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ポール・シニャックの水彩画 [絵]

ポール・ヴィクトール・ジュール・シニャック(Paul Victor Jules Signac, 1863年 - 1935年、72歳で没す)は、19世紀~20世紀のフランスの画家。ジョルジュ・スーラと並ぶ、新印象派の代表的画家。

ジョルジュ・スーラといつも一緒にされるのは、シニャックも同じく点描画の油彩画を描いたからだが、二人の点描画は微妙に異なる。乱暴を承知で大雑把に言えば、スーラの方が点が小さく、シニャックは少し大きく時に短い線もある。あまり点にこだわっていない。一方スーラは理論的に選択した色の点を几帳面に配置している感じがある。そのことが絵の印象をかなり変えている。

ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat 1859年- 1891年)も新印象派に分類される19世紀のフランスの画家。代表作は「グランド ジャット島の日曜日の午後」。油彩だが、この絵は点描画と見えぬほど、点が小さく画面はなめらかだ。
スーラは、印象派の画家たちの用いた「筆触分割」を点描画まで発展させた。彼は完成作を仕上げるまでに多数の素描や下絵(油彩で!)を制作して、入念に構想を練ったというが、我が画集に水彩画は下絵を含め、1枚も見つけることはできなかった。
点描画は手間ひまがかかるのか、31歳の若さで没したことが一番大きな理由だろうが作品の数は多くはない。
スーラより4歳年下で生まれて、72歳まで生きたシニャックが、水彩画を含めて多作家だったのと対照的である。

スーラの点描法は、キャンヴァス上に並置された異なった色の2つの点が、視る人の網膜上で混合し別の色を生み出すという、「視覚混合」の理論を応用したものといわれる。
つまり、点描画は、絵の具を混ぜることによって色を作り出すのではなく、異なった色の点を交互におくことで、その組み合わせから色の調和を得ようとする技法である。点描によって画面は明るく彩度の高いものとなる。
透明水彩絵の具でこれをやると、一層の透明感が得られることになるだろうと容易に想像出来るがどうか。
シニャックはマチスやゴッホに影響を与えた画家だが、この点描による透明感によるところが大きいものと思われる。

シニャックが水彩画を始めたのは、1885年(22歳のとき)ノートルダムを描いた絵があるので、かなり早くから手がけていたと思われる。
シニャックの水彩は、基本的には線画水彩であろう。晩年になるほど鉛筆の線が太くなるようだ。
しかし特徴は、その線のタッチが早いことと、やはりその色使いだろう。赤、青、黄を1枚の絵の中に大胆に配置する。寒色と暖色、前進色と後退色、補色などだ。素人の自分がやったら奇天烈な絵になること間違いないが、鉛筆の線ともども全体に心地よいハーモニーがあるのはさすがだと思う。

もう一つの特徴は、シニャックに人物画、静物画が少ないことである。人物画では有名な「フェリックス・フェネオンの肖像」 (1890年油彩)、「ダイニングルーム」(1887油彩)、「日曜日」(制昨年不詳 油彩)、「パラソルの婦人」(1893 油彩)など数枚しか画集に無い。ヌードなどむろん無い。
殆ど風景画、それも好きなヨットを入れた海景画などが多い。
シニャックは、スーラの死後も自分の絵を変えていく。イギリスでターナーの絵に感銘を受けその影響が点描画(油彩)にも出たと言われる。新しい色彩の展開はスーラを超えたと評する人さえいる。
魅力的な点描油彩画も多いが、ここでは本題に沿って、沢山ある水彩の中から何枚かを。水彩画で点描はどう描かれるのか、というのが関心事である。

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「Norte Dame ノートルダム」(1885 水彩 )点描の手法はまだ使われていないように見える。流れるような線、独特の色合いが特徴だ。この頃の油彩もまだ点描は現れていない。
「Passy パシー」(1898 水彩 )パシーはパリの観光名所になっている。水面などは、点描風だ。
「The Blue Poplars 青いポプラ」(1903 水彩)木の緑が点描風。ゴッホの水彩画を彷彿させる。
「The Harbors at St.Tropez サントロペ港」(1905 水彩 )シニャックは1892年サントロペに旅行しているが、その頃から盛んに水彩画を描いている。黄を基調にして明るい。全体に点描画風。
「The Pile of Sand ,Bercy 砂の堆積」(1905 水彩 )これは、点なし線のみ。
「Vierville (Calvados)」( 1913 )
「Geneva 」(1919)
「Paris パリ」(1923 水彩)
「La Rochelle 」(1925 水彩)
「Paris-River Scene パリ ・川の景色」 (Date unknown )

