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ターナーの水彩画 (2/3)・ボニントンとのこと [絵]

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リチャード・ボニントン Richard Parks Bonington (1802-1828) は、イギリス・ロマンティシズム絵画の後半期を代表する画家であり、イギリスにとどまらず、ヨーロッパ的なスケールで活躍した水彩画家である。
ボニントンは、これも奇しくもと言えようが、ガーティンの亡くなった1802年にイギリスで生まれた。フランスに移住してイギリスの伝統的な水彩画法を学び、その絵は若くして名声をうる。
彼はガーティン、ターナーと直接の接触はない。わずかにボニントンの師の一人のフランス人がガーティンとイギリスで同窓だったという薄い関わりしかない。それでも共に取り上げられるのはよく知られているようにパリで成功したこともあって、イギリスの水彩画の美術的な価値を大陸の人々に認めさせ、ターナーやガーティンをヨーロッパ美術界に知らしめたことによる。
それまでイギリスの水彩画は、ローカルなものでしかも油彩などより一段低い評価だったということであろう。
ボニントンは、夭折したガーティンよりもさらに若い、わずか25歳の若さで結核により亡くなるが、彼の残した足跡は、水彩画の歴史の中で重要な役割を果たした画家だと言える。

たった25歳の若さでパリで認められ、イギリスの水彩画を改めて世に認識させた画家の絵というのはどんなものだったのだろうか。自分の興味はそこにある。しかもガーティン、ターナーとも接触なしに、いわば独自に確立した水彩画だ。

「The Crosa Saint' Anastasia,Verona,with Palace of Prince Maffet」(1826 watercolor on paper)
イタリア旅行の時の絵であろう。左から射す光が右の建物を明るく反射している。道路に歩く人々が当時の風俗を示す。光と影、点景の人物それはガーティン、ターナーに通ずるものだ。加えて単純な風景の切り取りでなく、画家の好きな街の風景を描く温かい気持ちまで表現されているように思うのは自分だけか。
この街角の構図は現代の水彩画家が好んで取り上げるものだ。

同じような構図で油彩画もあるので並べて見た。「View of prince Maffei's Palace 」(1826-27 oil on canvas)である。こちらは光が右から射す。絵全体がくっきりとしているが、水彩の透明感の方が柔らかくて心地よい。しかし、どちらが好きかは、人によるであろう。


「Landscape in Normandy (Burnham in Norfolk ) 」(Date Unknown Watercolor on paper)
広い空、低い山と地平線。ガーティン、ターナーが目指したものだ。右の点景の人物の赤の鮮やかさ、左下の川面の暗さとドライブラシのかすれ、ともに印象的だ。

「Seascape 」( Date Unknown Watercolor on paper)
全体の中の船の的確な大きさ、舟とかもめとの間合いの良さ、空の紫色のグラデーション。
後のアメリカ水彩画家ホーマー(1836-1910)らの海の絵にも似ている。

関連記事 ウィンスローホーマーの水彩画
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-04-14

「Piazza San Marco, Venice 」(1826 Graphite and Watercolor on paper. graphiteは黒鉛のこと)
これもイタリアはベニスの絵。右寄りの屹立する塔がまず人を引きつける。全体に押さえた薄い色調、近景は、建物がなく広場の人物。中景の地面まで垂れ下がった三本の長く細い紅白の旗は何の顕彰だろうか。風は吹いてないと分かる。

ボニントンの特徴はガーティン、ターナーに比べ点景の人物などがやや大きいこと、これは、地誌的な水彩から風俗画により近くなっていることを示すのではないだろうか。また、彼には油彩にも良い絵が多いこと、これらは、伝統的油彩画の持たない、水彩の良さをヨーロッパの美術愛好家に訴ったえる力になったのではないかと推測する。

「Self Portrait」(date unknown oil on canvas)
ボニントンも、ノルマンディー、ブルゴーニュ、イタリアヴェローナ、ボローニャ、ベニスなど各地を写生してスケッチし家で仕上げる。ライブ感重視だ。ガーティンもそうだが、病弱な青年にとって、長旅は過酷なものであったろうと思う。
自画像を見ると、いえ、何せ絵を書いている時が一番楽しいですから苦にはなりませんでしたよ、と言っているようで、屈託なさそうな顔に見える。が、かえって辛いものがある。

美術の世界にもタラレバは無いが、少なくともターナーくらいまで生きたら二人はどんな素晴らしい進化を遂げ、それぞれにどんな素晴らしい絵を描いたただろうかと思わざるを得ない。きっとターナーが晩年に到達した高い域に、それぞれ異なったタイプの水彩画を描いたに違いないと想像する。
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