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エドゥアール・マネの水彩画 [絵]

エドゥアール・マネ(Édouard Manet, 1832年- 1883年 51歳で歿)は、19世紀のフランスの画家。
ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet 1819年 - 1877年 58歳で歿。) と並び、西洋近代絵画史の先頭を走った画家の一人である。マネは1860年代後半、パリで後に「印象派」となる画家グループの中心的存在であったが、印象派とは別の創作活動を行っていたとされている。
マネの画集を見ていると、確かに印象派と異なる面が強いと感じる。自分の言葉で言えば「振幅の幅」もたいへんに広いように思う。
マネには、油彩のための習作ないし下絵だが、水彩画が何枚かある。パステルも良い絵が多い。

名前が似ていて、自分などは時に混乱するのだが、クロード・モネ(Claude Monet, 1840年 - 1926年86歳)の水彩画(パステルも)はないようだ。ついでにクールベの水彩画を探したが、これも一枚も見つけることが出来なかった。
モネの方は周知のように印象派を代表するフランスの画家。マネより8歳歳下だが同時代に生きた。「光の画家」の別称があり、時間や季節とともに移りゆく光と影、色彩の変化を、生涯追求した画家であった。
外光派で「空の王者」といわれたウジェーヌ・ブーダンに見出され、その影響を受けたとされる。
モネは印象派グループの画家のなかではもっとも長生きし、20世紀に入っても「睡蓮」の連作をはじめ多数の作品を残している。モネは終生印象主義の技法を追求し続けた、もっとも典型的な印象派の画家であった。
水彩を描けば、さぞ光と影を見事に表現したであろうと空想したりするが、上記のとおり、残念ながら水彩画は残されていないようだ。下絵も水彩などで描いたと思うのだが。

さて、今回の主人公マネである。
「草上の昼食」や「オランピア」で物議を醸したことで有名なように、新しい感覚で 西洋絵画を変革した。後からみれば、変革というより古い伝統絵画を解体して別物を創出した、といっても言い過ぎではないと思う。

なぜ彼がそれまでの伝統を打ち壊し、改変することが出来たか。今なお専門家にも解明されたとは言えないという。分からないところが多い謎の画家なのだ。
一例をあげれば、マネの描く絵画に隠された細部のモチーフの意味するところは何か。「草上の朝食」の小鳥、「オランピア」の黒猫などはいつも話題になる。

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マネは若い時から水彩を描いたようだ。
「Pierrot Dancerピエロのダンサー 」(1849 水彩 )マネ17歳の作品。
「Spanish Dancers スペインのダンサーたち」( 1862 水彩)
「The Mexican メキシコ人」(1862 水彩)いずれも30歳のときのもの。

「Study for 'Dejeuner sur L'Herbe' 草上の昼食のための習作」(1863 水彩)午餐でなく朝餐と訳す人もいる。習作に例の小鳥はいないようだ。
「Luncheon on the Grass 草上の昼食」( 1863 油彩)Luncheonを朝食と訳す人はいない。油彩はさすがに迫るものがある、と認めざるを得ない。

「Olympia オランピア」(1863 油彩)ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」(1510)をもとに描かれたといわれる、ティツアーノの「 ウブリーノのヴィーナス」(1838)、それをひっくり返えすようなこのマネの娼婦のヴィーナス。当時の人は驚愕したのである。

関連記事 ターナーの水彩画 3巨匠晩年のチャレンジ
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-05-18

この二つのスキャンダラスな絵がマネ31歳の作品とは、驚く他ない。

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「Study to 'Dead Christ with Engels' 天使と死せるキリストのための習作」(1864 水彩)
「The Dead Christ and The Engels 天使と死せるキリスト」(1864 油彩)
水彩はキリストも天使も右向き、油彩は左向き。何故だろう。細かいことが気になる悪い癖。

「The Execution of the Emperor Maximilian マキシミリアン皇帝の 処刑 」(1867ー8 油彩 ) 1867年革命軍に銃殺されたハプスブルク家出身のメキシコ皇帝 。
マネが切り離し、ドガが貼り合わしたとされる。切り離されていない1867年のものと2枚ある。
「The Barricade (Civil War)バリケード (内戦)」(1871 水彩)最初これが「マキシミリアン皇帝の処刑」の習作かと勘違いした。制作年からすると別物のようだ。南北戦争(American Civil War) は1861ー65年だが、単に「内戦」と訳せば良いのか。

「Portrait of Emile Zola エミール・ゾラの肖像」(1868 油彩 )バックに自作のオランピアと歌舞伎役者、屏風絵があって面白い。肖像画でありながら、勝手に画家の関心事物を描き込んだ静物画的でもある不思議な絵。
マネも肖像画を沢山描いているが、ほかにはステファン・マラルメの肖像画(1876 油彩)が有名である。
なお、自画像はSkull Cap (頭蓋冠帽)をかぶったもの(1878-70油彩 ブリジストン美術館蔵)、パレットを持ったもの(1878 油彩)などがあるがいずれも素晴らしい。

