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頼まれ仲人・月下氷人 [随想]

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むかし、50歳前後だから、働き盛りの頃であるがいわゆる頼まれ仲人なるものをやらされたことがある。もうそのころには本当の意味の結婚の仲立ち役、つまり男女が知り合うきっかけをつくり、縁談から結婚式、披露宴まで両家の間をとりもってまとめる役、昔の格言にもなっている「仲人は親も同然」という本物は珍しくなっており、職場の上司などに形式的に依頼するのがほとんどであった。それである。職場にもよるのだろうが、60歳前後になると頼みにくくなるのかほとんどこのお役目は無くなる。3、4年の間になんと5組みもこなした。
適齢期の部下を多く持った同僚などはもっと多かったと聞くから必ずしも多いほうとも言えぬ。
「頼まれ」といっても、ことがことだからいい加減にやるわけにはいかない。当事者、親、親戚にとっては一生の大事である。形だけとは言え、婚約・結納・結婚式(結婚披露宴)などの重要イベントでは家人と共に臨席することと、それなりの挨拶と泰然とした態度、立ち居振る舞い(少し言い過ぎか)が求められる。
たいていは中間管理職で仕事が忙しい年代であるが、一応の伝統的なしきたり、やってはいけないことなど相応の常識は最低限求められる。気疲れも多い。まず何より大変な家人の説得からして大変なさわぎである。こればかりは一人では出来ないからである。
頼まれ仲人の主な仕事は結納(婚約)と結婚式の立会い、媒酌人としての披露宴の挨拶などなので難しいことはない。慣れてしまえば、厄介なのは披露宴での仲人挨拶くらいなものである。これにしてもメモが見られればどうということも無い。自分は、これだけは格好をつけてメモなしでやった。若い時なので新郎新婦の生い立ちなどを記憶することも出来たが、形式的な挨拶、祝辞に加え、一言くらい気の利いたことを言って「さすが」と思わせようとしたりすると、前々から考えねばならないので大変である。まぁ、たいていはありきたりのスピーチで終わる。

仲人を立てる結婚式は、恋愛結婚が主流となるにつれて見合い結婚が激減したことから、1990年代後半を境に激減し、首都圏では1%(100組に一組!)だけとなり、最も多い九州地方でも10.8%に過ぎなくなった(ゼクシィ調査 2004年9月13日発表)そうだから、いまやこの頼まれ仲人すら殆ど無くなっているのだろう。さすれば、あれは貴重な経験だったことのなる。

それにしても、婚姻に仲人などはいてもいなくてもどうでも良いけれども、世の人と人の繋がりが薄れていくこと、また別次元だが結婚しない若者の増加、結果としての少子化、労働人口減と高齢者人口増のシェーレ現象などはこれからどうなっていくのか。何をもたらすのか。特に若い世代の人々のためを思えば心底から憂慮、心配せざるを得ない。

さて自分自身の結婚のことを言えば、1960年半ばであったがやはり仲人さんを頼んだ。職場の上司でなく、学生の時に家庭教師をした子の親御さんにお願いした。ご夫妻は 代々木でサロン ド シャポウ学院という制帽学校を経営されており、ご主人は院長先生で多忙を極めておられた。
世話になったのに更に世話をかけるという、常識から外れたことをしたわけだが、何も仰らず引き受けて下さった。いま思えば汗顔の至りとしか言いようがない。以来46年が過ぎ、米寿になろうという奥様だけになってしまったが、御夫妻への感謝を忘れたことはなく自分がリタイヤしてからもご機嫌伺いに行く。そのとき教えた小学3年生がこのほど定年を迎えた。我が仲人様ご家族とのご縁は深く、お付き合いも驚くべき長さになる。

ところで、仲人は良く知られているように「月下氷人」という。何故そう呼ばれるのかと中国の故事、由来を聞いてもあまりストンと胸に落ちない。慶事なのに言葉が「月下」の方はともかく、「氷人」では、冷たい印象となるのは拭えず、前々から気に入らなかった。もう少し良いものがありそうなものだ。

自分が仲人を頼まれた夫婦からの今年の年賀状には、お子様が社会人となり、夫婦二人の時間が多くなりましたなどと奥様の添え書きがあったりして、今さらながら過ぎていった長い時間に思いを馳せて、しみじみと感慨ひとしおである。

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