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ターナー展 [絵]

朝起きて体調が良さそうなので、雨模様だったが一人で上野まで出かけた。付き添い無しの外出は久しぶり。家人は日暮里に布生地を買いに出掛けた。最近ハンディミシーンを購入したのだ。

西新宿から上野御徒町まで10分というので、大江戸線にしたのが間違い。御徒町から一駅歩く羽目になる。元気なら何でもないがJRの公園口に辿りつく頃には、足が痛くなってしまった。絵の鑑賞が少しきつい。

今回のターナー展は大回顧展と銘打ち116点が展示され、うち36点が油彩とか、あとは水彩とスケッチなどだから自分には都合の良い企画である。皆さんは油彩画の前で立ち止まる人が多いが、自分は水彩をゆっくり見る。

image-20131031113348.png

油彩は数が少ないものの大きいので、展覧会向きでやはり迫力がある。
惹かれたのは「Peace-Burial at Sea 平和-水葬 」(1842 油彩 87×86.5cm )。
黄色が好きで緑が嫌いだったというターナーだが、これは珍しく黒が主役。
黒がきつ過ぎるという評にターナーはもっと良い黒があればもっと黒くしたいと言った、とキャプションにあったのが面白い。画家の自信と矜持であろう。
またキャプションに、手前の海に飛ぶ 一羽のマガモMallard(wild duck)は、画家のJoseph Mallord William TurnerのミドルネームMallordにかけて水葬された友人の画家ウイルキンソンへのオマージュとして描かれたとあって、へぇと感心した。
渡り鳥だから海にも真鴨はいるようだ。駄洒落も楽しい。

ふと気になって、自分の好きな「Blue Rigi ;Lake of Lucerne -Sunrise 青いリギ山;ルツェルン湖の日の出 」(1842 watercolor )を家に帰り画集で見ると、やはり左下にマガモらしき鳥が数羽飛んでいる。この絵も同じ1842年だ。これはターナーのサインかも知れぬ。湖ならマガモはいる。右上高く飛ぶ鳥もマガモだろう。

余談はさておき、この絵の題名「Peace」は何と訳せば良いのかと思っていたが、「平和」となっている。Burialー埋葬から想像して「安らぎ」かなと思っていた。しかし、隣にあった「War - the Exile and the Rock Limpet 戦争-流刑者とあお貝(カサ貝)」(1842年79.5×79.5cm 油彩)とセットであると知ってびっくり。戦争と平和、赤と黒か。
わからないでもないが、ターナーの友人で水葬された画家ウイルキンソンと交流のあったヘイドンがナポレオンの絵をよく描いていた、と言われてももうひとつピンとこない。

油彩で印象的だったもう一枚は、「The Devil's Bridge 悪魔の橋、サン・ゴッタルト峠(1802 油彩)。ターナーは1775年生まれだから27歳の時の作品ということになるが、この頃、水彩も油彩も描いたようだ。
ターナーは、イタリアとスイスの間にあるV字状に切れ込んだアンデルマット付近の岩場の 難所、悪魔の橋を、恐ろしげな構図と色彩で何枚か描いている。画家は、縦長の紙を垂直な断崖を強調すべく意図的に使っているという。
我が画集には水彩と明記された「悪魔の橋」(制作年不詳)もあるが、油彩風だ。こちらは、ここを行軍する兵隊が描かれている。66歳の時の1841年に描かれたものもある。水彩か油彩か画材が書いてないが、水彩画のようにも見える。

水彩で面白かったのは、スイスのリギ山を描いた コレクター向けの小さな下絵 。水彩とクレヨン、鉛筆 が使われていたように思う。いわば、購入見込み客へのセールス用のエスキース。上掲の「青いリギ山」なども、同じようにエスキースを描いたのだろうか。
今度こういう水彩を描くつもりだが買うつもりはないかね、と言っているターナーを想像すると、面白うてやがて売れっ子巨匠といえど苦労しているな、と妙な気がする。
本作のために描く下絵、エスキースのほかに、こういうのもあったのだと初めて知った。

さて、ターナーの絵のことではないが、展覧会の企画、学芸員はさすがプロだけあって、題名の邦訳やキャプションは素晴らしいと感じ入った。
Prepared paper は下塗りした紙と訳していたが、そうかと納得。絵の技法ばかりでなく地誌、歴史など豊富な知識はもちろん豊富なのだろうが、やはりセンスがある。
キャプションも、「絵のように美しい風景」をpicturesque ピクチャレスクなーなどと上品。
なかで「ウオッシュ」を「淡彩」と訳していたのでふと考えさせられたことがあった。ターナーが晩年に盛んに描いた抽象画のようなあっさりした水彩画は、前から気になっていたのだが、ファーストウオッシュ (一回目の塗り)の「淡彩」だったのかも知れないと。
水彩はこれをやったあと、暗いところや固有色を塗り重ねたりして完成させるが、このファーストウオッシュの段階が最も綺麗だとも言える。研究熱心なターナーがそれを知らないはずはない。
晩年になってあのようなあっさりした絵を何枚も描いたのはそれが理由ではないか。高齢になって体力、気力が落ちたからでは決してないとは思っていたのだが。

ところで先日、図書館で最近号の藝術新潮をめくっていたら、ターナーの「危な絵」焼却やらの話が掲載されていて少しうんざりしていた。
以前ターナーの晩年のことを、ガーティン、ボニントンとのことと三題噺で書いたことがあった。この時、ターナーにはヌードが殆どないけれど、若い頃チャレンジしたことはあることなどを書いた。

ターナーの水彩画(3/3)巨匠晩年のチャレンジ
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-05-18

水彩風景画家、海景画家ターナーのイメージを壊したくないという、気持ちが何処かにある。
藝術新潮はターナーも人、こんな側面もあった、と言いたいのだろうが、ターナーの絵を理解するためと称してこんなことを強調するのは、あまり良い好みではないように思う。

そんなこんなで、大回顧展もあまり気が進まなかったが、行って見るとやはり水彩画はおおいに参考になった。
200年前も今もそう大きく変わっていないなと、ターナーの偉大さをしみじみと思いながら秋雨の上野をあとにして、お昼には家に帰った。
殆ど同時に、日暮里の繊維街から帰宅した家人が作ってくれた温かいうどんを、二人で頂く。
午後は疲れて昼寝となったが、久しぶりに楽しい小半日であった。





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