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明日葉とデハビランドヘロン機 [随想]

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何年か前に、園芸屋さんであしたばの苗を見つけ、猫額の庭の隅に植えた。
はじめの頃は芽が出ると、おひたしにして食べてみたりしたが、摘みどきを逸するとすぐ硬くて食べられなくなるので、そのうちに食べなくなり、ながめるだけになってしまった。

あしたばは成長が早く、名の由来通り、夕べ に摘んでも明日また葉が出るというくらい、成長力旺盛ですぐ大きくなるのだ。家人も飽きてしまい、芽がでてもすぐ雑草なみに引き抜いてしまうようになった。しかし、明日葉は強い。根が残っているらしく毎年同じところに生えてくる。離島の八丈島では、貴重な青菜であったことはよく知られ、ミネラル、ビタミンが多く含まれているとして東京でもスーパーに出回るようになって久しい。
アシタバ(明日葉、Angelica keiskei)はセリ科シシウド属の植物。日本原産で、房総半島から紀伊半島と伊豆諸島の太平洋岸に自生する。八丈島産は青茎、伊豆大島産は赤茎など土地によって特徴があるらしい。

明日葉を見ると、いつも八丈島を思い出す。
もう50年前にもなるので、普段忘れているが、学生時代にアルバイトで家庭教師をしていて、生徒の兄弟、小学生二人を連れて三人で八丈島に行った。昭和37か8年(1962年か63年)のことである。何故八丈島にしたのか良く覚えていないが、親が可愛い子によく旅をさせたものと今になると思う。何かあったら大変なことだ。それだけ信頼されていたことにはなるのだろうが。
卒論も書いてしまい、就職先も内定していたように思う。今考えれば、生徒のご両親が貧乏学生に、卒業旅行をさせてくれたのかもしれない。
生まれて初めて飛行機に乗った。往きは、15人くらいの客しか乗っていないレシプロ4発機のヘロン。乗る時だったか、座席についてからだったか、操縦席が間近によく見えたのを覚えている。
帰りはフレンドシップセブン、国産初のジェットプロペラ機である。東京の空はスモッグに覆われていた。

我々は無事に帰ってきたが、自分が卒業し就職した年の夏 、すなわち、昭和38年(1963年)8月、藤田航空(同年11月、全日空に吸収合併)のデハビランドヘロン(イギリス製レシプロ4発機)が八丈島空港を羽田空港へ向け離陸し管制塔へ離陸報告直後、消息を絶った。乗客ら19名の犠牲者が出た。藤田航空機八丈富士墜落事故である。
あの同型機のデハビランドヘロンであり、知った時背筋がゾーッとした。

もく星号(ダグラスDC-4)が伊豆大島の三原山に墜落し、漫談家大辻司郎ら37名が死亡したのは、昭和27年(1952年)で10年ほど前のことだが、当時八丈島付近では小さなものを含め、航空事故が幾つか起きた。自分は何の情報もなく、よそ様の大切なお子様を連れて飛行機に乗った。「若さ」というのは「馬鹿さ」だと、この八丈島旅行を思い出すたびに反省した。

八丈島は、東京南方287km、御蔵島と青ヶ島の間にある。宇喜多秀家らが流された流人の島として古い歴史を持つ。亜熱帯の植物や独特の民家も東京都下ととても思えないところで、子供達以上に自分にも勉強になったが、いろいろな意味で忘れられぬ旅になった。
後日談だが、子供達の両親は、昭和40年我々夫婦の月下氷人となり、家族ぐるみのお付き合いが続き今に至っている。

今年の夏は、酷い暑さで家人が明日葉の芽を摘まなかったら、花をつけた。菜の花のようなものかと思ったら、そうでなくおみなえしに似た細かいつぶつぶの花だった。なるほど、芹や独活の花に似ている。

明日葉や庭の片隅島の南風 (はえ) 杜 詩郎

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