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ポール・ゴーギャンの水彩画 [絵]

ゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin )は、1848年パリに生まれ、1903年、心臓発作により55歳で亡くなるまで各地を転々として暮らした特異な人生を歩んだ画家である。
生まれて間も無く南米ペルーへ行き、すぐリマからパリにもどり暮らすが、1887年パナマに移住、1891年、1895年の二度タヒチに渡る。最晩年1901年辺境のマルキーズ諸島に居を移して、その地で没した。

フランスのポスト印象派の代表的な画家だが、画家になるまでのキャリアもまたユニークである。
1865年船員になり、南米を中心に各地を巡る。1868年(20歳)から1871年までは軍人(海軍)となり、普仏戦争にも参加した。その後、証券会社の社員となり、株のブローキングに従事する。そしてデンマーク出身の女性メットと結婚し、五人の子供に恵まれ、普通の勤め人として趣味で絵を描いていた。
印象派展には1880年の第5回展から出品しているものの、この頃のゴーギャンはまだいわゆる日曜画家にすぎなかったのである。
株式相場が大暴落したとき、安定した生活に保証はないと考え、勤めを辞める。画業に専心するのは、1883年35歳のときである。画家としてはスロースターターだ。

ゴッホと一時共同生活をし、すぐ衝突してやめたこともあるゴーギャンは、性格的にも特異な面があったとされ、どうやら人付き合いは上手な方ではなかったと見える。もっとも相棒も個性派だから上手くいかなかったのを一方のせいにするのは公正さを欠く。
西洋文明に絶望したゴーギャンは、楽園を南海のタヒチなどに求めるが、そこにも近代化の波が押し寄せており、すでにユートピアではなかった。
持病のうつ病にも悩まされる。貧困と病苦に加え、妻との連絡も途絶えて希望を失なったゴーギャンのもとへ1897年、愛嬢アリーヌの死の知らせが届く。そして自殺を決意する。
その年、いわば遺書代わりとして畢生の大作「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」を描き上げた。しかし自殺は未遂に終わる。

不定住や遅い画家スタートそして病いなどが、彼の絵に独特なものをもたらしていることは、誰の目にも明らかである。同時代の芸術家、批評家からは必ずしも受け入れられなかったが、いまなお、ゴッホに劣らぬファンが多いのは、絵の持つ高い精神性であろう。

ゴーギャンは油彩画家である。水彩は無かろうと思っていたが、ゴッホの例もあるのであらためて画集で探してみた。意外と多い。水彩画は油彩のための習作が主であるが、そうでもなさそうに見えるものも何枚かあって興味深い。
関連記事 セザンヌとゴッホの水彩画(2/2)
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-06-23


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「Portrait of Gauging's Daughter ,Alineゴーギャンの娘アリーヌの肖像 」(1879 水彩)画家が一番可愛がったという愛嬢アリーヌ。小さい時の肖像。

「Still Life with Fruit Plate果物の静物 」(1880 Watercolor and Gouache on silk)
二つとも日曜画家の頃のもの。水彩画は珍しい。

「Where do We Come from ? What are We Doing? Where are We Going?われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」(1897 Oil on canvas ボストン美術館)ゴーギャン代表作のひとつ。実際には139.1×374.6 cmの大きな油彩。

例によって、水彩と油彩を並べてみた。
「Mysterious Water 神秘の水」 (1893 水彩と油彩)ともに同じ題名。
「The Queen of Beauty 美の女王」(1896-97 Watercolor ,Gouache and pen and ink over pencil )
「The King's Wife 王妃」( 1896 oil on canvas )こちらは何故か水彩と油彩ではつけられた題名が異なる。
水彩独特の良さもあるが、迫力はやはり油彩のほうに軍配か。

「Self Portrait with Spectacles 眼鏡の自画像 」(1903 Oil on canvas mounted on wood)ゴーギャンは油彩で一度見たら忘れられない眼つきの鋭い、多くの自画像を描いている。カリカチュアと題した自画像まである。漫画的、劇画的自画像とでも訳せばよいのか。しかし、これは没年の自画像。穏やかで、気のせいか不安げな表情にもみえる。色も薄く塗られており、未完成か。

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「At the Black Rocks 黒岩で 」(1889 watercolor and gouache with ink and metallic paint on paper ) 日本画風の波がユニーク。