「Parisienne ,Portrait of Madame Jules Guillemet パリジェンヌ」(1880 パステル)
上記のとおりマネのパステルは素晴らしいものが多いが、特に惹かれたものを一枚。もう晩年に近いときの作品。

「In The Garden 庭で」( date unknown 水彩)なにかのdetail の習作か。
「Mary Laurent in a Veil ヴェールのマリイ ローラン」(date unknown グヮッシュ 、パステル 、オイル)不透明水彩、パステルそして油彩のミックスメディアだが、そのせいかあらぬか、絵も異様な雰囲気を醸し出す。
「The Barge 艀(はしけ )」(date unknown 水彩)船体のドライブラシが水彩画watercolorらしさを出している。油彩で船遊びの絵を沢山描いているのでその習作であろうか。

さて、今回は画集を見ていて、マネの描いたベルトモリゾの絵も 、有名なすみれのブーケ(1872 または帽子のモリゾとも)、 のほかにピンクの靴 (1868)、休息(1870)、モリゾの像(1872)、ベールのモリゾ(1872) 、扇のモリゾ(1872 )、喪中のモリゾ(1874) と何枚もあるのを始めて知った。
さらにモリゾのシルエット (リトグラフ 1872-74)というものまである。
他にもまだあるかもしれない。念のため、他の画集を見ると、「横たわるベルトモリゾ」(1873)、「扇をもつベルトモリゾ」(1874)などを見つけた。
わが画集にもモリゾと書いてなくて、young womanという題名のものも一枚あったところをみると、マネはモリゾをモデルにした絵をかなりの数描いているらしい。
女流画家であったモリゾは1868年マネと出合い師弟関係となり、かつマネのモデルをつとめた。マネの代表作のひとつ「バルコニー」(1868-9油彩)にモリゾが描かれている。
1874年、モリゾはマネの実弟ウジェーヌ・マネと結婚する。結婚後マネはモリゾの絵を全く描かなかったという。

残念ながらモリゾを描いた水彩は無いので、本題の水彩画から脇道に逸れるが、面白いのでモリゾの肖像画を並べて見た。

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「Young Woman with Pink Shoe (portrait of Berthe Morisot) ピンクの靴を履いた若い女性(ベルト・モリゾの肖像)」(1868 ) 広島美術館蔵。
「The Rest,Portrait of Berthe Morisot 休息、ベルト・モリゾの肖像」(1870 )いちばん伝統的な肖像画で写実的。
「Berthe Morisot ベルト・モリゾ」(1872)「扇のモリゾ」と同じポーズ、同じ構図。習作か。それとも扇のモリゾと同じ絵か。画集編集者の手違いかも知れぬ。
「Berthe Morisot with a Fan 扇を持つベルト・モリゾ」(1872)顔を隠しているポーズは謎めく雰囲気。モリゾと判らぬ。肖像画の常識を超えている。
「Berthe Morisot with a Bouquet of Violets 菫のブーケのベルト・モリゾ」(1872 )
一度見たら忘れられぬ絵。アマチュアには手に余るが、油彩の表現技術も高度な感じがある。
「Berthe Morisot in Silhouette シルエットのベルト・モリゾ」(1872-4 リトグラフ)「すみれのブーケのモリゾ」のシルエットか。
「Berthe Morisot Wearing Veil ヴェールを着けたベルト・モリゾ」(1872)これも肖像画と言えるのかと思う。これもモリゾと判る人はいまい。
「Veiled Young woman ヴェールをつけた若い女性」(1872 )モリゾと書いてないが、モリゾであろう。こちらが習作か。あるいは「ヴェールのモリゾ」と同じ絵か。
「Portrait of Berthe Morisot with Hat ,in Mourning 帽子をかぶったベルト・モリゾの肖像、喪中」(1874)このモリゾのきつい眼はどうだ。


マネは年齢としては、まだまだという51歳で亡くなったが、晩年にどんな絵を描いたかも興味がある。
マネ最晩年の傑作「 A Bar at the Folies-Bergere フォリー・ベルジェール劇場のバー」(1882 油彩)は、亡くなる1年前健康を損なっていた時の作品とはとても思えぬ技巧を尽くした絵で評価が高い。東京のマネ展で実物を見たような気がする。
絵の中では脇役だが、テーブルに置かれた酒瓶、花瓶などが極めて印象的だ。
これも晩年の絵だが、静物画「ガラス花瓶のカーネーションとクレマチス」(1881-83 油彩)など自分のようなアマチュアが見ても秀逸と分かる。静かながら力強い。

マネの魅力は、何やら分からぬところがあるのと、日常生活、風俗、静物、歴史、肖像、裸婦、風景など様々な画題を油彩、水彩、パステルなど多彩な技法を駆使して自由闊達に描く「幅の広さ」にあるように思える。

官僚の父と外交官の娘であった母、都会の裕福な家庭で育ち、洗練された趣味や思想、品の良い振る舞いを身に付けていた紳士であったというが、絵においては、何やら不可解な一面を持つというギャップが、人を惹きつけてやまない。
画集を見ながら、ほんとうにそのとおりで面白いなとしみじみとしてため息が出た。




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