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岸田秀再読 その36「 日本人と「日本病」について」 岸田秀 山本七平 1992 [本]

 

日本人と「日本病」について 岸田秀 山本七平 青土社 1992 (文藝春秋1980初刊)

 

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 岸田氏47歳、山本氏59歳の時の著書。唯幻論の「ものぐさ精神分析」は1977年の刊行だが、それをめぐって書かれた「哺育器の中の大人 精神分析講義」(対談者 伊丹十三1978)の次に刊行された比較的早い時期の対談共著になる。岸田氏の方から持ちかけた対談のよう。

 山本七平(1921〜1991 70才歿)は、ノンフィクション作家 山本書店店主。著者に「日本人とユダヤ人」(ペンネーム=イザヤ ベンダサン)、「空気の研究 1977」などがある。

 

「空気の研究」で有名な山本氏は、この対談でもまず、組織には、論理的意思決定と空気的意思決定の二つがあり、明らかに後者のがほうが強いと言う。

「空気的意思決定は非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ『判断の基準』であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力を持つ超能力であることは明らかである。」 戦艦大和の出撃決定は典型的。

 

→企業でも当然論理的に矛盾しようが空気で決まることがある。日本は何故そうなったかが問題。和をもって尊しとする、世間体優先がその依ってきたるものだろう。閉鎖的共同体の論理より人を重視するという岸田氏の持論と親和性が高い気がする。

山本七平の本は読んだ記憶がない。難しいので二人の議論の中で印象的な言葉をメモしながら読んだ。

 

唯一神と血縁

岸田 「空気」と「共同幻想」は共通性がある。

山本 徳川時代は断章取義。原典から都合の良いものだけ取る。明治以降の和魂洋才も同じ。日本文化はサザエ。殻に閉じこもり蓋を閉め必要な時だけ開けて外を見る。骨(バックボーン)無し。相手の立場に立つが、自分の立場は無い。

宗教法が神と個人の契約であり、神との契約に基づく自己規定のない人間は信用されない=神との契約がないんじゃ何をするかわからないーユダヤ、イスラム、ヨーロッパキリスト教の精神構造の基本。

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 日本人は神に誓って=天地神明にかけて=神を信じないと言って転ぶ。農耕社会の産物。血縁イデオロギー集団。

岸田 日本はあらゆる組織、あらゆる集団が、血縁を拡大した擬制血縁の原理で成り立っている。p35

山本 ヨーロッパが血縁幻想を待てなかった条件は、奴隷制と僧院制。奴隷制は家畜文化に発している。旧約聖書では男と人間が同義。女は家畜と同じ買う対象。(man mankind)

岸田 日本には奴隷はなかった。(人身売買はあったが 山本)

山本 日本ではお金(貨幣)が無かったのが奴隷のなかった理由。アメリカは1846年まで奴隷を使っていた。日本が、奴隷なしで現代文明のトップになり得たのは何故か。

教えて治に至る

山本 文化の違いは本能の壊れ方の違いではないか。

何かが壊れた、本来のものから違ってしまったという意識は人間にある=楽園追放(エデンの園 岸田)

岸田 本能崩壊は人間皆同じ。本能崩壊は人間の生命そのものと周囲との間に隙間が生じ、それを埋めない限りこの世界で生きていけないので、その隙間をどう埋めたかが文化。本能が壊れたから物欲や名誉欲が出てきた。

 

→岸田本能崩壊論への山本氏の印象である。どちらも観念的である。崩壊論に対する我が違和感にあまり影響は無さそう。生物学、遺伝子学的、進化論的な面から見ての議論に興味があるのだが。

 

山本 江戸時代の思想。人間には本心(石田梅巖の性)がある。赤ん坊だけに本心。物欲が出て病になる。赤ん坊に原罪はない。病にかかっているから治せば本心どおりに動き、自ずと社会は良くなる。治してくれるのが聖人。