「Kelp Gatherers 昆布採り」(1890 水彩 )同じくこの波も日本画風。

「Self portrait of the Artist at His Drawing Table,Tahiti 画卓の画家の自画像、タヒチ」(1891-94 Watercolor on paper)どういう意図で、背後から見た絵を描いている自分を描いたのだろうか。巻いたスカートが可笑しい。

「There is the Temple 寺院がある 」(1892 Watercolor over graphite on Japanese paper)
和紙に水彩とは。ゴーギャンは日本画風の扇型の水彩画も何枚か描いている。当時のジャポニズムの影響を受けたものだ。

「Beautiful Land, Tahitian Eve美しい土地、タヒチのイブ 」(1892 水彩)点描水彩。

「Te Faruru」 (1894 watercolor on paper ) 「 Here we make love 」(1893)と題する画集もある。同じものと思うが、制作年が違うのは何かの間違いか?

「Vase of flowers (after Delacroix )花瓶」(1894-97水彩)after Delacroixとはドラクロワ流というほどの意味であろう。

「Thatched Hut under Palm Trees やしの木の下の藁葺き小屋」(1896-97 Oil on panel ) Watercolor とする画集もある。一見水彩画に見える。

「Tahitian Landscape 」(1897 水彩)花瓶、藁葺き小屋とタヒチの風景の3枚は画家が49歳頃のいわば最盛期の作品。鮮やかな色が際立つ。油彩のための下絵ではなく、水彩で豊かな色彩感を追求しているように見える。

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ゴーギャンの水彩画は思っていたより沢山あったので「ゴーギャン水彩画展」と洒落て見た。
ペンやインクなど画材の詳細は省略している。また、例により題名の訳は、勝手訳につき正確性を欠く。下手で余計な絵のコメントは今回なし。

「The Bathing Place 水浴場」(1889 水彩 グワッシュ パステル)
「Breton scene ブルターニュ風景」(1889 水彩)扇型。
「Design for a Plate 'Leda and the Swan' プレートデザイン「レダと白鳥」(1889 リトグラフ 水彩 グワッシュ)
「Human Misery 人の哀れ」(1889 水彩 ボディカラーほか)Watercolor Zincograph とあるが亜鉛版画か。
「Negreries Martinique マルチニーク島の住人」(1890 水彩 グワッシュほか )
マルキーズ島のことか。
「The Messengers of Oroオロのメッセンジャー 」(1893 水彩 )
「Barbarian Music バーバリアン ムジーク」(1893 水彩 )
「Be In Love, You Will Be Happy 恋せよ、あなたは幸せになるだろう」(1894 水彩 グワッシュ) 扇型。
「Hail Maria やぁ、マリア」(1894 水彩 )hail は雹 (ひょう)で、絵も少し暗いが南の島では降らないだろうから、「やぁ、万歳!」など呼び声の方だろう。
「Two Standing Tahitian Women 佇む二人のタヒチ女性」(1894 Watercolor monotype )モノタイプは単刷版画。
「Two Figures,Study for 'Faa Iheiche'二人の人物像、'Faa Iheiche'のための習作」(1898 水彩)
「Study of Cats and a Head 猫と頭の習作 」( date Unknown 水彩)
「Tahitian Landscape タヒチの風景」(date unknown 水彩)

余談ながら、イギリスの作家サマセット・モームの代表作「The Moon and Sixpence 月と六ペンス」(1919年)の主人公の画家のモデルがゴーギャンであることは、よく知られている。証券会社社員、船員などの経歴、妻子をおいてタヒチに出奔した等の特異な人生がそっくりだから間違いないのだろう。
しかし、語り手の「駆け出し作家の僕」が元イギリス諜報部員のモームだから、絵や美術に造詣が深いとは言えないこともあって、「月ー夢」と「六ペンスー現実」のテーマは絵や芸術のことより、人間関係のそれに重点を置いて書かれていることもよく指摘される。そういえば、かの007もイギリス諜報部員だったと思い出した。関係ないが。
孤高の芸術家ゴーギャンには、少し気の毒な気もする小説ではある。

ゴーギャンの輪郭線と平坦な面で構成する「クロワゾニスムの描写理論」というのはどういうものかよく理解できないが、絵はアマチュアにも分かる独自性があって、何やら人の心に迫るものがある。
そして、それは油彩も水彩画も同じだなとしみじみ思う。
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