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高山辰雄のパステル画1 [絵]

1912年(明治45)大分市生まれ。2007年(平成19)95歳 で没。 1936芸大卒の日本画家。1982文化勲章。
大分はかつて2年間暮らしたので、我が縁ある地だ。
大分県は福澤諭吉、広瀬武夫など学者や軍人は多いが美術家は余り多くない。美術家は日本画家高山辰雄とともに著名なのは福田平八郎(1892-1974)。他に古いところでは、田能村竹田( 1777ー1835)くらいか。彫刻家では、猫の朝倉文夫(1883-1964)。画家の朝倉 摂、 朝倉響子(彫刻)は朝倉文夫の長女、次女。

高山辰雄は、日本画家だが日本画の構想や下絵にパステルを多用した。むろん着彩、鉛筆、墨やボールペンなどもある。日本画家で構想、下図、スケッチにパステルを使うのは、珍しいことなのかどうか定かでないが、知らなかったので意外な感じがする。びっくりした。
パステルはハードかソフトか分からないが、アマチュアにはとても参考になるような気がする。
ただ、使っている紙が独特らしく白く残る目の形が不定形で、整列したような目になるキャンソン紙などパステル用紙ではないように見える。和紙でも使っているのか、今のところ不勉強にして謎である。
この不揃いの白い小さな点は、絵に独特の雰囲気をもたらしている。構想や下絵の段階から、画家が本制作を描くのにも影響を与えているのではないか。つまり高山の日本画のぼかしたような特徴(特に背景)は、このパステルのぼかしと酷似しているように思う。もちろん本制作には白い点は残っていないのだが。
あるいは、この白い点は白パステルで後からつけるという技法があるやもしれぬ。とすれば、我が類推は素人の的外れということになってしまうのだが。

絵はすべて素描集(現代日本素描全集 7 高山辰雄 河北 倫明/監修 ぎょうせい)で見ることが出来る。



「高原の月」(小下図 1981)黒枠が面白い。ソフトパステルのタッチのようだがどうか。
「夜気」( 小下図 1970)58歳の作品。
「自画像 」(スケッチ 1951) 画家39歳 。1949年には2度目の日展特選。覇気が感じられる。この頃から幻想的な画風へ。
「白い家」( スケッチ 1979頃 )鉛筆は使っていないようだ。
「森 」(スケッチ1950頃)大分の森か。大分は杉の名産地。日田、玖珠などなど。若い杉のテッペンはとがり、50年杉は丸くなると教えて貰った。かつて一雨千両とも。多雨が木を成長させ、その分高く売れた。
「森 」(スケッチ1950頃)
「上 街路 下 白い道 」(いずれもスケッチ )
「左 ひまわり 右 すいか 」(いずれもスケッチ)

高山画伯の日本画は、何やら深淵で謎めいているものが多いが、構想の段階や下図、スケッチはアマチュアにも親しみのわく絵があって楽しい。


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