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岸田秀再読その8 「日本史を精神分析する」2016 [本]

 

「日本史を精神分析する 自分を知るための史的唯幻論」岸田秀 聞き手柳澤健 亜季書房 2016

 

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 2016年刊行なので著者83歳。比較的最近の岸田秀氏の考え方が分かると思う。聞き手柳澤 健氏は文藝春秋退社後フリー。「日本のレスリング物語」などの著書あり。

 

 いわば自己、自我を知るためには唯幻論による歴史の理解が一番良いとする岸田秀氏独特の論理を展開している。

 

 まずは、本題と直接関わるものではないが、「本能が壊れた」とする説明に関して気になった箇所がある。

「キリンの首は少しずつ伸びたのではない。絶滅の危機に瀕した時、全員が集団で、意図的にいきなり長くした。種の作戦だ。首が中間の化石は出ていない。 生命体の主体的意志 人類は幼形成熟、未熟児として生まれ、おとなにならないという作戦を立てた。 そのため本能に書き込まれた行動様式で生きられず本能が壊れた。壊れた本能の破片を拾い集め個人では自我、集団レベルでは文化を形成した。 行動様式のみならず世界像も壊れたので再構築のため言語を発明した。自我とは超越的な動物を模倣して道具を作る。孤立、孤独に耐えられず自我は家族、民族国家、神まで作って繋げたのだ。 人類の作戦は失敗した結果、本能が壊れて変な動物が地球上に出現し他の動物は迷惑を蒙っている。」

 

・きりんの話は、人類はある時一斉に意図的に、幼形成熟つまり大人にならないという進化を果たしたと言いたいのだろう。しかし、退化する蛇の足も徐々に時間をかけて体内へ入ったと考えるのが自然のような気もする。このあたりは生物考古学の領域だと思われるが、岸田氏の感覚的発想が窺えて面白い。また人間は、本能が壊れていない動物を上位に置き、そこから道具を発明した(鳥から飛行機)と逆転の発想をするのも氏の特異性を示す。凡百はあまりそういう思考方法は取らない。つまり人間が動物の中では最も進化した(上位にある)存在であると考えるのが一般的だ。

 

 さて、氏は個人レベルの自我と対応させて、集団レベルの文化である歴史を語るところに特徴がある。この二つが相互に行き来するので、説得力がある。つまり自分のこととしてみて(比べながら)歴史を辿るからであろう。

 国家(あるいは集団)の内的自己は、外国に反発して外国を憎悪し、外国との関係国際関係から逃亡し、誇大妄想的自尊心の中に閉じこもろうとする。(岸田氏はこの本で書いてないがー誇り、自尊心、かくあるべしという理念など)

 一方で外的自己は外国を崇拝し、模倣し、外国に屈従する。(これも岸田氏は書いてないが他人、他国、世間などへの憧憬)

 史的唯幻論は集団、国家はこの内的、外的自己の間を揺れ動いて歴史を紡いでいるのだとする説である。

 個人もそうだが、集団も自己は外的自己と内的自己に分裂しており、歴史的事件はこのいずれかが表面に出た現象だとする。なるほどたいていのことはこれで説明可能だ。

 

 大化改新は、崇仏派の蘇我氏の政権(外的自己)を廃仏派の物部氏、中大兄皇子、中臣鎌足(内的自己)が崩壊させた反乱であり、外的自己の足利幕府、北朝が内的自己の南朝、後醍醐天皇と戦ったのが南北朝時代だとする。

 明治維新は、外的自己の開明派(薩長土肥)と内的自己の鎖国派(尊王攘夷派、佐幕派)との戦い。西南戦争は外的自己の大久保利通と内的自己の西郷隆盛との衝突。

 白村江の戦い、ペルリ来航、源平合戦、日清、日露戦争、太平洋戦争しかり。

 ただ征韓論を主張した西郷、ペルリと和親条約を締結した江戸幕府などの例もあるごとく外的自己と内的自己は不安定で時には揺れ動く。

 平安朝と江戸時代は内的自己の時代。それぞれ安定の時代で文化芸術が花開く。

 外的自己の時代に抑圧された内的自己は、消滅せず息を吹き返す。60年安保闘争、三島由紀夫事件 力道山。ゴジラ。太平洋戦争はその典型的なもの。

 

