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サルバドール・ダリの水彩画1 [絵]


サルバドール・ダリ(1904-89)は、スペインのカタルーニャ地方生まれ。20世紀シュールレアリズムの代表的画家。

ダリは多くの超現実的な絵画を油彩で描いた。率直なところ奇妙、奇天烈な絵で戸惑う。アマチュア(自分のこと)にとっては抽象画も難解だが、こちらも理解するのが難しい。

生地カタルーニャは、ほぼ同時代に活動した、同じ超現実派画家のジョアン・ミロ(1893-1983 90歳没)、「鳥の歌」とバッハ「無伴奏チェロ組曲」で名高いチェロ奏者パブロ・カザルス(1876-1973 96歳没)や、すこし前になるがサグラダファミリアの建築家アントニ・ガウディ(1852-1926 73歳没)らの出身地である。
交通事故死のガウディをのぞいて皆長寿だ。ダリも85歳まで生き83歳まで絵を描いた。
この地は独自の歴史・伝統・習慣・言語を持ち、カタルーニャ人としての民族意識が強くスペインからの独立運動が今なお盛んである。州都バルセロナ。
なお、シュールレアリズム、キュービズムの鬼才パブロ・ピカソ(1881-1973 91歳没)は、同時代に生きて活動したがスペインでも南部マラガの出身。

難解なサルバドール・ダリを少しでも理解しようとすれば幾つかのキーワードがあろう。もちろんほかにも沢山あり、これだけでこの巨人を全て解ったというわけにはいかないが。

一つはこのカタルーニャ出身ということ。
フランコ政権への抵抗、独立気運といった空気の中で育ったことは何かしらの影響を受けたに違いない。国連に請われてチェロを演奏したとき、「カタルーニャの鳥はピースピースと鳴く」と演説したカザルスの不屈の抵抗精神と共通点があるように思える。カタラン人としてダリもミロもその絵は既成のものや権威に反逆してやまない。

二つ目。生まれたとき、直前に亡くなった兄の生まれ代わりだと言われたこと。では、本当の自分はどこへ行ったのか、という自問が終生画家を悩ませたであろうことは、容易に察することが出来る。画面に現れる二重性、ダブルイメージ、多重性はそれを示す。

三つ目は妻のガラ・エリュアールとの関係。
1929年夏、ポール・エリュアールが(仏詩人1895ー1952)妻とともにダリを訪ねた。ダリとガラは強く惹かれ合い、1934年に結婚した。10歳年上のガラはダリのミューズであり、支配者であり、またマネージャーでもあったとか。
第二次世界大戦後はカトリックに帰依し、ガラを聖母に見立てた宗教画を連作した。
ダリはガラ(1894-1982年 88歳で没)を「自分の人生の舵」といい生涯愛し続けたが、奔放な妻に手も焼いたと伝えられる。
80歳にして20歳のマルタと結婚し10年間守護天使と可愛がったカザルスといい、1961年にジャクリーヌと80歳で結婚したピカソといい、あらためて芸術家とミューズについて考えさせられるというもの。

次はダダイズム、シュールレアリズムの芸術家、文学者との接触。これは説明不要であろう。
1927年、ダリは23歳のときパリに赴き、パブロ・ピカソ、仏詩人トリ・ツァラ、ポール・エリュアール、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトン(シュルレアリスム運動の主唱者)ら、シュルレアリスムの中心人物たちと交流する。11歳上のジョアン・ミロとの交流もあったのだろうか。

さらに偏執狂的批判的方法。
ダリは自分の制作方法を「偏執狂的批判的方法 (Paranoiac Critic)」と称し、写実的描法を用いながら、多重イメージなどを駆使して現実解離の夢、幻のような風景画、静物、人物画を描いた。
パラノイアはもともと妄想が内的原因で発生し、体系的に発展する病気名という。偏執病、妄想症とも。妄想以外は思考、行動に異常はなく人格もまともなのが特徴という。
ダリの奇行は名高いが。

写実からシュールへ。
ピカソもそうだが、ダリも写実的な絵から出発しており、6歳の幼少にして油彩の風景画を描いている。13-14歳頃には、もはやいっぱしの画家の絵である。
神童、天才を思わせる絵は次の3点を見れば十分だろう。


image-20160314195417.png


「フィゲラス近くの風景 」(1910 油彩 )6歳 のときの絵。フィゲラスはダリの生地。
「Fiesta in Figures フィゲラスの祭り」( 1914-16 油彩 )10-12歳。
「Crepuscular Oldman 薄暗がりの老人」(1917-18 油彩 )13-14歳。

これら真っ当な絵が次第にデフォルメされシュールへと変わっていくのは、ある意味逆進しているように見える。俗にいえば上手から下手になっていくようだ。
大人の絵を描いてしまい、飽き足らずに子供の絵を目指しているようにも見える。ピカソはまさにこれで、アマチュアから見れば理解の外だ。
カルチャー教室でも上手い絵が良い絵では無いと習いはするが、まともな、それらしい絵を描けずに悩む者にとっては不可思議である。
ダリがシュールになっていくのは、1925年前後からであろうか。画家20歳以降である。

次回 そのダリが描いた水彩画などを見ることにする。
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