SSブログ

岸田秀再読 その16「一神教vs多神教」2002 [本]

 

岸田秀 「一神教vs多神教」 聞き手三浦雅士(1946〜評論家) 朝日新聞出版 2013(2002)

 

0_IMG_8956.jpeg

 これまで宗教について、一神教vs多神教という考えなどあまり持ったことがなく、宗教そのものの知識にも乏しいので、ある意味新鮮で面白く読んだ。自分には刺激的な面白い本だと思う。

 例によって気になった点を自分なりに解釈して、メモしつつ読んだ。後からメモを読み返すと、初歩的なことに感心してばかりしている。通読に思いの外長時間を要したが、ひとえに我がこの分野の無知がその要因だと思い知らされる。

 

 本は三浦氏が聞き手、産婆役として岸田秀の理論を引き出す形式である。第一章を除き2〜7章までの表題は問い(?)になっている。三浦氏が聞き岸田氏が答えているが、どうして、どうして三浦氏も自分の意見を言っている。書は1〜7章からなる(2002初版)。自分が読んだのは2013年朝日新聞出版の文庫版。

 

 以下自分なりの解釈を。「かっこ」内は直接の引用。→は自分の感想。

 

第一章 一神教は特異な宗教である

 

 一神教はひとつの特異な現象、異常な現象として中近東だけに発生したただひとつの例外。(世界の他の宗教は多神教である)

 迫害されて恨んでいる人たちの特異な宗教だ。ユダヤ教は、ニーチェの言うルサンチマンの宗教でユダヤ教から派生し展開したのがキリスト教。イスラム教も同じく恨みの宗教。

 ユダヤ教が一神教の起点。エジプト帝国の植民地奴隷がモーセに率いられて反乱を起こし集団逃亡。ユダヤ教を信じユダヤ人になった。被差別者の宗教である。よって恨みがこもっている。ユダヤ教から展開したキリスト教も同じである。

 ユダヤの神、ヤハウェはユダヤ民族の祖先ではなく(血縁関係ではない)、ユダヤ人と神は契約して信者となった。いわば養子縁組の関係。モーセはエジプト人。太陽神アトン信仰を奴隷たちに教え、奴隷たちがユダヤ民族となった。

 一神教はファミリー・ロマン(家族物語)の観念。よって全知全能の父という非現実的概念であり、抽象化傾向が強い。復讐欲と嫉妬心が強く残酷な罰を下す恐ろしい神。多神教の神と正反対。(ドジな神さえいる)

 ローマ帝国が軍事力でヨーロッパ人にキリスト教を押し付けたから、一神教が外へむかい、帝国主義、植民地主義となってゆく。押し付けられたので、押し付け返していく宗教である。

 キリスト教を押し付けられた被害者意識が攻撃性のもと。ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカで繰り広げた破壊の凄まじさを見よ。

 キリスト教特にカトリックは多神教的なところがあるが(マリア信仰)、ユダヤ教、イスラム教の方が一神教の原理に忠実である。

 ヨーロッパ民族は白人種で、人類最初の被差別人種である。報復の思想がユダヤ教、キリスト教教、イスラム教と続く一神教の系譜だ 白人の先祖は黒人から生まれたアルビノ、白子だった。白い肌は劣勢遺伝。差別された恨み(ルサンチマン)と一神教が結合した。

 エジプト人は黒人だった。エジプトの植民地だったギリシャ人も。

 アッラー、ヤハウェも戦争神である。ベドウィンをまとめる神、遊牧民、牧畜民、農耕民をまとめる神である。部族連合を成立させる神。多神教を追い出す。

 豊かなアフリカから自然環境の厳しさの中へ。差別、報復、多神教を放棄させられ はるか天に唯一神を空想してしがみついた。

 自分たちが、特異であるかも知れないという疑惑を、払拭し隠蔽するために、逆に最も普遍的で最も正常だと信じ込むようになった。それにしてもブッシュの独善、完全な正義、独善、誇大妄想は不可解。

「音標文字と象形文字、一神教と多神教、罪の文化と恥の文化、肌の色、胎児化の程度など。白人種と他の人種との違いを見て白人優位の根拠にする。白人種が生まれた時のトラウマ(劣等感)は根が深い。」p59

 

→(にわか勉強)イスラム教とは〜6世紀アラビア半島でムハンマド(預言者)が絶対神アッラーのもとに遊牧民等を纏めたのがイスラム教。ユダヤ教、キリスト教の影響を受けている。経典コーラン。偶像崇拝否定。体制派スンニ派(最大多数派)、急進派シーア派。2019年16〜18億人の信者。サウジ、中東、東南アジアなど。

 

 一神教は三つとも被差別者の宗教で、恨みがこもっている。そうでないと彼らの残虐性は理解しがたいとする説、エジプト人、ギリシャ人は黒人とする説などは独自なのか、賛同者がどれだけいるのか自分には分からない。

 

第2章 自我は宗教を必要とするか?

 ユダヤ教からキリスト教が派生し、さらにイスラム教が派生、同一の宗教の三つの宗派が一神教だ。

 アラブの大義がイスラエルに大敗=アラブナショナリズムが否定されて一神教が先鋭化。原理主義は思考停止の一症状である。タリバンも追い詰められてイスラム教の原理にしがみついた。追い詰められて堅苦しくなる。ビシャブ、女子教育の禁止、ジハード、自爆など極端に走る。

 

「人間の自我と言うのは自分だけのもので、しかも他から切り離されていて孤立していて独自なものですから、人間の個人が死に、自我が滅びるということは、他の何ものによっても埋め合わせできない絶対的な喪失です。だから、人間だけに死の恐怖があるのだと思います。そして死の恐怖というのは耐え難い恐怖ですから、人間はその恐怖を鎮めるために、実は自我というのは切り離されてはいないんだ、孤立してはいないんだ、神につながっているんだ、という信仰を必要としているのです。それが宗教になったんだと思います。そこで自我を支える上はひとりなのか、沢山いるのかという問題になるわけですね。p61」

 

 不安恐怖が強いほど強い自我を必要とするのだ。自我を強くするには強い神が必要になるのだ。自我を消滅させたい、「無我の境地に達したいvs自我を強くしたい」は二律背反。

 多神教は森林の宗教、自然の恵みを享受vs一神教は砂漠の宗教、自我を堅持したい。

 人間の自我はまず自分を人間と思うところから。そのためには自分を人間だとしてくれる何かが必要。神でなくとも良い。親、祖先、神。祖先崇拝は多神教。一神教は他を排除するが、多神教は一神教を排除しないから一神教の方が良い。

 

→自我を支えるものの一つが宗教。不安が強いほど強い神を求める。それが一人の神(一神教)か、複数(多神教)か。分かりやすい。一神教vs多神教への着眼は、独自なのかどうか不学にして知らないが、議論の展開に拡がりを持つことは確かで、凄いと思う。

 

 岸田秀再読 その17「一神教vs多神教」(2/3)へつづく


 

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。