柿の種・・寺田寅彦の「ブログ」? [本]
物理学者で随筆家、俳人でもある寺田寅彦(1878~1935)に「柿の種」という随筆がある。
友人の松根東洋城の主宰する俳句雑誌「渋柿」の巻頭に掲載された随筆である。
本人曰く「短い即興的漫筆・身辺の些事に関するたわいもないフィロソフィーレンや、われながら幼稚な、あるいはいやみな感傷などが主なる基調をなしている。言わば書信集か、あるいは日記の断片のようなもの」で、「ページの空白を埋めるために自画のカットを入れた」という。これは、いわば現代でいえばブログのようなものであろう。
文章は短い。140字とまではいかぬが、一編が1ページ前後と読みやすい。自分は見習うべき短さである。
寺田寅彦にはほかにも面白い沢山の随筆がある。いうまでもなく、学校の教科書にも載るほどだから名文として名高い。
柿の種に似たものに「東京朝日新聞」に掲載された「話の種」というのもある。こちらは1章が、柿の種よりさらに短くてツイッターに近い。しかし、中身は「今何してる?」といったものでなく、科学に関するつぶやきが多い。 科学に関するといっても、新聞に載せるくらいだからわかりやすく話題も身近な生活にちなむものが多く、われわれでも読んでいて楽しい。
好き好きであろうが、自分は「柿の種」のほうが、なんとなく日常生活、雑感が何ともブログ風で味があり、好きである。
著者はいう。「この(柿の種)「読者への著者の願いは、なるべく心の忙しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい(昭和8年 6月 「柿の種」)
と書いている。そして、次の詩がでてくる。
棄てた一粒の柿の種 生えるも生えぬも 甘いも渋いも 畑の土のよしあし
随筆集などの最初の一編は、本人の思いが深いのか、なぜか心に響くのが多いものである。
「柿の種」は、「日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。」と始まる。科学者であり、俳句、連句、音楽、映画論など多岐にわたる論客、で吉村冬彦のペンネームをもつ文人であった著者ならではの文章。あとは略すので興味ある方は是非続きを読まれたい。
ほかにも、たくさん面白い文章があってついほほがゆるむ。
たとえば、「眼は、いつでも思った時にすぐ閉じることができるようにできている。
しかし、耳のほうは、自分では自分を閉じることができないようにできている。なぜだろう。(大正10年3月 渋柿)
「今までにずいぶんいろいろむつかしい事も教わったが、銭というものほど意味のわかりにくいものに出逢ったためしはないようである。(昭和10年6月 渋柿)
といった具合である。
寺田寅彦といえば、夏目漱石(1867~1916)門下としても有名である。漱石「猫」の水島寒月のモデルとしての印象が強いせいか、かなり年下の感じである。実際に11歳年下ではあるが、後世のものからみると門人と言うより文豪の友人に近い感じもある。
そのわけは、どこか高等遊民風の風貌が似ていて、優れた科学者でありながら詩歌を愛した文人として、洒脱に生きた生き方、何より残された随筆などの彼の文章力にあるような気がする。
こんな感じをもつのは、私だけではないのではないかと思うがどうだろうか。
友人の松根東洋城の主宰する俳句雑誌「渋柿」の巻頭に掲載された随筆である。
本人曰く「短い即興的漫筆・身辺の些事に関するたわいもないフィロソフィーレンや、われながら幼稚な、あるいはいやみな感傷などが主なる基調をなしている。言わば書信集か、あるいは日記の断片のようなもの」で、「ページの空白を埋めるために自画のカットを入れた」という。これは、いわば現代でいえばブログのようなものであろう。
文章は短い。140字とまではいかぬが、一編が1ページ前後と読みやすい。自分は見習うべき短さである。
寺田寅彦にはほかにも面白い沢山の随筆がある。いうまでもなく、学校の教科書にも載るほどだから名文として名高い。
柿の種に似たものに「東京朝日新聞」に掲載された「話の種」というのもある。こちらは1章が、柿の種よりさらに短くてツイッターに近い。しかし、中身は「今何してる?」といったものでなく、科学に関するつぶやきが多い。 科学に関するといっても、新聞に載せるくらいだからわかりやすく話題も身近な生活にちなむものが多く、われわれでも読んでいて楽しい。
好き好きであろうが、自分は「柿の種」のほうが、なんとなく日常生活、雑感が何ともブログ風で味があり、好きである。
著者はいう。「この(柿の種)「読者への著者の願いは、なるべく心の忙しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい(昭和8年 6月 「柿の種」)
と書いている。そして、次の詩がでてくる。
棄てた一粒の柿の種 生えるも生えぬも 甘いも渋いも 畑の土のよしあし
随筆集などの最初の一編は、本人の思いが深いのか、なぜか心に響くのが多いものである。
「柿の種」は、「日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。」と始まる。科学者であり、俳句、連句、音楽、映画論など多岐にわたる論客、で吉村冬彦のペンネームをもつ文人であった著者ならではの文章。あとは略すので興味ある方は是非続きを読まれたい。
ほかにも、たくさん面白い文章があってついほほがゆるむ。
たとえば、「眼は、いつでも思った時にすぐ閉じることができるようにできている。
しかし、耳のほうは、自分では自分を閉じることができないようにできている。なぜだろう。(大正10年3月 渋柿)
「今までにずいぶんいろいろむつかしい事も教わったが、銭というものほど意味のわかりにくいものに出逢ったためしはないようである。(昭和10年6月 渋柿)
といった具合である。
寺田寅彦といえば、夏目漱石(1867~1916)門下としても有名である。漱石「猫」の水島寒月のモデルとしての印象が強いせいか、かなり年下の感じである。実際に11歳年下ではあるが、後世のものからみると門人と言うより文豪の友人に近い感じもある。
そのわけは、どこか高等遊民風の風貌が似ていて、優れた科学者でありながら詩歌を愛した文人として、洒脱に生きた生き方、何より残された随筆などの彼の文章力にあるような気がする。
こんな感じをもつのは、私だけではないのではないかと思うがどうだろうか。
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