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ミステリー依存症 [本]

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このところ暑くて体調不芳である。冷房を適切に使用しながら日々ゴロゴロしている。頭が錆びつきボーッとして、一日一回の午睡のときが自然にやってくるのは暑さだけでなく年のせいでもある。
この暑い中、家人が良く読んでいたミステリーを、ちょっと借りて読んだら病みつきになって、図書館で次々と借りて来て読んでいる。この作家のものは、阿佐ヶ谷と鷺宮の二つの図書館の棚においてあるものは大方読んでしまった。どうもミステリーというのは、麻雀やパチンコのように中毒になるようだ。やらずにいればやらなくとも良いが、やるとまたやりたくなるというあれだ。酒、タバコとはちょっと感じが違うが。
推理小説は一つ読み終わると、また別のものを読みたくなる。その代わり前に読んだ内容は、すぐ忘れてしまう。
杉並区図書館HPで著者名をキーに検索すると、あるわ、あるわ、500冊くらいある。もっとも同じ本を幾つかの出版社が発行したり、文庫本になったりしているので正味は半分位とみた。
作者も書くほうで依存症になったのではないかと訝る。ミステリーもそうだが、シリーズ物はパターンさえ確立すれば量産も可能なのだろう。一種の定型による量産。
まだ読んでいない本を10冊ほど予約すると2、3日でいつも行く阿佐ヶ谷図書館を受け取り窓口にして、「予約取り置き」とメールが来る。
まだ読んでいないものは、阿佐ヶ谷図書館とは別の図書館の蔵書のようだ。杉並区には17の図書館があるので、予約すると他から集めて呉れるシステムがあるらしい。
してみると、図書館の本というのはどういう基準でそれぞれ棚におくのであろうかと、余計なことが気になった。
なぜミステリーは、この年寄りでも面白いかを考えた。書き手が、エンターテインメントに徹しているからだろうと推察するが、肝心の謎解きやトリックと言っても似たようなもので、それほどの意外性というものはない。殺人事件の社会的背景も、この年になるとそんなものだろうという感じである。時折書かれている雑学的な薀蓄には面白いものがあるが、ミステリーでなく普通のエッセイにもそれはある。

自分の場合はどうやら、舞台となる土地がかなり重要だ。現役時代は地方転勤が多く、仕事では出張ばかりだったからいろいろな土地に行った。昔行った土地がミステリーで出てくると、何やら懐かしい。何の事はないヴァーチャルセンチメンタルジャーニイである。先日は福岡の津屋崎という地名が出てきた。瞬時にふわっと昔のことを思い出した。

前もこんな依存症気味になったことがあったような気がする。
むかし司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズを読みふけったときだと思い出す。大阪での単身赴任のときで、東京で会議がほぼ毎週あって、往復の新幹線の中で読んだ。やはり始めての近畿勤務の案内書として、あるいは、東北地区担当でもあったので出張先の土地が出て来たりして、何かと参考になる。勿論、作家独特の流れるような読みやすい文章や、ものの見方に教えられることも一気に読み通した要因ではある、読み終わると次のものを探しては読んだ。
依存症的に続けざまに読みたくなる本というのは他にもたくさんあるが、何か惹かれるテーマのようなものがあるにちがいない。
あとどれだけの心に沁む本を読めるかという齢になったのに、あたら絵空事の殺人事件などの本を読んで貴重な時間を無駄にしてなどと、頭によぎるのも確かなれど性懲りもなくまた今日も読んでいる。
人は、というと語弊があるが、自分は、つくづく依存症傾向の強い体質の懲りない奴だと、しみじみ嘆きながら、暑さのせいにしつつ読んでいる。






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