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運勢 [雑感]

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東京新聞に毎日載る「運勢」。
見忘れることもあるが良く見る。どなたがどういうふうに決めて書かれるのか、文章に味があることが多く読んでいて面白い。
他紙にもあるのだろうが、購読している新聞は十数年以上東京新聞一紙のみで、東京新聞の運勢欄しか読んでいないのでほかは全く知らぬ。かつてとっていたA、B二紙のものは覚えがない。現役で忙しかったせいもあろうか。
自分も、おみくじや占いなどに対する考えなどは、人とそう変わらないと思う。
新聞の運勢も、生まれ年の同じ人がみな同じ運勢であるわけはないのだから、真面目に受け取る人はいまい。
家人も、運勢が悪い日は気をつける、良い日も同じよと、夫や子供のものまで読んでのたまう。自分もついでに彼女の干支のところはたいてい読むが。

しかし、そんなものが貴重な紙面の一部を使い、毎日掲載されているにはそれなりの理由もあろう。
人は曖昧な存在で、曖昧な態度をとる。迷いながら断固とした決断が下せない。
結論を出そうとしても与件、情報がどんどん変わるし時に自分さえ変わる。よって占いや神頼みとなる。まことに運勢占いなどは、人間的なものであるとも言える。

本日6月12日の、わがたつ年 は「魚は自ずから水の暖と水の寒を知る。本日会心の事ありて自ら賞すべし。」
家人のそれは「折れるよりも曲がるがよい。我を張らず先方のいいなりにまかせよ。」

教訓めいたものだけで終わり、あと自分で考えて暮らせ、あるいは決めなさいというタイプと、だから、一歩踏み込み、こうなさいな、というふたとおりあるようだ。
読む人によって受け取り方が異なるのは、読む人の心やおかれた状況などが異なるのだから当たり前だが、なるほどと思う人が多い文が求められるのは自然のなりゆきであろう。
毎日のことだから、作者はご苦労も多いに違いないと余計なおせっかいながら、同情を禁じ得ない。
いろいろによめる画や詩歌、とくに俳句に似たところがあるなと思う。

いつだったか、たつ年の運勢に「老境は人を楽しませ、死境は人を休息させる」というのがあった。メモは取っていない(当たり前だな)ので正確ではないかもしれないが、だから、こうせよというのはなくこれのみだったように記憶している。

ふと、この文の「人」が一人称、自分の場合(作者の意図はこちらだろう)と、それ以外、つまり、一般的に人というものは、というときの「人」では、ニュアンスがだいぶ違うなと、思ったことを思い出した。

新聞の運勢欄さえ、面白いと思うようになったのは、自分が、より曖昧になったのか老境に至った証左か、としみじみと考え込んでいる。


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