カジミール・マレーヴィチの水彩画・抽象水彩画3 [絵]
カジミール・マレーヴィチKasimir Malevich は、1878年キエフ生まれ。1935年 57歳で没。ウクライナ・ロシア・ソ連の芸術家。大戦前に抽象絵画を手掛けた最初の画家であるとされる。
新印象主義、フォービズム、キュービズムを経て、1913年、モスクワでシュプレマティスムを提唱。ピエト・モンドリアンとともに、純粋に幾何学的な抽象表現の画家となる。
先に書いたように、カンジンスキー、モンドリアンとマレーヴィチの3人は抽象画の創始者と言われている。
マレーヴィチは、この3人の中では最も遅く(若く)生まれ、57歳で一番早く世を去った。抽象画に取り組む時期は、1910年代後半であり、3人ともほぼ同じ時期だったと言って良いだろう。
カンジンスキーは、ドイツで 。 モンドリアンは、アムステルダム、パリで。マレーヴィチは、ウクライナ、ロシアで、と場所は異なるのに時期が一緒なのは理由があるのだろうか。第一次世界大戦1914年の前後だから何か戦争と影響があるかもしれぬ。抽象画にも抽象の度合いに幅があろうが、なぜこの時期に完全度の高いというか純粋なものが生まれたのか興味がある。解明するには深い知識が必要で、不学の徒には無理という自覚はあるのだが。
当時、19世紀末以来とりわけ1910年代から、ソビエト連邦誕生時を経て1930年代初頭までのロシア帝国・ソビエト連邦における前衛的な各芸術運動はロシア・アヴァンギャルドと総称され、その形態は多様であった。
結果的には、難解だったこともあって農民を中心とする一般大衆の社会的な支持も得られず、芸術運動そのものも行き詰まって、1930年代に終息してしまうのだが、マレーヴィチの活動も、その一環として評価されねばならないのだろう。
ところで、1912-14年のロシアのレイヨニスム(光線主義)の絵画というのがあった。やはりキュビスム、未来派、オルフィスム(キュビズムを、より抽象化した仏の一派)の特徴を受けて、具象もしくは完全なる抽象化の進んだ作品である。具象も抽象も画面には、筆のタッチにより光線と呼ばれる斜めの線が強調されているところに特徴があった。
抽象絵画としては、最初期の作品の部類の1つといわれ、マレーヴィチらの立体未来主義にも影響を及ぼしたという。
マレーヴィチは、1909年 「ダイヤのジャック展」などで、レジェ風にチューブ様のキュビズムで注目される。「ダイヤのジャック」とは、1909年にモスクワで結成された急進的なロシアの美術家集団の名前である。
またレジェ風とは、20世紀前半に活動したフランスの画家フェルナン・レジェ(Fernand Léger、1881年-1955年、オルフィスムに数える人もいる)の画風のことである。ピカソ、ブラックらとともにキュビスム(立体派)の画家と見なされている。
マレーヴィチは、1910年頃には従来の絵から変化して、ピカソなどのキュビスムや未来派の強い影響を受けて派生した、色彩を多用しプリミティブな要素を持つ「立体未来主義(クボ・フトゥリズムCubo-Futurism)」と呼ばれる傾向の作品を制作するようになっていた。
「立体未来主義」とは、1910年代前半に、ロシアで主張された美術の傾向のことである。ロシア、ウクライナで展開された。その内容は「絶対象」という意味で、禁欲的で完全なる抽象絵画である。
さて、その肝心のマレーヴィチの絵を見てみよう。
マレーヴィチもまた最初は具象から始まる。初期のもので油彩もあるが水彩とグヮッシュのミックスもある。
「Spring 」(1905-6 Oil on canvas )
「Rest. Society in Top Hats 」(1908 Watercolor and Gouache on cardboard )
「Self portrait 」(1908-11 Watercolor and gouache on paper)
「Still -Life 」(1908-1911 Watercolor and gouache on paper)
「On Vacation 」(1909-10 oil)
「Woodcutter 」(1912-3 oil)
この辺りまでは普通の絵だが、上述のように、1910年代半ばにマレーヴィチの作風は一転する。
