月 [風流]
酷暑がやまず、月が皓々とかがやく清涼な秋が恋しい。
雪月花は我が国では風流の象徴であった。今でもそうだろう。
しかし、この頃、この三つのうち月のかげがうすい様な気がする。とくに都会に住んでいると月をしみじみ見るということがほとんどない。夜はネオンに押され、中空に浮かんでいる月はネオンの明かりと区別がつかない。
イメージとしては、赤い色の月だ。観月会なども地方の観光地では盛んだろうが、東京ではどうか。
高層ビルのマンションから眺める月はどうなのだろうか。
昔の人は月と一緒に暮らしていたといっても、良いくらいそれを眺め、愛でた。その証拠に月の呼称・異名の多いこと。十六夜月、立ち待ち月、極月などなど。月に託し詠まれた歌は数限りなくある。
また、かつては太陰暦で月がもとだから、生活、暮らしは一年中月と一緒だった。
潮の満ち干と月の満ち欠け、人の生死は関わりがあるという。今、人はこんなに月と離れてくらしていて、どうにかなってしまわないのだろうかと危惧する。
月を見てかの人をしのび、しみじみとものを思うことのなくなった現代人は、風流などにかまっていられないくらい忙しいのだ。だが、人間の生理と月の関係はきっと消えてはいないに違いない。
消えてしまっているのは、暮らしと月、月を風雅を愛でる心ねなのだろう。
そのかわりか、いまや月は宇宙開発のひとつの目標となってしまっている。
かつて月はしみじみのもとであった。これからも、たとえ形を変えてもそうあってほしいと心から思う。
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