SSブログ

ギュスターヴ・モローの水彩画 [絵]

image-20130425194029.png

ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)は、1826年パリで生まれ1898年 パリで亡くなった(62歳)。フランス象徴主義の画家である。日本でいえば明治時代。
印象派の画家たちとほぼ同時代に活躍したモローは、聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、想像と幻想の世界をもっぱら描いた画家として名高い。神秘性、象徴性の強いその作品は19世紀末の画家や文学者に多きな影響を与え、象徴主義の先駆者とされている。
画家は多面的なものを持っているから、一言でいうのは無理があるがギュスターヴモローの絵は、自分からみると「特異」である。

水彩画では、風景画「ノーメンターモ橋の道」や「ローマの遺跡」、珍しい動物画「蛇の習作」(Study puff adder)、「トキ 」(Ibis, 1876)、古詩や歴史を題材にした「アフロディテア 」(1870頃 水彩 鉛筆 紙 フォッグ美術館)、「メッサリーナ 」(The Execution of Messalina, 1874)、「ペリ 」(水彩 金 紙 1865 ルーブル美術館51×46)などは素人の自分にもわかるし、良いなと思うが、この画家の傑作と言われる「出現」(The Apparition, 1876)となると驚愕するばかりだ。

「出現」は三枚あり、中でもルーブル美術館の水彩画(105×75 cm、1874-76年)が最も人気があり有名である。画家50歳の時の作品。
他の二枚は油彩。米国のフォッグ美術館(1876年55.8×46.6)のものとG.モロー美術館(1876年 142×103)のもの。順に大きさは中、少、大。
三枚とも主題と構図は同じ。サロメが左下におり、宙に浮いている聖ヨハネの首を指差している。一度眼にすれば忘れ難い。
ルーブルの水彩の「出現」が最も画面が明るく、ヘロデ王など人物もはっきり描かれているが、油彩はサロメ以外は暗闇の中にいてディテルがはっきりせず、どちらかといえば暗く重苦しい感じ。目を惹くのはやはり水彩の柱などに散らばるブルー、首から落ちる血と首切り役人(?)の衣裳の赤。
また、G.モロー美術館の油彩の背景の柱、天井などを浮き彫りにしている細く白い線も独特。油彩では何という技法なのか。
いずれにしても水彩画ファンとしては、ルーブル美術館の「出現」に人気があるのは嬉しい。

image-20130425194200.png


同じように、水彩と油彩とで描かれたものがほかにもあれば、比較したいと思い探してみた。
「サッフォー 」(1872 33×20 水彩 紙)と「淵に落ちて行くサッフォー 」(1867 20×14 油彩 板)の二枚は主題、構図も同じ。
サッフォーは古代ギリシャの女性詩人。その悲恋を描いたもの。サッフォーが失恋に絶望して身を投げ、海に落ちて行く瞬間を捉えている。サッフォーは立ち姿で落ちて行くのはどちらも同じながら水彩は左向き、油彩は右向き。全体の明暗はやはり水彩の方が明るい。
素人には、水彩のタッチは自在で軽く、モローの好むどちらかといえば暗く陰鬱な題材を表現するには、油彩の方があっているように思える。しかし、ほかの水彩画もそうだが、決して軽さを感じさせない。モローの高水準の水彩テクニックによるのだろう。

例えば、サッフォーが投身する直前を描いた「岩の上のサッフォー 」(Sappho on the Rocks, 1869-1872.18.4×12.4cm)にもそれを見ることが出来よう。
詩人の深い悲しみが、水彩で表現されて重苦しいくらいである。それでいて詩人の赤の衣裳とブルーが鮮やかで、一瞬詩人の顔を見失う。硬い岩肌のリアリティは、どういう技法を使っているのだろうか。絵の具が乾かないうちにヘラか何かで引っ掻くのか、と想像したりする。左上の円柱の青も印象的。

「トワレ(化粧) 」(The Toilet, 1885-90)という絵を、油彩と水彩と二枚みつけた。水彩の方は、東京のブリジストン美術館所蔵(1885-90年頃, 33.0×19.3cm)グワッシュ、水彩・紙とある。
しかしもうひとつの方は油彩とあったが、水彩画と寸分違わぬ。自分の見まちがいであろう。
日本にあるというのに、現物を見ていないので偉そうなことは言えないが、画像で見ても水彩、油彩どちらであれこの絵の衣裳の赤とブラウン、背景(水彩風だ)の青の素晴らしいこと。呆然となる。