 ではなぜ自己は内的自己と外的自己に分裂するのか、たしか個人の場合は壊れた本能の代用品である自己は元々不安定だから、集団の場合は共同幻想だからだったか、(今確たる自信がないのでひとまず置いておこう。)

 同じ論理で現代の日米韓の関係をこう説明する。日中関係も同じで相互の歴史認識の一致は度し難い。

「日本人が韓国人の屈辱と怒りを理解できないのは、現在の日本人がアメリカ人に対して、かつての日本人に対する朝鮮人のように、媚びた笑顔を浮かべて自ら進んで卑屈に迎合しており、かつ、そのことを否認しているからであろう。おのれの見苦しい面から目を背ける者は、他者の同じような面が見えなくなるのである。

 いつか、将来、日本が対米依存から解放された暁には、現在の韓国人が日本人を恨んでいるように、アメリカ人に対する日本人の積年の恨みが噴出するであろう。その時アメリカ人はなぜ恨まれるかわからず、日本人は恩知らずだと思うであろう。日韓関係の歪みは日米関係の歪みとつながっている。」

 

 歴史が内的、外的自己の間で揺れ動くのであれば、なぜ動いたか要因を考えればこれから日本はどうすれば良いかのヒントが得られるはず。

 個々人も内的、外的自己との間で揺れ動いて来たのだから、なぜ動いたかを自省すればどう生きるの指針となるはず。(表題の副題「自分を知るためのー」という意はこのことであろう。)

 その答えは、抑圧された自己を見つめることしかないが、それを認めることは自分の存在を否定しかねないので、極めて難しい、というのが岸田理論。せめてその難しさを自覚して生きるのが、愚行を回避する道であると。個人はそれで良いが、日本国はどうする。

 この書は我が国の現在の内的自己を対米依存、属国的情況と捉えてそこからの脱却が出来ないとすれば、そのことを自覚すべきであるとする。それ以上のことを言ってはいない。

 ただ、氏の憲法改正論が紹介されており、一つの考え方であろう。

「憲法改正して自主憲法を制定すべし。与えられた憲法という事実は消し難い。ただし、 今やれば日本は属国なのでアメリカ寄りになることは必至。安保破棄(属国からの脱却=基地廃止)が先。9条は賛成。これで長年戦争をしなくて済んだ。自主防衛せよ。日本を攻撃すれば痛い目にあうという程度で良い。核兵器を製造しようとすればすぐ出来る状態を保つべし。」

 日朝、日中、対米関係についてもこれまでの歴史を精神分析的手法で説明しているが、これからの方向などについて明示されてはいない(と思う)。

 

 氏は本書の末尾で次のように書いているのを知った。気分から史的唯幻論に至るとは改めて驚きを禁じ得ない。

「ところで、自分が日本兵の死骸の写真を見ると陥る憂鬱な気分と、自己犠牲的・献身的な母のイメージを思い浮かべると陥る、憂鬱な気分とはどういうわけか同じような気分なのであった。自分の人格障害と愚劣な戦いを強行した日本軍の兵士の死骸が重なり、日本の歴史を考えると二つは同じと気づき、自分の人格障害も消えた。」

 読後感

  ①総じて面白い。難しい表現が難。

  ②自分の場合はどうだったか考えてみる気になる。特に老人の懐古、回顧に良さそう。

  ③内的外的自己、唯幻論などというと難しい感じがしてしまうが、もっと平易な説明方法があれば良いと思う。

  ④それがないのなら漫画やアニメ、絵本などで表現したら面白そうだ。しかし、これも難しそう。

  ⑤自分の時代は、教科書に書いてあっても現代史を高校までにほとんど学ばない。江戸時代までで終わり受験勉強に入った。大学教養課程でも同じである。今でも同じではないか。これからのことを考えるのに、一番大事なことを学んでいないなと本書を読んで痛感。


 

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