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オディロン・ルドンの水彩画 その2 [絵]

少し前、ルドン(Odilon Redon1840-1916)のことを書いたが、あと何か気になって仕方が無い。何がと言われても説明できないのだが。

http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-09-26
「オディロン・ルドンの水彩画」

ルドンの絵を見ていて誰も同じ思いを持つのだろうが、自分もそうで誠に不思議な謎めいた画家だと思う。
なぜルドンは、色彩から入るのが一般的なのに黒から始めたのだろうか。そして、どんな動機で黒をやめて、華麗なパステルを含めた色の世界へ入ったのだろうかと。
ルドンでなくとも、ピカソの青の時代、バラ色の時代などのように、画家は飽くなき美の追求の過程でときに画が大きく変わる。
しかし、ルドンのような黒の世界から色彩の世界への転換は、珍しいのではないか。墨絵の黒で色彩の世界を捉えようとするのは、色彩を追求した結果として黒に至るのが通常であろう。ルドンは逆だ。

「オディロン・ルドン」 <自作を語る画文集> 夢のなかで  藤田尊潮訳編 八坂書房 ( 2008)を読んで見た。ルドンの言葉の中に、いくらかのヒントがある。

「黒は本質的な色だ。(中略)後に老年になって、栄養の摂取がしづらくなると、黒は人を疲弊させるものになる。
黒は、パレットやプリズムの美しい色以上に精神の活動家なのだ」ー私自身に 「黒の本質」

「私自身に」は1922年、ルドンの死(1916年)後刊行された自伝的手記・エッセイである。

「私が少しづつ黒色を遠ざけているのは本当だ。ここだけの話だが、黒は私をひどく疲れさせる。ーこの頃は、パステル画を描いている。それから赤色石版画も。その柔らかな素材は私をくつろがせ、喜ばせてくれるのだ」
1895年 (ルドン 55歳のとき)ーエミール・ベルナールへの手紙「黒との離別」

活動的な若い時こそ黒というのは、なかなか理解し難い。彼の言葉はヒントにはなるが、何故若い時に黒に惹かれたのかは分からぬ。
しかし、黒は人を疲れさせるというのは、さもありなんと思う。黒から色彩への流れは分かるような気がする。理由の一つは高齢化であろう。では、何故パステルなのか。ルドンの油彩は七宝と言われほど独特の輝きを持っていたと言われる。それでもなおパステルに惹かれたのは何故か。油彩より手軽というだけではないであろう。

「素材は秘密を明らかにする。素材には天才がついている。素材を通してこそ、神託は語られるであろう。画家自分の夢を表現するとき、逆に明晰で目覚めた精神によって、夢を大地に繋ぎ、結びつける隠れた輪郭[素材]の働きを忘れてはならない。鉛筆、木炭、パステル、油絵の具、版画の黒インク、大理石、ブロンズ、土あるいは木材、こうした材料…
ー私自身に 「画材からの影響」

絵は素材が重要という指摘だが、ルドンのあげた素材の中に水彩が入っていない。これは、どうしてだろうか。実際にルドンの水彩画は少ないが、全く無いわけではないので、わけがありそうだが、何の記述も無いようだ。
パステルは柔らかな素材で自分をくつろがせ、喜ばすとしか言っていない。多分指で粉末を延ばす感触などが、水で絵の具を溶く水彩と異なる点であろうが、本格的にパステルを扱ったことのない自分にはこれ以上分からぬ。水彩も高齢者向きの手軽な素材であることはパステルと同じだ。

いずれにしてもルドンは、油彩の七宝に劣らぬ「色彩」をパステルでも手に入れた。これは大量に描かれた花の絵などを見れば、誰の眼にも明らかである。

何故パステルだったのか。水彩画ファンとしては少し残念な気持ちだ。多くの鮮やかな水彩画を残してくれれば良かったのにと。

ルドンが水彩画の巨匠でもあった象徴主義のギュスターブ・モロー(1826-98)の影響を強く受けたことは、よく知られている。二人の絵は、神秘的、幻想的なところなど何処か似ているところがある。

http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-04-25
「ギュスターブ・モローの水彩画」

「(モローの)生き生きと輝かしい水彩画ー私はそれらを水彩の歴史画と呼びたいーは、この画家を十分に、力強く、見せてくれ、その若干固くぎこちない画法に新しい魅力を与えている。<ファエトン>は高く評価すべき作品である」 私自身にー「モローとドラクロワ」

「ファエトン」は、1878年(ルドンが38歳のとき)に開催されたパリ万博に出展されたモローの水彩画である。太陽神アポロンの息子ファエトンの戦車の神話を題材にしている。ルドンも1910年頃から晩年にかけて、同じモチーフで何枚も描いているから水彩画を意識していなかったはずはない。
このことと、ルドンが水彩画にのめり込まなかったことと、関係があるかどうかは知らないが、水彩絵の具よりパステルの方がルドンの色彩表現に適っていたということだろう。

多くの画家がパステルや水彩絵の具を油彩のためのエスキース(下絵)を描く素材として扱ったが、ルドンは、どうやら違うようだ。パステルも油絵の具と同じように「画家が自分の夢を表現する」ための素材として扱ったのである。パステル画も油彩画と同じ本制作品、タブローだ。多分その意味では、水彩もパステルとそう大きな違いは無かったのではと思うがどうか。

ところで、黒から色彩への転換の本題とは別だが、同じ手記で色彩の中の黒(と白)の役割についてルドンはこう言っている。
「もっとも貴重な手段のひとつは黒と白を入れることである。黒と白はいわば非彩色だが、他の色彩を区別しつつ、眼が、色彩の極端な多様性や極端な華麗さに疲れてしまったとき、眼を休ませ、活性化することに役立つ」ー私自身に「色彩」

アマチュアの自分にもおおいに参考になる言葉である。謎の多いルドンだが、黒と白の使い方について分かりやすいことも言っていて、少しホッとする。

七宝焼のような絵は望むべくもないが、せめてわが水彩画にも黒と白を上手に入れて観る人の眼を休ませてみたいものだと思う。

前回あげなかった気になる絵とモローの絵を一枚並べて見た。ますますルドンという画家が不思議な魅力を増してきたように思う。

image-20131009163422.png


「Eye -Balloon 眼ー気球」(1878 Charcoal )若い時の黒といっても、この時ルドン38歳。「笑う蜘蛛」、「泣く蜘蛛」などは41歳の作品である。もはや青年ではない。

「Closed Eyes 眼を閉じて」(1890 油彩)前回も書いたが、黒から色彩への移行、転換の重要な作品とされる。

「Phaeton ファエトン」(1878 水彩 )ギュスターブ モロー 。天道をはずれ墜落する日輪の馬車とファエトン、獅子と龍などいずれもモロー独自の世界が展開し観る者を圧倒する。
99×65cm 、ルーブル美術館蔵。

「The Chariot of Apollo アポロンの馬車」(1905 油彩とパステル )シャリオットは一人乗り二輪馬車。91×65cm オルセー美術館蔵。


「The Man 人間」(1915 -16パステル)142×106cmの大きな絵。最晩年の傑作。後姿の男は手に弓と矢を持つので別名「狩人」とも呼ばれるという。画家は何を描きたかったのであろうか。ルドンは最後まで謎を残した芸術家ではあった。




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