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ターナーの水彩画(1/3)・ガーティンとのこと [絵]

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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner、1775年 - 1851年 76歳で歿)は18世紀末から19世紀のイギリスのロマン主義の画家である。イギリスを代表する国民的画家であるとともに、西洋絵画史における最初の本格的な風景画家の1人である。日本では漱石の「坊ちゃん」に出てきたりして好きな人が多く絶大な人気がある。
既に多くの人がターナーの水彩画について書いているから、いまさら書くまでのこともないが、ターナーの水彩画はあらためてみると、アマチュアの自分にも色々なことを教えてくれる。
ここでは、これも別に新しいことでもないが、ターナーと関係の深い二人の夭折した水彩画家、トーマス ガーティンThomas Girtin( 1775年‐1802 年 )とリチャード・P・ボニントン Richard Parks Bonington (1802-1828) のことを書いて見たい。

ガーティンは、奇しくもW.ターナーと同じ年に生まれた。しかも2人は多感な10代前半に出会い生涯の親友となる。以来「開放的なガーティン」と「神経質なターナー」は互いの才を認めつつ水彩技法を研鑽する。
ガーティンは27歳の若さで持病の喘息が悪化して早世するが、76歳まで生きたターナーと並んで、イギリス水彩画の基礎を築いた画家として高く評価されている。

ガーティンの15歳のときの絵がある。
「Rochester ,from the North」(1790 watercolor over pencil with wash on paper )である。
ロチェスターは英仏戦争の古戦場となった古城。同じ年の15歳のターナーが描いた絵を並べてみた。
「A View of the Archbishop'sPalace,Lambeth,」(1790 watercolor on white paper)
ランベスはロンドン特別区。

それぞれ、特徴があるが、力量に差があるとは思えない。どちらかといえばターナーの方が緻密で神経質、ガーティンのほうがおおらか、か。
ガーティンは1802年、27歳という短すぎる生涯だったこともあり、生前の資料が殆ど残っていない。珠玉の名作もその幾つかは焼失しているという。
今回自画像を探したが、残念ながらみつからなかった。

年代を追って二人の絵を比べて見るのも面白いと思うが、ガーティンの絵が制作年不詳が多く無理のようだ。尤もターナーの制作年不詳の絵も多い。専門家であれば、画風、使用絵具、紙質などから推定するのは出来るように思うが、アマチュアには手に余る仕事だ。

ガーティンは、ターナーも同じだが地誌的風景画の伝統から出発している。
だが、ガーティンは、光、特に逆光に着目して早くから独自性を発揮した。
ガーティンは対象の向こう側から差しこむ斜めの光と、それが対象にもたらす深い影を強調することで、画面に独自の雰囲気を出す。技法的には明暗のコンストラクトを強調しながら、光を画面に捉えることに成功したのである。
例えば、ガーティンの22歳の作品、
「Lindisfarne Castle,Holy Island 」(1797 )はそれをよく示している。
この技法はターナーにも強い影響を与えたとされているが、同じ年のターナーの作を見るとなるほど風景を逆光のように捉えて、描きたい主役に光をあてて強調しているようにも見える。
リンディスファーン (Lindisfarne)は、イギリス・ノーサンバーランド州にあり、ホリー・アイランド(Holy Island)とも呼ばれ、潮が満ちると島となり、干潮になると土手道で本土とつながる。イギリス版モンサンミッシェル。描かれているのはリンディスファーン城。

ターナーは同じ22歳の時に「Northam Castle,Morning」(1797 Pencil and Watercolor on paper)を描いている。かなり緻密な絵だ。だが、ターナーは1822,23年頃もしきりにこのノーザン城を描いている。例えば、
「Northam Castle on the Tweed 」(1822watercolor over pencil)
「Northam Castle ,on the Tweed(for Rivers of England )」(1823 watercolor)
これらは20年余の時を経ているが、ずいぶんと変わりおおらかになっているように見える。ツイードは毛織物で有名なスコットランドのツィード川のこと。

ガーティンの代表作とされる「カークストゥール僧院…夕暮 Kirkstall Abbey,Yorkshire 」(Watercolor on paper)は、亡くなる1年前、1801年(26歳)の作といわれるが、date unknown とする画集もある。
abbey は修道院のこと。ヨークシャー カークストール修道院の廃墟へは、ガーティン、ターナーとも訪ねて描いたらしく多くの作品を残している。

ガーティンの技法のひとつの特徴は構図の取り方にある。それまでの地誌的風景画と異なり、ガーティンは水平線を強調することで、背景としての空と前景としての風景を強いコントラストのうちに置き、風景画に広々とした空間感覚を取り入れたと言われる。
しかし、それもさることながら、この絵をみるとセピア色とグレーを基調に固有色をほとんど使わずに夕暮れ時を表現しており、空と近景の川面が呼応し中間の僧院の後ろの明るい白抜きが効果的である。ぼかし、滲み、ネガティヴペインティングなどの水彩技法のはしりも窺える。点景の人や家畜の大きさも、絵全体のリアリティをもたらして適切としか言いようがない。
ターナーもこの頃は、
「Ludlow Castle,」(1800 Watercoror)
に見られるように、茶色に近い黄色を基調としながら、ガーティンと同じように地平線を意識し空を広くとった構図で、広々とした感じを出そうとして描いているように見える。ラドロー城はイングランドの古城(11世紀)。

総じてガーティンが亡くなるまでの二人に、力量の差は見られないように思うが、方や病魔に苦しみながら描き、もっともっと描き続けたいと思いつつ、絵筆を握れなかった若い画家の悔しさを思うと切ないものがある。

ターナーは 「もし、ガーティンが長生きしていれば、今頃の私は職を失って餓死していただろう」と述懐したという有名な話が残されているが、生涯ターナーは多感な時に出会った若きライバルの絵を気にしつつ、常時思い出しながら自分の絵を進化させていたのであろう。

「ターナーの水彩画( 2/3)・ボニントンとのこと」は次回に。

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