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アメデオ・モディリアーニの水彩画 [絵]

アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(Amedeo Clemente Modigliani、1884年 - 1920年)は、イタリアの画家、彫刻家であるが、主にパリで制作活動を行った。芸術家の集うモンパルナスで活躍し、エコール・ド・パリ(パリ派)の画家の一人に数えられる。

モジリアニはもともと彫刻家を目指したが、絵画に転進する。
1909年モンパルナスに移り、ルーマニア出身の彫刻家コンスタンティン・ブランクーシと交流する。この時期彼は彫刻に没頭し、1915年頃まではアフリカ、オセアニア、アジア、中世ヨーロッパなどの民族美術に影響を受けた彫刻作品を主に作っていた。
しかし、資金不足と健康の悪化による体力不足などの理由により、彫刻活動を断念せざるを得なかった。
しかし、その間に残した一連のスケッチから、後の絵画作品の特徴であるフォルムの単純化の過程を知ることができるという。後述のカリアティッドなどが一つの例であろう。
1914年、パリでも著名な画商ポール・ギヨームと知り合い、ギヨームや友人のマックス・ジャコブの勧めもあって1915年頃から絵画に専念し画業を始めた。
モディリアーニの絵画の代表作の大部分は、その頃から亡くなる前年1919年のわずか数年間に集中して制作されている。
モディリアーニの絵画のほとんどは油彩の肖像と裸婦であり、風景は4、5点しかなく、静物にいたっては全く残されていない。
モジリアニは、明らかにゴッホ、ピカソなどの影響を受けているが、顔と首が異様に長いプロポーションで目には瞳を描き込まないことが多いなど、特異な表現をとっているが、これは彼の彫刻家としての影響があると指摘される。

モジリアニが、彫刻のために描いたといわれる「カリアティッド」は、モジリアニの絵画を理解するために重要なものとして良く知られている。
カリアティッドは、ギリシア建築の張りを支える女人柱のことだが、絵画に転進した1913年頃モジリアニは盛んにこれを描いている。

モジリアニの水彩画は、このカリアティッド数枚とあとほんの1、2枚しか無い。モジリアニも採色した下絵は描かず、いきなり肖像画や裸婦など人物画を描いたと見える。ゴッホと同じく、多分残された時間は少なかったためであろうか。
カリアティッドの水彩は、彫刻のためだったと言われるが、油彩でも数枚描いている。
これらのカリアティッドと大理石やブロンズ彫刻との距離よりも、後年描かれたモジリアニ独特の裸婦の油彩までの距離の方がむしろ近いように見える。

これらを並べてみると次の通り。

image-20131027174157.png

「Caryatid カリアティッド 」(1913-14 水彩 パステル )
簡潔で力強い線だが、モディリアーニのカリアティッドは、 丸みを帯びた身体が官能的。
「Pink Caryatid with a Blue Border 青い輪郭のピンクカリアティッド」(1913 水彩)
「Caryatid カリアティッド」(1913 グヮッシュとインク)
「Caryatid カリアティッド」(1913 水彩)
「Caryatid カリアティッド」(1914水彩)
「Caryatid カリアティッド 」(Date unknown 油彩 )1913年とする画集もある。
裸婦を一枚だけ。
「Nude (Nu)眼を閉じた裸婦」(1917 油彩)
彫刻を2点。
「Head of a Woman 婦人の頭」(Date unknown ,stone Sculpture )
「Head of a Woman with Fringe お下げ前髪の婦人」(Date unknown ,bronze Sculpture )

image-20131027174223.png

カリアティッドのほかでは、数少ないモジリアニの水彩画2枚。
「Head of a Woman wearing Hat 帽子の婦人」(1907 水彩 ) ロートレック調。この頃、帽子をかぶった油彩の婦人像が何枚かあるからその下絵か。
「Renee ルネ 」(Date unknown 水彩 )赤を基調とした淡い水彩画。娼婦だろうか。女性の目は瞳が無い。彼の描く油彩の肖像画や人物画の特徴だ。
モジリアニがもっと水彩画を描いたら、きっと良いものを描いただろうと思わせるような作品だ。

水彩画が少ないので風景画と人物画を1枚ずつ。
「Landscape ,Southern France 南仏風景」(1919 油彩 )亡くなる前年3枚の風景画を描いたのは、どういうことなのだろうか。他には1899年、1918年に各1枚。計5枚しか無いのに。
「Young Girl Seated座る若い少女 」(1918 油彩 )少女像は好きな絵が多いが、そのうちの一枚。
「自画像」15歳ごろ
「モジリアニとジャンヌ・エビュテルヌ(写真)」

モジリアニは、病と彫刻家としての挫折、売れない絵画など悩みを抱えてmaudit [ モディ ] = 呪われた画家とあだ名がつけられるほど荒れた生活をおくる。
1917年33歳の時、アカデミー・コラロッシで画学生だったジャンヌ・エビュテルヌと知り合い同棲を始め、画業も個展を開催するなど進展するかにみえた。が、続く貧困と不摂生による結核の悪化で、長女ジャンヌを遺して35歳の若さで亡くなる。結核性髄膜炎だったとされる。
エビュテルヌもモディリアーニの死の2日後、後を追って自宅から飛び降り自殺した。この時、二人目の子がお腹にいたという。彼女の絶望と悲しみと画家への愛の深さを思うと、胸が苦しくなる。
ジェラール・フィリップ、アヌーク・エメ主演の「モンパルナスの灯」の映画は、画商が画家の「ある時」を待つという映画だそうだが、二人の愛の悲劇を扱っている。ある時とは、絵の値段が急騰する画家の死。この映画を自分は見ていない。見たいとも思わないのは何故か分からぬ。

らちもない話題だが、ネットでモジリアニを検索すると、モジリアニホソアカクワガタというのが出てきてびっくり。学名Cyclommathus modiglianii モジリアニホソアカクワガタはスマトラ産とか。昆虫マニアなら知っているのだろうが、画家アメデオ・モジリアニとは関係ないだろう。


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