「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」(1885-90 35×22.5)は、制作年代が同じの上掲「トワレ」に構図などが似ている。こちらは、間違いなく水彩画。
衣裳の赤。左の背景のブルーも、「トワレ」に比べより強烈。黄色は「トワレ」にも胸のあたりに薄くあるが、サロメの衣裳の袖のそれが原色に近く凄い。呼応してサロメの顔の目鼻立ちがくっきりとしている。

水彩画の中で好きな絵をあと2枚。ほかにもたくさんあるのだが。
「夕べの声 」(Voices of Evening, 1885 34.5×32cm 水彩・紙 ギュスターヴ・モロー美術館)は、モロー最晩年期を代表する作品のひとつ。
1890年からモローが没する前年の1897年頃のいずれかの時期に制作されたと考えられている。
まず三天使が目に飛び込んでくる。宙に浮遊しているのに安定感があるのはどうしてか。それにしてもモローの絵は「浮遊」が多い気がする。ひとつのテーマなのか。
中央の天使の翼のブルーと衣裳の赤、その赤が僅かに地面に映る。地面は水彩のドライブラシか、かすれが効果的。左の暗い森と右の明るい木の間の三天使に目が行き次にその頭上の星、さらにその上に輝く主役の宵の明星に目が移る仕掛だ。
背景のみずうみ、空のグラデーションとも水彩の特徴をいかした絵は異様な夕方を描き出す。そして単なる夕刻の寂しさだけでなく死までを見る人に想起させる。
神秘的、象徴的で精神性の高い絵と言われる所以だ。
それにしても水彩でここまで表現する画家の力量は「特異」でなくてなんであろうか。

「ペリ・聖なる象」(1882 個人蔵 57×43.5東京)画面中央に堂々たるインド象。
長い鼻先に花。その象に乗っているのは、ペリ(ペルシャの精霊)とか。インドの王妃のよう。浮遊する四人の有翼の天使はペルシャの妖精。ペルシャ、インド混然として妖しげな雰囲気を醸し出す。
水仙、百合、はすの花。別に「聖なる湖」題しているように背景は、湖。夕焼けだろうか、空が赤い。詩的というより、劇的というのか、見るものの眼を離させない。
個人蔵(東京)とあるが、この絵を手許で眺めている幸せな方はどなたか。もっとも、実際には国立西洋美術館にあるのだが。

image-20130425194259.png


話題の多い画家だが三つだけ。モローのファンなら誰でも知っていることながら。
ひとつはやはり、1892年56歳の時、エコール・デ・ボザール(官立美術学校)の教授となり門下から大画家A.マティス、G.ルオー、A.マルケが出たこと。師弟の作風が見事にみな異なるところが素晴らしい。

二つ目は、画家も日本の版画や縮緬絵、扇などをコレクションしていたということ。ジャポニズムに関心があり「北斎漫画」を模写したり、歌川派を真似して描いた「歌舞伎」、「歌舞伎の女形二人」(1869年)という絵が残されているという。
しかし、モローの絵からストレートに日本趣味を読み取るのはむずかしそう。構図や「浮遊」、藍色に近いブルーの使い方などに感じられないこともないが。

最後はこの画家の実験的な試み。これまでにあげた蛇の習作、歌舞伎の模写などもそうだが、抽象画風の「エボーシュ」(油彩)などまで描いている。「風景画の習作」も現代の水彩画を先取りしている。古風なものばかり描いていた画家と思うと間違う。
たぶんこの三つの画家のエピソードは、少なからず相互に関連しているだろう。

どうやらモローは、一筋縄では理解不可能な画家のようで、語彙の貧弱な自分には「特異」としか表現出来ない。そのせいか、言い足りなさが残り何かもどかしい。

とまれ神話、聖書、古詩を題材に詳細を描く想像力の豊かさと、それを描くだけでなく人の内面、精神をも画面に表現する水彩技術の高さに圧倒されるばかりだ。

image-20130425194315.png











nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。