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アンリ・マティスのグヮッシュ切り紙絵 1 ー巨匠晩年の追究 [絵]


マティス(Henri Matisse, 1869ー1954 84歳で没)は、仏の画家。フォーヴィズム(野獣派)のリーダ-的存在。野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」といわれ、緑あふれる世界を描き続けた画家であった。彫刻および版画も手がけている。

まぁ、こんなことは絵の好きな人は誰でも知っている。自分がマチスの晩年はいつだったかを確認したいだけ。没年から著作権の消滅時期も知りたいし。

ボザール(仏・高等美術学校)への入校を目指したが叶わなかった。が、熱意を評価した教官ギュスターヴ・モローから特別に個人指導を受けた。この時、ボザールに入校してモローの指導を受けていたジョルジュ・ルオーとは生涯の友情を結ぶ。このエピソードは、モローの水彩画をこのブログに書いた時に初めて知った。師弟三人の画風の違いに驚いたのである。

マティスの絵は好きである。自分が40年余にわたるサラリーマン稼業のリタイア後に、水彩のお稽古をカルチャーで始めた年、2004年(H16)に、たまたまマティス展 が国立西洋美術で開催されたので観に行った。わけもわからず心を動かされ、大版の「ルーマニアのブラウス」、「ドリーム(夢)」などの複製画を買って帰った。今でも時々取り出して見る。

彼ほど生涯を通じて絵を追求した画家は少ないに違いない。web画集でも彼の絵画活動「アートワーク・スタイル」を次の様に列記していた。
絵を学ぶ学生なら、この変遷を辿るだけで多くのことを学べるだろう。

抽象画Abstract Art、抽象的表現主義Abstract Expressionism、カラーフィールドペインティングColor Field Painting、キュービズムCubism、分割描法Divisionism、表現主義Expressionism、野獣派Fauvism、印象派Impressionism、東洋主義Orientalism、点描画法Pointillism、後期印象派Post-Impressionism、写実主義Realism。

なお、このうちカラーフィールド・ペインティング(Color Field, Colorfield painting)は、ウキペディアによると厳密には1950年代末から1960年代にかけてのアメリカ合衆国を中心とした抽象絵画の一動向をいうが、絵の中に線・形・幾何学的な構成など、何が描かれているか分かるような絵柄を描いたりはせず、キャンバス全体を色数の少ない大きな色彩の面で塗りこめるという特徴があった。その作品の多くは巨大なキャンバスを使っており、キャンバスの前の観客は身体全体を一面の色彩に包み込まれることになるのでマティスの一時期の絵画をそれにみたてたのだろうか。専門家でないのであてにならないが、少し分かるような気がする。
マティスの絵画のうち、色彩による「面」の領域が画面のなかで大きな割合を示すものを指すくらいに理解すればよい のであろう。

マティスは、作品が生まれてくる過程(プロセス)にもとりわけ大きな関心をはらったことでも知られる。制作の途上で変わっていく表現を写真に撮影して記録しておくだけでなく、実際に一枚の絵を描くのに同じ様な絵を描く何枚も描いている。前記の展覧会でもそれが紹介されていて、色々な意味で衝撃的だったことを今でも覚えている。

今回は若い時の魅力的な油彩画のことでなく、晩年に病を得てから取り組んだ「切り紙絵」に強い興味を持ったのでそのことを。
2004年に観たマティス展でも大いに気になった絵である。

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上記のWeb画集によれば、マティスの技法(テクニック)には、チャコールcharcoal、グヮッシュgouache、リトグラフィlithography、油彩oil、鉛筆pencil、ヴィトラージュvitrageとある。が、この中には素描を含めて水彩(watercolor、trance parent)、パステルがない。
このマティスのグヮッシュが切り紙絵である。
ヴィトラージュは良く理解していないが、ガラス絵に似たものか。ステンドグラスとは別もの。

巨匠たちにも、素描や下絵、エスキースを油彩以外の画材で描いて残している者と、殆ど残していない者といるようだ。それぞれに理由があるようだが、ポール・セザンヌは前者の代表でマティスは後者に属する。いきなり本制作(制作過程のものを含め)にかかったのかどうか。チャコールや鉛筆はあるのでそうではないと思うのだが。

さて、マティスの切り紙絵とは、「グワッシュ アウトカット」のことである。英語では「Gouache on paper out-cut」、仏語で「les gouaches découpées 」。グヮッシュで塗られた色紙を使う。

マティスは1939年、70歳で離婚する。理由は知らない。
1941年(72歳のとき)に十二指腸癌を煩い、手術は奇跡的に成功するも、車椅子生活を余儀なくされる。
そのマティスの世話は、かってモデルであったリディア・ディレクトルスカヤが行うことになった。
 この頃から、健康上の理由で絵筆を使うことが難しくなり、リディアに手伝ってもらって、ガッシュで着色した紙をはさみで切り抜いて貼り合わせる「切り紙絵」に没頭する。

マティスは言う。「切り紙絵は色彩で描くことを可能にしてくれた。輪郭線を引いてから中に色を置く代わりに、いきなり色彩で描くことができる」、「切り紙絵では色彩の中でデッサンすることができる」

従来の絵画の技法では、「線」と「色」がバラバラになってしまう―。そんなマティスの悩みを解決したのが「切り紙絵」であったという。

つまり、かねてから色彩と線、どちらも並び立つ表現を追求してきたマティスにとって、切り紙絵は、切り抜くことで色彩と線が同時に決まり、両方を満足させる表現方法だったということになる。
いわば、線の単純化、色彩の純化を追求した結果、切り紙絵に到達したのだ。マティスのハサミは鉛筆以上にデッサンに適した道具だったということになる。

マティスは、目まぐるしく絵のスタイルを変えていく中で「線と色彩の調和」という問題に生涯をかけて取り組んだ。その一つの答えが、グワッシュで色を塗った紙から、まるで線を引くようにハサミでモティーフを切り出し、紙の上に配置する「切り紙絵」だった。この方法によってマティスはついに「線」と「色」とが一体になった表現を実現したのである。

次回はマティスの切り紙絵の挿し絵本「ジャズ」について。
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