岸田 赤ん坊が本心の姿で病気になりそれが失われるというのは唯幻論と順序が逆。

日本人というのは、自然本来の姿を個人のレベルで赤ん坊の時代に見る。ヨーロッパ人はそれを楽園に見る。つまり人類としての集団の歴史が始まる以前に見るわけです。本来の自然な姿があるという観念は同じだけど、それを個人のレベルで見るか、歴史のレベルで見るかで違ってくる。p47

 

山本 派閥は何集団か。血縁、地縁集団か。原則が無い政党の規約綱領は機能しない。藩閥が起源。天皇制の国は明治国家の神話。実際は幕府制の国。

 アメリカ(典型的な地域社会)という国に入れば王族、貴族でも血縁的なものを一切認めない、各人の伝統的宗教法さえ認めない。アメリカ憲法絶対優先。嫌なら出て行け。日本はあいまい。イスラム教徒になれば(宗教は自由)4人と結婚できる。両性合意だけが規定されている。理論的に答えに窮する問題が(現)憲法にはある。

 

岸田 米欧の社会、集団は血縁を離れ別の明確な原理で集団を形成。忠孝不一致が当然。社会的適応は親からの独立が絶対条件。

山本 日本は血縁集団で地縁集団はない。擬制の血縁集団として統制する=共同体。ただし機能しなくなると分解。

 新井白石 (日本が)キリシタンは困るとする三つの理由①日本に法がない。「教えて治にに至る」教える根本に触られるのは困る②日本人は温和にしてまどかだが、絶対主義的なものが来ると争う。あやふやが一番。③直接神を拝する。すぐ一つ上だけ拝することで秩序を保つ。天を拝するのは皇帝。二君にまみえず。貞女二夫にまみえず。(飛び越えるのは困る)

 

岸田 (日本では)行動を規定するのは人間関係だけ。ヨーロッパ人の自我は唯一神に支えられている。

 日本が非常に珍しいケースだというのは、血縁をイデオロギーにしたこと、擬制として拡大したということで、これは世界でも例がないですね。血縁幻想がしっかりとあって、それに抵触する一切のイデオロギーははねつける。p67

 

規範なき社会

山本 自分たちが自覚していない伝統的な文化的規範に触れるようなことはしない、という信頼が自民党を支持する原因。p72

日本人の行動基準は「花は紅 柳は緑」。おのずと「なる」のであって「する」のではない。形の重視、礼儀の秩序、形は心が行動原理。

 

明治体制の自己矛盾

山本 明治維新の原動力というのは、国学的方向と朱子学的方向の二方向からきている。 日本には天皇とは何ぞやという思想的規定がなかった。天皇家、徳川家両方あって結構=伝統的経験主義。徳川家は朱子学を秩序の学とする宋、明の体制哲学に依った。

天皇絶対制の支えは尊皇攘夷思想。西欧化は尊皇攘夷と相容れず。憲法制定は天皇の主権を制限するものであり、矛盾する。バランス上教育勅語をつくった。明治憲法に忠誠=天皇機関説。教育勅語=日本的朱子学、尊皇攘夷を生かしておく=無原則 天皇は神聖にして犯すべからず(君臨すれども統治せず 岸田)不合理性の棚上げ。明治体制は外圧と輸入の思想で出来た。

 本当の主義とは状況への対応。戦後世の中が落ち着いているのは、日本人は伝統的経験主義の中にいるとき何も感じる必要がないから。結果経済発展で皆中流意識を持つようになった。昭和は元禄から変わらず「昭和元禄」は正しい。何故明治に日本は変わったのか謎だ。p121

 

→明治憲法と教育勅語はセットとは、初めて勉強した。なるほど。

 

純粋信仰

岸田 日本人は軍人が純粋であったことを忘れてはいけない。純粋な正義漢たちに国を任せた結果、どういうことになったかということを。p196

 

山本 サタン(悪魔)は正義の味方。神のそばにいる検察官。正義によって人間を告発する。人間が正義を口にする時の動機は憎悪。p199

 

岸田 (日本国憲法が)ニセ物という意味は、憲法が理念や原理としてまちがっているかいないかでなく、日本人の行動を決定している本当の法じゃないということ。固執するのは、強迫観念と同じでニセ物でなければ固執する必要がない。

