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日本の水彩画は世界から50年遅れた? [絵]

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風邪をひいて絵を描く元気が出ないので、ブログを見ていたら、今の日本の水彩画は世界の水彩画から50年遅れている、という記事があってびっくりした。

日本の水彩画は、従来から鉛筆でデッサンしその上から着色するいわゆる「線画淡彩」中心で、しかも、まじめな絵が多いから一見して分かる。それは、輪郭線にとらわれ自由闊達さを失っているからだ、という。
「まじめ」とは、あたりさわりのない言い方だが、むしろ「ちまちま」した絵と言った方が当たっているかもしれぬ。なるほど、自分の水彩画も、まじめでかつ、ちまちまとしている。デッサンの鉛筆の線に捉われている。ほんとうにその通りだなと納得感がある指摘だ。

ちまちまと言えば日頃思うことだが、カルチャーではどちらかと言えば男の絵の方がちまちまとした絵を描いて、女性の方がダイナミックでおおらかな絵を描くというのはどうしてだろうか。これも男の方が何かに捉われているからのように思えてならない。特に会社を定年で辞めて、趣味で絵を描き始めた男に多い。卒業したつもりの、かつての本業の何かがそうさせるのか。我が水彩画はその典型的な例だ。

鉛筆やペンでデッサンし、その線の上に水彩絵具を淡く着色するというのが、自分が持っている水彩画のイメージであるし、そう思って描いてきた。
カルチャーに8年余り通っているが、輪郭線にこだわるせいか一向に上達しない。壁にぶち当たり、「なんだか変だぞ 我が水彩」という今日この頃なのである。

水彩画の展覧会に行くと、鉛筆の線が消えるまで水彩絵具を重ねて着色して、一見すると油彩のように見える絵もある。とくに大作はこれが多いから、必ずしも線画淡彩が日本で中心というのも当たらないかもしれないが、鉛筆の線をどう処理すれば良いのか、未だに分からないで迷走しているのは、我ながら情けない。

それにしても、水彩画は昔から人により描き方は実に多様だ。外国の場合でもポール・セザンヌ、アンドリュース・ワイエスの水彩画、本邦では長沢節と安野光雅の水彩画を比べただけでも分かるように、描く人によって出来上がった絵は千差万別である。

YouTubeで最近の海外の水彩画家のデモンストレーションを見ていると、鉛筆は最小限に使い、水彩絵具の特徴を生かした筆使いで自由なというより、奔放なと言って良いくらいだ。偶然生まれる水と絵の具が創り出すにじみ、ぼかしの美しさを楽しみながら描いているのが多い。つまり乾いてから色を重ねるだけでなく、濡れているうちに紙の上でも混色するウエットインウェット重視、ポジティブペインティングよりもネガティブペインティングが主流のようだ。
それは、たしかに線画淡彩とは全く別物である。

水彩画は手軽で短時間で描けるので油彩や彫刻のための下描きスケッチ、小説の挿絵、子供の絵本、ガラス絵などによく使われた。典型的なのは、撮影禁止内の裁判所内を報道するときの新聞の絵であろう。
タブローであっても小さいものが多く、部屋の壁に飾られても油彩画のように重厚さも余りない。
そんなせいか、絵としてのジャンルがもう一つ確立しているかというと覚束ない。もっとも銅版画(エッチング)、木版画、パステル画なども似たようなものだが。

それでも、水彩画はやってみると奥が深くて面白い。毎週一回の8年余りは長かったという気がしない。
上述の如くもともと水彩画は多様である。だから、いま海外で隆盛のこのような水彩画が日本になかったかと言えばそれは違うだろう。たとえば、いわさきちひろ。彼女の水彩画は線画淡彩もあるが、水彩絵具の持つ独特の色や水を巧みに使った技法を重視したものもたくさんある。つまり、にじみ、ぼかし、グラデーションや余白の美しさを追求したものも多い。ここでは輪郭線に全く捉われていない。

だから日本の水彩画が遅れている、進んでいるというのはちょっと違和感がある。
むしろ、描く人がその時代にどんな絵を好んで描くか、あるいは鑑賞者がどんな絵を好んで観るかによるのではないか。

絵に限らず芸術は、時代によっていわば流行があるのは紛れもない事実だ。
水彩でも淡白な線画淡彩が好きな人もいれば、油彩のような重厚な水彩が好きという人もいる。水と絵の具をたっぷり紙に吸わせ、自然が偶然に創り出す様々なものを好むか人もいる。
そして、時代により世に受け入れられる水彩画、余り好まれない水彩画というものもあるかも知れない。絵が進んでいる、遅れているなどとは一概に言えないのではないかと思うのである。

ただ自分の感覚からいえば、輪郭線に捉われてその結果、絵が「停滞」していると言うのは身にしみて分かる気がする。
しかし、これは個人的な次元の話であり、日本の水彩画が輪郭線に捉われて「遅れ」ているのではないかといった類の話とは違う。

ここまで書いて、美術評論家でもなく水彩画の専門家でもなくアマチュアだから、偉そうなことを言っても滑稽なばかりだな、要は水彩を愉しめばよいのだ、と気づいた。
何とか鉛筆に捉われないで、水彩を描く技法を習得したいものである。
「鉛筆はあたりを取るだけにすれば良い」、「線は色の案内役」などと理屈は分かるのだが、手が追いつかないのが難儀である。






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