そして、何を「もし」とするかも、幻想の問題である。「もし」がなければ歴史はない。」p199(幻想が歴史を決定する§8史的唯幻論)

 

 →歴史に「もし」はないなどと馬鹿げたことを言う人は、歴史を必然とでも考えているのかと岸田氏は言う。また「もし」を考えるから歴史はあり、幻想が歴史を決定するとも断言する。歴史の「もし」(if)は歴史分析に必要不可欠であると自分も思う。

 

「ヨーロッパ人が、近代を通して、ヨーロッパ民族の優秀性を繰り返し繰り返し執拗に強調し続けていることや、日米戦争において、日本軍の作戦や戦闘が現実的勝利よりも、むしろプライドを守ることに重点を置いていたことからも、幻想の自我を守ることが民族や国家の最重要の目的であることに疑問の余地は無い。人間は個人としても集団としても、自我という幻想を守るために生きているのである。人間の歴史は幻想の歴史である。」p206(幻想の自我を守る §8史的唯幻論)

 

 →この本の末尾の文章である。書かれていることは、これまで読んできたものとほぼ変わりはない。

 集団の歴史を書いて個人の歴史を書いてないが、試みに岸田氏の論で書いて見るとこうなろう。

 人も自我という幻想を守るために生きているのである。人の一生は幻想の一生である。 そして「下天の夢に比べれば夢幻の如く」で、「浪花のこと夢のもまた夢」と付け加えてみたい。

 

 読後感

 この本は、この時期までの岸田氏による20冊余り(対談などを除いて)の著書の中では、自分が企画して書いた初めての書き下ろしという。それが岸田氏への反批判というのが少し、残念。前から思っているが、読者にはいろいろな人がいるのだから、批判などあまり気にかけなくても、良いような気がするからである。


 

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