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岸田 秀再読 その3「唯幻論始末記 わたしはなぜ唯幻論を唱えたか」 [本]

 

 最初に自分が岸田秀氏の著書を初めて読んでから、既に10年以上が過ぎている。

 

 著者は1933年生まれだから、「ものぐさ精神分析」で唯幻論を発表した1977年は44歳の時である。自分は37歳、中間管理職のサラリーマン。氏と同年輩の上司の下で日々あくせく働いていた。当時の先輩らの顔を思い起こすと、氏と自分の年齢差などが実感として分かる。また、いかに当方はノーテンキに暮らしていたかも、今となれば(懐かしく)思い知らされる。

 氏とは7年の差があるが、同時代と言って良い。唯幻論には、特別強いシンパシーもない代わり、はなから拒否感がないのもこのせいかも知れぬ。一方で終戦の年に自分は5歳で氏や先の職場の上司は12歳であったことは、価値観の急転換を体験したか否で、その後の精神形成に微妙な差もあるかも知れないとも思うが。

 最近読んだ「哀しみという感情2007」を書いたのは、氏が74歳の時だが、読んでみると30年後もどうやら氏の「唯幻論」の持論は揺るぎも無いように見えた。

 

 今年、氏は卒寿90歳になる。唯幻論発表後46年、著者がどんな考えを持っているかには興味がある。

 

 今から5年前の85歳の時に書いた「唯幻論始末記 わたしはなぜ唯幻論を唱えたのか」(いそっぷ社2018)」を図書館で借りて読んだ。

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 氏は幼少からの自らの現実感覚不全、紛失癖、歪んだ認知構造、奇行、人と自分の考え方の違いなどの理由を探がすなかで、母親との関係等を考察し唯幻論に至ったと説明する。

 このあたり氏がなぜ唯幻論を唱えたかというくだりは、すべてとは言えないかも知れないが概ね理解できる。

 極めて個人的なものから人間の普遍的な精神のあり様を探り出し、さらに我が国、世界の歴史をそれで説明してその将来をも考える。自分からみれば、壮大な思想であると感心するばかりだ。

 氏は自分の「性的唯幻論と史的唯幻論」への批判が強いことを認め、とくに個人心理を集団心理に当てはめるのはおかしい、国家や民族などの集団をあたかも個人であるかのように扱うのは、どう考えてもおかしいという批判が強いとして、それに対する反批判を展開している。

 氏は言う。(長い引用になるが、自分にも気になる大事な論点の一つなので敢えて。)

 

「わたしの説を批判者する人は、個人の心理と行動は脳組織や神経系の働きなどの生理的条件によって決定されているが、集団の心理と行動は、政治、経済、法律などの社会的条件に決定されており、両者は全く無関係な異質の現象であると考えているのではないか。

(中略)私の考えによれば、個人の人格構造も、集団の社会構造も、それまでの歴史の過程において、獲得した諸観念を個人または集団の人々が人為的に構成することによって成り立っているのである。個人の人格構造も、集団の社会構造も、脳内物質とか経済的条件とかの物質的条件によって決定されるのではない。したがって個人と集団は構造的には同じであり、どうすればうまく機能するか、どういうことで狂うかなどの事は同じ法則によって心情的に理解できるのである。個人の場合の、神経症精神病、誇大妄想、被害妄想などはまったく同じ現象が集団においても起こるのである。したがって、日本やアメリカやヨーロッパなどの国々は、あたかも個人のように理解し説明できるのである。もし個人の心理と集団の心理とが起源が異なるまったく無関係な異質の現象であるなら、個人は集団を理解できないし、集団のなかのの個人と個人は理解し得ないであろう。」(37p)

