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ホイッスラーの水彩画 [絵]


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ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler, 1834年-1903年 69歳で歿)は、米国マサチューセッツ州・ローウェル出身の19世紀後半に活躍した画家、版画家。
モノトーンに近い独自の色彩と浮世絵風の独特の構図で、ジャポニズムによる絵を描いたことでよく知られる。おもにロンドンで活動した。印象派の画家たちと同世代であるが、印象派とも伝統的アカデミズムとも距離をおいて、独自の絵画的な世界を展開した。美の形成に最も価値を置く、いわゆる「耽美主義」を代表する画家。

恋人をモデルにした「白の少女 Symphony in White」が注目を浴びる。この作品では、モデルの少女の白いドレス、手にしている白い花、背景の白いカーテンなど、さまざまな白の色調が描かれ、人物の内面描写よりむしろ色彩とその白のハーモニーが表現されている。そのこと自体が絵画の目的となっていると一般的に見られている。
この頃から彼の作品には「シンフォニー」「ノクターン(夜想曲)」などの音楽用語を用いた題名が付されることが多くなった。画家が目指したものなのであろう。

ホイッスラーの代表作の1つである「青と金のノクターン-オールド・バターシー・ブリッジ」は、ロンドンのテムズ川に架かる平凡な橋を描いたものだが、橋全体のごく一部を下から見上げるように描いた西洋画にはあまり見なれぬ構図である。単色に近い色彩、水墨画のような、にじんだ輪郭線なども日本美術の強い影響をうけたものと言われている。

画家のエピソードに有名な訴訟事件がある。
ホイッスラーが1877年にロンドンの展覧会に出品した「黒と金色のノクターン 落下する花火」。抽象絵画のような作品だが、同時代の批評家からは理解されず、「まるで絵具壷の中味をぶちまけたようだ」と酷評した批評家を画家は名誉毀損で訴える。ホイッスラーは訴訟に勝ったものの、多額の訴訟費用のために破産の危機に瀕する。その後の抽象絵画の隆盛からみれば、ちょっと信じられないような話である。

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ホイッスラーの油彩は、代表作のテムズ川を描いたノクターンシリーズ(1871-72年)、Portrait of the Painter's Mother(1871年)やThe Artis't Studio(1865年)が良い例だが、それ自体水彩画風である。いずれも油彩でありながら透明感を追及したような絵だ。わざと衣類を透かすように描いたり、空気感を漂わせたりしている。
ホイッスラーは50歳を過ぎて油彩では表現できないものを水彩に見出して、水彩画を本格的に始め、以後多くの作品を描くようになる。この油彩から水彩画への「転進」はホイッスラーの場合、ごく自然なものだったように思える。

ホイッスラーが水彩画を手がけ始めた最初の頃の作品が「ブラック・アンド・レッド」。1883年頃の製作とされる。これは逆に、未だ油彩風の水彩画と言えなくもない。

肖像画はホイッスラーがもっともよく描いたジャンルである。「ミリー・フィンチの肖像」(水彩 1884年頃)は、朱、オレンジのベッドカバー、扇など明るい色調で自分も好きな絵のひとつ。
「ホィブリー婦人の肖像」(1895年頃)は、ホイッスラーの水彩画作品の傑作といわれるそう。ウェット・イン・ウェットを基調にしている。暗い背景から人物を浮き上がらせる手法である。今でいうネガティブペインティングか。
ほとんどヴァイレットの一色を基調にした色調で、毛皮を纏った婦人のイメージを象徴的なものに表現している。
このように ホイッスラーが水彩に見出した最大の効果とは、ウェット・イン・ウェットによる色彩の躍動感と透明感と言えそう。

ホイッスラーはパステルを使った絵も描いた。茶色の色付き紙に描いているものが多いが、独特の味合いがある。例えば、Design for Mosaic ( 1888-1901年 Pastel on brown paper)。図柄は傘に着物と菖蒲(アヤメ?)で日本趣味そのものだが、金色をふんだんに塗りブルーのパステルが効果的だ。
ブラウンペーパーは、自分も描いたことがあるが、白いパステルを上手に使うと簡単に光を表現出来る。背景・バックに苦労しなくてすむので、アマチュアにも面白い用紙である。

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また、ホイッスラーは「The Open Door 」(1901年 pen and ink crayon watercolor on brown paper )を描いているが、これも茶色の色付き紙にインク、クレヨン、水彩絵の具を併せて使っている。1901年といえば没する2年前、晩年まで色々な描き方を試みて、あくなき美を追求していたと分かる。

晩年のホイッスラーは、「ビーチ」(1890年頃)のような風景画も手がけるようになる。
この作品では、水平線によって画面を分割し、単純化した構図の中に、二人の人物をアクセントとして加えている。まるで広重、北斎の人物のような点景。若き日にに受けた浮世絵の影響が、 晩年まで続いたということであろう。

ところでホイッスラーは、日本趣味が嵩じて絵に落款というかサインというか、モノグラムを使っている。何の形なのだろうか、花びらにも似たような、複数の石のような、ときにトンボのような、絵についた滲みかとみまがうようなものもあり、絵によって色、形、位置も変わる不思議なシロモノではある。ホイッスラーの名前をサインした絵はごく稀だ。
しみじみと不思議な魅力を持った画家である。




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