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内(つま)のファッションショー [雑感]

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内は、「ない」でなく「つま」と読んで貰えるとうれしい。内が妻、つまり、「家人」とは漱石バリだが。
「内」には、内側、中や妻のほか沢山の意味がある。内裏というように帝・ミカドの意も。そして「妻」、「夫」ともに、つまと読むことがあるから日本語はややこしい。

さて、その家人は、ちょっと出かけるにも、自分が着て行くものを決めるために、あれこれ着ては鏡を眺め、また脱ぎ着替えては、どれがいいかと考えこんでいる。これを私達はファッションショーと呼んでいる。
「明日は昔のパン教室の仲間と会う日だから、ファッションショーをしなくちゃ」、「今日はファッションショーはしないの?」という具合だ。
観客は私ひとり。たいていは寝転がって見ている。時折りこれはどう?と聞かれるが、もとより的確な助言が出来るはずはないし、答えても参考にもしない。はなから期待されていない。というよりセンスを疑っていて、一応、どう?と聞いてみるだけという感じ。
こういう時にこういう色のスカート、こういう素材のブラウスがあると良いのに、などと呟いている。今度探しに行きたい、買いたいという意味だ。
色の全体の感じはどうか。年齢相応か、かと言ってくすんでいないか、取っ替え引っ替え、着て見ている。同系色で統一したり、地味にするなら一点は、アクセントがいるというのが彼女の持論。
どこに出かけるか、TPOも大事という。それと季節。電車の中、屋内の冷暖房、食事であればレストラン、部屋で上着やコートを脱いだとき、その温度なども考えて、着るものを選択せねばならない。つまりすぐ脱げるもの、すぐ上に着られるものも考えねばならないという。
だからと言って、もちろん着るものをたくさん持っているわけではない。少ない中でコーディネートを考える。アクセサリーやスカーフも、そんなに持っていないが、キメるためには大事なのよ、という。
着るものもアクセサリーなど身につけるものも、家人は値段より気に入ったものだけを買うというのが信条。
お金を出せば良いものが手にはいる可能性は高いが、絶対ではないという。安くて気に入ったものが一番と言って探す。貧乏な夫にはありがたい妻だ。
ブランド店にはまず滅多に行かず、買い物はデパートやブディックが主だが、ときにリサイクルショップを覗いたり、フリマで気に入ったものを探して来たりする。一番の問題はサイズ。小さいサイズの店でないとウェストが細いので合うスカート、パンツが無い。それでいて身長はそれなりにあるのだから、探すときはいつも大騒ぎである。細い身体を、らしくなく見せるのには服のデザインも大事だが、気に入ったのを見つけるのはなかなかたいへん。
仕上げは帽子と靴。なかでも帽子に執着する。帽子の似合う日本人の女性は少ない。家人は顔が小さく細めだから、少しは合う方のうちに入るだろう。
この選択も値段でなく、ひたすら気に入ったものを根気良く探す。
信じ難いが、家人は自分の洋服や帽子を、どこの店でどういうことで買ったかを、そのシーンを、ほとんど覚えているという。それだけ熱心ということであろう。

「あなたの裸は美しい、装えばさらに美しい」と言ったのは誰だったか。
女性はおしゃれが好きだし執着心も強い。まことに、それは世のために夫のために、結構なことだ。それは年齢と全く関係ない。

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