山本 日本病の症状は、人間性善説、主観主義、純粋主義、正義幻想…と平等主義(岸田)。

 

岸田 現世は不平等だから、現世、後世がないと納得できない。やはり神がいない日本の精神風土から出ている。和は基準が人間だから平等でないと困る。平等主義は血縁幻想と繋がっている。人類皆兄弟など。

 

→日本語に命令形はない。仮定形の転用。「行け」は 「行けば、よい=丁寧語」これも命令が嫌いという平等主義と岸田氏は言う。面白い見方だと思う。方や聖書などの箴言の多くは命令形が圧倒的に多い。

 

山本 岸田氏の発想は極めて伝統的。石田梅巖には歴史が無く生物的に見る。「形ハ直ニ心ナリト知ルベシ」 大自然の秩序(善)の中に動物も人も生きている。そのとおりに生きれば良いのに人間には出来ない。人間には手足の形が勤労によって生きるしかないように出来ている。人間には規範がいる。規範は聖人が作ってくれた。p130

 

→規範が岸田氏のいう文化=幻想。岸田氏は規範は梅巖が規定したもので正しい根拠ではないという。また、自分の唯幻論は昔人が言ったことを言い直しただけで、オリジナリティはないとも。山本氏の唯幻論が梅巖説と近いとは初耳。

 

(注)石田梅巖(1685〜1744)江戸時代の思想家、倫理学者。石門心学の祖。京都府亀岡の人。梅岩の思想の要諦は、「心を尽くして性を知る」、すなわち人間を真の人間たらしめる「性」を「あるがまま」の姿において把握し、「あるべきよう」の行動規範を求めようとする点にある。この点において、武士も庶民も異なるところはなく、士農工商の身分は人間価値による差別ではなく、職分や職域の相違に過ぎないとする。(ウキペディア)

 

組織と共同体

岸田 日本人は家庭、会社、何にでも生き甲斐の場を求める。生き甲斐は主観の問題だから組織化困難。日本的集団は軍隊向きでない。日本には組織概念が無く究極的には人間=「人は石垣、人は城」。日本は原則が無いというのが原則。日本語は家族語。暗黙の前提がありすぎて外国人には通じないことが多い。

 日本は血縁が原理原則だから抽象的規則はない。

山本 日本の組織は個人に頼る。名人芸が好き。原理原則が無いので海外で相手に合わせ対応出来る。 明治人は朱子学という自覚的規範を持っていたので外国人に理解された。戦後原理原則が無いのに民主主義みたいなことを言っているので相手にわかって貰えない。

 日本人の行動には擬制の血縁原理が働いていると、(外国人には)説明しなければならない。

 

赤ん坊普遍主義

岸田 これからの日本人は外国人の行動規範と自分の行動規範の違い、相対性、限界を知り、無意識的にそれに引きずられのでなく、自覚的に自分の行動規範に基づいて行動出来るよう努力すべし。

山本 (歴史的にも、精神分析的にも)自己の精神史の把握は(疲れることだが)必要不可欠。

 明治はそれが出来たが、昭和は出来ず失敗した。戦後はこの失敗を決定的にする要素を持っている。

 

→これからの処方箋。山本氏の「自己の精神史の把握」というのは少しわかりにくい。また赤ん坊普遍主義という見出しも内容との関連がわからない。

 

読後感

二人の考え方には親和性あり、唯幻論についても山本氏に大きな異論は無さそう。議論は日本人の西欧と比較した特殊性、デメリット・メリット、その克服など。全体を通じて岸田氏が押し気味と感じるのは、氏の理論のほうが明快だからか、弁(文)が立つからか、は不明である。

 対談から二人の考え方の相異を指摘し、まとめるのは難しい。対談全体のトーン、「空気」から推察するしか無いのか。面白い本だが。

 二人とも太平洋戦争の末期を人生の若い時期に経験したのが思想のベースになっているのだと思うが、時間の経過とともにこのような対談集は貴重な存在になりつつある。

 戦後78年を経た今もなお解決していないことが多く、これからも議論せねばならないことが数多あるのに、脳漿が加齢により軟弱化してきているのが嘆かわしい。


 

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