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「Rouen Cathedral 」(Date unknown )
「Sailing boats at Les Sables-d'Olonne 」(Date unknown 水彩)
「Floral Still Life 花の静物」(1920-24 水彩)数少ない静物画。
「Carnival at Nice ニースのカーニバル」(水彩 Date unknown )華やかなカーニバルの喧騒が聞こえる。赤の使い方が絶妙。
水彩画と油彩(こちらは点描画)をやや似た題材の絵を選んで並べて見た。
シニャックが点描で表現しようとしているものが、水彩で表現しようとしているものと同じような気がして面白い。やはり、そのひとつが透明感なのであろう。自分には水彩の方が勝っているように見える。画家は1935年に亡くなっているから、2枚とも、もう晩年の絵だ。
「The 'Emerald Coast',St.Malo 」(1931 水彩)
「The Port of Barfleur」( 1931 油彩)
「水差しと水瓜のある静物 」(1918水彩 鉛筆34.4 × 39.0cm)シニャックには珍しい静物画。まるでゴッホのタッチ。黒の線が太い。点描画風だ。

水彩画はなかったが、ジョルジュ・スーラの絵を2枚。
「A Sunday Afternoon on the Island of La Grand Jatte グランド ジャット島の日曜日の午後」(1884-86 油彩)スーラの代表作。207×308cmの大作、点描はさぞ疲れたろうと推測する。大勢の人がいる割に絵は静かだ。
グランドジャット島は、たまたまシニャックの生地。シニャックとスーラは1884年第一回アンデパンダン展で出合い共鳴したという。
「ポール・シニャックの肖像」(コンテ1890)ジョルジュ・スーラによるもの。シニャック27歳。

こうして見るとシニャックにも水彩画では、点描風のものはあっても明確な点描画は無さそうだ。わかることは点描によって油彩画でより透明感を出そうとしたこと、水彩画は本来その透明感を持っており、シニャックはそれに高年になって、さらに強く惹かれて水彩画にも注力したということである。
彼にとっては、高い彩度と明るい色彩の透明感を追求していく時、点描画と水彩画は極めて近いものだったと言えよう。


余談ながら、日本では昭和期の洋画家岡鹿之助(1898年-1978年、文化勲章1972年受章、79歳で没)の点描画が有名だが、鹿之助はそのころまだ無名に近かったスーラの作品は知らなかったという。パリに留学し、藤田嗣治に師事したのは1925年で、スーラの没年は1891年である。スーラの後を継いだシニャックは1908年にはアンデパンダン展(無審査出品制の美術展覧会)の会長も務めて知名度は高かったと思われるが、彼の点描画も鹿之助の耳に達しなかったと見える。
たしかに鹿之助の点描は、スーラの視覚混合理論を応用した点描画とは似て非なるもので、同系色の点を並置することによって堅固なマチエールを達成しようとするものであるというのが通説である。
鹿之助はこの技法を用いて、静謐で幻想的な風景画や花の絵を多く残した。彼には版画リトグラフはあるが、水彩画は無いようだ。

もうひとつ、蛇足。理論派で寡黙なスーラ、明るい性格で発言するシニャックと言われるが、新印象派には社会派のイメージが強くある。特にシニャックは、裕福なブルジョワの家に生まれながら、上掲の肖像画のモデルにもなった友人の批評家フェリックス・フェネオンと共に政治的にはアナーキズム、無政府主義者であったと言われる一面がある。画家では、穏健派といえ、「社会芸術」などを主張し、治安当局に目をつけられるというのは稀有であろう。
その代表的な作品に労働者などを描いた「調和の時代」(1894-95)、「The Demolisher 解体する人」(1898 油彩)などがあり、一考に値するテーマだが、わが興味の主題、本題は「水彩画」なので蛇足ということにあいなる。
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