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アンリ・マティス グヮッシュの切り紙絵6ー最晩年の絵 [絵]

前回の切り紙絵「ブルーヌード(1952)」は、アンリ・マティス82歳のときのものだから、もう最晩年の作品である。
つぎにあげる作品の多くも制作年は1952年であり、没年の2年前まで画家は意欲的な創作活動を行ったことが見てとれる。

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「The king's Sadness 王の悲しみ 」(1952 )王は古代イスラエルのダビデ王 だという。大きさは292×386cm 。およそ縦4m、横3mの大きさの切り絵だと、リディア・ディレクトルスカヤのほかに手伝う弟子が何人もいるだろう。そして大鋏も。題名、仏語では「La Tristesse Du Roi 」。


「La Perruche et Sirene インコと人魚 」(1952 )よく見れば左にインコ、右にマーメイドらしきものがいる。大きさは分からなかったが展覧会の展示写真は人と比べてもかなり大きそう。

「Avenue of Olive Trees オリーブの樹の大通り 」(1952 油彩)おそらくは、画家の最後の油彩の風景画か。写実的なのが意外である。

「Memory of Oceania, オセアニアの記憶」 (1952-1953)青の斜めの短冊が目立つ。鉛筆のような線があるのは珍しい。オセアニアの海や空の青などを想像させるが、全体にはかなり抽象画風だ。

「The Snail, かたつむり」(1953 )曲線ならぬ直線の矩形の折り紙が、時計まわりに渦を巻いている。たしかにカタツムリだ。最晩年(83歳)の作品。

「La Gerbe 束 」(1953 )これも最晩年(亡くなる前年)のもの 83歳。英語ではThe Sheafー穀物の束のことである。これも一見して植物、或いは花束(ブーケ)のようだが抽象的なデザイン。上のダビデやカタツムリもそうだが、鮮やかな色の中にある黒色が画面を複雑にしているよう。

さて、大病後のマティスの芸術活動をグワッシュ切り紙絵を主に見て、例えば同時代のパブロ・ピカソともまた違った魅力を持った偉大な芸術家だと、あらためて思い知らされる。
ピカソはマティスの11歳下、友人でライバルだから常に比較されるがマティスはピカソの一歩先を走っていたと思う。(アマチュアの独断と偏見は承知ながら。)

アマチュアには上手く言えないが、マティスが終始追求してきたのは、線と色彩面をいかに二次元の画面に表現するかという課題である。これは勿論ピカソも同じ。

病気前のマティスの絵は、線と色彩が鮮やかで装飾的であるが、病気になって画材を切り紙絵に変えざるを得なくなって思わぬ展開をしたようにも見える。

切り絵になっても装飾的という特徴は変わっていないが、目立つのはデザイン性が付加されたこと、いわば絵のデザイン化のように思える。

ハサミで切り取ったかたちは、マティスのものであり、その並べ方もマティス独特のものであることは確かだが、同じようなことはマティスでなくとも出来る。出来上がったものはもちろんその人の個性を主張するが。

切り紙絵は一種のデザインである。だから本の装丁や壁画、ステンドグラスなどと親和性が高い。
マティスは、晩年切り紙絵を始めたことで、職人的なデザイナーになったようにも見える。芸術的なデザイナーと言い換えねばならないが、一般人でもなれるのがデザイナーだとすると「芸術的」は、少し変なような気もする。

ピカソも版画に熱中したり、絵皿を描いたりして「デザイン」をしている。
しかしマティスは、晩年(病を奇貨としてだが)切り絵によってより、徹底したデザイナーになったのではないか。
二人には似た面も異なる面もあるが、マティスの切り紙絵による絵画のデザイン化(そういう表現が許されるとすればだが)、ピカソが晩年追究したものとマティスのそれとかなり違うところではないかと思う。

次回は最終回マティスの晩年についての補遺など余録を。
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