漱石の好きだった女性 [本]
漱石「猫」の美学者迷亭のモデルは大塚保治博士というのが定説である。博士の夫人楠緒子(くすおこ)が亡くなっとき、漱石は追悼句 を詠んでいる。
あるほどの菊投げ入れよ棺の中
大塚楠緒子は明治の女流歌人 、本名久壽雄(1875-1910)享年35で夭逝した。
ひとあし踏みて夫(つま)思ひ ふたあし国を思へども 三足ふたたび夫思ふ 女心に咎ありや
「お百度詣」の反戦歌。晶子ほど大胆ではないが、つとに名高い。
若き漱石は彼女の婿候補の一人だったとか、いや恋人同士で、松山行きは、その失恋が原因だったとかいろいろ言われたこともよく知られている。
彼女が博士と結婚した後も、一説に漱石はこの美貌の夫人にひそかな恋慕の情を抱いていたとも言われる。
漱石晩年の作「硝子戸の中」に彼女のことが出てくるが、そんなことを言うのは野暮の骨頂と知れる。
「実はどこの美くしい方かと思って見ていました。芸者じゃないかしらとも考えたのです」。芸者というのは文豪の照れかと思うが、意味深な表現でもある。
自分などが言うのもおこがましいが、漱石の人物描写には定評があって男と女、恋人同士、夫婦の心理は性を問わず、時代を超えて読者の心を掴んで離さない。
とくに男性たる自分には、個性的な女性の描写については強く惹かれるものがある。背景として幼時に別れた 生母、大塚女史との交際、悪妻と誤解された鏡子夫人への愛など多くのことが指摘されているが、小説に登場するヒロインたちは多彩で、かつそれぞれが魅力的だ。
たとえば「趣味の遺伝」寂光院に亡き友人の墓参に行って出会う美しい女性の描写はどうだ。「眼の大きな頬の緊った領(えり)の長い女である。右の手をぶらりと垂れて・・・・。」
「草枕」の出戻り女の那美さん、「虞美人草」の小夜子、藤尾、糸子、「三四郎」の美禰子、「それから」の三千代・・・・・。
ところで、文学論からおよそかけ離れるが、漱石はいったいどんな女性が好きだったのだろうか。やはり楠緒子タイプだろうと思うのは衆目の一致するところであろう。
漱石は親しい友人に自分で描いた水彩画の絵葉書をたくさん送っている。その中に髪の長い女性を描いたものが何枚か残されているが、それらの絵からはもちろん理想とした女性を窺い知ることは出来ない。
しかし、それだけに想像するのは勝手だ。
この絵は、ある本に載っていた夏目漱石が〈日本の女の品位ある画〉と評した黒田清輝 「赤き衣を着たる女」である。
自分も文豪の好きだったのはきっと髪の長い、漱石の好きだったという百合の花(下のような漱石の描いた百合の絵もある)のように楚々とした女性だとは思うが、その一方で何故かこんな女性だったのではないかとも思う。
根拠は無い。
強いて言えば「日本の女の品位」という言葉か。
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