「要するに、人間の「心」も「脳」も、崩壊しているのでない限り(例えば、交通事故に遭って頭部が怪我し脳髄の1部が破壊されたとか)、周りの状況との関連の中で現象しているのであって、それと切り離して「心」自体、「脳」自体を「科学的・客観的に研究」しようとするのは、いかにも具体的事物を対象とする「科学的・客観的」研究であるかのごとき錯覚を与えるが、絵画に使われている絵の具と言う具体的事物の科学的な成分を研究して絵画の芸術的価値を判定しようとするのと同じく、とんでもない見当違いなのである。」(p48)

 

 著者は自分がなぜ「唯幻論」を唱えたかその始末を書いておきたいと、著書書名を「始末記」と名付けた。その最後で次のように言う。

 

 「それから、唯幻論を前提として、過去の歴史や現代の社会のいろいろな現象を解こうとしてあちこちに文章を書いてきたが、それに対しては賛同してくれた人もたくさんいたものの、もちろん反対し、批判してきた人もたくさんいた。賛同してくれた人たちに対しては心から喜んでありがたがっていたが、反対や批判も気になるので、なぜ反対されるのか批判されるのかを胸に手を当ててよく考え、あちこちに反批判反駁の文章を書いた。そうこうしてるうちにいつ死んでもおかしくない歳になったし、記憶力や判断が衰えてきたようなので、もう次の新しい本を書くことは無いであろうと言う気がするから、ここで、私がどういうわけで、どういう道筋を辿って唯幻論という説を思いついたかを説明し、唯幻論への批判に対してこれまで書いた反批判反駁をまたまとめて提示することにした。したがって、繰り返しになるところが多いけれども、これが人生最後の本であろうと思うので、大目に見てほしいと虫のいいことを願っている。では、さようなら。ご機嫌よう。」

  2018年12月10日」 p238

 

 この文章を読む限り、著者の考え方は唯幻論発表後46年たった今も基本的に変わっていないようで、驚くとともに頼もしい限りである。

 ではさようなら。ご機嫌よう。が何とも好ましい。この最後の弁には氏の率直さと潔ぎよさがある。多くの人が唯幻論に惹かれる要因の一つでは無いか、と自分には思える。 

 

 さて、自分は氏の唯幻論のうち 個人の心理を集団心理に当てはめるということにはあまり違和感は無い。経済の景気が個人の気におおいに左右されるのは、実感として理解出来ることからきているのかも知れない。心理学的、精神分析学的ににどう説明するのかは分からないが。

 しかし、やはり氏の論の出発点である人間の本能は壊れた(他の動物の本能は壊れていない)とすることには違和感がある。

 未熟で生まれたから本能が壊れたというが、未熟で生まれる動物はパンダやカンガルーなど他にもいるが、なぜ彼らの本能が壊れないのか。人間は他の動物と異なるという意識が強すぎるのではないか。相違点も類似点もあるが、基本的には人間も動物である。

 本能が壊れているということは、目的と行動が一致しない(例えば、目的=個体の保存ー行動=食欲が無くても食べる、目的=種の保存ー行動=発情期がないセックス)ことだという。目的と行為が一致しないということがなぜ本能崩壊ときめつけられるのか。食欲が無くても食べる、発情期が無いことなどは単に種(動物)としての人間の生理的特性に過ぎないのでは無いか。ふと、シャチがアザラシをバレーボールにして遊ぶ例、カラスの線路石積み遊びなどを想起した。

 

 本能が壊れたから自我が生じた、その自我は(推測ながら)幻想であると議論が展開するが、もともとのところがもう一つ納得感が弱い。

 幻想なのだからムキになるなというあたりは、正義は西にもあり東にもある例、敗戦後の価値観の大転換の例などからして、好ましい結論になるので、そうかも知れんなどとうなずいてしまうのだが。

 自我の発生、自己の認識は他に説明できる論はないのであろうか。心理学、精神分析学、生理化学、医学、脳科学、哲学、宗教学などをもってしても答えられないのであろうか。

 氏の唯幻論に限ったものではないが、科学、宗教等に対する我が半知半解つまり不学のなせるものなれど、大事なことを深く考えず(チコちゃんではないが)ボーッと生きて来たなとしみじみ思う。


 

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