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漱石の水彩画 [絵]

夏目漱石の作品の中の美術にまつわる展覧会が、間も無く上野で開催される。楽しみにしている人も多いのではないかと思う。
このブログでも漱石の水彩画のことを何度か書いた。
関連記事
「漱石の好きだった女性」 http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2011-02-16
「遠近無差別白黒平等の水彩画」 http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2010-10-16

文豪の美術に対する関心には並々ならぬものがあるし、作品の中で随所にそれを巧みにいかしていることは、すでに言い尽くされている。

「猫」の挿絵を描いた中村不折(書家でもあった)、装幀をした日本画家の橋口五葉らとも親交もあり、本人も描くのが好きで水彩画をよく描いていたと言われ、画家の津田青楓に教えて貰ったという。絵も実際に殘っているが、あまり上手ではなかったというのが定評のようだ。

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手元に上記のブログを書いた時にとっておいた猫、本棚、百合の花などの絵の写真があるが、なかなか味のある絵だと思う。絵は何も上手である必要などないと教えてくれる。
なかでも本棚の絵は、水彩を始めた初期のものと言われ、英語の画賛 「You and I ,and nobody by. K.N au.1903」とあって意味深で面白い。
1903年(明治36年)といえば、英国留学から帰国した翌年。漱石は一高と東京帝大(小泉八雲の後任だった)の講師となる。漱石の硬物(カタブツ)の講義は学生から不評であったといわれる。また、当時の一高での受け持ちの生徒に藤村操がおり、5月、彼はやる気のなさを漱石に叱責された数日後、ミズナラの木に「巌頭之感 」を彫り遺し、華厳滝に投身自殺してセンセーショナルに報じられた。

関連記事 藤村操「巌頭之感」と高山樗牛「瀧口入道」
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-03-03

漱石は英国留学中も神経衰弱になったとされるが、それが悪化して妻とも約2か月別居する。そんな時の「You and I ,and nobody by. ー君とわれ、かたわらに人もなしー」である。auはautumnか 、AugustならAug.と表記すると思うのだが。

夏目鏡子の「漱石の思い出」に、次のようにあるから画を始めたのはこの年の秋か。
「十一月ごろいちばん頭の悪かった最中、自分で絵の具を買ってまいりまして、しきりに水彩画を描きました。私たちがみても、そのころの絵はすこぶるへたで、何を描いたんだかさっぱりわからないものなどが多かったのですが、それでも数はなかなかどっさりできましたようです。もちろん大きいものもないようでして、多くは小品ですが、わけても多いのははがきに描いた絵です。橋口頁さんと始終自筆の絵はがきの交換をしたものらしく、いつぞや橋口さんのところからそのアルバムを拝借してたくさんあるのに驚きました」
それにしてもすこぶるへたで、何を描いたものかさっぱりわからないとは、てきびしい。漱石の画を描く気持ちと絵に理解はなかったと分かる。悪妻などと陰口をいわれたが、実は深く作家を愛し文豪もまた、妻を愛したとはもはや通説なのに。

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さて、今回開催される展覧会の新聞広告は、うるさいくらい掲載回数が多い。主催者東京新聞の愛読者で、展覧会のテーマに興味があれば目につくのはごく自然ではある。
その広告に載っている「三四郎」の人魚マーメイドの絵「A Mermaid 」(1892-1900 油彩)を画集で見た。
この絵を描くための「Sketch for A Mermaid 」(1892 油彩)というのがあったが、ほかに 同年に描いた「The Merman」(1892 sketch 油彩)というのがあって仰天した。
人魚というのは女性だけではないようだ。これも習作のようだが完成作は見あたらなかった。仮にあって漱石の目に触れても、漱石の作品には絶対に登場しなかったろうと確信するし、ましてや三四郎と美禰子が頬を寄せ「マーマン」と呟いてもサマにならない。

この「人魚 A Mermaid 」の作者のジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse, 1849年- 1917年 68歳で歿)は、イギリスの画家。神話や文学作品に登場する女性を題材にしたことで知られる。
油彩画ばかりで、水彩画は画集に「Resting c.」(1886 Watercolor and bodycolor on paper) 1枚だけあったが、これとて見るところ油彩風でwatercolorとあるのは何かの間違いかとも訝る。不勉強でボディカラーなる絵の具がどういうものかは知らない。

ウォーターハウスの作品は、オフィーリアなども良い絵で好きだが、最も有名なのは、アーサー王物語の登場人物・騎士ランスロット(Lancelot)の愛を得られぬことを知った悲しみのあまりに死を選ぶ乙女を描いた作品、「シャロットの女」であろう。この乙女を題材にしたウォーターハウスの絵が、画集には3枚あった。

「The Lady of Shalott」( 1888 テートギャラリー)
「 The Lady of Shalott Looking at Lancelot」( 1894 Leeds City Museum .UK)
「I am Half Sick of Shadows ,said the Lady of Shalott」(1915 Art of Gallery Ontario .Toronto Canada)

夏目漱石の「薤露行」(1905)は、帰国数年後、中央公論に発表された短編だが、このシャロットの悲劇をテーマにしている。文豪がウオーターハウスのシャロットの絵のうち(1915年の3枚目を除き)、どれかを見ていたことはまず間違いなかろうと推測する。

今回「薤露行」を青空文庫であらためて読んだ。
文章は泉鏡花に似て華麗だが、アーサー王伝説になじみの薄いものにとって、漱石の小説の中でも難解なもののひとつであろう。

「薤露行」の題名は、漱石自身の解説によれば、「題は古楽府(こがふ)中にある名の由に候。ご承知の通り「人生は薤上の露の如く晞(かわ)きやすし」と申す語より来り候。無論音にてカイロとよむつもりに候」とのことである。
「薤露」とは「大ニラの葉の上の露」のこと。「ニラの葉上の露が渇きやすいように、人生は儚い」ということから、古の中国において、貴人の柩におくる挽歌のことという。

夏目漱石と美術に纏わる話しは、まことに興味深いものがたくさんあると、しみじみと思う。


 

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