彼が試みたのは、精神・空間の絶対的自由であり、ヨーロッパのモダニズムと「未来派」は、ここに無対象を主義とする「シュプレマティスム(絶対主義)」に達したのである。
彼は前衛芸術運動「ロシア・アヴァンギャルド」の一翼を担い、純粋に抽象的な理念を追求し描くことにひたすら取り組む。
具体的な作品としては、1915年頃の「黒の正方形(カンバスに黒い正方形を書いただけの作品)」、「黒の円」、「黒の十字」、「赤の正方形」や1918年の「白の上の白」(白く塗った正方形のカンバスの上に、傾けた白い正方形を描いた作品)など、意味を徹底的に排した抽象的作品を世に出したのである。
これらは大戦前における抽象絵画の1つの到達点であるとして評価されている。
しかし、門外漢の自分などには、「白の上の白」などになると、まるでパロディかギャグとしか思えない、と言ったら不謹慎か。
「Black Sprematistic Square 」(1914-15 Oil on canvas)
「赤と黒の正方形 シュプレマティズムのコンポジション 」(1915 Oil on canvas)
「シュプレマティズム(スプレムス56番)」(1916」Oil on canvas)
「Suprematist Composition」(1915 Oil on canvas)モンドリアンとの違いは非対称。よって見るものには安定感が無い。
「Suprematism 」(1916 Oil on canvas)
「Textile Pattern 」(1919 Watercolor on paper)織物パターンだから、矢絣、江戸小紋や絞り染めを想起させる。水彩。
「Suprematism .Sketch for curtain 」(1919 Paper,Gouache,watercolor ,pen,ink)
天地無用とは書いてないので危うく逆さに見るところだった。サインくらいは欲しいものだ。
カーテンはどれだ?、水平線上の客船らしきものが逆さまではないのかなどと、とつい「意味」を探している自分がいる。抽象画のよい鑑賞者とはとても言えまい。
「Speakers on Tribune 」(1919 Watercolour and ink on paper)1919年のこれら3枚はは水彩画だが、油彩の習作か本制作か。
「Suprematism 」(1921-27 Oil on canvas)同じ題名の1916年のものと比べ赤と黒の十字のみが描かれ、10年間に大幅に単純化している。
次の二枚は、1935年に亡くなる1,2年前の具象画だが、この頃の抽象画が見当たらないので最後はまた具象に戻ったのだろうか。このあたりの画家の晩年の変化も興味深いところだ。
「走る男 」(1932-34 Oil on canvas)
「Girl with Red Flagpole 」(1933 Oil )
この頃また「自画像 」(1933 oil)も描いている。
カンディンスキーが大戦から逃れて米国へ亡命し、いわば国を捨てるなかでマレーヴィチはソ連邦に残る。職業としての画家を捨て、測量技師になり写実的な絵画を趣味のように描き続けたという。
さて、なぜ当時日本をはじめ東南アジア、極東では徹底的な純粋な抽象画が描かれなかったのか。
古い日本の着物の模様や家紋、旗印などには意味の読み取れぬような抽象画に近いものがある。具象を抽象化する感性がなかったわけではなかろうが、徹底しなかったということか。得意の曖昧さで中途半端に終わったのか。
イスラムのモスクの幾何模様には何かの意味があるのか。あの美しさは抽象の美そのものではないのかとも思うのだが。
また、国のシンボルである国旗も純粋抽象画らしきものが多い。日本国旗は、矩形の白に赤の円。韓国のは?
我が家の家紋などは「輪違い」といって二つの円を重ねた抽象度の高いシロモノであるのだが。
長い時間をかけて抽象画の創始者三人のを見てきたが、結局半知半解の悲しさ、最後は他愛のない想念に至り何の進歩もなかったな、としみじみと反省しきりである。
2013-06-10 16:09
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